2002年8月31日(土)

「命題:昼でもダイアリは書けるか?」 

脳「なに、どういうわけ、こんな時間に呼び出したりして」
僕「ほら、今日これから家教でそのまま実家帰っちゃうわけじゃない、だからさ」
脳「ダイアリをつけろって?こんな真昼間から?だって君起きてからずっと椅子に座ってただけだろ」
僕「そこをなんとかさ、そのための脳じゃない」
脳「おいおい、その前にダイアリっていうものの意味を考えろよ。ダイアリっていうのはな、一日を振り返って、こんなこともあった、あんなこともあった、ちょっと大変なこともあるけど明日から頑張ろうってな具合にまとめるもんだぜ」
僕「大丈夫さ、君なら。ほら、ホテル・ニューハンプシャーについて書けばいいよ。書きたいって言ってたでしょ」
脳「そう言っても今日は一ページも読んでないんだぜ」
僕「じゃあ、さっき仕上げたtransparenceの文章について書けばいいよ。官能とわたしについて、とかそんな題でさ」
脳「・・・」(絶句して立ち去る)
僕「あれれ。参ったなぁ」(部屋の端まで行く)「おーい」
脳「・・・」
僕「怒らせちゃったよ。・・・・ということでまた僕が書くことにあいなりました。思いっきり、ブーイングなんだろうな。えーっと、キーボード打つのって・・・」(深い溜め息)


2002年8月30日(金)

「命題:脳が動かなくてもダイアリは書けるか?」 

脳「もう今日は働きたくない。もう、かすかすなんだから」
僕「頼むよぉ、ダイアリくらい書いとこうよ」
脳「駄目駄目。俺は今夜はお先に眠るよ。たまには自分で書きなよ。好きなこと書いていいいよ。下ネタとかでもいいんだから」
僕「えっそんなこと突然言われても・・・」
脳「くーーーーっ、くーーーーっ」
僕「げっ、本当に寝ちゃったよ。参ったな。」(おろおろ)
脳「くーーーーっ、くーーーーっ」
僕「手は動くんだけど、ほらキーボードこうやって叩いてるんだから・・・」
脳「くーーーーっ、くーーーーっ」
僕「キーボード打つのって楽しいですよね。こうやってほら字を打ってさ・・・、そんなことしか書けないのとか突っ込まれそう。僕だって何か書けたら書くんだけどさ」(溜め息)「えーーっ、脳がこのとおりの状態なので今夜は店じまいです、またのお越しを」(ぺこり)


2002年8月29日(木)

「少しくらい泥臭くたって構いやしないから」 

 transparenceというサイトがある。僕とザクロさんの文章鍛錬サイトだ。去年クリスマスに立ち上げたとき、僕らの文章は少年道場のイメージだった。とにかく声をはりあげて打ってみるといった感じ。確かに僕はそういう感覚で文章を書き連ねてきたような気がする。
 それがここにきて、ザクロさんの文章のきれがかなりよくなってきて、少年道場とはいえ、僕の面を切り裂いてしまうのではないかと思えるくらいになってきた。それはなぜかということについて考えた。それは彼女が文章を書く仕事をこなすプロだからだ。ここでプロというのは上手いのは当たり前という意味ではなくて、プロ意識のことだ。文章に対して真摯に向かい合い続けている成果のようなものがきっちり表れ出してきたのだと思う。
 それに引き換え、僕はどうも甘っちょろい。元服を過ぎて、眼光の鋭くなった若武者のようにならなければ、このまま差をつけられてしまうような気がしてしまう。これは競争ではない。しかし、こうした文章ひとつひとつに真剣に取り組めなくて、なぜ長い小説が書けるだろう。
 僕は油断すれば流されていきそうな生活の積み重ねの岸辺に踏みとどまって、がんばらないと。ほんとに。その青い汁が指先を染めても、僕は頼りない岸辺の草を離してはいけない。ぎゅっと掴んで、泥だらけになってもいいから、しっかり身体を這い上がらせなければ。流されるためにこの生活を選んだんじゃないんだから。


2002年8月28日(水)

「存在と消失」 

 夕刻、窓の外を眺めていた。目の前には例の洋館がある。マツの類がここ(4階)よりも高く競い合って伸びているから、夏の間は暑苦しい印象を抱きかねない。涼しくなってきてようやく洋館の本領発揮の季節になるのかもしれない。さて洋館の向こう、木立の間に、茶色のビルがあるのに気付いた。ちょうど改築をしている最中なのか、トビ職の人たちが木の幹をのぼる蟻のように動き回っている。それで、僕はこのビルが前からあったもなのかどうかということについて頭を悩ました。今は蟻のように動きがあるから注目できたのだろう。だけど、その前は?
 ニューヨークのテロ事件も僕たちはそのニュースを知っているから、以前の街並みからある高層ビルが消えたことを知っている。でももし事件を全く知らないとしたら、例えば同じニューヨークの風景を見て、ビルが欠けていることに気付くことができるだろうか。・・・そこを生活の場としていない人は誰しも、自信をもてないのではないか。
 ものというのは、自分に意味があるからこそ、その存在を認める場合が多いような気がする。誰からも意味がないようなものは、その存在感も希薄になっていくのだと思う。
 さてそう考えたとき、自分の存在感というものも、社会や他の人に対してどれだけ自分が意味をもっているかということと同じ意味になるのではないだろうか。
 もし明日僕が、あるいはあなたが消えてしまったら、誰か気付いてくれるだろうか、そして誰が一番はじめに気付いてくれるだろうか?

 蛇足、本の感想。
 星野智幸の「目覚めよと人魚は歌う」。処女作「最後の吐息」は言葉が熱帯の原色の生きもののように勝手に動きまわっていて読みにくいことこの上なかったが、この本では言葉自体は読者のほうに下りてきたように思う。それでも文章そのものは生身の肉体が感じるような感覚的なところが残っていて悪くない。南米ペルーからの移民と血の繋がらない共同生活体を描いているが、ややテーマがどこに絞られているのか不鮮明。多分アイデンティティの揺らぎみたいなものを描きたいのだと思うのだけど・・・。題名はいいと思うけど、中身とどう繋がるかも不鮮明。一体誰が目覚めるのだ?、人魚って一体誰のこと?とまぁそんなこと考えなくてはいけないし、考えてもよくわからない。この人の本は、理解するのに自分のレベルをあげなくてはいけないようで、読者への優しさに欠ける。ただ意味不明なことを呟く哲学者のような崇高性は確かにある。


2002年8月27日(火)

「夏のおわり」 

 どんな夏を過ごしましたか。
 遠い水平線を見ましたか。
 夜空に咲く火の花をみましたか。
 肌の火照るような恋愛をしましたか。 
 デザートを食べているときのような一瞬の甘美。
 スプーンを置けば、すべては過去に姿を変えていく。
 
 この一瞬一瞬を記憶できるように、
 どうせならば身体に心に痛くなるほどの喜びを与えて下さい。


2002年8月26日(月)

「労働というもの」 

 塾で教えていると、教えること自体はたいして大変でもないのに、家に帰って来ると脳に軽い疲労が残る。まぶたが重くなってくるのも早いし。
 サラリーマンのときは一日中コンピュータ見てるせいもあって、始めの頃、帰宅しても頭の中に重い物質が沈殿してしまって、それを放電するためによくテレビを何も考えずに見たりしていたものだ。目的は、テレビ番組を楽しむことじゃなくって、脳の物質を放電してあげてリビュートしてあげること。
 今もそうしたらいいのかもしれないけれど、テレビを全く見なくなってしまった僕にとっては、逆に放電ではなくて向こうから放電される可能性があるので、そんなこともする気がしない。何かうまい頭のほぐし方を考える必要があるかもしれない。まぁ考える前に眠っちゃえばいいのか。どうせ12時も近いんだから。
 結局、労働というものは多かれ少なかれ自分というものを消費することで成り立っているのかもしれない。


2002年8月25日(日)

「ドーナッツ食べながら、ジャズ・ライブを振り返る」 

 ある人からのメールにドーナッツのことが書いてあったせいで、僕の意識下では香ばしそうなドーナッツたちがくるくる回っていた。友達とグッバイして、すすきのから路面電車で帰ろうとして、乗り場じゃなくて先にミスドのオレンジ色の光に吸い寄せられたってわけ。それで今はオールドファッションのドーナッツ食べながら珈琲片手にくつろいでる。相変わらずキモチのいい音楽が後ろからエンドレスにかかっているしで、まるで気分は小さなカフェっていう感じ。やや生活感があるけれど僕だけのカフェ。
 今夜はジャズ・ピアニストのAさんのライブにいってきた。今回は村田浩さんというトランペット奏者を向かえ、かなりいろいろな楽器が入り混じってのライブだった。入り口で僕と同じように札幌に戻ってきたワンゲルのときの同期KNと落ち合う。エレベーターで12階まで上がれば入り口で、当日券は最後の二枚ですよ、なんて言われて思わず顔見合わせる。中は結構混んでいて、先に入ってた同期Hらがとっておいてくれたテーブルにつく。二ヶ月ぶりくらいだけど、やぁやぁなんて。こういうのって何か社会人ぽい。(僕は生半可社会人だけどね)
 ライブは最初からビンビン骨に身体に響いてくる。覚えたばかりの中学一年の理科にあるとおり、音は空気が振動することによって伝えられるのだということを体感。後半から村田浩さんが登場。さすが有名な奏者だけあって、音の張りが違う。素晴らしかった。ジャズライブに足繁く通っているというYさんによると、今回はたくさんだったから音を出していたけれど、少ないときは音を抑えているんだけど思わず自分が引かれるような感覚が味わえるんだよ、とのこと。へぇー。
 僕はAさんのピアノの音も結構好き。いろいろと楽器があるけれど、やっぱりピアノの音が一番優しくて自分には気持ちいい。今度はピアノ中心のライブに行ってみたいなんて思った次第。


2002年8月24日(土)

「いつか」 

 新入りのクリーム色のテーブルとカフェチェアに座って僕はこれを打っている。傍らには青水玉のグラスで小さな気泡を立てているウォッカトニック、それから最近飽きずにずっと聴いてるR&B。新入り君も部屋の中に徐々に溶け込み出して、座ってキーボード叩いているととっても落ち着く。この部屋に越してきたばかりのとき、僕は不平ばかり言っていたけど、今はこの空間を愛し始めている。それはまるで女の子を好きになるのに似ている。僕の場合、はじめ必ずしも世界の中でこの人しかいないという感じで好きになったりしないような気がする。何か僕には違うんじゃないかとも思いつつ、話したり、一緒に時間を過ごしているうちに、最初違うと思った部分が僕にしっくりしだすのだ。そうして気がついたときには手放すことなんて考えられなくなる。
 僕はこの部屋に長く住んでもいいかなと思い始めている一方で、長くても二年程度じゃないかとも思っている。まだ僕には一生この場所にいたいとは思えてない。一生この人と連れあいたいと思わないように。結婚・ケッコン・けっこん・・・、まだ僕にはわからないや。それはいつか行くはずである星ではあるけれど、多分まだそこには行こうとしていない。あるときどうしても何が何でもその星に行こうと思う日まで。
 しかし誰かとずっと一緒に生きて行けるのはとっても素敵なことだとは思う。相手のいいところもそうでないところも全て包み込んで、すべてを好きだと言って、生きていけるのは素晴らしいと思う。お互いが全面肯定し合えるのってすごいと思う。
 いつか結婚したりするんだろうな。いつか大人になれたように。そしていつか子供だってもつのかもしれない。・・・SOくんのお祝いを書くつもりがうまく書けなかった。あーでもこれだけは言える。「おめでとう」って。

 蛇足的に今日読んだ本の感想など。
 長嶋有の「夜のあぐら」。大きな事件もない普通のことを書いているのに、文章の呼吸、それに情景描写がうまいから読ませる。父の死によって一家の心のよりどころが消滅してしまうことをどうにか避けたいと思う姉の気持ち、それを微妙に感じ取っていく妹たる私と弟の繋がりがよく書けていたと思う。
 それから去年、女子高生として文藝賞をとってアイドルのようなルックスも相まって騒がれた綿谷りさの「インストール」。文章のリズムはよいし、それが誉められるのはわかる。ただ中身が胸に届いてくるほどのものでもない。だから何なのだ、とも思ってしまった。


2002年8月23日(金)

「塾講師」 

 僕はこれまで塾というものに行ったことがなかった。親が勉強よりも本を読ませることに力を入れていたせいもある。勉強しなさい、と言われたことはないのだけど、本を読みなさい、とは耳にたこができるくらい言われたものだ。実際、おこづかいも月間の読んだ本のページ数÷3という式でもらっていたから、昔から本を読んでばかりいたと思う。不思議なもので本を読んでいると、授業さえ聞いてれば大抵のことは頭に入ったような気がする。
 だから、塾というものの存在価値自体が僕にはよくわかっていないのだけど、今、人生ではじめての塾通いをしている。月水金で中学一年生を教えている。塾というからには広告で見ることのある河合塾みたいに人がいっぱいいてというのを始め想像していたのだけど、行ってみればたったの五人しかいない。女の子が4人に男の子1人。みんなとっても可愛い。
 塾の本部の人からは「お前呼ばわりで厳しくやってください。叩いても構いません」などと半ば脅されていたのだけど、はじめてみれば僕の独断場。最低限厳しくして、あとは和気藹々やることにした。そんなわけでとっても楽しい。多分僕が楽しければ、教えられているほうも楽しいんじゃないかと思う。この調子でいこうね。


2002年8月22日(木)

「こっぱずかしさへの親密」 

 朝ごはん食べた後、四時間ほどパソコンに向かって文章打っていた。今、ここに連載中のクリスマス・ストーリーの第三話。書いていてとっても楽しい。自分の中からぐいっぐいっとストーリーがあふれてくる感じ。今回のストーリーで一番書きたい部分はクリスマスのある情景で、始め短編くらいにするつもりだったのだけど、書き始めるとストーリーをもう少し広げたくなっちゃって、広げているうちに全然短編じゃなくなってしまった。登場人物も書きながらどんどん勝手に増えていくし、みんな勝手なことをしだすしで、ほとんど交通整理をやっているような気もする。まぁそういう交通整理は楽しい。「君、あんまりでしゃばりすぎない」「そこのあなた、たまには何かしゃべって」とかなんとか。ひとりごとは多分言わないで、ずっとR&B聴きながら打ってた。そういう時間は結構心地よくてそのまま夕方になってしまいそうだったけれど、さすがに窓の外は青空広がっているから、陽の上がっているうちに散歩に出た。しかし、吸い寄せられていくところは図書館。
 それで吉田修一の「Water」を読んだ。この作品、島田雅彦だったら「こっぱずかしいね」って間違いなく言い出しそうだし、山田詠美だったら「にきびづらのお子ちゃまがよく頑張りましたという感じ」などと表現するんじゃないだろうか。高校の水泳部を舞台にした青春小説。読んでいて、こっぱずかしい印象を受けるのは、高校生のまっすぐすぎる感情(多分高校生が読んでもこっぱずかしいと感じるほどのやりとり)を扱っているのもあるし、まだ彼の文章自体がこっぱずかしいところをさまよっているせいもある。ところどころで、わざとらしく作者の私情を挟んでいるのだけど、それがなんかあまりにまっすぐなのだ。しかし、この作品はこっぱずかしいのに割と面白い。多分それは人が偽ってなかなか外に出さない感情や情熱みたいなものは、もともとこっぱずかしい成分を含んでいるからなのかもしれない。結局、こっぱずかしくて相手にできないやって、テーブルからぱちんと弾くには何か惜しくなってしまうのだ。
 僕は日本文学を背負う若手の作品が割と好きかもしれない。この吉田修一氏にはお兄さん!って呼びたくなるような親密さを感じるし、角田光代さんをお姉ちゃん!と呼びたくなる。塾講師を始めたのも星野智幸氏が作家になる前に(なった後も)塾で小銭を稼いでいたと書いていたのがかなり大きな要因になってるしね。長嶋有氏に多少影響受けて短歌とか始めてるし・・・。彼らは多分みんな三十代くらいで、作家デビューして数年が経ち、ちょうど芥川賞候補になるくらいの時期にさしかかっている。まだ評価が完全に確立していなくて、島田雅彦とか山田詠美みたいな左団扇して偉そうにする余裕がまだない。まだデビューから一貫してそれぞれの文学スタイルを模索しているようにもみえる。まだどこかに蒙古斑のような青さを残している「こっぱずかしさ」がたまらなくいいのだ。


2002年8月21日(水)

「物語の喚起力」 

 ガルシア・マルケスの「百年の孤独」を読んでいる。空前のベストセラーともなった本らしいが、確かにこの本にはどの本にもないほどに濃密に物語が詰まっている。南米のとある小さな村のある一族の物語なのだが、その中のエピソードどれ一つとっても当たり前のものがない。細かいエピソードがこれでもかこれでもかと積み上げられていくので、五ページもとばしてしまうと話が何のことかわからなくなってしまうだろう。それほどに話が縦横無尽に動き、生から死、平和と戦争・・・あらゆるものごとが兎に角ぎっしり詰まった本だ。僕らはただただその物語の中に引きずり込まれて、その世界を目の当たりにするしかないのだ。


2002年8月20日(火)

「こんなに美しい雨の夕方」 

 吉行淳之介だったら、驟雨という言葉を使うだろう。外は驟雨だ。暮れていく街に横なぐりの雨が降りしきっている。斜めに降っているのが最初見えた。そう僕はパスタがアルデンテに到達しようとしているのに窓辺に近づいたのだ。パスタを食べ終わって、再び外に目をやれば窓ガラスは水滴で覆われていて、雨の模様すらもうわからない。

 どうしてアルデンテが近いのに鍋を離れたかといえば、ひとり分のパスタが湯の中でくるくる回っているのを見ているうちに、今日ずっとひとりだったということが事実として突如そこに存在しだしたからだ。ひとりは自由で楽しい、でもちょっと寂しい。
 箸を使って鍋の中のパスタを軽く回しながら考えた。寂しくなれば、誰かの声を聴きたくなる。でも誰かの声を聴いたら、きっと会いたくなるだろう。会えば、触れたくなるだろう。触れてしまえば、抱きたくなるだろう。抱いてしまえば、ずっと一緒にいたくなるだろう。一緒に住みたくなるだろう。だから、・・・・・・だから?
 そう、だから僕は窓辺に近づいて、雨が降るのを見ていたのだ。

 今日はゴッホ展を見に行った。札幌の美術館では今年度一番の目玉の展示であり、平日というのにすごい人の数だった。ここが百七十万人の都市であることに、こういうときに気付かされる。とても落ち着いて見れるって感じじゃなかった。絵そのものはいいのだけど、なんか小さな感動がどんどん大きくなって溺れそうになってしまう、なんていうところまでいかなかったな。残念。
 喫茶店でしばし読書したあと、街中まで歩いて、ずっと欲しかった小さなカフェテーブルとカフェチェアを買った。こう書くと、椅子職人に憧れる青年の話を書いている以上、いい椅子なんだろうね、って思うかもしれないけれど、さすがにお財布と相談してるから、無い大枚ははたけない。二つ合わせて、札幌東京の通常片道料金に足が出るくらいのもの。お金のかかってしまっても欲しいようないいものっていうのは、そのうちお金ができたときに、少しずつ買って、そしてきちんと愛したらいいのだと思う。
 多分、これで大きな出費はすべておしまいかな。あとキッチンに照明つけるくらいかなぁ。

 そして今再び外を見たらすごいことになっている。雨なのに空が夕陽で染まっているせいで、世界がセピア色を明るくしたような色になっているの。窓を開けると、通りを行く車はライトをつけて、それが雨に光っている。ときどき地球に住んでいること、人のいる世界に住んでいることに感謝したくなる。だから、・・・・・・だから?
 うん、だからひとりで雨の夜がやってくるのを眺めていることにするよ。


2002年8月19日(月)

 ザクロさんとひよこさんと念願のカレーを食べに行った。似合いのふたりだった。ちょっと羨ましくなってもみたり。


2002年8月18日(日)

「真夜中の電話」 

 夜の12時にもなって、「ベーキング・パウダーと酢酸を混ぜたら、二酸化炭素が出てくるんだよね?ベーキング・パウダーって炭酸水素ナトリウムのことなんだよね?」とか電話かけてみたり。それが解決すると、「全然違う話なんだけどさ、白あえってどうやってつくるの?」なんて質問を重ねてみたり。
 今日は家庭教師と塾の講習終えて、市電沿いを散歩してから部屋に帰ったらもう闇が迫っていた。腕まくりして、夕食つくり。実家の庭に雑草のように生えていて、遠慮なく摘んできたシソを使い、椎茸と鶏ひきで和風ハンバーグを作った。それから突如白あえを食べたくなって、おぼろげな記憶をもとに、絞って潰した木綿豆腐に胡麻油、お酒、ナンプラー、塩を加え、インゲンとキュウリを混ぜてみた。何か味がもうひとつ足りないような気がしたのだが、正解は豆腐にすりゴマ&砂糖&醤油+胡桃らしい。今度また作り直してみようっと。
 食べ終わって夜はまだ長かったから白い小さな珈琲ポット脇に置いて中学理科の勉強をする。参考書と教科書広げてぶつぶつ言いながらやってるわけだ。途中からバックにかけていたR&Bもうるさくなって消して、中学生のときみたいに机(低いテーブル)に向かっていた。そして、はっと気付くと12時。それも携帯をコールしている途中で時計を見たのだから世話がない。果たして眠そうな声。「眠ってた?」「うん」僕はさすがにベーキング・パウダーを切り出せなくって、「元気?」とか言ってみたりする。そうして、もしかして僕はベーキング・パウダーを口実に電話をかけているのかもしれないと気付いたりする。


2002年8月17日(土)

 筒抜けるような青空。散歩がてら出掛けた図書館で、吉田修一の「破片」という作品読んでみた。前読んだのがお金のあるゲイに寄生する青年の話だったけれど、これは海辺の町を舞台にした酒屋を営む父と息子二人のかなり骨のある話。しっかり腰が据わって書かれていて、少し嫉妬も感じてしまったくらい。この二作品、発表の期間が数ヶ月しか空いてない。この作家の力というのをまざまざと見せつけれられたような気がした。


2002年8月16日(金)

「久しぶりに中学生の気持ち味わってみたり」 

 塾講師に採用されたので今日は家庭教師のあとに講習なるものを受けにいった。黒板のある教室でマンツーマンで、こういうふうにやるといいですよ、とかなんとかコツのようなものを教えてもらった。コツのようなものはしばらくやってればつかめるんだろうけど、問題は脳の中に欠けてしまっている知識の類だ。家庭教師だと向こうが考えている間にこちらは知識をおさらいしておけばいいのだけど、塾講師となると先にこちらが板書だのしなければいけないので、曖昧な知識では逃げられなくなってしまうのだ。一番、危機感をもっている教科は(理系でそれも理科受験で大学に入ったというのに)理科だ。かなりあやふや知識のうえに、僕のときには習わなかった単元(光の反射や屈折など)も含まれている。そんなわけで、書き物そっちのけでなぜか中学校の勉強。理科は参考書も買ってもいいかななんて思ってる。なんだかこういうことに追われているのが滑稽でもある。


2002年8月15日(木)

「ジンギスカン」 

 今宵は札幌ビール園でジンギスカン!そこで会う高校一年のときの友人が今夜は泊まりにくるから、こんな時間からダイアリつけてみたりしている。ジンギスカンというのは北海道ではメジャーな食べ物で、羊肉(ラム肉)の焼肉といえばわかりやすいかな。好きな人は一週間に一度食べるらしいけれど、羊肉にくせがあるせいか食べない人は全く食べない。僕も数年ぶりのジンギスカンということになる。別に「!」をつけるほど嬉しくもないんだけどね。ちなみにジンギスカンって、昔(名前からいくと)モンゴルの遠征中の勇猛な兵士たちが一緒に連れて行った羊を兜で焼いて食べたのが始まりみたいです。それでいつも思うのだけど、きっと自分の兜をジンギスカン用に使うのってすごく皆嫌がったんだろうなって。だって一日中頭から羊の脂の匂いがするんだよ。「お前あっち行けよ、鼻の曲がりそうな匂いだぜ」とかなんとか仲間たちから言われるんだよ。
 きっと夕食(ジンギスカン)の時間になって、見事なナイフ使いで羊の喉を裂きながら、「さあジャンケンするか・・・」って感じで夕食用の兜をかけてジャンケンしたのが、ジャンケンの起源です。(というのは嘘)。
 それで満腹になったあと焚き火を囲んで踊ったのがジンギスカンの踊りだったわけです。(というのも嘘)。みんなが踊っている間、ジャンケンに負けて兜を脂まみれにされた兵士は水もない平原で、こびりついた羊の脂を草や布切れ(それも多分羊皮)でぬぐいとるのに一生懸命だったんだと思うよ。


2002年8月14日(水)

「ひとりの夕方」 

 夕方前、ソファにいたら眠気が少しずつ身体を侵食し出していた。そのまま、まどろむのも悪くなかったけれど、思い切って外に出る。透明な空気の肌触り。市電通りを越えて、芝生の美しい無人のグラウンドの脇を歩く。街に迫る山の緑が色濃い。そうやって息を吸って吐いて歩いていたら無性に珈琲が飲みたくなったのだけど、僕が入ったのは喫茶店ではなくて、図書館。夜のように深い黒色の液体の代わりに、知らないコトバをこの身体の中に入れてみる。西日の当たる椅子に腰掛けて、芥川賞をとったばかりの吉田修一の「最後の息子」を読んでみる。受賞作はどうなのか知らないけれど、期待したわりには、今ひとつだった。少なくともこの作品は僕の身体の組成を何一つ揺るがせなかった。渇望を満たせなかったせいなのか、身体は料理本コーナーに向かう。女の人たちに混じってカラー写真がふんだんに使われた本をぱらぱらめくっていたら、脳の中が完全にパブロフの犬状態になってしまった。東急ストアに行ってナンプラー(魚醤)やらワインビネガーやら買い込む。さらにお店を回って袋抱えて帰宅。買って来たばかりのナンプラーを使って、キュウリ・トマト・鶏肉のチャーハンと、インゲン・春雨・トマトのスープなど作ってみる。彩りいい東南アジアの食卓って感じだ。ビールも飲んじゃえばもう言うことなし。ひとりの夕方も悪くない。


2002年8月13日(火)

「八月の甘き蜜」 

 ひととき自分の心を占めていたものが消えてしまうと寂しい。始めから何もないならば空虚感だけど、あったものがなくなればそれは喪失感ということになる。あるひとときが幸せであればあるほどまた喪失感も大きくなってしまうのだと思う。そうはわかっていながら、あるいは自虐的な喪失感を味わうことまで想定して、僕は一瞬の甘い幸福に浸る。蜂だって重たい花粉が体中につくことを知っていながら花の奥へ奥へと入っていくじゃないか。まったくそれとおんなじことだ。花の奥へ奥へ、ただ甘い蜜を求めて。


2002年8月12日(月)

「海辺のカフカ」

 というのが村上春樹氏が来月12日に出す本のタイトルということだ。既に出版宣伝用のHPが開かれていて、本の装丁まで見ることができる。僕自身、ナオさんのダイアリで知ったのだけど、ナオさん自身は本のほうを待ってHPを見ないということなので、内容等についてはここには書かないことにする。
 HPには春樹さんのインタビューも組まれていて、そこでは執筆のペースについても触れられている。彼の場合、朝早く起きて四時間、五時間をぶっつづけに書いて原稿用紙にして一日十枚書いていくのだという。それを半年間、日課のように継続して1600枚の作品ができたということらしい。彼の処女作も(真夜中のキッチンで書かれているはずだけど)半年かけて書いたのだと彼は語っている。
 僕は驚いた。何に驚いたかって?作品の熟成期間にまず驚いた。僕が最初に書こうと思ったのは去年の12月のことでその間旅行なんざにも出ているから、実質彼が一作品を書くくらいの期間ということになる。その間に僕はいくつか小説(らしきもの)を書いてみたけれど、本当はそれぞれをもっと寝かしてじっくり熟成させるべきだったのかもしれない。どうも目先の小さなものを目標に矢継ぎ早に書いているから、できたものの味が薄っぺらいものになりかねないのかもしれない。
 それからもう一つ驚いた。何に驚いたかって?まるで日課のように書いていくことができること、そして集中力を何時間も保持できること。確かに一日ぶっつづけで四時間も考えていたら随分深いところまで降りていくことができるような気がする。・・・そうして多分そこまで降りていかなければ到底いい作品などできないのだろうと思う。
 ということで今後毎日の目標を決めることにしようと思う。そう、臨戦態勢も整いつつあるしね。バイトとかもあるけれど、基本的に午前中はぶっ続けで正午まで書き物だけに当てることにする。兎に角、今日はそれを宣言して眠ることにしようっと。おやすみなさい。


2002年8月11日(日)

「繋ぎ合わされた記憶」

 堀江敏幸の最新作「ゼラニウム」を読んだ。相変わらずの息継ぎの長い文章に巧みな引用と言葉遣い。そして作者自身の優れた価値観にそって、人生の機微を一瞬照らし出すような話が展開されていく。最初の2つの短編が特によかった。一人称で書かれている上に、随分細かく描写が書きこまれているために、作者の実体験なのだと誰もが思うのだが、実はこれが机上の小説であることを僕は彼と小島信夫の対談を読んで知っている。勿論、小説中の描写の断片は作者がどこかで見たものや感じたものであるに違いないのだが。この人は、風景や感情といったものの記憶装置が豊かなのかもしれない。記憶を入れた小箱はぎっしりと彼の机のまわりを取囲んでいるのだ。そうして小説を書こうと思って、一つの箱を開けば、その箱に糸が絡んでいて、それを引っ張ると他の箱が動き出すといったような仕組みになっているのだと思う。そうして糸をどんどんほぐしているうちに彼の机の上にはひとつのストーリーができあがるのだ。


2002年8月10日(土)

「ユーモア賞を君たちにあげる」 
 
 小雨の中、母校の構内を散歩してみたり。ポプラもハルニレも雨に濡れて息づいて、僕の胸はいっぱいになる。メインストリートをそうやって木々を眺めながら歩いていると、突然後ろから学生カップルに声をかけられる。女の子が「ちょっと手品を考えたので見て下さい」と言って、男の子が拳を握ってみせる。怪訝な顔をして見ていたら、男の子の拳からするすると紺色の何かが引っ張り出される。傘のカバーだった。男の子が笑って言うには「これ落としませんでしたか?」


2002年8月9日(金)

 ジャズボーカルの女声とピアノの響きが心地よい。それだけ。


2002年8月8日(木)

『落胆する日もあるさ』

 フライパンを買いに行った。フライパンを見る前に本屋に立ち寄った。雑誌をめくった。パラパラパラパラ、「・・・・・・あー、ないみたい」僕はとんでもないことに挑戦しようとしているのじゃないかなんて今さら思ってみたり。


2002年8月7日(水)

『Boys be ambitious とあの人は言った』

 実家のそばに住んでる子の家庭教師をするために一時帰宅。バイトがやりやすいということもあって街のほうに住んだのに、それをやるために戻ってきているのは不思議と言えば不思議。今のところ、他に収入源もないから、こうやって好んで僕を雇ってくれていることに感謝しなければいけないのだけど。
 物を教えるのって結構自分に合っているような気がする。教えるという行為は相手のレベルに合わせて行うわけだけど、家庭教師なんかの場合はほとんど僕の裁量に任されているから、好きなようにやれて楽といえば楽だ。中学生くらいだと皆素直だしね。(ちなみに学生のときを含めてこれで五人目なのだけど皆素直。多分、中学生くらいって一見ひねくれていたり、いい恰好してみせようとするかもしれないけれど、本質はとても素直だし、皆自分のことを認めてもらいたがっているんじゃないかなって思う。こちらは何でも知っているふりとか偉ぶったりしないで、同じ目線でやっていけばいいんじゃないかなと思う。実際刺激になったり学ぶところも多かったりするわけだし。)
 家庭教師のほかに塾講師なんかもやってもいいかなと思っている。まぁどうなるかわからないけれど、世の中全てどうにかなってるから問題ないだろうと思う。
 母親が「あまり今の生活に満足しきって大志を失ってしまうのが怖いわ。折角大学院にまでやらせたのに」などとクラーク博士の言葉などひきながら僕に言ってくるので、「生活に満足しやすいということはありえるけれど、志は会社員のときよりはずっとある」などときり返してみた。「本当は公務員になってあなたが昔なりたがっていたレンジャーにでもなってくれたらよかったのに」と母は本心を一言。「レンジャーは環境庁とかの職員がやるわけじゃないんだよ、公務員はみんなデスクワークでレンジャーをやってるのは違う人なんだよ。レンジャーになるにはなんとか財団とかに入るんだよ。僕の後輩で知床でレンジャーやっている子がいるもの」「じゃあそれに入ったら良かったのに」「だってレンジャーなんて、もうなりたいなんて思ってないんだよ」
 埒の明かない会話だけど母親ってやっぱり安定志向なのだと思う。「じゃあ家庭教師行ってくるから」って身軽なまま出て行こうとする僕に、「あなたはずっと自由なままなのね」と半ば諦めたような一言。自由って一体なんだ?と尾崎豊的に僕もちょっと思い巡らしたり。

-+-+-
うろこぐもR&B流れてく、ソファの底から見上げてる朝
物憂げな朝は誰かの柔らかな肩をみつけて沈んでいたい

闇の中雨だれ響き落ちてゆく、砕かれるのは砂利だけじゃない
どこまでも深く静かな心あり、雨だれの音消えた夜には


2002年8月6日(火)

『文明がこの部屋にやってきた』

 部屋にガスコンロがやってきた。生活の文明度がまた上がったような気がする。冷蔵庫、照明、ガスコンロの順番で僕は手に入れていったのだけど、本当に文明というものはありがたいと思った。最初、この部屋に越してきた日は灯りもないから外の花火を眺めているしか仕方なかったもの。それが今では鍋にジャガイモとインゲン入れてぐつぐつ茹でたりすることもできる。本当は夕食にトマトソースのパスタをたいらげたのだけど、トリュフォーの「ピアニストを撃て」をビール飲みながら観てたらなんだか再びお腹の虫が鳴りだしったってわけ。こうやってR&B(有線)聴いてキーボード撃って、コトコト茹でる音がキッチンから聴こえてくるのも悪くない。僕は本当にこういう生活が好きなんだと思う。
 この一年くらいの間、僕は全部で五ヶ月旅をして、家を転々としてきたのだけど、それぞれの家は勿論良かったのだけど、今は本当に落ち着けるところに帰ってきたというような気がする。そういうことがとてつもなく嬉しい。自分に「お帰り」って言ってあげたいような気持ちだ。多分、Rは今の僕がかもし出しているものが好きだったのではないかと思う。僕が作りだす空間とか雰囲気とか空気とか・・・。僕がRの家に転がりこんだ瞬間、多分僕の色(無理やり色にすればブルーだけど)が消えてRの色に溶け込んでしまっていて、もうそこに惹かれるものがなかったのかもしれない。なんだかそういう気がする。
 この家の場所を選んだ最大の理由が、図書館のそばということだったのだけど、歩いて五分今日はてくてく出掛けてみた。本が心おきなく読めるし、雑誌もいっぱいあるし、なんだか嬉しくてたまらない。早速、文学作品に混ぜて、パスタの本など借りてきた。少しレパートリーを広げていこうかななんて。それから酒屋に行って、ウイスキー、ジン、ウォッカ・・・買ってきた。これで誰かが遊びにきても大丈夫と。


2002年8月5日(月)

『大盛りのコールスローが生み出す親近感』

 僕は農学部出身なのだけど、そこの地下にある食堂はコールスローが大盛りであることが一部の人たちの間で有名だった。コールスローというのは語源は何か知らないけれどキャベツの千切りのことで、その30円という価格からお金をもたない学生たちがよく食べるメニューの一つだった。学内には食堂が点在していて、他の食堂でも同じようにコールスローというメニューはあるのだけれど、農学部のものに比較すると量が半分にも達していなかった。農学部だからキャベツがたくさんというのは、ありえそうでありえない話(農場自体でキャベツなど栽培していない)で、どうしてこういうことになったのか一つの疑問だった。
 その農学部出身の新人作家の作品をある人から教えてもらい、本を借りて読んでみた。冴桐由氏の「最後の歌を越えて」(1999年の太宰治賞)である。間違いなく彼もコールスローを食べていたはずであり、食堂とまでいかなくても、一度はあの薄暗い建物の中で擦れ違ったことくらいはあるのだと思う。そういうわけで、親近感をもちながらページをめくった。彼の作品そのものが、自分の今考えている道が夢見物語で終わらないための証であるような気がしてきたくらいだった。
 作品には――この世界の物事や価値観(保坂和志が書いているような知覚的な価値感、メタフィジカルというやつ)をただ受容するのではなく疑ってみるべきだ――という主張がまずあって、それが日本ではないアフリカという土地(あるいはアフリカ的な土地)を舞台に、ゲーム感覚のストーリーが展開されていく。太宰治を冠する文学賞にしては、この作品を選ぶことは随分冒険だったようにも思うが、やはり読み物の面白みとして人を納得させるだけの力はあると思う。
 気になったのは二点。一つはストーリー展開がロールプレイングゲームばりの進み方をするところ。敵が現れてそれを倒すと次のステージにあがり、さらに強敵が現れるような仕組み。それを読むのは、エンターテイメントとしては面白いけれども、作者の主張を希薄化させるもののような気がした。もう一つは人がゲームの中のように簡単に死んでいくところ。死んでいくからこそこの話が成り立つのかもしれないわけだけど、死そのものの扱いはゲームレベルを脱していない。
 結局、あまりにゲーム的で仮想の世界を構築した場合、作者の主張そのものが、ゲーム感覚でしか受け止められかねないような気がしたのだけどどういうものだろう。本を読んでも読後感ではなくて、何かゲームをエンディングまでやったとき(僕はやったことはないけど)のような感覚が残っていて、それを認めていいものなのか、そうではないのか、審査員じゃなくても悩むところだと思った。この人は今後作家になるのか学者になるのか知らないけれど、この調子を続けていると「消費文学」あるいは「ゲーム文学」のレッテルを貼られかねないような気もした。


2002年8月4日(日)

『僕のための宇宙船』

 ようやく部屋に照明を取り付けたので夜になってもこうやってキーボードを見ながら打てるようになった。部屋には依然としてダンボールが散乱しているのだけど、少しずつ少しずつ生活というものが根付き始め出しているような気がする。まるで火山噴火で地肌が顕わになった島に、生命が少しずつ増えてくるのに近いものがある。
 
 この半年間くらい、大体予定どおりにことが運んでいるように思う。5月旅行、6月ワールドカップ、7月荷物整理&小旅行、8月一人暮らしの始まり、という具合に。支出ばかりがかさんでいるので9月は健全な収支状態にして、年末までに執筆も含めた全ての生活を完全に軌道に乗せるというのを目標にしたい。うん、多分軌道に乗るでしょう、なんといっても宇宙船にたとえたくらいの部屋に住んでるわけだから。始め、宇宙船という言葉には少し揶揄が含まれていたのだけど、ようやく広大な宇宙の闇における安全スペースになってきたように思う。この宇宙船の中にいると安心できるようになってきたもの。しかし、まだネット環境が整備されていないので、世界と交信できなかったりする。


2002年8月2日(金)

『盛夏の冷蔵庫と花火大会』

 新しい部屋での初めての夜。まだ部屋の真ん中に添える照明器具を買ってないので、キッチンと玄関の灯りだけで暮らすことになっている。今これを叩いていても、パソコンから発する光しか手元にない。キーボードが全く見えないのに文字を打っているのが何だか不思議な感じ。指だか脳から勝手に言葉が生まれているような気までしてくる。多分、ピアニストがピアノを弾くときもこんな感じなのかもしれない。僕は言葉を生み出し、彼らは音を生み出すわけ。
 冷蔵庫をようやくゲット。リサイクルショップをいくつか回ったので多少詳しくなったかも。始めは冷蔵庫という名前であれば古くても機能などなくてもいいなんて思っていたけれど、いくつか見ているうちに二ドアで霜取りがついてて白色で・・・と欲が出てきて、最後はなんかシャープ製がいいような気がして決めた。普通に働いている人だったら、たかが冷蔵庫探しにここまで時間をかけれないだろう。リサイクルショップの店員さんに「学生さん?」なんて訊かれて、仕方なく「かなり前に卒業しました」なんて返すわけ。97年製、125ℓで17000円。高くもないけど決して安くもない。今はキッチンの狭いスペースに鎮座している。なんだかとっても可愛いく思えてしまう。冷蔵庫にこんな気持ちを抱いたのは生まれて初めてだ。大事に使おうっと。

 今夜は豊平川の花火大会だった。川の方に向かっていく浴衣の女の子たちを見ているだけで十分楽しめた。部屋の窓からも木に半欠けしていたけれど見ることができて、ひとりビール飲みながら眺めてた。悪くなかった。来年は誰かと。


2002年8月1日(木)

『新しい部屋に住んでやりたいこと @』

 村上春樹さんが20代の頃、ジャズ喫茶をもっていた話をしていたときだったか、あるいはうちの弟が帰国後大工をやりたいということを話しているときのことだったかもしれない。
「もし資金があるとしたらどんな商売をやってみる?」母が訊いた。「あなたも何かの店をもってみたいと思う?」
「うーん、そのお金があったら旅行するかなぁ」と言った後しばし考えてから、「まぁやるとしたら、気に入った椅子とかテーブルを探し出して、気に入った絵なども買って貼り付けて、カフェをやったりするのもいいかな。カフェの知識は全然ないんだけどさ・・・。それでそこに置いてあるものを売るの。この椅子いいなぁって思った人が後ろを向いたら値札があって、うん買ってもいいなって思わせるの」
「インテリアショップがそのままカフェといった感じね」

 まぁそんな話は半分冗談に過ぎないのだけど、今やりたいことといえばインテリア・ショップ巡り。数日前に書いた連載小説の主人公にも椅子職人の道を模索させたりしたわけだけど、近年僕の中でも椅子というものに対する興味の火種がつき始めている。(別に職人になろうなんて思ったりしないけれど。)多分、それはRに全面的に影響されたんだろうと思う。彼女はデザインのいい椅子など買って愛用したりしていたし、そういうセンスの良さのようなものは鈍感な僕にも伝わってきたのだと思う。
 まあそういうわけで、ぶらぶらと歩きながらお店を冷やかして歩き回るのも楽しそうだと思うんだけど、何せここは地方都市。東京だったらそれこそショップだらけなのだけど、札幌にはあんまりないんだろうなぁ。まぁ少しずつ探してみようと、なければ喫茶店でも発掘していくのも悪くないな。街のほうに住むと楽しみも増えるというものです。