2003年1月31日(金) |
ミラン・クンデラの「無知」を読んだ。チェコスロバキア(今はチェコ)からフランスに亡命した女性が20年ぶりにプラハに帰り、平行してデンマークに亡命していた獣医も帰ってきて、ふたりが出会うという話。作者、クンデラ自体がプラハの春以降にロシアが介入してきて、フランスに亡命しているため、祖国に帰るというのは彼にとって大きなテーマなのだと思う。
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2003年1月29日(水) |
『すべては仮想世界のことのように思えて』
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2003年1月28日(火) |
『ある作家の世界観』
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2003年1月27日(月) |
「ガラテイア2.2」ようやく読了。なかなか読み応えがあった。人工知能が意識をもち、やがて心らしきもの(いや、心なのだろう)をもちはじめていくのには主人公と同じくらい驚いた。たとえ、肉体がなくても意識から繫がっていく心というものがあれば、人はそれを愛することができるのかもしれない。もし心のあるものを殺してしまえば、それは殺人になるんだろうか。人工知能が発達し、あるいは遺伝子操作などで「ブレードランナー」に出てきたようなレプリカたちのように心をもつような非人間が現れたとき、人間はいったいどうするのだろう、とそんなことまで考えてしまった。
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2003年1月26日(日) |
何を書こうかとキーボードを叩いている。誰に書こうかとキーボードを叩いている。
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2003年1月25日(土) |
研究室の先輩(助手)と会ってきた。最近は学生の卒論の面倒などもあって、3時間睡眠が続いていたなんてこと言ってた。驚嘆。中華食べて、ファクトリーで映画「ボーン・アイデンティティ」など観てたり。ほとんどデートみたいなものだ。
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2003年1月24日(金) |
『浮かび上がっては消え』
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2003年1月23日(木) |
『3周年』
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2003年1月22日(水) |
久し振りに小説を書いてみる。そして、この行為が実はとても気持ち悪いことだと知る。それでいて、書かずにいられなくなってくる。ここにその気持ちを書き出して、分析することで逃げようと思ったけれど、うまく書けない。自分の中に手をつっこむと、その闇から何かが伸びてきて引き摺りこまれるような感覚。それと、言葉で格闘しているといった感覚。 |
2003年1月21日(火) |
『朝の思考』
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2003年1月20日(月) |
『本ばかり読んでる』
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2003年1月17日(金) |
『日常を異化せよ』
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2003年1月16日(木) |
『啓かれる読書』
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2003年1月15日(水) |
『逃亡論』
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2003年1月13日(月) |
『田舎町の映画館の悲哀』
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2003年1月12日(日) |
『海辺のカフカ、について思ったことA ナカタさんとは』
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2003年1月11日(土) |
「享楽と背中合わせにあるもの」
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2003年1月10日(金) |
「海辺のカフカ、について思ったこと」
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2003年1月9日(木) |
アゴタ・クリストフの「ふたりの証拠」と「第三の嘘」を読了。
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2003年1月8日(水) |
あっちいったり、こっちいったりでこの部屋には30分だけの滞在。
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2003年1月7日(火) |
『日常の絡まり、非日常という解放者』
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2003年1月6日(月) |
『ポップ・カルチャーを呑み込み吐き出すパックマン』
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2003年1月5日(日) |
「端末の向こうに集積する山のごとき知」
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2003年1月4日(土) |
弟がちょこっと家(my room)に遊びに来た。「海辺のカフカ」をゲットできて至極嬉しそうだった。(多分、今頃夢中で読んでいることでしょう。)
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2003年1月3日(金) |
のんびり本読んだりして過ごす。時間が少しでも空くとすぐソファで本を広げ出すから(そしてなかなか飽きないものだから)驚かれる。確かに変わっているかも。家族五人のいる正月はすごい久し振り。母親の誕生日には花束贈った。夜、家族で回り将棋などという懐かしいものをやってみる。お腹がよじれるほど笑う。
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2003年1月2日(木) |
吉田修一の「パーク・ライフ」を読んだ。日比谷公園を舞台にした安穏とした小説。まるで現代人の希薄な交流をそのまま小説にしたという印象を受けた。主人公の男はふとしたことから若い女性と出会って会社のお昼休みに公園で話をするようになるのだけれども、最後まで女性の仕事も名前も知ることがない。決して相手を深くまで知ろうとすることがない。周囲の人たちとも常にそんな調子で、誰ともぶつかったりすることがなく日々を過ごしていく。当たらず触らずの毎日。エンディングで女性が写真展を見終えたとき、「よし決めた」と突然何かを決意して、その決意の中身はおろか女性のすべてを知らないことに気付いて、始めて主人公は女性の存在というものが絶対ではないということを悟る。そうしてもっと人を深く知ろうとするかのようなエンディングとなる。だけど、本当にそうなるかはわからない。何かを強烈に伝えようとする作品ではないけれど、読んだ後に「はて?」と思ってもう一度ひとつひとつの意味を照らし合わせながら読み返したくなる。悪い作品ではないし、小説とはこういうものなのだと思う。だけど芥川賞とするにはどうなのかな、とも思ってしまう。審査員の選評を読んだ限りでは、テーマよりも正当な純文学らしさというところが決め手だったようにも思えた。 |
2003年1月1日(水) |
「抱負」
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