2002年9月15日(日) 「海辺のカフカを読み終えて」

 とても寒い。まるでナカタさんの死体を安置してあった部屋みたいに寒い。そしてお腹がすいている。極度におなかがすきはじめている。僕は何かを食べて、少し血を温かくしないといけないのだと思う。
 感想。とは思いつつも今うまく書けるかわからない。まるでカタツムリの殻のように頭の中でくるくると回っているから。兎に角考えてみよう。
 結局この小説は、主人公カフカ君が入り口から向こうの世界に行って戻ってくるための意味をもっていた。彼はこの世界で愛されていないことから向こうの世界に行くけれど、それでも戻ってきて新しい自分に生まれ変わらなければならなかった。まずこれがこの小説の軸のはずだ。
 向こうの世界に行く話は例えば「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」にあったし、「ねじまき鳥」の井戸と奥さんの消えたその壁の向こうもそうだろうし、「スプートニク」ですみれが行ってしまったところもそうだった。うーん、ちょっと待てよ。他の話を混ぜ合わせないほうがいいかもしれない。世界の終わりはあくまで自分がつくった世界であり、ねじまき鳥も結局自分のすごい奥深くであり、スプートニクもそういう意味合いがあったと思うのだけど、この作品で出てくるもう一つの世界は、自分のつくった世界という意味合いよりもこの世界で必要とされなかった自分を受け容れてくれる世界という意味合いがあったのではないかな。暴力や死が絶えずそばにある世界から逃れるためのの場所として用意されていたのではないかな。例えば宗教で世間と隔絶して集団生活している理想郷のようなものかな。そこには普通に人が住み、電気が通り、テレビまである。そこはある意味で居心地がいい。わけのわからない戦争につれていかれないし、暴力や死に怯えなくてもいい。
 そしてこの小説の意味を考えれば、主人公は一旦何が何でももう一つの世界を見ておく必要があり、かつこの世界に戻ってくる必要があったということだ。こうやって考えると、一連のオウム事件を取材した春樹さんの考えがこの辺りに如実に示されているのかもしれない。最後に星野くんが殺して、そのもう一つの世界に入っていくのを食い止めた邪悪のものとはすなわちその理想郷を支配してしまった某A氏のような指導者を指していたのかもしれない。どんな理想郷も邪悪の影の下ではその進むべき磁石を操られてしまうのだ。
 僕は純粋な感想を書いているというよりは、むしろこのストーリーを解体しようとしているみたいだけど、まぁいいや。多分解体することで見えるものもあるのかもしれない。
 さて、そうなるともう一つの世界を開くための「入り口の石」といった重要なメタファーについても考えてみなければいけないかもしれない。戦時中の事件によって自分を空っぽにしてしまったナカタさんについて考えなくてはいけないだろう。彼の意味するところとは?まずナカタさんが空っぽになってしまった事件は、彼の教師であった女性の激しい自慰がトリガーだったはず。帰らない夫を求める強い欲望を間接的に垣間見てしまったナカタさん。・・・ううっわからないかも。
 ナカタさんの意味合い。それは少年の分身として父親を殺すこと。少年が暴力のある世界からもう一つの世界へ渡るための道をつくること。しかしどうして少年が自ら手を下して父親を殺すわけにはいかなかったのか。自分でもう一つの世界への道をつくりだすわけにはいかなかったのか。ここすごい難しい。殺せば確かにハッピーエンドで終わらないけれど、結局少年は父親を殺したかったし、ある意味合いでは殺しているのだから。救いをつくるために、ナカタさんというキャラクターを用意したのかな。
 はあーーもう一度読んでみないとわからないかも。もしかしたら意味なんてないから、ただ僕らは絵をみたときのようにあるがままを感じればいいのかもしれないのだけれど。

 あるがままという意味合いでは、僕はこの作品によって、何度もわが身を振り返らずにはいられなかった。そういう意味でとても意味のある小説であることは間違いない。
 終盤僕は段々、この小説と僕と僕の書いているものが混同しそうになって大変だった。なんか配線がごちゃごちゃになってしまいそうで。読むこと、書くこと、それを行う自分という人間。それが絡まりあって、僕の思考の中で火花を散らせていた。

 ・・・わけのわからない感想だな、しかし。・・・とにかくご飯を食べよう。