2000年6月から7月のダイアリ

2000年7月31日(月)
会社の机に古いPCと新しいPC、仲良く並べてお仕事。
ちなみに新しいほう、容量がなんと38GBもある。
こんなに使いきれるものかな?
木々が太陽の光を浴びてる間、僕はいつもの2倍の人工的放射を浴びつづける。

2000年7月30日(日)
久しぶりにベネックスの「IP5」を観る。
ぼくの中では結構高く評価していた作品なのだけど、実際にそういう作品見直してみたりすると、年の功か何か知らないけれど、違った面に気付くことが多い。
前回は主人公たる青年に随分肩入れできたのだけど、今回はそうしたことはできなかった。
社会に対する憤りみたいなものよりもむしろ社会性をもつことになった今の自分関係してるのかしら。
映像と音楽はよいと思える個所がやはりあったのだけど、そのへん(湖や森のシーン)は随分と監督としてメッセージとして力を入れているのではないかなと思わせた。
イメージを高めて共有化できるようにすることで、観た人に対してメッセージが伝わりやすくなるのではないかということ。
ただ一緒に観てた友達は「お仕着せっぽい」などと言ってたけれど。

おでこを木の幹に当てて、宇宙を感じようとする場面はやはり好きだ。
イブ・モンタンがやぁっと声をあげると頭上の梢たちが宇宙のように廻りだす。
それと夜の湖のシーン。湖にあお向けになって浮かぶ青年の目に見える白夜のような太陽。
このあたりのシーンを通じて、始め「心がない。からっぽ貝だ」といわれた青年の心と黒人少年の心が徐々に感化されていく。
ぼくはこの旅の終わりよりもむしろこのへんの過程のほうが映画として重要だったような気がする。
青年と老人の求めていた愛の形が今ひとつちゃちに見えてしまったのは、大人になったからだろうか、あまりに現実的になったからだろうか。
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夕食しに自由が丘へ出掛ける。
初めてスペイン料理なるもの食す。
メニューを最初みてその値段にたじろいだけれども、普通の飲み会レベルに抑えれて一安心。
目の前のシェフが芸術的に盛り付けようとしてるのに苦心しているのはなかなか面白かった。
そしてなかなかに美味しかったのでした。

2000年7月29日(土)
金曜日、仕事を終えたあと、ラストオーダーぎりぎりで渋谷のイタリアン入って、平日の締めくくり。
トマトとタコに絡んだソースの美味しいパスタ。
そのうちとびっきり美味しくて、控えめな値段のお店でも見つけれたらいいな。
裏路地なんかでいいからさ。

今日は朝ご飯はさんでお昼までクークーと眠ってたよ。
クッキー齧りながら珈琲飲む、そんな昼下がり。

* * *
夜、家で矢口史靖の「アドレナリン・ドライブ」見たあと、花火しにいく。
煙草吸わないから、あっライターがないなんてことになったのだけど、はたと思い出して、学生時代に山で着ていたヤッケのポケットをごそごそ探ると、スプーン、ナイフにコンパスに笛、携帯用メタに最後に使った地図にキャンディー、そんなものに交じってありました。
山男だったのでしたね。
ガムテープ(補修用)でぐるぐる巻きされたライター持って外にでて、線香花火にかざす。

2000年7月27日(木)
初めての新幹線。
窓辺を陣取って、景色みよなんて思うも、程なくして深い眠りへ。
初めての仙台。
牛タンの厚さに驚き、涼しさに嬉しと思い、まっすぐな思考で話し合い。
初めての下北沢。
年中、学祭のような街にて、屈託なく笑い、飲む。

2000年7月26日(水)
ことばなく、べっとにおちます。

2000年7月25日(火)
帰ってご飯食べたら朝にワープしてました。
ということで行ってきます。

2000年7月24日(月)
木曜日にこれまでで一番の遠出を控えているのでチョコチョコお仕事。
初めての新幹線に初めての仙台、そしてそのあと初めての下北沢で課の飲み会などあるのです。
初めてづくしなんですよ、という僕になぜか皆満足そう。

2000年7月23日(日)
多摩川に出掛けて百合の花を流す。
望まれるものと望まれないもの。
つぼみは花開くことがあるかな。って一生懸命に聞くから
あるよって答えて、涙顔見られないようにつぼみの流れていくの眺めてた。

2000年7月22日(土)
朝から喫茶店はいって、TOEICの本と辞書おいてペンもつ君の傍らで「村上春樹を読む」を齧り読む。
春樹氏の小説って、人それぞれに掘り起こすことできて、人が掘り出した芋を見て、ああっなんて思うのも楽しいもの。
外を見れば、極めて暑そうに、もしくは暑さに放心しながら道行く人々。
それをあまりの冷房に鳥肌立てながら眺めている僕。

僕らにとってこれから大きなことが起こるのにまるで普通に振舞ってる僕の姿見て、「結局人事なのかもしれないね」ってぽつり呟く君。
灰色した建物でスリッパ履いた君にバイして、休日の電車に揺られて家に戻る。

炎天が勢い増す中、今度はタイ締めて出掛ける。
昼ご飯をいつも一緒してる先輩の結婚パーティー。
結局知ってる人がすごく少なくて、隅っこで海見ながらワイン飲んでる時間の方が長かった。
女の人はドレス着て二の腕出してはしゃいで羨んで、まぁ楽しそう。
2次会ゆかずに少し固めのグレープフルーツ買って家路をたどる。

2000年7月21日(金)
まだ体内時計はイタリア時間を指しているようで、一日フルに脳の歯車が廻らなくて参ります。
話によると時差ぼけというのは東から西にいくときよりもその逆のほうが大きくでるそうです。
サッカー選手や外務大臣という人たちはかなりすごい人種なんだということがわかります。
きっとスーパーシートなんだろうけどさ。
今週末できっかり東京人に戻りたい。

2000年7月20日(木)
楽しみにしてた「サイダーハウスルール」見てきました。
思いもがけず涙をこっそり流しちゃいました。涙腺が弱くなってるのかもしれないけれど。
生きていく中では、最善の道とそうではない道というのは常に明確に提示されているわけではなく、選んだ後だってそれで良かったのかなんて確信できることは少ないのかもしれませんね。
アーヴィングの毒のある語り口もここでは、生きる中での思いもがけないことだけど実際ありえるものとして、作品の中にうまくこめられていたと思う。
そしてハルストレム監督の作風であろう人物の優しさも画面から滲み出ていた。
お薦めであることに間違いありません。
恋愛の終わり方なんか結構難しかったのだけど、他の人ははどう思ったのだろう。

2000年7月19日(水)
電車の吊革に手かけて車窓を流れる建物見てるぼくがいる。
ただキーボード軽快に叩こうとするぼくがいる。
社会の中にあっという間に溶け込んで、駅前の光の渦の中で空見上げるぼくがいる。

2000年7月18日(火)
早速いっぱい仕事してきたよ。
お昼頃は時差ぼけか何か知らないけれど、頭がぼぉーっとしててどうなることかと思ったけれど、夜が深まるにつれて、脳の活動が活発になったみたい。
社会に戻るとそこにはやっぱり連綿とした流れがあって、旅から延長していた時間の流れは、支流が本流の水に吸い込まれ一体になるがごとく、変っていくんだ。

2000年7月17日(月)
帰ってきました。
時差ぼけで頭の中が少し朦朧としてます。
友達曰く「フランス人ぽくなった」らしいです。
こしゃくれたってことかな?

今回の旅では大きな転換が受動的に生じることを密かに願っていたのでしたが、そうした変化は向こうからは立ち現れなかった。
でも、現実と真っ向からでも立ち向かうべきだという決意みたいなものが生まれました。

ザックとジーンズにおさらばして、また明日からスーツにネクタイ締めて頑張ろうと思います。

...けーじばんについて友達が「これはかなりやばいと思ったよ」って言われて、まぁーそうだろうなという感じ。こんな英語でよく大学入って出たものだよな。ははは(乾き笑い)

2000年7月8日(土)
さて、そろそろ出掛けます。
10日間の予定でスイスのチューリヒからイタリアのローマまで旅してきます。
ほとんど予定決めてないのだけど、一応マッターホルン見て、アルプス越えするつもりです。
台風も収まったし、飛行機も飛びそうです。
いってきま〜す。

2000年7月7日(金)
風雨荒れる七夕の日。
天の川も高波だろうに、それでも彦星は濁流に身を投げうつのかな。

そろそろ支度しなきゃ。
といっても手荷物1つ分しかもっていかないのだけどね。

2000年7月6日(木)
重力が2倍になったような感覚で起きる。
兎に角、がんばんなきゃ。
夕刻には流石に頭もコンフゥーズ。

さて明日は七夕、というのに怪しげな台風がやってくるようだ。
飛行機のことがちょっと心配。
もう一日。

2000年7月4日(火)
かなり早めの夏休みをとるために、日が変わるまでテケテケとお仕事。
「あいつは遊んでばかりだ」なんて思われないためにも、今週は人の仕事もどんどんこなそうと思ってる。

夕刻に突如空が暗くなり雷鳴と豪雨に支配される。
どんな街だって自然の脅威の下ではおとなしくなるしかあるまい。
稲妻がバリバリと空を裂いて、代官山の向こう側に落ちていった。

2000年7月3日(月)
久しぶりにキース・ジャレット聴いてる。
夜の公園で静かに僕は話を聞いている。
広場のベンチや樹木が聞き耳を立てる中でね。
神様も聞いただろうか。
そして微笑んだのだろうか。

2000年7月2日(日)
今日は渋谷の街にて散財デー。
パルコと西武を上ったり下りたり。
旅の装いは大体OK。

緻密な挿絵が素敵な、ウィンパーのアルプス登攀記(岩波文庫)も購入。
マッターホルンの悲劇を描いたものですね。
話の概要は大体知ってるのだけど、きちんと読んだことないので楽しみ。 ということで旅の読み物もOK。

渋谷の街は最初はあまりの人の多さに目が皿のようになったけど、今じゃ随分使いかってがわかってきたような気もする。
気を張るのでも許すのでもなく、宇宙を歩くような感じで歩くとうまく歩けるみたいです。
無論、宇宙は夢の中でも歩いたことないけれど…

「サイダーハウスルール」、昨日より公開のようです。
ジョン・アーヴィングが脚本執筆に当てたのは13年間。
そして彼自身も駅長という小さな役をやってるようです。
僕は7月の週末がほとんど塞がってるけれど、多分海の日あたりに観にいけるかな。
詳しくはこちらをどうぞ。
少しいじってます。たまには変化しなくちゃね(苦笑い)

2000年7月1日(土)
照りつける太陽の中てくてくプールまで。
空腹感のやってくるまで身体を動かす喜び。

「鮫肌男と桃尻娘」みる。
これなかなか面白いです。
撮りかたも音楽も凝ってて、カッコいいのです。
トマトジュースをごくごく飲む男、浅野忠信もこれまで見た中で味が出てたような気がした。
こんな映画が日本映画に増えてくれば面白いことになるよね。

夕刻、横浜で学生時代のワンゲルの後輩と飲む。
彼らのいったボリビアやネパールの話など弾む。
あまりに長居して帰りの電車途中までしかいかなくて、ちょっと財布が痛い目に合った。
うむ、反省。

2000年6月30日(金)
7月が顔覗かせる蒸し暑い一日。
三茶で飲んで、満員電車で帰ってくる。サラリーマンぽいね。

2000年6月29日(木)
辻邦夫の「美しい夏の行方」を読む。
父の書斎の本棚に彼の本が並んでたのだけど、読むのは今回が初めて。
といっても、これはイタリアの紀行文なのです。
この人の文章は極めて流麗だ。
日本語の美しさというよりは、欧米文の美しさに似るところがあるのだと思う。
彼もまた欧米文学から物書きへの扉を開いたのではと思わせるところがある。
例えばこんな文章。
……実際、ぼくたちはイタリアにきてみて初めて、空の青さというのが、こんな熟れた果実のように甘味のある充実感を持っているものか、と驚く。乾いた大地にがっしりと根を下すオリーヴの銀緑色の葉を吹く風が、汗ばんだ肌に柔らかく触れていくとき、ぼくたちは、まるで風に香わしい肉体が備わっているのではないかと思う。……
こんな文章読むと、心の底で眠る原始的な何かが目覚めて、紺碧な空を求めて手を伸ばし、内側から僕を揺り動かすよ。

2000年6月28日(水)
久しぶりに辻仁成氏の作品読む。
芥川賞をとった「海峡の光」です。
春樹氏ばかり読んでる僕には、文体が非常に重厚な気がしてくる。
春樹氏の作品は言葉ひとつひとつが軽快なのだが全体として重みを持たせることもできる文体。
一方、辻氏のには言葉一つ一つが錨のような重みをもち、そのまま相手を沈めるような文体。
彼の作品にはあまりに重くてそのまま浮かんでこないようなものもある。
例えば初期作品の「ピアニッシモ」なんかはどうも苦手。
「海峡の光」は序盤から重いパンチを次々に繰り出して的確に相手を捉えていると思う。
つまり僕は捉えられてるってこと。

2000年6月27日(火)
課長に、「再来週、いきなり休みとりたいんですけど」なんていったら、「よいことだ」とご了解。
ほっ。
頭の中が段々旅モードになりつつある。
SOくんがバナーをプレゼントしてくれました。もう嬉しくて。

2000年6月26日(月)
家帰って、部屋に夜気を入れて、珈琲入れてプリン。
夜の珈琲は胃の中に落ちていき、ここにも夜気が確かにやってくる。
その中に甘い舟の浮かぶ。

2000年6月25日(日)
傘さしてプールへ行く。
雨のおかげでプール前の小便小僧の出もいいみたい。

「散歩の達人」という雑誌の今月号の特集がこの沿線の町だったので、ちょっと遊びにいってみる。
デパートに付属して広面積をとったガーデニングの専門売り場など覗いてくる。
さすがに色々揃ってて楽しい。
コリアンダー等のハーブの種をいくつか買ってくる。

家戻ってきて投票しにてくてく。
駅と逆側に歩いたのだけど、全然見知らぬ風景にびっくり。
どう考えても僕はまだこの地域に根付いていない(し、恐らくこれからも根付くことはないかな)。
流石に筋肉つかい果て、そのままベッドでぐっすり。

そういえば昨日連絡とった格安航空券の会社から速達。
後はお金を振り込んで、当日飛行場でチケットもらえばいいだけ。
改めて現代って凄いと思ったよ。

2000年6月24日(土)
朝起きてからネットつけて夏休みの旅用に格安の航空チケットを扱う会社に電話かけまわった。
さすがに2週間後のとなると全然ない。
すべてが埋まってると思えるほどない。
あきらめかけた、そのとき、ふふふっあったよ!
行きは2都市経由になってしまったけれど…。
あとは急な仕事が入らないことを祈ろう。

渋谷でサブ監督の「Monday」みる。
けっこう評価は高いようだが、「弾丸ランナー」にしてもこれにしても僕の中では何かが越えられない。
あんまり監督との相性がよくないかな?

2000年6月23日(金)
選挙が近づいてきました。
今回は必ず投票しようと考えてる。
学生時代はけっこう棄権したりしてたんだけど、やはり東京でサラリーマンなどやってるとそれなりに行政に対する希望もでてくるのかな。
利権に奢ることなく、生活者の視点からきちんと物を考えることのできる人にいれたいなと思っている。
といいつつ、自分の選挙区の名前や候補者もほとんど知らなかったりするのだけど。

2000年6月22日(木)
「朗読者」という小説読んでる。
年が大きく離れた男女の恋愛小説と思わせときながら、そうじゃなくなるんだよね。
舞台ユダヤ人の強制収容所における行為の是非に及ぶわけです。
さすが誉められてる小説だけあって、けっこうぐいぐい読めるのだけど、結局通勤電車の中で読んでるわけで、ほんとはソファに深く腰掛けて集中して読みたいよね。

2000年6月21日(水)
身体が熱もち、火照ってる。
東京の夏。
プールの中に沈めたら気持ちいいだろうな。

2000年6月20日(火)
くちなしの花の香りが満ちている。
さっさと眠って、4時半に目覚めれば山鳩のくぐもった声。
電線の上で体を膨らませていたよ。
こんなに早く起きたのはいつ以来だろう

2000年6月19日(月)
歩みがとまりそうになっても、しっかり手を握って、大丈夫、一緒に歩くからと言おう。
いろんな人たちが早足で笑って抜いていったってかまわない。
ぼくはいつだってここにいるよ。

2000年6月18日(日)
太陽の日差しを半そでの腕にあてながら、朝からプールいってきた。
少しずつ長いタームで泳ぎつづけることできるようになってきたけど、まだまだ。
水棲動物への道は遠いみたい。
プールからの帰り道、畑にクワズイモみたいな葉っぱが一列に並んでて、何かと思えばサツマイモのようです。
北海道はジャガイモしかないからね。
ジャガイモの白い花がうねうねと続く畑で風に吹かれているのなんてなかなかいいんだよね。

昨日、渋谷で「BIOCITY」という雑誌買ってきた。
その名のとおり生態的なまちづくりへの道を探っていくようなテーマで、僕のやりたいこととシンクロしている。
学生時代は研究室にとっていたのを読んでたけど、上京してから随分と遠く疎くなってきたということもある。
読んでるとやっぱりこういうことがやりたいんだよなって、ふつふつと新たな思いが湧いてくる。
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夜、友達の家で映写機で「中国の鳥人」という映画観る。
2年前、札幌のミニシアターで一度観ているので2度目ということになる。
本木雅弘演じる商社のサラリーマンが代理として中国に玉の取引に向かうのだが、彼がそこで見たのは資本主義社会の波のかぶっていない原風景的な山村である。
文明的のあくせくした時間の流れの代わりに心の休まるような胡弓や歌に魅せられ、そこに彼が玉の取引によってもたらす資本主義へのジレンマに苦しむといった内容だ。
そして彼はそこで自らが村の伝説である鳥人を実践して、村の資本主義の流れを規制できるようにしようとするのだ。
そう、空を飛ぼうとするのだ。
彼は結局最後に日本に帰り、元のサラリーマンの姿に戻る。
ものの豊かさって一体なんなんだろうって考えさせてくれる映画だ。
そしてそれ以上にサラリーマンとなった僕には、以前と比べて、主人公にきわめて共感できるようになっていた。
「誰にもそうであったろうが、私にとってもこの数十年は辛いものだった」といったエンディングに近いところで語られる言葉。
「初めて空を飛んだとき、私はなぜか父の顔を思い出した。初めて自転車に乗ったときの感覚に似たものがあったからだろう」という言葉。
それらのシンプルな言葉が控えめで真面目な主人公の口から抑制されつつも出てくるのだから。
本木雅弘が好演しています、元シブガキ隊とは信じられないくらい。
友達の家を出て、暗い坂道を歩いていると、なぜか涙が止まらなくなった。
きっと自分の父親の頑張ってきた姿とか、僕自身経験してきた学生時代の想いとかが混ざってしまったのかもしれない。
近いうちに椎名誠の原作本のほうも読んでみたいと思う。

2000年6月17日(土)
髪はねて、朝帰り。
さっそく植物たちに水やり。
エーデルワイスの元気がかなりない。
高山植物だから日陰においておこうと考えたのが間違いか。
とりあえず簡単な液体肥料あげて窓辺の一等地に移してあげたけど、逆効果かな?
土日はしたいこといっぱい。

2000年6月15日(木)
あえて遅くまで仕事。新しいこといくつか覚えたよ。
強烈な眠気とともに帰宅。
それにしても静かな夜。

2000年6月14日(水)
帰り、そのまま坂を上って代官山へ。
駅前の道を下って、前から目をつけていたメキシコ料理屋へ。
メキシコ以来のボヘミア・ビールを飲んでみる。
ははっ、やっぱり美味しいや。
平日をこんな風に終わらせれば、重くなってた心も解放されるよ。
ここのメキシコ料理はタコスなんかがメインで、つまりアメリカ風メキシコ料理の趣。
スパイシーな料理はやっぱり国境を接しているサンディエゴの店の方が、美味しかったような気がする。まぁ、そんなことを思いだすわけです。
最後にマルガリータ。テキーラの香りに酔ってしまう。
メキシコ行ったときは一夜にマルガリータ6杯とコロナ・ビール10杯だか飲んだんだよね。
日本でやったら確実に昇天できそう。

INFORMATION
ちょっと映画の紹介。
新宿シネマ・カリテでラッセ・ハルストレム監督の特集があるようです。
前にチャットでnaoさんとスウェーデン映画「やかまし村〜」の農村風景の美しさについて話したことあったのだけど、今日その映画が実はハルストレム監督の作品であったことが判明。
知らずに観てたわけですね。
今回、新作に伴って、「やかまし村〜」も日本初公開(劇場)なんだそうです。
5月27日より、週ごとの入れ替えで「やかまし村の子どもたち」、「やかまし村の春夏秋冬」、「ギルバート・グレイプ」、「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」、新作の「サイダーハウス・ルール」を流すようです。
……あっ、でも今は6月なのか。「やかまし村〜」は観れず仕舞なのか。

2000年6月13日(火)
昨夜帰宅してから簡単に予習しておいたおかげで、うまくプログラムつくれて仕事がはかどったよ。
あたりにも負けないタフな中盤の選手のように、ぼくもどんな仕事もこなせるようにならないとね。
不平も愚痴もいわずに柔軟にこなしていけたらカッコいいさ。

今夜も沢の流れのように途絶えることなく雨は降りつづいている。
部屋の植物たちも声をひそめて、ただ雨音に耳を傾けている。

2000年6月12日(月)
今日の日記はちと重い。日記らしいとも言うが…。とばしてください。

高校2年の朝のことだった。
いつものように家で終わりきらない宿題と予習をかたづけていた。
8時半になると、担任の教師が教室に入ってきて、連絡事項を伝える。
そう、いつものことさ。
僕は担任の顔をちらり見ると、あとは再びノートと辞書の中に没頭していた。
しばらくして、ふと意識を現実に戻すと教室の中がやけに騒がしくなっていた。
黒板の方に目をやると、そこにいるべき担任の姿はなかった。
「どうしたの?」と僕は横の子に尋ねた。
「えっ、見なかったの?先生が倒れたんだよ」
「…」そう僕はショックだった。
先生が倒れたということではなくて、それに気づくことのできない自分に対して。

僕の態度や言葉は、ただそれを形而上的に客観視すれば、人の目には割合優しい人だと映っているようだ。

しかしながら僕はその表面の皮を剥いだ姿が醜い自己愛でしかないことを知っている。
僕は優しさを外に貼り付けて見せることはするけれど、決して相手の立場になって考えたりすることはほとんどないのだと思う。
僕は流れを越えて相手の石に飛び越えていくこともないし、自分の石に飛び越えさせることもさせない。
感の鋭い人は、君は自分の線を引いてそこから内に人を入れようとさせないね。
まるで自己枠不可侵条約を宣誓しているようだ、と言う。

言葉も時折、オブラートを越えて、人に対して皮肉や辛辣な当て付けをすることを僕は知っている。
哀しいかな、抑えることができないのだ、つまりそれが実体だから。

でも僕を求めて手を伸ばしてくれる人もいるのだ。
どんなに外面が内面を貫くことができたらいいのにと思う。
手はそっと内側に入り、そこに暗然たる臭い泥を掴んでしまうのかもしれない。
泥を手に、眼に浮かべた涙は我が涙。
泥よ去れ。泥よ去れ。
雨よ。この泥を洗い流してくれ。

梅雨降る闇の中、歩いて考えた。

2000年6月11日(日)
東京に来てから痩せた上に筋力まで落ちてきてるので心機一転…。
家から歩いて15分くらいのところにある市民プールに行ってきた。
プールはなんと小学校以来で、ちょっとドキドキしてた。
泳ぎだしてほどなくして、腕がたいして上がらなくなるし、息も苦しくなる。
しょうがないから休んでは少し泳ぎというのを繰り返してた。
それでも全身の筋肉を随分と使った気がして、全身に乳酸がしっかりたまったよ。
これから月に2回くらいは行くことにしようかな?

2000年6月10日(土)
金曜の夜、元同居人×2が泊まりに来た。
ビア飲みながら、のんびりと話す。
1年ぶりくらいで会ったというのに、さほど懐かしい気もしない。
きっと一緒に暮らすうちに同じような空気を身にまとったからに違いない。
夜明け近くまで話し込む。

そのまま渋谷に「オール・アバウト・マイ・マザー」というペドロ・アルモドバル監督の映画観に行く。
確かアカデミーやカンヌの監督賞なんかをさらった作品だ。
愛する息子を失った中年女性が、周りの人々の傷を癒していくことによって、自分も癒されていく過程を描写した映画です。。
ただ登場人物の個性が(監督の作風により)ちょっと強烈で、性の壁よりかそちらの個性の壁がぼくには多少感じられてしまった。
作品としては随分と深みがあって、人生経験を積んだからこそ撮れる映画のような気がしたな。

2000年6月8日(木)
昼ご飯はこの前発見した住宅街の中のお寿司屋へ。
有名人なんかがさらりと立ち寄りそうな感じのお店だ。
笹の葉にのったお寿司食べてたら自己嫌悪も少し直る。
というのも昨日の作業中に無意識のうちに誤って人のファイルを上書きしちゃってたんだよね。
大事にはならなかったけれど、プロとしての意識が低すぎ。
切腹ものだよ。

1ヶ月ぶりに母親と電話で話す。
すっかり眠そうな声出していた。
さて、僕もベットに落ちようか。

2000年6月7日(水)
早く会社出て、スーパーで二袋いっぱいに食料品買い込む。
その足でクリーニング屋寄ったら、「またいっぱい買ってらしたのね」なんて笑われちまった。

週末に大学3年のときの同居人と、大学4年からM2のときの同居人がやってくる。
ちょっと楽しみであります。

2000年6月6日(火)
隣の席の先輩がはまっていたので一緒になって考えてたらこんな時間。
まぶたの重みにもう耐え切れない…クゥー…

2000年6月5日(月)
朝早く起きて、サッカーの対フランス戦なんかみる。
思った以上に日本が強くてびっくり。
強豪相手だと試合が引き締まって面白い。

今日、明日は社内プログラム研修。
家帰ってから、ずっとテーブル向かって復習と予習してた。
なんか高校生みたいでよろし。

2000年6月4日(日)
北鎌倉へ。
紫陽花はまだまだ。
梅雨時期に最盛だなんて不思議な花だよな。
だからこそ長雨を愛でることもできる。

2000年6月3日(土)
近くの園芸屋さん立ち寄って、セロウムとエーデルワイスと細葉のアイビー購入。
セロウムはしなやかな茎から滑らかな曲線描いて、9つのギザギザ葉を外になげうっている。
おかげで部屋の緑の質感が一挙に増えた感じがする。
エーデルワイスは山ではなかなかお目にかかれない高山植物。
雨のきそうな曇天の日に窓辺で微かな光線を受けさせると綺麗そうだ。
部屋が植物で溢れてくるというのはなかなかいいもの。
「木を植えた男」みたいに緑が増えれば、人の心にも安らぎが満ちてくるわけです。

夜、新宿で大学の研究室の後輩たちと会う。
省庁とかコンサルなんかで専門活かして環境分野の仕事をしだした彼らの話を聞いてると多少羨ましくなった。
ぼくもランドスケープをやりたいんだなって再認識できたよ。
早く次のステップ踏みたいよ。上手に踊ってやるのさ。
ダンス・ダンス・ダンス!

2000年6月2日(金)
そろそろ夏休みの旅行のプランを考え始めている。
というのも、どうも8月9月あたりが忙しくなりそうな雰囲気で、それなら7月半ばにとったほうがよさそうだから。
この辺の休みの取り方が難しい。
たかだか10日くらいの休みなのだけど、急な仕事とか納品日に近いところだとどうしても削るしかなくなるわけで、休みにとることに長けることがまず大事なわけ。
将来は好きな場所で暮らして、好きなだけ旅することができるようになりたいけれど、やっぱり難しいのだろうね。
兎に角、ガイド本広げて地図を見て、心躍らせてる。
行ってみたい場所ばかりだ。溜息。

2000年6月1日(木)
しばし春樹氏から離れて、島田氏の「ヒコクミン入門」なぞ手にとってみる。
中年になったというのに、彼の舌は闊達、言葉も脳も身体もとどまることをしない。
10代の終わりに彼の作品にはまったとき、僕も自由であろうと思った。
日本という血にすら囚われない無国籍的人種となって、亜細亜を世界を股にして生きたいなって。
もしも平板な日常に封じられてしまうのなら今からだって僕は混沌の中に身を投じることだってできるのだ。
社会の規範なんか逆らって思うがままに生きることできるさ…、そんなふうに考えることができるだけでどんなに心が軽くなることか。

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