2001年7月18日(水)

出発を明日に控えて、支度に慌てふためいている。大体パッキングは終わったものの、携帯電話の解約や不在者投票や住民票の移し変えなどなどあり、どたばたしそう。まぁ選挙くらいなら棄権できるけどさ。
夜、公園のブランコで線香花火。火の玉が微かに儚く燃えていくのを静かに眺めてた。


2001年7月17日(火)

明治神宮、千駄ヶ谷、表参道とデート。明治神宮は原宿の想像しさとは対称的に深い森に囲まれて静かで人どおりが少ない。観光客と思われる外人さんが結構通りかかる。お賽銭投げたあと、その横にかかっていた絵馬のお願い事を読む。涙なくしては語れないようなお願い(○○さんの病気が治って一緒に旅行へ行けますようにetc)があり、非常に自己中心的なもの(○○さんが彼女になってくれますようにetc)があって、結構面白い。これを見たら神様もさぞ頭を抱え込むことになると思う。神様という人種は寛容すぎぐらいじゃないと勤まらないなと思った。
「冷たい蕎麦が食べたい」と言われるも、僕の蕎麦屋リストには千駄ヶ谷という文字はないので結局炎天下の中、表参道まで歩く破目に。蕎麦屋くらいいつでも行けるように予めチェックしておこうと思った次第。


2001年7月16日(月)

純日本風の家屋に小さきながらも日本風のお庭。井戸があり、飛び石があり、灯篭がある。飛び石のまわりには下草が顔を出し、マツやモミジのような木を配している。太陽の傾きがその時々の光の差し加減から庭の表情を変える。畳の部屋は微かな木の匂いがして、それが僕らの心もちまで緩やかにする。
そんな店があり、そんな家に住むのも悪くないなと思う。きっと四季折々の表情がこの家、庭にあるのだろう。僕は日本人であり、それがこんなにも僕の心をあるべき場所へと回帰させる。


2001年7月15日(日)

東南アジア風の焼きそばを食べる夕べ。ナンプラーの魚くさい匂いはベトナムを思い起こさせる。喉を静かに潤していくビールがとても美味しい。
ブエナビスタのサントラ、よく聴いている。シネマライズで映画を見たときはさほど感じるものがなかったのに時がたって聴けば聴くほど身体に馴染んでいく。楽しげでありながらどこか哀しげな雰囲気を残光のようにもっているキューバ音楽。歳をとって、いろんなことがあって、キューバで一人こんな音楽を聴くことがあったら、走馬灯のように思い出がとめどめもなくあふれてきて、涙が頬を濡らすに違いない。

フィッツジェラルドの「ギャツビー」読んでいる。優雅な付き合いの中で互いに秘めていた感情が後半では抑えきれなくなったようにぶつかり合う。


2001年7月14日(土)

研究室の後輩と新宿の高層ビルにて飲む。とても静かなのんびりとしたひととき。夕闇が新宿の街をネオンの光に変える。都庁でタイをきりっと締めて見ていた高層ビルも今の僕には過去の遺跡のように感じられた。


2001年7月13日(金)

m-floなど聴いて夕暮れ時を待ってる。
これから会社の同期の人たちとの飲み会で中目黒まで行ってくる。
退職してからこの1週間、渋谷のほうに行ってないや。渋谷方面は生産じゃなくて消費の場所だから。結構、慎ましくやってるっていうことかな。

午前中、自転車駆って、プール行ってきた。
相変わらず肺活量は弱体化していて少し泳いだらもう駄目ですなんて訴えてくるからさっさと水から上がった。外に出たらモワッとした質感のある空気が迫ってくる。
サンドイッチがどうしても食べたくなって、ベーコンとレタス買ってきた。パンにつぶマスタード塗って、挟む物を挟んで、カップにミルクいれてさ。そんなお昼も悪くない。


2001年7月12日(木)

暑い上に強風の1日。窓を開ければ、紙片が部屋中を飛び回り、窓を閉めれば熱気がこもる困った1日。スティーブン・ミルハウザーの「イン・ザ・ペニー・アーケード」読んでた。この中の「アウグスト・エッシェンブルク」がすごい完成度。人生の意味と芸術の意味を、ぜんまい仕掛けの人形から問う話になっているが、博学ぶりもさることながら、話がよく昇華されている。


2001年7月11日(水)

14時にくるはずの引越し屋がなかなか来なくて、本など読みながら待ってる。
物がなくなりつつある部屋で、今朝読んだガイドブックのウズベキスタンのアラル海に面していたある町の紹介を思い出した。その町はアラル海に面していたため、漁民など海で暮らす人々で賑わう町だったという。しかし近年アラル海が縮小したことで海の干上がりとともに人々は失職して町を出て行き、今やゴーストタウン化しているのだという。かつて水平線は地平線に取って代わり、船の残骸だけが昔の栄華の名残りとして残っているのだという。そこを紹介した旅人がどうしてウズベキスタンの陽ともいうべきサマルカンドやヒヴァなどの遺跡ではなく、そんな廃墟に興味を持ったのか?
実は、有るということよりもむしろ無い(喪失)ということに人は感銘を強く受けるのではないのかと思いを巡らせた。

引越し屋は18歳と25歳のひとつ屋根の下の江口洋介みたいなあんちゃんの二人組。この業界も休みがほとんどなく、出張ばかりの肉体作業と聞けば、容易でないこと想像に難くない。自虐的までに自己の肉体を酷使しようという姿、言動にオースターの「偶然の音楽」の主人公を重ねてしまったのは偶然ではないだろう。

タブッキの「島とクジラと女をめぐる断片」を読了。この書名、読む前から惹かれるものがあったが、これは訳者・須賀敦子がつけたものなのだとそうだ。そしてこの書名どおりの本だった。ポルトガルの東に浮かぶアソーレス諸島を舞台とした島とクジラと女についての詩篇的な小説。いつの間にか、アソーレスの島々の潮騒や海風を感じ取れるような気がするのはなぜだろう。言葉は海となり風となりえる、そんな気にさせた小説だった。


2001年7月10日(火)

ようやく荷造りが終わった。明日はいよいよ荷物の移動。
夜にトマト、ジャガイモ、ツナなどでグラタンを作る。香ばしいチーズの香りが食欲をそそらせる。赤ワイン開けてグラスに4杯飲んだところでそのまま畳でごろりと熟睡していた。ワインは僕にとってアルコールの中では鬼門で、記憶を消失するほど飲んだ飲み会には必ずワインの顔がある。僕は赤ワインはどちらかというとそのブドウの濃さに馴染めなくて苦手としているのだけど、今夜のワインはワインそのものは鈍重な深みがあるのに口当たりはすっきりとしていて飲みやすかった。これは美味しいねなど言ってたらあっという間に畳の上というわけだ。2時間ほどして起き上がれば、すっかり夕食の記憶が曖昧。だからグラタンが美味しかったことはほとんど夢の向こうで忘却された記憶に成り果てているのだ。


2001年7月9日(月)

二晩友達の家に学生時代の友人が遊びにきたので、夕食だけご一緒して、あとは家で引越しの荷造りをしていた。それにしてもやってもやっても片付かなくて、しばし呆然としているうちに時間だけは流れていた。
札幌に戻っている弟の連絡をとりながら旅の用意も着々と進めている。日曜は夜の3時半くらいまで、そして朝8時半に起きてそのまま昼の1時まで、積み重なるダンボールの横目に見ながら、ずっとガイド本と睨めっこしていた。中国で約1ヶ月、中央アジアで1ヶ月、トルコからエジプトで1ヶ月という大まかな計画をたてておいてビザの入手方法や所持金まではじいておいた。今回のルートで一番問題になりそうなのはトルクメニスタン。ビザの取得が2週間かかる上に実際にとれるかどうかが不明。さらにウズベキスタンからの出国、イランへの入国が結構厳しそうな雰囲気。その上トランジットビザだからトルクメニスタン自体にはたったの3日しかいられない。一応、ウズベクからグルジアのトビリシへ飛行機でワープするサブルートも検討の対象にしておいた。なんだかこうやって調べて不安要素や未確定要素を消していくのは学生時代の山行の計画の立て方と同じだなとちょっと苦笑い。


2001年7月6日(金)

退職の日。お世話になった方々に挨拶まわり。夜は渋谷にて送別会。とてもいい万年筆をプレゼントとしてもらった。この上なく嬉しい。最後は胴上げしようと皆が言い出して、夜の道玄坂に身体が舞った。


2001年7月5日(木)

お休みだったけど、昨夜のアルコールのせいか喉が渇いて起きた。さっそく荷物の整理に当る。今日は溜まっていた雑誌の類の整理。何を捨て何を残すかという判断が結構難しい。まず仕事関係の資料を全て捨て去る。HP関連を残してコンピュータ関連、プログラム関連は読んでなくても問答無用ですべて捨てる。ついでにどうせなかなかやらないJavaScriptとCGIも捨てちまう。Numberのサッカー特集は迷った末に全て捨て組。Men's Nonnoも、ダビンチ(特集号以外)も、StereoVoiceも捨て組。ブルータスとPENと広告批評は結構迷ってとりあえずキープ。BiocityとSwitchもキープ。料理と植物とインテリア関係も基本的にキープしておくことにした。それにしても雑誌の片付けって中をぺらぺらめくってるから思いのほか時間がかかる。

昼、炎天下の中、友達の家まで移動して、壁にもたれて「ダンスダンスダンス」を読了。ユミヨシさんは最初にちらりとしてか出てこないのに何故主人公にとってこれほどまでに存在が大きくなるのか、そしてそのベクトルを彼女が受け止めることになるのかがちょっと不思議。
今回読んで思ったのは、これは高度資本主義から、自分本来の価値観というものを取り戻す過程が軸に添えられていたような気がした。五反田くんは高度資本主義の象徴として描かれていたような気がするがどうだろう。まだバブルの弾けていない時代、全てが金と拝金主義によって加速していた時代。村上春樹という人はそうした流れに対し、いやそうじゃないんだ、ということをあの本を通して教えてくれたのではないかと思う。だからこそ大学時代に読んだとき、人が羨む生活や尊敬を集めることやお金をもつことをいいとする風潮をまるで気にもせず、自分の暮らしができていることが一番幸せなんだと一人つぶやく彼の作品にひかれたのかもしれない。

お昼に青葱と野沢菜と柚子胡椒でパスタつくって食べる。牛乳をごくごくと飲んで、それからお茶も飲む。クーラーはないけれど代わりに高台を抜ける涼風が入ってくる。悪くない。これから自転車で図書館まで行って本でも借りてこよっと。


2001年7月4日(水)

他の課の先輩が帰りに飲みにいこうよなんて言うからどこ行くかと思えば秋葉原。「アキバハラじゃなくてアキハバラって言うんだからね」ってそれはアキバ通いを週課としている人じゃないとわからないジョークだよ。僕はPC購入以来、2度目のアキハバラ。
何も秋葉原まで行かなくても代官山は目の前だし、渋谷はその裏だし、中目にだって三茶にだっていっぱい店あるのにね。って不平は言わず蕎麦を食べました。つるつるつる、美味し。

遅くなって帰宅して、友達が録画してくれたサッカーのユーゴ戦を観てた。プレミアリーグのアーセナル入りの決まりそうな稲本が攻守にわたって活躍。フィジカルがすごく強い。全然あたり負けもしないし。いい選手。


2001年7月3日(火)

朝7時過ぎに目が覚めたが別に慌てる必要もない。今日は休日なのだ。体調がいい状態で平日に休むのはこれが初めてだ。元気いっぱいで朝食を食べて、壁にもたれて「ダンスダンスダンス」読む。窓に目をやると花のほとんど散ったナツツバキがさらさらと風に揺れている。とてもいい気分。時折、オナガが飛んできてはねじをまいていった。
お昼を食べてから、自転車で10分くらいのところにある森林公園まで友達とゆく。夏の日差しがじりじりと肌にくいこんでくる。森林公園は元は遺跡があったために保存されている緑地地域らしく、遺跡の上に芝を張って広場にしてあり、他にコナラなどの2次林の森や極相林であるシラカシの森、小川沿いに湿生の植物というふうにゾーンごとに分かれていて、解説板がその理解を助ける仕組みになっている。僕らは広場の端のちょうど木陰になるところを探して、無邪気にバトミントンなどしてた。広場には小さな子供つれの若い女性や小さな犬を2匹連れた20代のカップルや広場の端沿いをひたすら歩く老人などがいた。どの人もみんなリラックスモードに包まれていた。
森林公園はちょっと散歩したりランニングしたりするのにもよさそうで、友達はすっかり気に入っている模様。犬を飼ってここで散歩したいよねと今日何回目か忘れてしまったけれども、同調を求めてくる。こんな森のそばにアパート探してみるのも悪くないかもと思った。
夜、友達が演劇だか踊りだかを一人で観に行ったので、僕は夕暮れのスーパーでお買い物。スーパーは若い奥様たちがカゴもってしきりと野菜や肉を検分していた。ぼくもそんなうら若い女性たちのすべすべした綺麗な背中など見ながらカゴ抱えてレジに並んでいるのでした。まったくもって主婦みたいだけど、こんな生活も悪くないなんて思った次第。家戻って、フライパンなどゆすって、満月にハイネケンを差し出して一人で夕食食べた。上等だと思わず独り言言いそうになった。


2001年7月2日(月)

退社日がようやく決定した。すったもんだの末、結局2週間後に。今週はあと水曜と金曜に行って全ておしまいということになった。終りというものは突然やってくる、まるで堰を切られたダム湖のように。
これまでの引き止めが嘘のように全てが退職という言葉のもとに進んでいく。お世話になった人たちにメール打って、同期の奴らと飲みにいって、握手する。そんなふうに物事は展開(転回)していく。
気付けばきっと中国行きの船にのっていることだろう。中国行きのスローボートってこれのこと?

人生の局面が急速に変わりつつある。そこのあなた、運命が変わろうとしていますよ、って誰かが呼び止めてくれるかもしれない。僕は僕の可能性を僕の力の全てで押し広げることができる。


2001年7月1日(日)

7月になれば布団の中でまどろんろんで朝の日差しを浴びているだけで肌が褐色に焼けていく。

朝、弟は札幌に旅立っていった。といっても途中、長野と新潟付近で1週間ほど山登りをしてから帰るようだ。ワイルドと言うかなんと言うか。ごく普通にワイルドな生活をしている人はワイルドという形容詞すらあてはまらない。次に会うのは20日後の神戸のはずだ。
僕の自転車を修理してくれた上に、彼自身の自転車を置いていってくれたから、一気に自転車2台持ち(サイクリング車とマウンテンバイク)になった。早速、夕刻日差しが弱まった頃に自転車を漕ぎまわる。使ってなかった怠惰な脛の筋肉がフル稼働しているのがわかるし、それが心地よい。
これまで敢えて行くことのなかった郊外型の超安売り店にいってお米とビールとバトミントンを買った。僕はどうもこういう雑多なところが苦手でこれまで入るだけで頭が痛くなったものだったけれど、最近生命力があがっているのか、さほど疲れもしなかった。そうはいってもやっぱり好きにはなれないけれど。こういう店にい続けていると自分の中の何かが安売りの品と引き換えに消耗されていくような気がするのだけど、それは考えすぎというものだろうか。

昨夜は臥薪嘗胆の思い?で台所の床に寝ていたらしい彼女とも一応和解(懐柔?)をはかって、香辛料を調合させたカレーをつくった。美味しかった。「ブエナビスタ・・」のサントラ聴きながら、ハイネッケンのグリーン缶もつのも悪くない。そして「いつかキューバとかジャマイカに行って音楽に浸るのも悪くないよね、とか(カレーの故郷の)スリランカにも行ってみたいよね」なんて話すのも悪くない。いつか一つずつ当たり前のように行ったり見たり聴いたりするのだろうね。