2002年3月31日(日) |
NHKの村上隆と奈良美智の再放送の番組を見た。昨夏、ふたりの展示は東京圏で大々的に行われて、本当はそのとき見に行けばよかったのだが、結局見逃して(居逃して?)しまって、今頃になってテレビなんかで見ているわけだ。
|
2002年3月30日(土) |
昨夜は父親が残業、母親と妹が飲み会に出掛けて、ずっと僕一人だった。一番社会に接点をもって遊びまわってもいい歳である僕が家に残って犬や猫の面倒を見ているのは不思議な気もした。結局、夜遅くまで起きていたにも関わらず父と妹の帰宅に立ち会えれず、逆に朝起きると皆またそそくさと仕事に出掛けてしまった。
|
2002年3月29日(金) |
一日中、家でパソコン向かってた。残り3日、見直しするよりも、新しい文章を書きたい欲望が大きい。はっきり言って見直しするのはかなり面倒くさい。ものをつくる人が細かなヤスリをつかって微妙な凹凸をなくすような作業だからかな。今見直しているのは長編の青春小説と、メルヘン的なイチゴの話(HPにUPしてるもの)の2つ。長編のほうは原稿用紙330枚くらいあって一読するだけで大変。最初は純粋な青春小説にしようと思ったのだけど、面白いと思った始めのテンポも長く続くと緩慢になってきてしまって結局恋愛の要素を入れざるえなかった。恋愛というのは随分と流れが変わって話も面白くなるけれど、最初考えてた主題からややずれてしまった気がする。そのうち100%恋愛小説みたいなのも書いてみたいな。とりあえず来月はパラレルに進行させるようなファンタジー小説を書くつもり、楽しみ。イチゴの話を母親に読ませたせたことによるサブリミナル効果か何かわからないけれど、連日のように母親がイチゴを買ってくる。本当に美味しいですね。 |
2002年3月28日(木) |
深夜にサッカーの日本VSポーランド戦を観た。最後まで観ると2時をまわっていて、試合後にトルシエ監督が「こんな遅くまで試合を見てくれた日本人の皆さんに感謝する」だの言ってって、そうか普通のサラリーマンはこれを観ている訳にいかないんだと改めて気付いた次第。そういえば1年前までは深夜のサッカーはビデオに録って朝早く起きて観たりしてたんだっけとなんだか懐かしくなってしまった。
|
2002年3月27日(水) |
「手相占いというものについての個人的見解」 積み木を積むように過ぎた何の変哲もない一日だからというわけでもないけれど、今日は手相についての話題。
|
2002年3月26日(火) |
木田金次郎展を美術館まで観にいってきた。木田金次郎という人は北海道の岩内という漁村で漁師として生まれ画家を志した人だ。ぼくはこの人の名前を知っていてその作品をずっと見てみたいと思っていたのだが、美術に造詣も深くない僕がどうして彼の名を知っていたのだろうと内心不思議に思ってもいた。多分、街中でアンケートしたら10人に1人くらいしか知らない知名度の低い画家だと思うからだ。
|
2002年3月25日(月) |
仙台の家が引き上げということになって、向こうの荷物がどっとやってきたせいで家中すごいことになってる。電化製品とか全て二揃いあったりする。大きな冷蔵庫が二つ並んでいるのとか若貴並ぶ花田家みたいで結構壮観。夕方になっても荷物が片付かず、母親は半分さじを投げ出したいような顔をしてみせる。折角、父親も休みをとっているから、回る寿司でも食べて気分転換でもしたらとその気にさせて、連れてってもらった。回る寿司も札幌のは東京と違って美味しいのです。そして僕はほたてが好きなのであります。はー、幸せ。 |
2002年3月24日(日) |
NHKで江國さんをゲストにしてモネ展の様子を紹介していた。睡蓮池という対象を突き詰めていくというモネの観察眼に驚いたし、それに比べて自分の観察眼というもののおざなりさを恥じ入った。始めから自分の脳に蔓延っている常識というものに捉われて、こういうものだという風に決め付けてはいけないし、どんなときでも対象への観察眼を緩めてはいけないのだと思った。対象と厳しく向かい合ったときに始めていろいろなことがわかってくるような気もした。晩年の作品では睡蓮池にモネの心情が投影されるという、いわゆる心象風景的な絵画になったのだという。結局、ほとんどの風景画家(表現者)というものはそういうものなんじゃないかなと思う。
|
2002年3月23日(土) |
Lauryn Hillの古いアルバムなんか聴きながら文章打っていた。なんか文章のリズムまで変わってしまいそうだ。昔買った時はさほどいいように思わなかったのだけど、今はこのリズム感やソウルフルな感覚がとても気持ちがいい。この系統の音楽、全然詳しくないのだけど、誰か詳しい人いないかな。CDとか貸してくれないかな。
|
2002年3月22日(金) |
夕方、犬と散歩をしていて、突如自分が27才であることを知る。
|
2002年3月21日(木) |
祖父の友人のお孫さんが僕の母校(大学)に合格されたそうで非常におめでたいのだが、なぜか家探しを手伝う羽目になった。普通、本人なり親なりが来て家探しするものだと思うのだが、例外もあるというわけだ。朝9時に祖父が車で迎えにやってきて一緒に大学に向かう。大学生協の家探しコーナーで紹介されたマンションを2つ見て、そこから決めた。立地条件はすこぶる良い、なんといっても大学の正門前。部屋の窓からは大学構内が良く見渡せる。横断歩道の信号のタイミングさえ合えば1分以内で構内に入れる。さらに札幌駅まで歩いて2分くらい。横が東横イン、裏にも違うホテル。さらに徒歩一分のところにミニシアターあり。これ以上いい条件があるだろうか。家賃管理費込みで5万5千円。東京と比較すると格段に安いが、札幌では高い部類だ。こんな部屋に住んでたら帰省とかしたくなくなるだろうね、と祖父と話す。しかし、自分の住む家まで見知らぬ他人任せじゃ、お坊ちゃんのままだよなとは思う。生協の受付の女の人も、血縁関係にもない人が家探しをしていることにびっくりしていたもの。待ってる間、その女の人になんとなく好意をもって、ケータイ聞かれたのにフケータイで番号すら覚えていなくて少しお馬鹿さんだった。
|
2002年3月20日(水) |
小さいときからまわりに人がいたりテレビがついても問題なく勉強することができたし、今だって同じように文章を書いたりすることができるのだが、どうも自分の集中力というものが思っている以上に低くなってしまうようだ。明らかにまわりでガチャガチャ物音がして、誰かがすぐ話しかけてくるようなところでは、文章(思考)そのものが深いところまで下りずに表層をさらうようなものにしかなっていない気がする。さらにイメージの喚起も僕の場合、ぼんやり頭を空白にしている状態からとめどもなく湧いてくることが多いのだが、その状態になかなかなれない。当たり前のことをいまさらながら確認。・・・そして家の中で居場所さがし。 |
2002年3月19日(火) |
妹が始めての海外旅行から帰って来て、さらに家の中が賑やかになる。なんか女の人って死ぬまでずっと機関銃のようにしゃべり続けることができるんだなと感心。妹と祖母をテーブルの対面にして二人の話(スペインの話と僕の知らないどこかのお年寄りの話)をひたすら聞く。数年前まではこうした話も半分馬鹿にしたようなところがあって聞く耳ももたなかったのだけど、・・・少しは僕も成長しているようだ。 |
2002年3月18日(月) |
街に出てみることにした。バスで30分揺られて最寄の地下鉄駅まで出てさらに20分かかるから大体1時間500円程度の行程である。要するにうちは札幌市という名前を冠しながら田舎なのだ。帰るにはいいところなのだが、出ようと思うと不便きわまりないところ、それが田舎だ。
|
2002年3月17日(日) |
朝六時半に起きて犬の散歩に行く。昨夜からの雪で世界は白銀の世界になっている。木々の枝先には雪が凍てつき、山々は白く輝いている。とても同じ国のどこかで桜が咲いたり梅が咲いているなんてことが想像すらできなくなる。僕らの前をふさふさした尾をもつエゾリスが走っていく。林の奥からはアカゲラやヤマゲラの声が聞こえてくる。ヤマゲラというのは青緑色をしたキツツキで本州にいるアオゲラの亜種なのだ。鳴き声はまるで貴婦人の甲高い笑い声といった趣。言葉にすると「ホォッ、ホホホホホホ<デクレッシェンドする>」というふうになるかな。小学生のときから慣れ親しんだ鳴き声なのだけど、なんかすごい久しぶりに聴いた気がした。そうこうしているうちに冷気が工具のノミのようにして頭蓋骨の隙間から入りこんできたのか、こめかみに鋭い痛みを感じた。
|
2002年3月16日(土) |
実家に住むのは大学2年以来だから、ちょうど7年ぶりである。だから、常に家族がいて、犬やら猫やらがそばに寄ってくる環境というのがこれから当分続くことは不思議な気さえする。
|
2002年3月15日(金) |
デビット・ゾペティの「いちげんさん」を読んだ。そう言ったら、くくくっ、と誰かは笑うんだろうか、僕だってこういう風の吹き回しになるなんて思ってなかった。古本屋で見つけて解説を見たら、この作品がある新人文学賞の過去の受賞作品であることが記載されていて、どれくらいのもので目の前の壁を越えていけるのか、それをちょっと確かめてみたくもなったのだと思う。
|
2002年3月14日(木) |
「世界で一番好きな土地」
|
2002年3月13日(水) |
「グレイス・ペイリーを読んで考えたこと」
|
2002年3月12日(火) |
この前、本屋で日本映画雑誌を立ち読みしていたら、映画評論家による昨年度の邦画ランキングが載っていて、そこに「ユリイカ」と互角に競い合って高い評価を得ていた作品があった。金城一紀・原作(直木賞受賞作品)、行定勲監督の「GO」だった。そして今日、ようやく見に行ってきた。結論から先に言うと、かなり面白い、間違いなく僕の今年見る映画の5本指に入ることになると思う。在日朝鮮人についての映画なのだが、民族問題を越えてむしろ自我というものがどうあるべきかというところまで踏み込んでいる映画だ。自分というものが何者なのか、そして社会の中でどう生きるべきなのかを逃げることなく捉えた作品に仕上がっている。原作、監督、脚本の良さもあるだろうが、それを演じている窪塚洋介が素晴らしかった。端正な顔立ちではあるが、彼の良さは外面に備えられているものよりも内面にあるように思った。非常に骨があり、芯というものがある。そこに呼吸をする魂のようなものを感じる。家に帰ってから、SWITCHの2001年11月号に載っている彼の言葉を読み直してさらにそれを確信してしまった。彼は、普段誰もがどうでもいいよなんていうふうに流し去ってしまう価値観というものを一つ一つ見直して、そこから自我を探求しようとしている。そうした作業は、現代の中では実はとてもカッコ悪いことのように思われている。しかし、そんなことに耳も貸さずに、そして外面というものに安住せずに、敢えてカッコ悪いことをしようとする姿に、僕は快いほどのカッコよさを感じた。彼が自分のスタンスを崩さずに今後どのように自我を探求し続けていくのか非常に興味があるし、見続けていきたいと思う。兎に角、若手アクターの中で最も期待できる人間だと思う。
|
2002年3月11日(月) |
最近、僕は米というものを食べていないことに気付いた。食べているのは朝と昼がサンドイッチ、あるいはうどん、夜がパスタ。そして珈琲をたくさん。合間にクッキーや伊予柑。そんな感じなのである。
|
2002年3月10日(日) |
夜、NHKでパウル・クレーの絵の魅力を谷川俊太郎が解説していた。クレーは、物事のありのままの姿ではなくて、その裏に潜む本質を描こうとした画家だということだった。(確かワイエスも同じようなこと言ってたような気がする。結局絵というものは表面だけをなぞるものではないのだろう。)谷川さんはクレーの絵の詩画集も出されているから、特にクレーに対する思いいれも強いのだろう。ひとつひとつの絵に対して、的確な言葉で感想を述べられていて、表現の深さと彼自身の観察眼に驚いてしまった。最後にクレーの絵から想起したという「青」についての詩を朗読されていたが、それも素晴らしかった。
|
2002年3月9日(土) |
『パラレルワールド』
|
2002年3月8日(金) |
朝から路面を濡らす程度の雪がふりつづいて、やむのを待っているうちに暗くなってしまった。仕方ないから市川崑の「黒い十人の女」を見た。ピチカートの小西氏が「僕は市川崑を発見した」と言うが、僕は発見できなかった。シニカルな復讐劇に徹するならそうするべきで最後に社会システムを持ち出されてもちょっと困るという感じ。結局ストーリーが主人公の男のようにどっちつかずで流れてしまっていたような気がした。
|
2002年3月7日(木) |
朝からハローワークへ。ようやく失業保険がおりるようになった。これから90日間。1日あたり7,000円。単純に計算してちょっと驚いてしまった。シルクロードにもう一度行っても余っちゃうんだなぁ。働いてしまうと給付がストップしてしまうのでまだしばらくは下等遊民を続ける予定。
|
2002年3月6日(水) |
『スキーのモーグルとエアリアル』
|
2002年3月5日(火) |
『寂しさの構図って多分こういうこと』
|
2002年3月4日(月) |
『カロリー消費とロシア遠征』
|
2002年3月3日(日) |
週末、お台場までワンゲル時代の先輩の結婚式に参加してきた。懐かしき面々が久しぶりに集まって非常に楽しい二日間だった。僕は、谷川俊太郎の「旅」の詩画集と北海道の山の画集と奈良美智の画集をプレゼントした。僕の欲しいと思うものだったから少しは気に入ってもらえたんじゃないかな。
|
2002年3月1日(金) |
3月になった。昨夜、2月という月をどのように送ったか考えてみた。仙台にやってきて、ずっと寂しくて、最後は精神的に破綻していた。自分の中が汚れているのに、それを全て人のせいにしていた。僕の心を支配しているのは憎悪ばかりで、人の親切とか愛情のようなものを全く理解できるレベルになかった。そしてそれは自分の書いている文章にも大きく影響を与えてしまっていたように思う。人にも随分迷惑をかけたと思う(特にNさん)。そうして自分に対して本当に愛想が尽きた。
|