2002年1月31日(木) |
『花泥棒』
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2002年1月30日(水) |
川崎に帰ってきた。
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2002年1月29日(火) |
『大男の足音によって失われたもの』
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2002年1月28日(月) |
『変わらない風景の意味』
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2002年1月27日(日) |
昨日は夕方から大学近くの飲み屋「なると」で、ワンゲルの同期の友人二人と会った。学生時代は毎週のように来ていただけに懐かしかった。ここの店のつくねは尋常じゃないほど大きい。すっかり満悦して、街中にあるワンゲルOBのやっている居酒屋「つる」に出向く。三年ぶりに来たというのに、店の主人は僕のことをしっかり覚えているだけでなく、近況まで知りえていた。世界は狭い。カウンターで三人並びながらちびちび飲んでいたら、僕が札幌にいることを聞きつけて、ワンゲルの先輩や他大学のワンゲル仲間たちが次々とやってくる。ほとんどの人が三年ぶりくらいだったのに話が弾んだ。そのままワンゲルの先輩で今はピアニストをされているAさんらの共同生活体にお邪魔する。僕は自分がこんなに明るい奴だったかと思うほど、ずーーっとしゃべっていた。アルマジロはずっと語る相手を探していたのかもしれない。朝ソファで目覚めると、一緒にやってきた奴らは消え去っていて、ただ喉の渇きを覚えた。置手紙を書いて、雪の街へ出る。饒舌な舌も脳の言語野もすべてが冷やされていく爽快感。このまま血も心臓も頭蓋骨もすべて凍ってしまえばいいと思った。珈琲を途中で飲んで、ポカリスエット500mlを駅の柱の横で一気に飲んで、バスステーションに向かった。実家は札幌から車で四、五十分ほどの山間にあるのだ。バス停で黒コートのきれいな女性がまだ硬い芽のやなぎの枝を包んでもっていた。僕は少し迷ったあと声を出さないで「きれいですね」とやなぎを誉めた。 |
2002年1月26日(土) |
札幌というところは僕の内部の世界にものすごく近い場所であるようだ。それは僕の内部の世界が構築された場所であるせいなのかもしれない。いろいろなことを感じたり、傷ついたり、思い悩んだり、壁をつくったり、壊してみたり、そういう繰り返しをしている中で、外部の空気を内部に閉じ込めてしまったのかもしれない。「ねぇ僕には雪がなくちゃ駄目なんだ」
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2002年1月25日(金) |
乾いた冬には煩悩が頭の中でとぐろを巻きだす。文学的に言えば、僕は何かを強く求めているんだということになる。ふへぇー参るよ。
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2002年1月24日(木) |
ジャン・ピエール・ジュネの「アメリ」を観てきた。実はこれまで再三渋谷まで行って観ようとしながら常に立ち見の盛況で観れなかったものだ。さすがに札幌だったら余裕だろうと思ったら甘かった。二十分前くらいでもう席はいっぱいだったのだから。それには理由があって今日木曜はレディースデイだったのだ。おかげで観客の9割5分は女性。あれだけ女の人ばかりだとさすがに恐縮してしまう。
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2002年1月23日(水) |
『母親』
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2002年1月22日(火) |
90年代の日本文学を評して、「ここがアメリカだ、ここで跳べ」という評論家の優れたフレーズがあったが、それは今の実家での生活に当てはまるような気もする。
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2002年1月21日(月) |
人間とは忘却していく動物なのだ。何もかも嫌になっても、朝が来ればまた太陽は昇る。そして昨夜喉元に刃のように当てられていた切迫したものたちは夜露のようにどこかに消え去ってしまう。何か切迫したものがあったら兎に角眠ればいいのだろう。朝ほど偉大なものはない。
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2002年1月20日(日) |
「迷ってる」
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2002年1月19日(土) |
Rと恵比寿から代官山を越えて渋谷まで散歩した。この二日で渋谷周辺を一周したことになる。
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2002年1月18日(金) |
デートはいつだって楽しい。昨夜はどきどきして眠りになかなかつけなかったなんてことはないよ。ほんとにありがとう。
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2002年1月17日(木) |
『ひそかに、鉄筋が組み立てられていく』
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2002年1月16日(水) |
時間は22時。今夜はなんちゃって酢豚と三菜炊き込みごはんと白菜のお味噌汁なのに、Rがちっとも帰ってこない。今日はバイトだったか、銅版画の日だったっけ。空腹神経がさっきからウルトラマンの胸のライトのようにピコピコと作動しだしてる。うーん、おなかすいたよ。
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2002年1月15日(火) |
横光利一の「雪解」(ゆきげ)が素晴らしい出来だった。年若い恋愛を扱ったものなのだが胸の痛くなるような繊細な気持ちが綴られている。こういうのを読むと制服着てた十年前くらいの気持ちがよみがえって動揺してしまう。
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2002年1月14日(月) |
Rに付き合ってもらって焼肉を食べにいった。満腹神経がかなり時間が立ってから動きだしたみたいでどんどん満腹度が高まりつつある。肉を食べると肉食獣のように何か貪欲になった気分がする。生きてやろうと意気が身体の底からふつふつと湧いてくるのだ。
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2002年1月13日(日) |
「感傷に浸ってるでしょ」って言われてあーそうかもしれないなって思ってただぼんやり不透明なガラス窓眺めてた。呆れ顔のRが仕事に出てった後で小沢くんの「天使たちのシーン」をぼおっと聴いていた。確かに感傷に浸って寂しくなるのが好きなのに違いない。
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2002年1月12日(土) |
横光利一の「寝園」を読んだ。心理描写に素晴らしい切れ味を示していた。全集くらいでしか彼の作品を読めないのはもったいないと思った。
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2002年1月11日(金) |
太陽がゆっくりと空の中心へ昇っていく時間に眩しい陽光を浴びながら、保坂和志の「揺籃」を読んだ。日常の危うさを感覚的に巧く表現している。昨日読んだ「猫」も普段当たり前のように感じている身体感覚を猫のものとすることで再度洗いなおしてみたかったのに違いない。「猫」の中で足の先に生える触毛の働きにしきりに感嘆してみせたが、彼の文章は普通人がもっていない感覚器とも言える触毛をもっているという点が優れていると言える。
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2002年1月10日(木) |
漱石の「道草」を読んだ。留学から戻った彼を取り巻いて身内がお金目当てにやってくるという日常を書いたもの。奥さんとの性格の不一致による不和がもう一つの主題。テーマがテーマだけあって全体的に暗い。
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2002年1月9日(水) |
現時点の持ち金の総額を計算した。一応あと半年はやりくりできそうな気がする。半年がとりあえずのリミットということ。一日一日を無為に過ごさないよう気をつけなっきゃ。自分を律しないと、とことんまで怠惰になってしまう。怠惰になりたいためにこの生活を手に入れたんじゃないのだから、しっかりやろうね。 |
2002年1月8日(火) |
せっかく東京くんだりまで出てきたのだからということでもないけれど、始めて浅草に行ってみた。未来永劫にわたって金銭苦を知らないであろう大きな賽銭箱にお金を投げて祈った。いつもは「美味しいものが食べられますように」とか全く当たり障りのない祈りをしている僕も、さすがに有名どころなのだからということで一年分の希望を述べてきた。
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2002年1月7日(月) |
アラン・レネ監督の「二十四時間の情事」をDVDで見た。広島の原爆は自己体験にまで昇華しなければ理解できないということを語るフランス映画。切り口は面白いけれど、どうしても見ないといけない映画でもない。
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2002年1月6日(日) |
昨夜眠る前にあまりに苦しんでいる僕を見て、「救急車呼んでもいいからね」とRが言ってくれた。それはジョークではなくて本当にそうなるかもしれないと思って寝床についたのだ。
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2002年1月5日(土) |
原因不明のアレルギーに加え腹痛がひどい。何にも集中できない。 |
2002年1月4日(金) |
「銀河鉄道の夜」始めて読んでみた。宮沢賢治は考えられないほどに純粋だ。僕の純粋さみたいなものは都会に出てすっかり失われてしまったと思う。
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2002年1月3日(木) |
「ミスター・ヴァーティゴ」読了。空を飛んだ男の一生を読み終える。人の一生とはいったい何なのか途方もない気がした。
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2002年1月2日(水) |
ひどく冷たい夜だ。誰かが間違って夜をそのまま冷凍庫の中に入れて忘れてしまったみたいだ。冷凍庫の底で風が時折うなりをあげている。達磨ストーブは後ろでヤカンを載せて機関車のような蒸気を吐いているのにもうそこから一歩も動けない
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2002年1月1日(火) |
新しい一日。不安というものは少しもなく僕は漫然と起き上がる。シャワーを浴びて濡れたバスタオルを窓の外の光に当てる。窓を開けると町はおせちのかまぼこのように平穏だった。全てが世界の中にすっぽりと納まっていた。
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