ジョゼ・サラマーゴ 「白の闇」を読んで   2002年12月29日  ネタバレ注意

 驚いた。読み出したら止まらなくなった。おかげで少し目が疼いているくらいだ。
 人は普段当たり前のように物を見ているが、ここでは「もしある日突然見えなくなったら」という想定で物語が語られている。ある男が突然失明する。普通の失明ではない。暗黒の闇ではなく、すべてが白に見える失明である。それが恐ろしいことに伝染病なのだ。失明者を助けてその車を盗んだ男が失明し、目医者が失明し、患者や薬局員が失明する・・・。はじめ失明者は収容所に集められるが、やがてそれは街中に広がって・・・。パニック小説といってもいいが、ただ人の恐怖心を煽るような小説ではなく、むしろ目が見えなくなることによって内部より表れてくる人間性というものをテーマにしている。目が見えなくなるということは、実は自分と外部を繋ぐ最も有力な感覚が閉ざされることであり、そのとき初めて人は内部を露見させていくのだ。
 似たような小説のひとつとして、ゴールディングの「蠅の王」を挙げることができる。「蠅の王」では無人島に流された子供たちが、それまでの社会秩序を失って、非常に原始的な体系の中で生きていくことが綴られていた。子供たちの暴力性は恐ろしいほどだった。
 あるいは秩序がなくなり、非物質的な街を描いたオースターの「最後のものたちの国で」も割合似たようなものをテーマにしていたと思う。あれも極限下での人間性を問うたものだった。
 そして「白の闇」も同様に、人が皆物が見えなくなったときの根源的な人間性を嫌なくらい書き綴っている。この小説の中では唯一失明しない女性が登場するわけだけど、彼女はあまりの人々のおぞましさにむしろこの目が見えなくなれば、とまで思ってしまうくらいだ。人は皆自分を守るために、利己的になり、欲望をむき出しにして、人間としての尊厳を失っていく。一つの食糧を巡って醜く争い始め、殺しすらも厭わなくなる。
 現代人は石器時代の人間の暮らしを見て、それが集団生活している猿を少し進化させたものでしかないことを馬鹿にするだろう。しかし、現代人も一つの感覚「視覚」を失うことによって、石器時代の人間よりもさらに下等な人間になりうるわけだ。現代人も原始人もたいして内部は変わらないのだ。
 サラマーゴは小説の着想にあたって「もし全員失明したらどうなる?」という考えがふと湧いたそうだ。そこで彼が思ったのは「だけど我々は実際にはみんな盲目じゃないか」ということだったという。