2002年7月31日(水)

『何かを見て何も思い出さないことはない』

 リサイクルショップを回って冷蔵庫探し。円山公園駅付近から最後は自分の新しい部屋まで三十分くらいかけて歩いた。右手にこんもりとした緑を湛えた山が迫っていて歩くのにも気持ちのよいところだった。途中、僕の高校時代の通学路を歩いてみる。高校のときはバスで三十分、それから最後にある急坂を含めて三十分歩いて学校まで通っていた。それを雨にも風にも負けず三年間続けていたおかげで僕の足腰はとても丈夫になったわけだ。本当に久しぶりに歩く道はただ懐かしいという感慨だけで終わるものではなかった。十年以上も前のことなのに、ひとつひとつの場所がいろいろなことを思い出させた。部活帰りあまりの空腹に満月を見るとアンパンを買わずにはいられず飛び込んでいた小さな商店、ヤナギ並木の下で毎朝すれ違う度にはにかんで挨拶をしていた同じクラスのキレイな女の子のこととか、三年間ずっと好きだったのに結局一度も話すことのできなかった女の子(多分今頃医者になっているはず)のこととか、三年間無遅刻無欠席で表彰される寸前でわざとさぼってボーリングに一緒に行った親友のこととか・・・。そんな昔のことを取り留めもなく思い出していた。そのときの僕が今の僕のことを知ったらどう思うのかななんて考えたりもした。そうやって歩いているうちにいつの間にか新しい部屋に着いてしまっていた。そう、僕がこの周辺を気に入って、結局ここに住みかを求めたのも、元はといえば自分の記憶のかけらがここに埋まっていたからに違いない。僕は現在の街を見ながら、同時に過去の街を感じ取っていたのだ。そして、今、古い記憶の上に新しい記憶を塗り重ねようとしているのだ。


2002年7月30日(火)

『宇宙船のコクピット』

 なんか脳細胞が箒星の尾のようにちりちりになるくらい眠いのでうまく書けるかわからないけれど、日記なので書くことにしよう。
 まず近所の男の子の家庭教師を始めた。この男の子、実は生まれたばかりの赤ん坊の頃から知っているので、なんかテーブル越しにやりとりしていても不思議な感覚がする。
 それから不動産会社から鍵をもらって何にもない新しい家を見てきた。家賃が家賃だからあんまり文句も言えないけれど、実家に慣れてしまったせいか、すごくすごく狭く感じる。(実際狭いんだろう。)なんか地上からいきなり宇宙船のコクピットにでも押し入れられた気分。宇宙船から抜け出すのも抜け出さないのも僕の書き物の出来次第になりそう。これからやっていく細々としたバイトが燃料で、書き物がスーパーマリオに出てくるキノコみたいにジェット噴射を可能にするもの。照明も冷蔵庫もガスコンロもないけれど、宇宙船は発射しまーす。ゴゴゴゴゴォーーーッ。


2002年7月29日(月)

『処女作』

 スティーブン・ミルハウザーの「エドウィン・マルハウス」を読んでいる。彼が29歳のときに発表した処女長編であり、当時高い評価を受け、また翻訳文学の愛好者サイトでは彼の一番の傑作と太鼓判まで押されている。それに加えて、これまで読んだ彼の「イン・ザ・ペニー・アーケード」「三つの小さな王国」の二冊の出来が素晴らしかったこともあって、僕はかなりの期待をもって読み始めた。(多分、秋に発表される春樹さんの新刊とまではいかなくてもそれに準じる期待はしていたと思う。)この本はある早熟の天才作家(漫画家かな?)の伝記をその幼いときからの友人が綴るという形式になっている。今半分まで読み進めてやっと小学生になったところなのだが、ここまでの記述がやたらと細かくて、それもここで描かれているのは、書き手も認めているところだが、天才児ではなくて才能が開かれる前の普通の子供についてなのである。ごく普通の子供がどのように物を覚えていくかということは多少は面白くはあるのだけど、こう詳細に書かれても疲れるなぁというのがここまでの感想。多分、後半からこの作品の評価が高いということが否応なくわかる仕組みになっているんだろうけれど(あるいは、そうあって欲しいと思う。)・・・。
 処女作には、良きにせよ、悪きにせよ、その作家の持ち味がわかるものだと思う。ミルハウザーのこの作品では、後の作品でほとんど仕事人といってもいいくらいの出来栄えの細かい描写が、まだ読者を引っ張っていくほどの力を持ち合わせていないようにも思える。ただしその片鱗は辟易するくらいに示されている。きっとこの作品も他の作品に負けぬくらいの人生の機微を感じさせるエンディングに収束していくのだろう。
 しかし一方で闇に葬り去られた処女作は一体どうなるのだろう。日の光など金輪際差し込むことのないような死んだようなところに落ちている処女作は何の肥しにすらならないのかもしれない。それは確かにある時点では書いた人の一部であったはずなのに。あああ光を光を。もっと光を。


2002年7月28日(日)

『温かなクリスマス・ストーリー』

 カポーティーの「あるクリスマス」を読んだ。その前のアーヴィングに随分と時間をかけ、そして最後は自分の世界に彼の小説世界がどっと流れ込んでくるような体験のすぐ後だっただけに、挿絵だらけで、村上春樹氏の解説を含めて77ページしかないこの物語はほんとあっという間に読んでしまったし、少し物足りなく思えてしまったくらいだ。
 カポーティーを読むのは、「夜の樹」「遠い声遠い部屋」「クリスマスの思い出」に続き四冊目なのだが、個人的な好みとしては好きだともそうじゃないともまだ判断の難しいところ。村上氏は、「カポーティーという作家は、ある意味では成長することの哀しみと痛みを終始描きつづけた作家」と位置づけている。またカポーティーは外界を感覚的に捉えることに長けた作家だとも言うことができると思う。その感覚のようなものがうまく自分の感覚器を鳴らせば、彼の世界の中にシンクロしていくことができるだろうし、もしそれが受け容れられなければ何とも退屈を感じてしまうしかないのだと思う。
 僕はカポーティーのクリスマス・シリーズは好きだ。本に温かみを与えている山本容子さんの銅版画も好きだ。なぜこのクリスマス・シリーズが好きかというと、カポーティーの感受性の鋭さというものが、人を愛したいと思う気持ちのほうに働いているからだと思う。僕の目標とする物語の形といっても差し支えない。どうせ書くのなら人を絶望させるものより、何かを心から愛せるようなものを書きたいものね。ただ今回読んだ本については、もう少しうまく書けるのではないかという大それたことを思ったりもしたのだけど。(近いうちに僕なりのクリスマス・ストーリーを書いてみるつもり。)


2002年7月27日(土)

『GO7GO77』

 短歌のための新コンテンツを昨日の晩と今日の午前中を使ってつくってみた。コンテンツ名は夜中つくっていてぱっと思いついたのだけど、我ながらいいネーミングだと思う。スパイのコード番号のようにも見えるし、それ自体が既に5・7のリズムをもっているところが味噌かな。
 僕はその昔から国語が好きだったし、理系に進路を決めてからもずっと得意科目ではあった。洗濯板に水を流したような古い和歌の柔らかな音の調子も好きだった。俵万智さんの歌集だって古本屋あがりだけどもっている。だけど、僕は自分から短歌をつくってみようと思ったことなんてほとんどなかった。それを言うと、文章を書こうとか小説を書こうとか考えたことも昔からなかったような気もするが・・・。(そのうち今度は詩を書くぞとか言い出しかねないな、この調子だと。)
 短歌に急に興味が湧いたのは、今月前半の旅行がきっかけとなっている。僕は家にいるときは毎日こうやってキーボード叩いて日記を綴って、自分の中の思考というものをまとめていく習慣があるのだけれど、旅先では時間があるのにPCはないから考えをまとめる手段がなくて、とても歯がゆかった。キーボードさえあれば脳の中で毛糸のように絡まっている思考がきれいにまとまるはずなのにって思ってばかりいた。ドクター・ラーチなら一種のキーボード依存症だと断言するかもしれない。
 そこで僕の注意を引こうとしたのがヤクザ顔のケータイだった。「オレを使ってみなよ。馬鹿にしちゃいけない、結構これで使えるんだぜ」まぁどちらにせよ血統のいいキーボードがないのだから、暇つぶしに使ってみてもいいかなと思って手に取ってみた。
「ほら、ケータイメールっていうのがあるだろう。かなりの字数が送れるんだよ」
「と言ったって、僕は女子高生じゃないから早打ちもできないし、する気もないし」
「馬鹿だな、森村泰昌じゃないんだから誰もお宅に女子高生を演じろなんて言わないよ。必要なのは発想の転換だよ。早く打てない分、言葉を取捨選択して打てばいいじゃないか」
 しかし実際そうは言っても、言葉の取捨選択自体をキーボードを叩きながらやっていた僕には至極難しい作業とも言えた。そうしてピコピコ打っているうちに、そこにある音のリズムができていることに気付いた。そう5・7のリズムだ。僕は古人のように5・7の言葉をつむぐことに夢中になった。
 コンテンツのはじめのところにも書いたけれど、短歌の5・7って音を制限しているから表現として狭くなるような気がしていたのだけど、実際には言葉を端的にまとめる作業のために削ったり選択したりするうちに、自分の言いたい核だけが抽出されるようになる。まるで刀鍛冶屋とか仏像彫刻家のようなものだ。そういった作業自体も楽しめるし、なんといっても言葉の選択やリズム感を大事にすることは小説などにも不可欠なことなのだ。
 そうして気付けば、短歌の基本も知らないのにコンテンツまでつくっている。全く、きっかけって棚から牡丹餅じゃないけれど一風変わったところからやってくるものなんだ。ウォリーだったら(あるいはNさんなら)、「Opportunity Knocks(好機は戸を叩く)ってことだろう」なんて言うかもしれない。


2002年7月26日(金)

『紫陽花』

 スピッツの歌に「あじさい通り」というのがあった。僕が学生時代好きだった曲のひとつだ。CDがダンボールの中にあるからうろ覚えだけどこんな曲だ。♪雨降りやまずにあじさいどおりで、傘ささずに上向いて歩いてく・・・♪。(正確な歌詞知りたくなって、まさに今、一年ぶりにダンボールを開封してみたのだけど見当たらなかった。あれれ?その代わり思いもかけないCDがぞろぞろ出てきたのだけど)
 大学4年から3年間住んでいた共同生活の家の前はプラタナスと紫陽花の通りだった。雨の日、自転車を使えずに仕方なく傘さして学校に向かうとき、雨に冴える紫陽花に心浮かれたのを覚えている。
 人は雨の日に浮かない顔をするけれど、実は僕はよっぽどのことがない限り好きなんだ。雨の日の朝に滑らかなシーツの上で好きな人とその音が聴けたらとても素敵だもの。そうして窓を開くと、雨の匂いが部屋の中に入り込んできて、庭先で紫陽花が澄んだ色で咲いているの。「雨はやみそうにないの?」「うん、やみそうにないね」「じゃあ、今日はずっと一緒にいれるんだね」「そういうこと」
 別に今日は一日雨だったわけではない。部屋の隅に母が花瓶に挿した紫陽花の花があまりにキレイだからこんなことを書いてしまった。


2002年7月25日(木)

『ジョン・アーヴィングの世界』

 Nさんから頂いたアーヴィングの「サイダーハウス・ルール」を読み続けている。お風呂に落としたり、チョコレートの染みをつけたり、日に焼いたりしながらも、愛着は人一倍あって大切にしていた本だと同封されていた手紙に書かれていた。手紙にあるほどには汚れてなどいないのだけど(そこが女性ということなのかな)、ところどころ擦り切れていたり、思い出したように線が引かれていたりする。最近、図書館の本と古本ばかり読んでいるから、誰かが線を引いたりしちゃったんだろうなと咄嗟に思うのだけど、よく考えてみれば(当たり前だけど)それは全てNさんがしたことで、そういうことからも読んでいて温かくなる本だと思う。
 さてこの本、アーヴィングらしく内容が濃く、上下巻に分かれていて量も多い。アーヴィングはこの本を書くに当たって、かなり念入りに下調べしたようで産婦人科の医学知識などはかなり専門家のレベルに近いんじゃないかと思う。その知識をふんだんに織り込むことは勿論、描写がくどいくらいに細かい。小説の流れをスムーズにするのではなく、むしろその流れに枝だの棒だのを手当たり次第差し込んで、わざと物が引っ掛かるようにしているような気がしてくるくらいだ。だから読んでいてもなかなか前に進まない。ちょっと流れてはすぐに細かな枝に引っ掛かる。まるで山頭火の「分け入っても分け入っても青い山」的に永遠に読めそうな気がしてくる。上巻の半分くらいまでそうやって骨を折りながら進んできたのだけど、そこから少しずつアーヴィングのつくった世界に自分の身体が慣れてきて、すんなり彼の世界の事物を受け止めることができるようになってきた。言ってみれば、流れの水が枝やら棒やらゴミやらを一緒くたに力強く流し始めるような感覚だ。主人公のホーマーやドクター・ラーチ、そして小さな孤児たちなど一癖も二癖もある登場人物たちにいつの間にか感情移入をし、愛着を抱くようになってしまうのだ。こうなってしまうと完全にアーヴィングの思うツボだ。
 アーヴィングの描く世界は蜂の巣のように緻密な上に、広がりがある。書けば書くほど小説世界の境界線はぐんぐん外に伸びていく。それは現実世界と同じくらい、あるいはそれ以上の大きさを有し出すような気がしてくるくらいだ。結局、優れた長編小説というものは、小説世界が緻密で大きいことを意味しているんじゃないのかと思うに至った。読者は小説世界の広さから、主幹となるストーリーのほかに、登場人物や場所によって様々なストーリーが眠っていることを知りえる。(エンデの「果てしない物語」には、これこれはこうなっていしまうがそれはまた別の話だ、というような表現が多く出てきたと記憶しているけれど、例えるならそんな感じだ。)読んでいる小説のストーリーは、その小説世界の無数にあるストーリーのひとつにすぎないのではないかと思えてくる。優れた小説家とは現実世界だけで生きているのではなく、それと平行してそれ以上の世界を抱え込むことができ、それを描写することのできる人のことを言うのかもしれない。


2002年7月24日(水)

『奈良美智展&三浦綾子記念館』

 月曜日に気落ちしていた僕に朗報。そんなに僕が見たいという画家に興味をもったのか、父が有休とって旭川まで連れて行ってくれることになったのだ。それなら私も行くと母も同乗。親とどこかに出掛けるのは彼是中学生以来のことだった。母は花柄のシャツなど着て、ポットに珈琲だのお茶だの用意してほとんどピクニック気分。一日中、ずっと雨だったがまぁ楽しかったな。
 展示のほうは素晴らしかった。普通、人は自分の内部にある程度、壁みたいのをつくっておいて、外部と接していると思うのだが、奈良さんの描く少女といった対象にとって壁は非常に希薄なものだという印象を受けた。内部に対して外部が遠慮なく入り込んでくるから、彼らはそれに対して無防備なままではいられないのだ。そのために絵には無防備さをもったあどけないコドモと、したたかさのようなものをもったオトナが混在してくるのだ。コドモのときは誰でも外からある程度守ってもらえるけれど、オトナになれば自分で守っていくしかない。そのやり方を自分で生み出す過程がきっとオトナになるということなんだろうと思うのだが、奈良さんの作品はちょうどこの移行期を描いているような印象を僕はもった。ときどき外部の残酷さや汚さに負けて泣いて見たり、脱力して漂ってみたくなる。あるいは過度に外部を受け付けないような態度をとってみる。そうした絵の数々・・・。奈良さんの絵はだからその移行期にある十代から三十代くらいの人に受けとめられやすい絵なのだと思う。人は自分の状況と絵の中の対象の状況をシンクロさせることができるのだ。これが本当にまだ庇護の中にあるコドモやあるいは完全にオトナとなってしまった人たちには理解するのが難しいのかもしれないとも思った。
 展示自体はまだ見たいなというところで終わっていた。もともと奈良さんの絵が好きで美術館までやって来た人たちは満足できるだろうが、例えばふらり何の前知識もない人たちにとっては理解するのが難しいようにも思った。もう少し作者の意図のようなものを解説してあってもよかったのじゃないかもしれないとも思った。ただありのままに感じ取って欲しいというのも一つの手ではあるのだけれど、理解することで感じ取っていくことができる人が多いこともまた事実なのだから。特に奈良さんのように、(本人がそれを意図しているかは知らないけれど)観る人との近さのようなものを強調した作品群の場合、もっと近くなろうという意志を示してあってもよかったと思う。
 
 美術館を出た後、母が以前から行きたかったという三浦綾子文学記念館に行った。「氷点」の舞台になった美瑛川沿いの外国樹の見本林の中にそれはあった。ベルトリッチの「暗殺の森」のような森だとも思った。三浦綾子じゃなくても、イマジネーションの湧いてくるようなところだった。ヨーロッパトウヒなどの高い木々がなす鬱蒼とした林の中で、方形状をなした文学館はしっくりと調和していた。
 見る前は文学関係の展示なんてすぐに見終わっちゃうんだろうなぁと思っていたけれど、これが案外面白かった。そこでは時間を追って作家の生き方ようなものを知ることができたからだ。まず三浦綾子が書いた本の多さに驚く。一番熱意をもっていた母に「どの本を読んだの?」と当たり前の質問をしてみると「何も読んだことがない」という意外な返事。ちなみに僕も代表作「氷点」を昔読みきれなかったのを始めとしてほとんど読んでいないのに等しいものがある。どうも彼女のキリスト教色というのが結構苦手なのだ。ブーメランのように全てが信仰というところに返っていくことがどうも割り切れないのだ。
 苦手意識があったけれど、作家の生き方という面では興味深かった。有名な話らしいが、デビュー作は主婦をやっているときに応募した朝日新聞の1千万円の懸賞小説だったそうだ。そこから作家業に専念して死ぬまでに大量の作品を残したというわけだ。
「この記念館がお前の何かの契機になるのかもしれないぞ」と父は茶化したが、どう逆立ちしても、僕には信仰心に支えられて書くというのは無理だ。そういうものを書かなければならないんだったら、もうきっぱりこの道を進むことはやめるだろう。僕は三浦綾子に嫉妬したり羨んだりしない、僕は彼女ではないし彼女みたいになろうとも思わない。僕は僕なりのやり方で進むつもりだ、そう今のままでね。


2002年7月23日(火)

『妹の彼氏』

 この家で僕の一番のお気に入りの場所は二階の踊り場だ。西側の窓の前に机が渡してあって、そこにパソコンを置いて文章書いたり、本を読んだりしている。窓から見えるのは札幌近郊の山々。道路向かいのヒバやカラマツから一番奥の無意根(ムイネ)山に至るまで緑のグラデーションをなしている。ちょうど今は遠くの山は水彩画のように霞んでしまっている。カラマツの木の後ろあたりに、この地域のランドマーク的存在である八剣山が見える。その名のとおり、上部が岩稜状になっていて、見るところから見ると八つくらいの岩塔が空に聳えたっている。ここからだと岩稜の部分は頂上付近に少しばかりしか見えないけれど、天気のいい日には視力の利く人ならば登山者が蟻のごとく動いている姿を目にすることができるだろう。
 昼過ぎ、そんな風景見ながら物思いに耽っていると、庭のほうから母が「ちょっと手伝ってー」なんて呼びかけてくるのでサンダルつっかけ外に出てみれば、買ったばかりの庭用の物置と格闘している。「運ぶのを手伝って」というわけだ。そこで不運にも母に捕まった妹の彼氏に始めて会った。ひょろっとしていて、物静かそうなところが僕と似ている。なんか意外だった。うちの妹というのが僕と性格を反対にしたような人間なのだけど(物事の好き嫌いをはっきり言う、積極的、口うるさい、面倒見がよいなど・・・)、恋人の趣味は逆なんだなと。そういうのって不思議じゃないですか?


*−*−*
ナツツバキ、迷うことなく空撃つ、堅き蕾は誰かのこころ
今君は何してるのかぼんやりと考えてみる午後は過ぎゆく
心にも沸点あるなら、どうしたらいいのかな、この思いのうちを
「危険物」ラベルをつけて人知れぬ荒野にこころ置き去れたらな
恋しても恋しなくてもこの星の朝昼夜は巡るのだろう
八橋と茶を置いたまま来ない人待ってみたりする火曜日の午後
考えるほどに沸点は上がるのだ!ボイルのごとく驚いてみる


2002年7月22日(月)

『月曜日の失意』

 これから書くのは失意を味わってみたい人のための文章である。あるいは、失意を味わった人を笑ってみたい人のための文章である。
 ちょっと想像してみて欲しい。例えば、あなたに大好きな画家がいたとしよう。自分に相通じるような空気を感じることのできる画家だ。あなたは彼(彼女でもいい)の絵を見ると、自分の中で凝り固まっていたものが解き放たれるような気がするくらいなのだ。あなたは彼の画集をよく本屋で立ち読みしたりする。時々、インターネットで彼の公認サイトの絵を眺めたりする。自分の親しかった友人の妹の結婚式には思わず画集をプレゼントしてみたりもする。きちんと包装してもらってリボンもつけて。
 しかし、あなたは今まで直接彼の作品を見たことがなかった。あるとき彼の作品展があなたの街からバスで二時間ほど走ったところにある街へ巡回してきたことを知る。あなたは朝早く起きて(そう彼のためだもの)、バスに揺られてその街まで行く。バスを降りて突然の大雨に曝されても、別に不快だなんて思ったりしない(そう彼が待っていてくれているからだ。)まるで恋人に会いに行く気持ちに似ているななんて思ったりする。ゆっくりと美術館へ向かう。その歩みまでも楽しむように。一瞬一瞬をいとおしむように。そうして美術館の正面に向かったとき、あなたはちょっと嫌な予感がしてくる。・・・・・・。

―あー、きっと彼の作品に失望したんだね。思い入れが強いとそういうことがよくあるよ。―
 あなたは今、そう思ったのかもしれない。

 いや、そうじゃないのだ。だって、・・・作品を見れなかったのだから。
 入り口には貼り紙があった。
 そこにはただ「本日休館日」と書かれていたのだ。

 I don't mind, if you forget me,.


2002年7月21日(日)

『遊民として残された時間』

 昨日は一日中読んでいたので、今日は一日書くことに決めてパソコンの前にいた。正確に言えば、打っていたわけだけど。終いには、よく飽きずにずっと書いてられるなと自分で呆れているのだから世話がない。そのエネルギーは、もうそろそろ完全な遊民じゃなくなるという動かない現実によるものなのかもしれない。僕は資産家の御曹司でもなんでもないので働くときには働かなくてはいけない。書けるうちに書いておかなければ!という思いが今はとても強くなっているのだと思う。
 書くことは苦しみと喜びを伴う行為で、積み上げているのか掘り下げているのか一向によくわからない。多分その行為自体に意味があるのかもしれない。行為が終わったあとには、ほとんどの場合、何も残らないのかもしれない。残ったと思ったものもただ波に浚われていくだけのものなのかもしれない。いっそのこと、最後にこの身も波で浚ってくれたらいいのに。

−+−+− 
シャボン玉ひとつ、出口のないような灰色空をただ飛んでいく
出口など飛んでいるからこそ発見できるのだろうとも思ってみる
僕もまたシャボン玉、空遠くまで飛ばしてみよう、届けてみよう


2002年7月20日(土)

『遠い海鳴り』

 日がな読書して過ごしてしまった。読み終えた後、ちょっとした文学体験をしたのだと思った。西の空では太陽が山の間に隠れようとしている。手前の雲が残光に照らし出されて荘厳な雰囲気だ。ドヴォルザークがここにいれば即興でそれを付箋紙に音符の羅列としてみせるかもしれない。
 今日この一日。ある人は誕生日を祝って恐らくケーキでも食べ、ある人は好きな人との将来にほくそ笑み、ある人は尖った鉛筆を並べて司法試験の会場にいる。僕は刻々と過ぎていく時間の中に身を委ねて、ずっと本を読んでいたわけだ。僕はそうしていながらも、確かに誰かと時間というものを共有しているような感覚にあった。
 六年前、僕は女の子と自転車で海へ行った。その頃の僕といったら常に焦燥を抱え、スピッツのうめぼしの歌のように壊れやすかった。女の子は波間を平泳ぎですいすいと泳いでいたけれど、僕はそれに追いつくことさえできなかった。
 二年前、このダイアリによると、僕は「サイダーハウス・ルール」を映画館で見ていたらしい。きっと渋谷あたりで。僕らは一緒のような気でいたけれど、彼女はそうは思ってなかったのかもしれない。
 一年前、僕は三宮のビル街で野宿の朝を迎えた。駅前でたたずんでいると蝉の大合唱が始まり、やがてそれは自動車の排気音に変わっていった。頭上の日差しが焼け付くように肌をさした。涼を求めてスターバックスで珈琲を飲んだ。もう当分珈琲は飲めないぞと肝に銘じながら。モノレールに乗ってフェリー乗り場へ行って、弟と落ち合った。僕らは出国スタンプを押してもらって、中国行きの船に乗った。何かを得るための旅だったが、何かを捨てることになる旅だとはあまり考えていなかった。
 そうして時が経って、そばにあったものは離れ離れになってしまって、僕はまた一つ一つ自分で組み立てようとしている。ああ、最後まで手元に残るものなんてあるのかしら。海の日が来る度に僕は旅の始まりや潮のうねり、遠ざかっていく小さな島々、あるいは砂のついたバスタオル・・・そんなものを思い出すのかもしれない。


2002年7月19日(金)

『ときどき人の心に入ってみたり、出てみたり』

 うちのペルシャ猫、普段は全然寄り付かないのに、僕がパソコン居間のテーブルに置いて、さてダイアリでもつけようかと思うと寄ってくる。マウスのすぐ上に陣取って長々と伸びていて邪魔ったらありゃしない。マウスを動かす度に、かまってくれているんだと思ってふさふさの尻尾を軽くあげて見せたりしてくれる。
 さて今日はちょこっとバーゲンに行って服を買ってきた。服屋のお兄ちゃんと「今日はお仕事休みなんですか」「もう一年間休んでます」から始まって世間話。それから不動産屋に行って前金払って、そこでもずっと世間話。気付けばその人の実家のある日高の牧場の話など聴いているんだもの。
 こんなフレンドリーな僕は僕らしからぬと思ったけれど、これってもしかしたらこの一年間の旅の影響なのかもしれない。旅先に出ると、どんな初対面の人とでもあっという間に打ち解けて、会って一時間後には腹のうち隠さず色んなこと喋ったりするもの。そういう人の心にすっと入ったり、相手の心をすっと入れ込ませたりすることが僕の中で簡単にできるようになったのかもしれない。しかし、すっと入ってきて、すっと出て行かれちゃったら、それはそれで寂しいことなのかもしれないね。


2002年7月18日(木)

『お昼に大きなスイカを食べながら考えたこと』

 スイカの果肉をスプーンで掬い取りながら僕は考えた。スプーンで食べたのはそれがあまりに大きくて巨人の口じゃないと始末に負えなかったからだ。ものを掬い取るという行為は思考を掬い取るという行為に似ているのかもしれない。そうしていらない種を上品にぺっぺっ(この擬音語は下品だなしかし)と皿に落とすわけだ。
 この前の旅である人に言われた言葉。「ねえ、君、月に帰りなさいって言われたことない?」それは無論文字通りの意味ではなくて(まぁ半分同じようなものだが)村上春樹の小説の文句をかけているわけである。その人が言いたかったのは同じ世界で顔を合わせながらも僕はもう一つ自分の世界を内部にもっていてその境界を保っているということなんだろう。だから打ち解けても何か遠いような気がしてしまう。僕はせっかくこうして自分の2つの世界(リアルワールドとネット)を繋げたのに、それでもまだ自分の中は◎の構造になっているということらしい。外の○がリアルワールドで、内の○が自分の世界(=月)ということになるんだろう。・・・と考えてみたがスイカを掬い取る作業はただ掬い取るだけで、咀嚼して消化するのは胃の作業である。だからこの話には終わりがない。僕の中には月があるってことだけだ。しかし、ほんとうに一人になってしまったとき、夜空の月を見てしまったら僕は泣いちゃうかもしれないなぁ。あああ、やっぱりって。
 スイカを掬う作業はまだ続いていた。何せ大きなスイカだから。まるで虚無的なブラックホール的なスイカだ。有限にして無限。
 それでドストエフスキーの「罪と罰」について考える。それでスイカが美味しくなるとは到底考えられないけれど、思考というのは転がり始めた石のようにとめられないこともあるのだ。僕は上巻まで読んだのだが、この中で主人公にして貧しい青年ラスコーリニコフは、高利貸しにして強欲な老婆を斧で叩き殺す。彼は悪人をひとり殺してその金を困った人のために使うことは善であるという思想をもっているが、実際の殺人は自分に金がないことから始まった利己的なものにすぎない。
 まずこれを読んで一つ驚いたのが、当時のロシアにおいては、人は自分の哲学なり思想なりで自分の生き方の尺度に合わない人間に対しては別段冷たくしてもいいと考えていること。自分の意志に沿って毅然とした態度をとることこそが美しいように思われていること。
 もう一つ面白いと思ったのは殺人を犯したあとの青年の心理状態。殺人を犯した瞬間に常軌を逸した行動を取ってしまう。それは計画的殺人ではありながら、むしろ感情的に衝動的な行為だったということを示しているようにも思えた。自分の哲学に沿って殺人を行ったのならば、あそこまで異常な行動はとらないと思う。しかし彼の心理状態は大きく一旦振れたあと、元に戻っていく。人が変わったように理性がしっかり彼を抑え、知性の歯車が小気味よく動き出すのだ。果たしてこのまま彼は逃れることができるのか?そう思ってはらはらするほどでもないけど僕は下巻に入ったわけ。題名からすれば、どこかで罰というものがくだるんだろうけれど。
 ドストエフスキーはよっぽど消化に悪かったのか、僕のスイカはまだ半分残っている。さてスプーンを手に持って・・・(種みっつ)。 

+-+-+
「君、月に帰りなさい」「いやだよ帰りたくなんかない」心つぶやく。
ほんとうに月から迎えやってきたら誰かは泣いてくれるだろうか?
スプーンでスイカ掬えば、思考まで塊となって掬われていく
厚ぼったい雲の向こうに曖昧な色した空が滲んでいるよ
せきたてるようなバス発車クラクション、網戸越しここまで聴こえるよ


2002年7月17日(水)

『居場所さがし』

 とうとう家探ししたんだけれど、その前に図書館に行った。旅をする前から借りてた本を返さなければいけなかったのだ。返却日はとうの昔に過ぎているのに「次から気をつけて下さいね」という受付おじさんの声もいまだに馬耳東風。今日はドストエフスキーの「罪と罰」の下巻を見つけたかったんだけど、新潮文庫のがなくて仕方なくあきらめた。(そのあとで古本屋で上巻とは別の訳者のをみつけてゲットした。)ナオさんから「サイダーハウス・ルール」を最近プレゼントしてもらったから(本当にありがとう☆)読む本は十分に足りてるのに、お馬鹿さんにもミルハウザーとカポーティー(すぐ読めるやつ)とティム・オブライエンを借りてきてしまった。図書館はある意味僕にとって鬼門なのかもしれない。もし杜子春のような試練を受けることになったら「図書館にいっても何も本を触らずに出てきなさい」という難題が僕には与えられることだろう。
 さてそのあとに今日のメインイベント、家探しが待っていたわけ。僕はずっと円山公園周辺にするか、中央図書館周辺にするかで悩んでいたのだけど、図書館に行った帰りに路面電車の車庫に並ぶ色とりどりの電車が突如目に入って、これは絶対図書館周辺だとなぜか心に決めてしまったのでした。(多分に堀江敏幸の影響があると思う。)行き当たりばったりにえいっと不動産屋に入って、図書館周辺で二階以上で20u以上で云々と希望を言うと、あれもあるこれもあるということで、早速車に乗せられた。見せてもらったのがどれもキレイな部屋だったので、正岡子規みたいに病床で草丈がどうのこうのと言いながら貧しく慎ましく生きていこうと思っていた心構えのようなものが早速崩れてしまった。結局選んだのは(明日の朝電話するんだけれど)1Kの細長い部屋。メリットのない四階角部屋、フローリング、いらない有線付き、オートロック、風呂トイレ別、敷金1月礼金なし。さてハウマッチ?・・・・・・管理費込みで4万3千円(あなたの住む街よりも高い?安い?)。窓から道路向かいにドラキュラ伯爵でも住んでそうな洋館が見える。多分ここの部屋に住んだら洋館を舞台にした小説を書くことになるんじゃないかとそのとき僕は運命と折り合いをつける破目になった。
 そうして僕はそこにしようと心に決めたわけなのだけど、実は僕の胸中は不安でお風呂の栓を抜いたときのお湯のようにぐるぐる回っている。これは家に対する些細な不満とかではなくて、単に再び自分の力で岩にとりつくときの不安といったらいいだろうか。結局、完全自活ということの先行きが見えないからなんとなく不安なのだ。岩登りするときに少し上までは取り付くところがあって登れそうだけど、その上がなんとなく登りにくそうなんじゃないかという不安に似た類のものなのだ。しかしもう登り始めるしかないのだ。オレは登れる、そういう暗示をかけながら僕は岩に手をかけるわけだ。


2002年7月16日(火)

『匿名性の消失』

 あまりに日記っぽいものを書きすぎたから消しちゃった。最近、もっと日記らしい日記を書きたい気持ちがあるのだけれど、やっぱり公開しているというので二の足踏んじゃうな。ネットの世界も匿名性が消えたことは喜ばしいけれど、顔がわかってしまうと思うとまた制約も大きくなってしまうものなのかもしれない。結局、それが自分の書くものに責任をもつということに繋がるのだろう。日記はやめて今夜は小説でも書いていよう。

+−+−+
 雨空のナツツバキその枝先に光る一滴の滴になりたい
 雨厭うことなくサッカーボール跳ねる音いつまでも通りに響く
 電線に一列並ぶ雨滴誰もが落ちること怖がってる


2002年7月15日(月)

『過去を整理して、未来をさがす』

 東京からこの家に送った昔の書籍の整理。ダンボール4箱から、文庫本がハードカバーが出てくる出てくる。これが大判小判だったらちょっとしたお金持ちってところだ。今後引っ越すときにはお気に入りの本しかもって行かないつもりだから、当分読まない本を全て父親の本棚に無理やり押し込む。その量があまりに多くて、途中で本当に嫌になってしまった。この本のほとんどを僕は読んで、それは欠片か塵かわからないけれども脳か心のどこかに残っているということに驚愕した。(それは今まで生きてきた中で食べたものをトラックか何かに積んで改めて目の前に見せ付けられるという状況に近いものがある。)もしこれらの本を全く読まなかったら今頃ここにいる自分はどうなっていたんだろうなんて考えてみる。・・・少なくとも本の整理で途方に暮れたりはしないのだろうけど。
 それからなんとなく01年2月3月あたりのダイアリ読み直してみる。そうしてまた驚いた。彼は本当に僕なのか?そこには上に大きな重石をのせられて、それに潰されないようにしながらもがいている人間がいた。読んでいて無性に彼を解放してあげたくなった。
 ・・・そうそして彼は解放されてここにいる。

 彼は今ぼんやりと将来について想いを巡らせている。近い将来と遠い将来について、それから胸に芽生えたささやかなキモチについて。

♪オマケ・今日の歌♪
 夕闇に紫陽花映えて照射され僕の本心もう隠せない
 旅人が旅の荷物をほどいたら心の中もほどかれていく
 絹糸の柔らかさ、この指先をあの人に今すぐ捧げたい


2002年7月14日(日)

『ジェネレーション・ギャップ』

 親の貞操観念の頭の古さに驚く。それとも僕がおかしいのかしら。とにかく参っちゃった。詳しく書けないけれど。
 この歳になって居候している僕も悪いんだろうなぁ。知らず知らずのうちに甘えていたのかもしれない。そろそろ出ること考えなっきゃ。


2002年7月13日(土)

『旅を終えて』

 東京、名古屋、京都をまわって旅から帰ってきた。今回の旅はこれまでの旅の中で一番自分にとって意味があり、また楽しいものだった。(概要は明日あたりUPします。)
 今回の旅によってはっきりと自分がこの世界に根付いたような気がする。僕はこれまでパキラ☆でありTであったわけだけど、それが完全にひとつになった。人の言葉を借りれば、パキラ☆なTということになるのだろう。僕ははっきりとした輪郭をもって色濃く生きていけるのだという確固たる自信をもてるようになった。そして自分の生き方についても再確認できた。僕は、小説家になろう、と心の底から決意した。僕はそれになろうと思っている限り、必ずやなれると思う。このサイトに来てくださる方が僕の今後の足取りを応援して下さるならこんなに嬉しいことはない。これからもよろしくね。


2002年7月2日(火)〜7月13日(土) 東京、名古屋、京都の旅

『断片的旅日記』

+art+  森村泰昌写真展 (川崎市ミュージアム)
  一見、女装の展示がメインでグロテスクなせいで引いてしまう。しかし、展示の主旨を理解するにつれて僕は感動を覚えた。それは森村氏の中で女装という変身願望というものが、始めから僕らに規定されている常識的なこと(性別、年齢、国籍など)を打ち破る挑戦だったからだ。
 森村氏は「遺伝」という言葉が嫌いだという。こうにしかならない、こうでしかありえない、という考え方に縛られることは結局人の生き方を常識の範囲にとどめてしまって、挑戦することを諦めさせてしまうからだ。森村氏の女装は、そうした諦めに対抗する「オレは何にだってなれるのだ」という強いメッセージなのだ。もし森村氏のようなオジサン的年齢の人が、若い外人女性に変身できるならば、どうして他のものになれないことがあるだろう、という意味を有しているのだ。僕はこれでもかというほどの女装の展示を見ているうちに、「僕だって何にでもなれるのだ」という思いがふつふつと湧いてきた。

+book+  「供述によるとペレイラは……」アントニオ・タブッキ
  タブッキの最高傑作と言われる作品で1994年の発表時にはイタリアでベストセラーになったという。供述によるとペレイラは・・・で始まるこの小説は、小新聞社のぱっとしない文芸欄担当のペレイラを主人公とする。舞台は、ナチスがドイツで台頭し、スペインではフランコが共和国を弾圧している最中のポルトガルである。
 ペレイラは一ポルトガル国民として、また新聞編集者として、はじめ政治的な色をもつことやその関わり合いを嫌って中立的姿勢をとっていたのだが、ポルトガルに忍び寄るファシズム思想が彼の自由そのものを奪ってしまう。そのために、ポルトガルに大きな失望を抱かざるえなくなり、ひょんなことから出会った反ファシズムの若者たちとの交流のうちに徐々に反ファシズムに身を委ねていく。そして最後には警察をペンの力で告発するという激しい怒りに変わってしまう。最後に主人公ペレイラが警察を告発後に国外へ逃亡できたと読者は考えたいと思うのだが、そこにきてこの本の題名が障壁となるのだ。そう「供述によるとペレイラは・・・」なのだ。
 この小説はファシズムの危険性を警告した作品だ。ファシズムというものはまるで夕闇のように少しずつ入り込んできて、自分の自由がきかないと気付いたときには完全な闇の中で、手の打ちようもなくなるのだ。
 平凡な編集者のたどる数奇な運命、特に終盤の告発の場面は素晴らしかった。僕は泣きそうになった。

+art+ ソウルポップ2002・韓国大衆文化展 (世田谷美術館)
  ここで言う大衆文化とはCMやテレビ番組などを指していて、日本のものと何が違うかといえば、日本語が全てハングルにすりかわっているだけのことである。親近感はもてるが、感心するほどのものではないなぁというのが感想。
 僕は併設のルソーの絵のほうにむしろ興味が湧いた。世田谷美術館は東京の中にあって割と静かなところにあるから、美術鑑賞する場所としては悪くないと思った。

+art+ マグリット展 (渋谷・Bunkamura)
  イメージの喚起力は素晴らしいなと思ったのだけど、もう一つ感動できずじまい。

+site+ 九品仏神社 (自由が丘)
  自由が丘はいつも熊野神社に行ってたけれど、今回はこんなところに行った。東京とは思えないくらい木々の緑に溢れていて非常に落ち着けた。木々の葉擦れの音が響いていて気持ちよかった。

+book+ 「審判」 フランツ・カフカ
「・・・自由な人間というものは束縛されたものより上位にあるものだ」という一節が心に残った。
 身に覚えもなく裁判所に呼ばれ、その機構に翻弄され、最後には犬のように殺されてしまう男の話が果たして面白いものだろうかと思ったけれど、案外読めた。まぁ不思議といえば不思議。しかしそれ以上ではない。

+site+ 名古屋市
  炎天下たくさん歩いて、たくさん話をした。

+site+ 鴨川
  飛び石して川を渡った。

+art+ カンディンスキー展(京都国立近代美術館)
  コンポジションY及びZといった抽象画の代表作もさることながら、印象画のような面塗りした絵なども素晴らしかった。絵から空間に色が溢れ出てくるような感覚があった。空間の中に色が迸っていって何か固唾を飲みながら立ち尽くすという感じだった。
 彼が抽象画に傾倒していく際に語ったという言葉がすごい。「対象が私の絵を損なっている!」だそうだ。ふへぇー。

+site+ 南禅寺〜哲学の道
  暮れなずむ道をただ歩いた。意外に遠くて銀閣寺に着いたらへとへと。とっくのとうに閉じられた門の前でアイスキャンディーを食べた。

+art+ シャガール展(京都市美術館)
  大好きなシャガール。浮遊感のある絵が並んでたけど、僕の身体は前日の疲れで重くて今ひとつ浮遊できなかった。それでも好きだと思った。

+site+ 金閣寺
  焼くほどのものでもないような気がした。あるいは焼くほどのものじゃないから焼いたのかもしれない。

+site+ 竜安寺
  石庭を見ていたら思考がどんどん凝縮していく感覚を味わった。まるで雪降る野原を眺めているように心が落ち着いた。想像力が湧くというよりも、それがどんどん切り捨てられてシンプルになっていく感じがした。

+site+ 等持院
  夢窓国師による庭園。水音、剪定ばさみと箒の音、聴きながら放心。

九品仏神社のイチョウの葉 ホテルにて 哲学の道の途中で
青いモミジが映える カメラ・カメラ・カメラ 北に向かう船

2002年7月1日(月)

『造園家の血統』

 本を読もうと思ってソファ座っていたら庭先から母親が「手伝ってくれる」の一言。うちの母親は暇さえあれば庭に出て土をいじくりまわしているようなちょっとした造園家だ。どこで買って来たのか青いつなぎを着て幅広の麦わら帽子をかぶって庭でせっせと動き回っている。多分ある程度の広さの庭をあげれば一生土いじりしかねない人なのだ。僕も大学の研究室が造園だったのはその遺伝子を少し分けてもらったからなのかもしれない。小説書きと庭造りは似ているなんて言う小説家がいたが、あるいはそういう関係もあるかもしれない。「造園家になったら」と水を向けると、「わたしは自分の世界をつくるのが好きなの。人の家の庭づくりには興味ないわ」と母は言う。
 さんさんと降り注ぐ陽光浴びながら庭に出て、新しく買ったばかりという庭用のテーブルを組み立てる。引越ししたら多分置いていくことになりそうなくらい重たいテーブルだ。その脚をねじで一本一本とめていくという地道な作業。母に言わせるとちょっとした人気商品らしいのだけど、この重いテーブルを毎日つくって梱包して出荷する人たちは随分大変だろうなって気の毒に思った。試行錯誤を経てテーブルを組み立てて庭先に放っておく。母はもう夕暮れも近いというのに今度は物干し竿コーナーづくりに土を掘って躍起になっている。「つづきは明日やれば?」「明日は洗濯をするから今日ここを作らなくちゃいけないの」「洗濯を明後日にまわせば済むことじゃない」「明後日はまた他にすることがあるの」というよく訳のわからない論理を振り回されて、理解するのも難だし、手伝うのも難だしってわけで先に引き上げる。
 手を洗って気分一新して本に向かうも、泥のような眠気が僕の身体を覆い出す。そうして、こくりこくり。その横で座布団に寝そべって犬もこくりこくり。そんなふうに初夏の夕暮れは過ぎていく。