2003年11月30日(日)

 一日のんびり。吉祥寺でお買い物しておしまい。
 *
 森田芳光の「模倣犯」。誰でも知っている宮部みゆきのベストセラーの映画化だったが・・・。この監督にしては珍しく駄作。原作が大きすぎて越えられなかったのか、あるいはキャスティングがよくなかったのか。兎に角切れが悪い刀を振り回しているって感じ。
 ホセ・ルイス・クエルダの「蝶の舌」。スペイン内戦を予感させる中で、静かな村での教師と子供の触れ合い。淡々とした小品。僕の涙腺はおかしくなってしまっているのか、またしても涙、涙。


2003年11月29日(土)

 ベランダごし、道路向こうの樹がこのところ葉を落し始めて、硬質な幹を現しはじめた。色づいた葉とのバランスがまるでユトリロの絵画のようだ。
 泊まりにきていた弟が家具展をみにいくらしく、地図を描いてくれと休日の朝の眠りを間断する。気付けば時計の針はくるりと回って、そのまま昼過ぎまで平和に眠っていたみたいだ。そうして早くも夜の気配すら漂い始めた秋の風景の中を出て行かなければいけない。新宿。ハイテンションな世界へ。今明らかに逆の世界(珈琲の湯気のように温かく、そっと手を握るときのような優しげな気分)を求めているのだけど、結局僕は出かけ、グラスがかちんかちんなんて音立てる中、笑って気の利いたセリフでも言おうとするのだろう。


2003年11月27日(木)

 詩でも静かに読みたいそんな夜。


2003年11月26日(水)

 少しずつ仕事に余裕がでてきたかな。仕事を派遣の方にうまく振り分けれるおかげで、僕はデータ分析や学生へのアンケート計画、あるいは来期構想といった急を要さない伏線的な仕事にも手をまわせる。さらにはプライベートな時間をつくることもできて嬉しい限り。


2003年11月25日(火)

「雨ふるふる。ふるえる指先。雨ふるふる。」

 雨模様、水たまりを撥ね上げて車輪は回る。五階の窓から見えるバス停前の銀杏の木。週末が終わったことは知っている。僕はPCを立ち上げて熱いコーヒーカップに唇を寄せるだろう。目を閉じて思う。いつか再び物語をつむげるようにと。世界に無数の物語があふれているようにと。いつでも僕はその中に飛び込んでいけるはずだって。間抜けな顔のカンガルー。落ち着きなく歩き回るチーターに、ライオンのタテガミ。塀の向こうで吠えているのはオオカミだね。イメージはばらばらになって世界に撒かれていく。まるで銀杏の葉が散っていくみたいに、雨粒が雲の間から散っていくみたいに。


2003年11月24日(月)

「秋の肌触りと豊かなクオリア」

 多摩動物園。コートごしに感じる滑らかな曲線がすばらしくって、僕のクオリアは広がるばかり。
   *
 脳科学の世界では未だに意識(心)というものが、脳とどうつながっているかが解明されておらず、ほとんど錬金術のようになっているのだと、茂木健一郎は言う。(「意識とは何か」(ちくま新書))。意識を脳科学から解明する上で難しくさせているのが、クオリアであると語る。クオリアというのは、僕らがある言葉や文章を与えられたときに感じる質感のことだ。<あるもの>を<あるもの>と捉えるためのものだ。ある意味、それって感性の力に近いものであるような気もする。例えば涼しい風が吹いてきた時、それをどれだけ詩的に捉えれるかというのがクオリアの大きさのような気もする。さらにそれを言語として表すことができれば、あるいは絵や音楽にできれば、その人は芸術家ってことになるんじゃないのかな。ちなみに言語が与えられて、そこにクオリアが働いて実体が想起されれば、ほらあのソシュールのシニフィアン(意味するもの)とシニフィエ(意味されるもの)の関係になるってわけ、谷川氏のコカコーラレッスンと言い換えてもいいけど。
 僕がコートの下に何かを感じたとき、そこにクオリアが生まれるということになる。あるいは唇とかそういうものでもいいんだけど。乾いた落ち葉を歩くのってそれにしても素敵だ。ライオンが秋を感じ入っている姿とかもまたいいよね。(僕は一角獣のことを思い出しちゃったよ。)
  
 
 米山公啓「男が学ぶ「女脳」の医学」(ちくま新書)。新書というよりは、週刊誌にでも連載していそうな軽い内容だな、と思いきや実際に週刊誌に連載していたみたい。今の僕の周りには9割が女性という状態だから、まぁ女脳のことも研究しとかなっきゃね、なんて理由づけてみたり。これを読んで何かが具体的に解き明かされるというよりは、男と女では違うのね、という当たり前のところを悟るぐらいのところかな。読物としては面白い。

 
 ショーン・ペン監督の「プレッジ」。全体的なつくりは僕の好みに合いますよ。ジャック・ニコルソンの演技も悪くないしね。しかし、このエンディングの寂しさは何とかならない。ショーン・ペンは悲観主義なのかな。ハリウッドはお気楽ばかりだから、たまにはこんなのもいいけれど、もう少し、何かを越えてみせる力というのも見せて欲しかったな。「クロッシング・ガード」「インディアン・ライナー」も観てないのでそのうちチェックしなっきゃね。


2003年11月23日(日)

「空間移動と時空移動」

 薄手のセーター着るそんな心もちの音楽、カーディガンズ聴きながら、秋の静かな日差し。僕はもう二十歳の男の子じゃないから、キモチをそのままそっと容れておくことのできる器だって用意できているし、じんわりとそれを待ちながら楽しむこともできるのだけど、それでもモノレールの光がまぶたに残っているんだ。モノレールはレールに乗っかっているくせに、電車ほど継ぎ目を感じさせないから、僕は何かそこに時間の区切れがなくなってしまうような不安を感じるような気もしている。未来の乗り物がまったく継ぎ目のない、滑らかなレールになってしまったら(いやレールさえないのかもしれない)、僕らは過去を振り返らずに未来に連れて行かれるような気分になるんじゃないのかな。(思考のありかたがなんだか小説書いてるときに近いな、今日は)
 飛行機に乗って、あの空を飛ぶ瞬間に恐怖を覚える人っていうのは、もしかしたら過去を簡単には捨てられない人なのかもしれないとも思う。あの加速はまるで空間移動ではなく、時空の移動のようにも思えてしまう。音速飛行機コンコルドって乗ったらどんなキモチになれるんだろう。時空移動に極めて近くなるときの感覚って。

「同時代性って」

 春樹さんの小説に鼠という男の子が出てきたけれど、彼はある日を境にバーで古い小説ばかり読んでいたわけだ。
 今、僕が考えているのは同時代性contemporaryということ。僕らは日々、新しいものを追っている。新しい映画、新しい本、新しい芸術・・・、どうなんだろう例えば二十年前のもの、十年前、いや百年前くらいだっていいけど、それだけ追い求めた場合と何が違うんだろうって思うことはない?新刊が出ても、あえて過去の新刊を読んでみる。その違いっていったいなんなのだろう。
 新しいものは、つくった人も同時代を生きているわけだから、例えばNYのテロなんかを経てきているわけで、今の時代を生きるための知恵がそこに含まれていると考えることもできる。でも、例えば僕らがそれを先に読むなり聴くなり見るなりしたときに、改めて同じものにうまく対処できるって保証があるのかな。僕らは瞬間瞬間を共有したいがためにただ同時代のものを追いかけているのかもしれないよね。そこに含まれているのは処方箋ではなくって、確認と安心感みたいなもの。僕はテレビを見なくなったことで(プラグの形が古くて接続の仕方がわからなかった、という理由もあるけど)少なくともある一部の現在というものを享受できなくなっている。だけど別に不便はない。不便は無いんだよね。人が話していると、それが新しいことでも古いことでも結局同じようにも見えてきちゃうんだ。
 ・・・書いているうちに訳がわからなくなってきた。この話はまたいつか。

 
 渋谷パルコで蜷川実花の写真展「Liquid Dreams」。原色の赤がまばゆい金魚の写真展。この女性の世界はもしかしたらこんなにも強烈な色彩にあふれているんじゃないかなんて考えてみたり。

 
 養老孟司の「バカの壁」。何やらベストセラーの本らしい。それだけ世の中、人間関係に苦労している人が多いことの証なのかもしれない。なぜ人と理解しあうことができないかを脳からの視点で解きほぐしていく。最終的には宗教というものがほとんど一元的なものであり、本当に理解しあうには(本の題名を借りると意思疎通がきかないためにバカとしか思えない相手との壁を越えるには)より二元的、多元的なものの考え方をしていかなくてはいけないということを諭す。入出力が限定されるような生活をしていては視野が狭くなること、あるいは意識的な世界ばかりに比重をおいてしまい、その結果無意識の世界(睡眠中の世界)の重みづけが弱くなっていることが都市生活の問題を引き起こしていることを示唆してみせる。様々な観点からものを考えれるようになりなさい、というのがこの脳の専門家が最終的に言いたいことみたい。


2003年11月22日(土)

「見方によって、くだらなかったり面白かったりするもの、な〜んだ?」

 クエンティン・タランティーノ監督の「キル・ビル」。彼しかつくれない映画であることは間違いないが、これに評価を下さなければいけないとしたら難しい。それは映画を評するときの土俵が既にこの映画の場合違うような気がするからだ。それは相撲と柔道くらい違う評価をしなくてはいけないかもしれないっていうところにあるのだ。普通に評すれば、これは間違いもなく駄作でしかないだろう。でも評価の見方を変えれば、これは面白い映画ということにもなりえるわけだ。この監督は相当のやり手だから、恐らくそこまで視野に入れて映画をつくっているのだと信じたい。
 内容はほとんどアメリカのコミックを読んでいるのに等しい。コミックを楽しめる人は、存分に楽しむことができるだろう。それが楽しめなければ、観終わった後うむって思うはずだ。
 この映画のすごいところは二作目なくして完結をみないことだ。これもコミック的なところだ。タランティーノは明らかに彼自身の映画制作を始めるに当たった原点のものに立ち返っている節がある。つまり、日本映画を観て、アメリカコミックを濫読した修行時代へ、だ。さすがに時間も流れて、すべてが時代遅れになってしまっているところで勝負しようというのだから、まぁその意気込みだけでもすごいというところかな。
 で、僕の評価なわけだけど、多分二作目を映画館で観ることはないと思うよ。タランティーノには恐らくこの連作の映画で相当風当たりが強くなるだろうし、自分の好き勝手に作った以上、連作の次の作品ではクールに決めていかなければいけないと思うよ。


2003年11月21日(金)

「心理学を研究するということ」

 ちょうど来年度の卒業研究計画書を受け付けているところなのだけど、今日受け取ったものの中に、先日福岡で会った年下の男の子のものがあった。彼のテーマは、感動と感情の関係についてだった。どうして歳を老いると感動と感情の結びつきが弱くなるのか、それから最近の無感動な十代・・・、そうしたものが既存の研究を紹介しながら綴ってあった。心理学コースなだけに、この卒業研究というのは各自が抱えていたり、疑問に思っていたりするものが提出されてきてとても興味深い。どうして、そのテーマを彼は、あるいは彼女は選ぶのだろうか、僕はそんなことばっかり考えてしまう。天真爛漫で人気者だった彼にも、また何かがあり、それを克服しようとしてこのテーマに向かってみようとしているんじゃないか、ってそう思うわけなんだ。


2003年11月19日(水)

「中華な夜」
 
 吉祥寺で歓迎会してもらった。年上の女性ばかりと話すのも変な感じ。なぜかみんな僕に結婚してもらいたいみたいでそういう探りばかり、それも結構保守的なんだものなぁ。


2003年11月18日(火)

「こんな日々」
 
 卒業アルバム用の記念撮影。にっこり。職員も写っちゃうなんてちょっと考えられないけど。
 苦情対応のメールの返答に苦心。受け止めるか、交わすかのどちらを選ぶべきか、相手の顔がわからないとこういうの書くのも難しかったりする。お詫びしますなんて書いたものなら、全員に詫びろなんてこうくるわけ。もう絶対謝らないもんね。
 システムの業者見積もり上にあげたらやっぱり考え直したほうがいいって遠回しに言われて、改めて細部点検。結果、既存機能自体が不要な気がしてきたり。


2003年11月17日(月)

 今日は割愛。。。かっこわるすぎなんだもの。

 *
 まぁかっこわるいのは今に始まったことではないのでお風呂のお湯をためてる間に別のことを書く。習慣ということについて。昨日読んだ本から、カルヴァン派は自分の中に神をもつようになり、それが欧米の個人主義をもたらしたということをここに書いた。それは個人主義をもたらしたし、また近代経済を生み出したのだという。神が自分を常に見ているのだと考えることで、人は勤勉になり富を生み出す。富を生み出す一方でそれを自分だけの懐に収めるわけではなく、学校や図書館に寄付したり地域に還元したりするってわけ。カトリック教会のように外部の評価を下してくれるところの意味合いが弱くなったために、むしろ周りの人々から名士であることを好むといったことになる。例えば、アメリカで政治家になるということが一般的に優秀な若者の進路であるということからもそれがわかる。
 この神を内在できるということは、自分を管理できるという意味合いももつ。きちんと労働や勉強をこなしていくことができるということ。目標値を設定し、自己管理することができるってことになる。
 そうして日本の風土を顧みたとき、そこには自己管理ではなく、何かからの支配や管理によって動いているということに気付く。会社に執着するサラリーマンなんてその典型と考えられるだろう。自分が得た財などを社会や地域に還元しようとすることにも消極的だ。自己財産を保つために日々を過ごしているってことになると、これはニーチェが吐き捨てた家畜に極めて近いということになる。
 ・・・話がやっぱりまとまらくなってきた。ほんとうは神を内在させて、習慣によって何かに励むこと、また人や社会に還元しよう、ということに繋げるはずだったのだけど。お風呂のお湯もたまったしね。


2003年11月16日(日)

「ふりそそぐ秋の陽光」

 ああ、なんていい天気。ベランダの向こうにある木の枝先から好きな人の手を離すように木の葉がさっと舞い上がり空を舞っていたり。お日様に踵を向けて、僕は本読みなんかしてたり。

 
 佐伯啓思の「人間は進歩してきたのか 「西欧近代」再考」(PHP新書)。西欧近代という理想であったはずの社会が、米国とイスラムの対立軸にみるように必ずしも全世界に広がることのできるものでもないし、齟齬をきたしはじめている、という認識からこれまでの世界史を紐解いてどうして現在があるのかを思想家の考え方と対比させながら紹介している。僕はこれまでそうした全体的な流れに則った思想の歴史のようなものには疎かったから、楽しめたし、考えさせられた。特に、現在の欧米の個人主義というものが、宗教改革のカルヴァン派の考え方(神は教会にあるのではなく、日常の自分の中にある)から生まれたというマックス・ウェーバーの考え方が面白い。(キリスト教の)神がもはや絶対的ではなく、神の力が薄れてきた中で、人はただ空虚ともいえる倫理観(あるいは権力構造とでもいえばいいのかな)の中で自己保身を求める家畜でしかないことを説くニーチェの登場までもわかりやすかった。
 といっても流し読みだから、もう少しメモでもとりながら読むべきだったかな。

 
 フランソワ・オゾンの「まぼろし」。一緒に人気のない海へ海水浴に行った夫がそのまま行方不明になってしまうというストーリー。喪失というのは、無いことではなくて、むしろ無いことが在ることなのではないかと思った。そこに残って在り続けるからこそ、人はそれを越えることに困難を覚える。ラストシーンのぼやけた写真のような海岸で、主人公の女性が追いついたものはいったいなんだったのだろう。深い余韻の残るエンディング。


2003年11月15日(土)

「電車に揺られて」

 鎌倉へ。江ノ電乗って、極楽寺やら長谷寺へ。百日紅(さるすべり)の木肌の不思議なこと。雨降る散歩に、微笑む横顔みている幸せ。
 カレーライス、お蕎麦、珈琲、チーズケーキ、かんぱちの刺身、お豆腐、ビール、小松菜?としめじのおひたし、カルビと舞茸の炊き込み、竜田揚げ、コロッケ、砂肝、ジントニック・・・、なんていうのが胃から見た一日。


2003年11月14日(金)

「物を言い合えること」

 久し振りに学校のほうに行く。銀杏並木が色づき始めていい雰囲気だ。元のセクションの人たちに会うと、先輩が対等に接してくれたりして嬉しいやら恐縮するやら。他の年上の方たちとも少しずつ少しずつ年齢差というものがなくなりつつある。そうして仕事仲間という横の繋がりの意識が強くなりはじめている。敬意はもつけれど、やっぱり言いたいことはきちんと言うということが大事なのかもしれない。そしてそれを言えるようなところなんだ。
 夜、うちの先生に誘われて飲みにいく。教員と飲みにいくなんて不思議といえば不思議。先生がここに勤められるまでの話や教員間の人間関係の問題などをただ聞き手となってうんうん頷いてみたり。


2003年11月12日(水)

「風の又三郎みたいなマントでも翻したい秋」

 さてこれから夕食つくるところ。外はめっきり寒くなって風が身に沁みるよ。服を買いたいのだけど、なかなか気分と暇な時間がマッチしてくれないんだよなぁ。冬物のスーツに、ワイシャツに、セーターに、マフラーに、ジャケットに、きりっとしたシャツに、カーディガンに・・・、欲望は際限なしだね。
 本もたくさん購入したので読んでいかねば。映画も観たいのあるし。美術館も行きたいのあるし。会いたい人に行きたい場所。それを考えると秋ってあっという間。


2003年11月11日(火)

「傲慢な若輩者」

 通信教育の学会の研究会みたいなのにいってきた。久し振りにおじさん連中の中にはいって話聞いてきたよ。いくつか面白い話があったけれど、半分はかなりダメというか悲劇だった。内容が守旧派だというのを許すとしても、プレゼンがきちんとできないなら止めてくれぇって思っちゃうよ、ほんとに、時間の無駄。僕はこんなレベルで硬直したくないからね。


2003年11月10日(月)

「お菓子の効用」

 今一、頭の回転が鈍ってた一日。派遣の女性に半分頼まれて休日をとりやめたのに、いてもあまり役にたっていなかったようにも思う。(これを毎日続けてたら間違いなく首が危ないだろうなぁ。)和菓子を食べて血流が甘くなったあたりから鈍ったような気もする。
 どうして甘いお菓子を食べたかというと、アウトソーシングの会社がぽかをひとつやったからだ。上司に報告したら最初は「もぉう」なんて声あげてたのだけど、そこの社長が持参したお菓子みせたら「こんなんで許してもらおうって魂胆かしら?」って言いつつ、もう半分許し顔。他のスタッフもにこにこ笑顔。ああ、女性って。


2003年11月9日(日)

 福岡に行って来た。九州の風土がそうさせるのか、学生の皆さんは一様に大らかで懐が深くて、なかなか楽しい懇談会だった。学生ではあるけれど皆それぞれ社会で仕事をもち、そうした経験などを聞いて僕も勉強になった気がする。今回はうちの専任教員の授業もばっちり拝聴できたし満足。
 日曜はひとりで福岡ぶらぶらしてた。大宰府と、天神のアクロス福岡に行ってきた。アクロス福岡は自然との共生をテーマにした近未来的建築ということで、階層構造になった外側のテラスが植栽によって緑に覆われているところがユニーク。中は吹き抜けになっていて開放感があって悪くない。
 福岡の街は使い勝手がよさそう。空港が地下鉄で博多から数駅というのは驚きだし、天神から大名といったゾーンはけっこう遊べそう。(仙台の国分町界隈をおしゃれにした感じかなぁ。)福岡も住むのに悪くないなぁなんて思ったわけ。


2003年11月7日(金)

 ねむねむ。明日は朝早く起きて福岡だぁ・・・。起きれるか心配。心の優しい人は5時過ぎに僕を起こして。


2003年11月6日(木)

 こういう仕事をやっているとやはりサービスというものについて考えさせられる。思うにサービスには二種類あって、全体サービスと個別サービスというものがある。表面的には個別サービスをやっていれば仕事をやっている気になるし自己満足もある。だけど実は大事なのは絶対的に全体サービスだということ。特にマネージメントを求められる人間が個別サービスをやっていては組織が動かなくなってしまう。
 だからやらなくていいか、というとそうでもない。話が込み入ってくると出て行かざるえない。卒業研究について問い合わせメールを送ってきた僕より20年上の女性に20分くらいかけて丁寧にメールした。そうしたら、しばらくして返事がやってきたものだ、「大変恐縮しました」から始まる長いメール。それなりに繋がりを感じられる瞬間だ。だけどね、その時間を実は分析や調査の計画等に使うべきだったのかもしれないとも思うわけなんだ。


2003年11月5日(水)

 夕方いきなり学生課の課長さんから電話があって飲みに行くか?なんて言われたものだから、女性ばかりのこのセクションは「何かしら、何かしら」と好奇心ばかり。「また異動なんじゃないの?」と送り出されてみれば、単に誘われただけ。さらに上の方もいて、それも随分認められているみたいで恐縮しちゃった。「早めに実績はあげなさい」と言われたもののまだジャックが登る豆の木は雲の中。金の卵までは到達もできず。がんばろう、って思える飲みってありがたい。ただ、飲みに出たお陰で明日相当量やらなっきゃいけないかも。


2003年11月4日(火)

 タイで知り合って、春先には東京のご自宅まで押しかけてきたEさんから旅の報告。今回はシリアとレバノンに行かれたのだそうだ。仕事は厳しくこなされ、それでいて年数回は二週間くらいの旅に出る。そういう生き方もあるんだなって、ほんといい人と知り合ったものだ。チェコで知り合った人たちにもそろそろメールくらい出しておこうかな。


2003年11月3日(月)

 家でうつらうつらと過ごしていた。朝からサラダをたくさん食べて、ソファで意識が遠のいていくところを、選挙カーで起こされて、再び夢の世界へ。さて服でも買いに行こうかなんて思って、外を見ると驟雨。いろいろな人のことを考える、雨で閉じ込められたテントの中にいるときみたいに、あるいはテント布を流れていく幾滴もの滴を眺めるように。そうしてすっかり暮れていく。ぼんやりとした頭で本を読み、読み終える。
 イタロ・カルヴィーノの「冬の夜ひとりの旅人が」。いったい何日かけて読んだのだろう。この本は話の羅列から成っている。一つ一つの話は興味深いし、僕らは(主人公である男性読者も)そこに引っ張り込まれそうになるのだけど、突然話は終わる。話の続きが読みたい僕らが続きだと思って入手した本はまったく異なる話であり、それが繰返されていく・・・。面白かったのか、と訊かれたら、僕はわからないと答えるだろう。まるで煙にまかれたようなそんな本なんだ。

*

 吉田修一の「東京湾景」。彼の作品は「パレード」が素晴らしかったということもあって、本屋の新刊の山に思わず手が伸びた。日本人作家の新刊を買うなんて、村上春樹以外ありえなかったからちょっと驚きでもある。この作品、悪くなかった、・・・というか始まりから終りまで一挙に読んじゃったところをみると面白かったようだ。
 ようだ、と書くのは多分この小説が恋愛小説だと銘打っている照れみたいなものがあるかもしれない。例えば村上春樹が書く小説はほとんど恋愛小説と捉えてもいい。だけどそれは彼がスタイルとしてもっている中での恋愛であって、改めて姿勢を正して書きましたっていうものではない。例えば村上春樹が推理小説を書いてみました的な読者としての照れが、吉田修一の恋愛小説にはあるような気がする。
 吉田修一の小説は例えば島田雅彦のように斜に構えたり、山田詠美のようにわざとクールにふるまってみたりしない。何事も四つがっぷりに組んでみせる。たとえそれが「パークライフ」のような都会人の淡白なコミュニケーションだとしてもだ。だからここでは現代の恋愛観を正攻法でぶつかってみせる。小説の象徴もわかりやすい。東京湾岸を挟んで、しゃれたオフィス街と汗臭い港湾地帯。男と女はそれぞれそこに属し、心を通じ合わせようとする。りんかい線が彼らの距離を一挙に縮めるものの、むしろその間の歪は大きくなってしまう。結局は本心をさらけ出さなくては理解などできないのだ・・・というところに行き着くわけだ。結論ももちろん正攻法として出てくるってわけだ、それを笑ってしまうのは簡単だけど、笑えば何か大事なものに永久に背を向けてしまうとことになりそうだな、と読者は悟ることになる。
 しかし、難しい。自分を完全にさらけだすこと、さらけだしてもらえること、そういったことが本当に可能できちんと結実するものなのか。僕は信じているけれど、一方で何か諦めのようなものも感じている気もしないでもない。いつだって、いつまでも終りはないと信じたいけれど。そういうことを考えると僕はなんだかあるラインを超えて余分に生きているような気がするんだよ。


2003年11月2日(日)

 慶應の日吉キャンパスにお邪魔した。なぜか、ジャンバルジャンの人生みたいに絡み合った釣り糸と戯れていた。イベントが見れなかったけれど、話が少しでもできてよかったよ。
 夜、渋谷デート。厚岸の生牡蠣(うーん)だの、蓮根とブロッコリー入りの蕎麦パスタ(ふーむ)だの、レアに焼いた蝦夷鹿(ほほーぅ)だのを食べたであるよ。僕が女の子だったら参っちゃうね。でも僕は男だからまぁいろいろ考えるわけで。


2003年11月1日(土)

 11月。未だ読み終わらないカルヴィーノの小説をもって珈琲を飲みに外に出る。
 誰にも拘束されたくないくせにさびしがりや。
 僕の好きなピカソの絵、なんで好きなんだろうって思ったらほらこの男の人のキモチがなんとなくわかるからなんだろう。誰かのそばにいるくせに、何か違うことを考えてしまう。そういうところがね。でもこの女性なくしてこの絵は成立しない。

 

2003年10月31日(金)

 明治神宮、表参道、青山墓地とお散歩。志賀直哉とは会い損なったけれど、大坊にも入れたし、東京タワーまで見ちゃったし、いい日だった。どういう基準値かよくわからないけど☆3つあげていいよ。こういう日にはきちんと神様に感謝しなっきゃね。それで今は貰ったCD聴いてるってわけ。


2003年10月30日(木)

 異動して一ヶ月。ああ、受け容れられたなぁという実感。細かな苦情メールなんかに対処するのもいいんだけど、もう少しマネージメント力つけなっきゃ。一週ごとにある程度、目標を決めてやったほうがいいのかもしれないなっ。現業ばっかりじゃなく、もう少し戦略的なプランもあげていけるようにならないと駄目だよね。
 明日から4連休。どうしてくれようかって感じ。


2003年10月29日(水)

 ようやくADSLに復活。これでストレスレスなネット生活。
 視線がまっすぐぶつかって、どこかで会ったことあると思うんだけど、って言葉がそのときは結局言えなくて、実はその人が下のフロアにいたことの驚き。ちょっと意識してみる?


2003年10月28日(火)

 後ろの席の派遣の女性に「仕事おもしろいんでしょ?」って言われて、うんって頷くわけ。今日は先生とシステムの打ち合わせして、学生証のデザイン会社に会って、スクーリング用のホテルの業者に会った。そんな感じ。外部の人に会うのも少しずつ慣れてきたかもしれない。


2003年10月27日(月)

 R&B聴きながら夜。だからとっても気分がいいのです。このリズムにたゆたいながらずっと生きていけたらいいな。物思いなんか耽りながら、勝手に胸など痛めながら、誰かが訪ねてくるのを待ちながら。


2003年10月26日(日)

 学校祭というわけで高校生の進学相談。たいして仕事もなく、出し物みたりして呑気なものだった。教室をまわっていると、学生から名前を呼ばれたりするのだけど、顔を覚えていても名前がわからないなんてことばかりで失礼きわまりなかったり。最後は花火を見て、宴の後のあの一抹の寂しさを感じながら帰路へ。
 テオ・アンゲロプロスの「永遠と一日」。人生最後の一日の体験ということで、彼らしい詩的な映像美があるのだけど、いまいち受け付けなかったな。まだ僕は自分の人生と決着なんかつかないんだ。多分そういった点で何かが入ってこなかったからなのかもしれない。


2003年10月25日(土)

 自転車で気の向くまま走っていた。線路沿いに簡素な住宅街があり、総武線の電車がずらっと並んでいるような車庫がある。そのまま走っていくと井の頭公園。森の匂いがしてわるくない。吉祥寺の人ごみ抜けて、職場の脇を抜けて、家まで。知らないところに初めて行くと、常に自分はこんなところに住みたいかどうかとか考えるのだけど、井の頭公園の近くあたりなら悪くないかなぁと思った。(東京の住宅事情から考えると、きっと高いんだろうな。)家に帰って今日二回目のお昼寝したら外は真っ暗。
 ナンニ・モレッティの「息子の部屋」。イタリア・アンコーナを舞台にした映画。決定的な喪失によって変わってしまう日常、それを淡々と描いた良品だった。喪失は日常のバランスを微妙に崩していき、人はどうにかそれを克服しようとする。だけどもうそれまでの日常が戻ってくるわけではない、大切なものの欠けた日常というものにひとりひとりが慣れていくしかないのだ。最後の伊仏の国境あたりにある海岸風景と静かな音楽が印象的だった。強い絆のなかにある三人だけど、最後の海岸ではそれぞれ思い思いに歩いてみせる。エンディングを観客に、あるいは自然の流れの中に委ねてしまった分、深い余韻が生まれたのかもしれない。


2003年10月24日(金)

 東京の学生と一般の方総勢百数十名集めて懇談会を行った。全部しきってさすがに疲れちゃった。
 夜はうちの専任教員4人と飲みに行った。先生ってバカ話するのにも頭の切れがいいんだなと妙なところで感心してしまった。それと社会に擦られていない感じがする。たとえば学生のときの個性をそのままもっていて、表に出せる感じ。僕もそういうものはあって、たとえば異常にマイペースで天然ボケみたいなところがあるんだけど、そういうのって本当にリラックスしないと出せない。だからちょっと羨ましいななんて思ったよ。


2003年10月23日(木)

 ペイデイなんていうボードゲームがあったけれど、今日は嬉しい給料日。引越しに、夏の旅行の清算に、出張の取りやめなんかが重なって、lim0を越えてしまっていたくらいだったのだけど、一挙に打開。しかし、こんなことやってるようじゃダメだよな。少しは貯蓄という言葉も覚えなければ。
 上司と飲みに行ってこの女性が独身であることを知る。何か女っぽいところを感じさせるのもそれなりの理由があったわけだ。前任者の男性とふたりで二次会。こういう飲み会はこの職場では初めて。子供を持つ喜びをとうとうと語られて、洗脳されそうなくらいだった。しかし、この僕も親からは人並み以上の愛情を受けてきたことは間違いなく、きっといつかは親バカになる日もあるんだろうとそう思ってみたり。


2003年10月22日(水)

 最近、読書が遅々として進んでない。それなのにカレンダーの日付はどんどん変わっていくんだよね。
 職場は女性しかいないから常に誰々さんがどうのとかそういう話で盛り上がっている。学生の相談相手(メンターさん)は歳が上の方が多いんだけど、けっこうあっけらかんとしていて面白い。生きることに長けているなぁってホント思う。大抵のことにあははって笑っちゃっているんだもの。
 実は修論書いていたときも一緒にPCに向かって卒論やってたのが女の子ばかりだったから同じような状況だった。女の子って瀬戸際でがんばっているとつーんという甘酸っぱい匂いがするんだよね。みんないずれ結婚とかしちゃうんだろうなぁ。


2003年10月21日(火)

「心理学は誘う」  

 うちの部には部付きの先生が4人いらっしゃる。だけど大学業務を含めてサラリーを貰っているせいか、先生といっても象牙の塔にこもっているような国公立の理系タイプとはかけ離れていて、半分職員と教員の中間みたいな役割をしている。S先生が卒業研究のガイドを明日ネット上にUPしたいと言ってたので、一応すべての資料に目を通してみた。卒業研究の申し込み用の査定用紙の書き込み例が心理学の研究についてだったのだけど、この内容が案外面白かった。参考文献としてシャイネス(シャイの名詞形?)と身体との関係についての例が載っていて、自己の身体の劣等感や優等感のようなものが積極性と関係しているというのだ。確かにそういうことはあるかもなって思ったよ。美人というのは注目されて得なわけだけど、それが能動性や積極性を生み出すことは間違いないと思うんだ。大学の窓口に来る子も、はっと思えるような綺麗な子ってすごく積極的だものね。面白い連関。(・・・ということで興味のある方は、うちの通信教育部へどうぞ〜っ(笑))それは兎も角、折角心理学分野を勉強するひとたちをサポートする立場にいるんだから、僕も少しくらい勉強してみてもいいかもなんて思ったわけ。


2003年10月20日(月)

 平日の日に休みを貰ってNTT回線繋げてもらったり、ようやく転居届け出してきたり。
 そうして夕方を迎える。平日の夕方はほんとうにゆっくりと暗くなっていく。買い物袋を提げた人たちが下の通りを歩いていき、近くの短大の子たちが笑いながら自転車で家路に帰っていく、スーツ姿の父親と子供が手を繋ぐ姿・・・、そういう夕方の風景が暗闇の中に溶けていく。僕だって何度も体験した夕方の風景。確かにそうした風景を僕ももっていて、もうそれは過去になっていて、現在形の夕方と一緒に溶けていってしまう不思議。夕方の風景の中でひとりでいることほど、孤独を感じることってないかもしれない。なんだか置いてきぼりになったような気がしちゃうんんだよね。家族の待っている家に急げない寂しさみたいなものがあるんだよね。
 
 ジム・ジャームッシュの「ゴースト・ドッグ」。サムライ道を、黒人の殺し屋に体現させるというストーリー。様式美みたいなものを意識しているんだろうけれど、日本人が見ると、アメリカ人の憧れくらいにしか思えないわけで。彼らは様式があるということ自体をどうやら好むようで。


2003年10月19日(日)

 渋谷で北野武の「座頭市」を観る。
 海外のことを考えてのことか、あるいは彼自身の特質なのか、この映画は日本が昔からもっているリズムでつくられている。つまり、緊張感のあるシーンと間延びしたような緩慢なシーンのくり返し。しかし、それが今を生きている僕らにとっては斬新なものだから不思議だ。北野武が日本文化の担い手なんて誰も思いやしないけど、でもこの映画では明らかにそうした一面をもっているし、これが海外で受け止められることを考えると、担い手なんだろう、と思うしかない。緩慢なシーンと緊張のあるシーンを繋ぐことはソナチネでの享楽的な南国風景とピストルをもて遊ぶシーンにも出てくるから、それなりに北野武の特性なのだろう。それがきちんと日本の伝統というものにかち合ったということになるのかもしれない。
 ただ表現としては「dolls」と比べて後退しているんじゃないのかな。計算はしているけれど、表現としての計算というよりは、むしろ興行的な計算、映画構成としての計算に終始しているような気もする。この映画は映画そのものに痛みがないっていうところも大きい。これを作り出しても別に世界は何ら変わらないという点でやはり「dolls」「キッズリターン」「HANABI」あたりと比べると落ちるかなぁ。
 ただひとつひとつのシーンはよくできている。農民が犂で耕作するシーンや大工が槌を叩く音を音楽にしてしまうところは驚いた。こんなの今までビョークの例の映画以外でお目にかからなかったから。しかし、この辺は音楽を生み出したのではなくて、音楽が先にあってその後に演技があるわけだけど。
 俳優は浅野忠信がよかった。これまで、とぼけた役や大雑把な人間という役ばかりだったような気がするけれど、ここでは凛々しい用心棒をやってみせる。ここでは彼のほとんど素っ気無いような演技が逆に真実味を与えているような気がする。斬るか、斬られるかの世界では、オーバーアクションの介在する余地などないのだ。素っ気無く、クールに相手を斬るか、あるいは呆気なく斬られるかの選択肢しかないわけだ。
 *
 映画観てから、代官山周辺を歩き回った。これまで繫がっていなかった自分の頭の中の地図が繫がった。夕方、家についてからぐっすり。
 
 目が覚めて、「ディナーラッシュ」を観た。NYのイタリアンを舞台にしたクールな映画だ。出てくる料理の多彩さに、思わず観終わったあと、美味しいものが食べたくなった。レストランにやってくる人たちの物語が各テーブルで同時進行で進み、忙しい厨房とをウェイターウェイトレスが繋いでいく。そうした雑多でまとまりのないストーリーになりそうなところを最後にまとめたのは見事。音楽、設定とクールでかっこよかった。特に料理長の男(なんという役者なんだろう)の目つきが鋭くって気に入った、この映画がピリッとしたのも彼のおかげのような気がする。あとそれに惚れてしまう女性客も何気に巧かったと思うよ。


2003年10月18日(土)

 コーエン兄弟の「バーバー」を観た。よくできていると思う。日常の流れているものたちをただ表面的にではなく、その中にあるものを見ていこうという試み。しかし、ものに内在する意味を掬おうとすればするほど、それは勿論表面にあるものと違う意味を有し、その差異だけが際立っていく・・・。
 この映画の中で出てくる辣腕弁護士の言っていたこそ、コーエン兄弟がこの映画で(あるいは違う映画で)やろうとしていたことなのかもしれない。弁護士は相対性理論をもちだして、変化していく物事を捉えることの難しさを語る。(このあたり、ぱーっと流し見してしまっているので気になる人は見て下さい。)あるいは、裁判のときに事実ではなくて、事実の意味を見て下さい、と語ってみせる。
 しかし、結局主人公がそうであったようにものの意味を見出しても、それに新しく沿い直して生きていけるわけじゃない。だって、僕らの人生は大体において表面が意味をなすわけだから。そうやって書くとこれはペシミスティックな映画なのかもしれない。意味を解き明かすことには、実は意味がないのだという逆説的な映画。
 しかし人は表面だけを追うことはできない。そう、この映画でいえばバーバーとしてただ髪を切り続けることなんてできやしない。・・・いや、しかし、どうなんだろう。案外、普通に生きている人というのは、(僕も含めて)内在する意味など知ろうとはしないんじゃないのかな。僕らはあるいは内在する意味が違うことを知っているがゆえに、そこに目をそむけて表面的な喜怒哀楽に生きているのかもしれないな。
 意味を知ろうとすることがペシミスティックなんて、ああなんてひねくれているんだろう。


2003年10月16日(木)

 日が経過するのは早いよ。僕は新しい仕事場に前の人とちょうど入れ替わって入ったんだけど、ぜーんぶそのまま業務移管なんだよね。上司から「(入学者の)入金はいつになる?」なんて突然聞かれたり、ふと開いた厚いファイル(スクーリング)の業務が実は自分に勝手に引き継がれている業務だったりして、あれもこれもって感じ。専任職員が三人しかいないってことで言うなれば、ほとんどの業務が自分のマネージメントしなっきゃならない業務ってことになるわけだけど。業務の効率化を図るためにやたらとアウトソーシングの会社が多くってそことのやり取りだけでも一苦労。やり方が悪いのか、どうなのかよくわからないけれど、派遣の方々みたいにすんなり帰宅って感じにならなくて、毎晩ひとりでPCに向かってたり。


2003年10月14日(火)

 雨の夜。雨だれが夜の調和を崩すように音を立てる。この一滴一滴が僕の思考の流れを寸断するから、古い記憶は散らばっていくばかり。


2003年10月13日(月)

 代官山デート。東京育ちのはずなのに、代官山には一回しか来たことがないなんてのたまうお嬢様。鉢植えで丹精に育て上げられた朝顔の花。多分人を否定的に見ることなんて考えもつかないだろうし、すべてにおいて肯定的な世界が広がっているんだろうなって感じたよ。しかしだからこそそこに入っていくことに迷いがある。


2003年10月12日(日)

 のんびり起きて雨模様。昨日新幹線で読むために買ったエスクァイアをぱらぱら。そのデザインに思わず触発されてHPをいじろうとするけど、自分のつくったHTMLの構造がわからなくなって意欲が削がれる。気付くと床の上に伸びて眠っている。はっと起きていったい自分は何をしていたんだろうって考える。そんなぼんやりとした休日。これから雨上がり濡れた道走り抜けて、電車に揺られて、きっと居眠り揺られて、横浜みなとみらいでギドン・クレーメルなる人のヴァイオリン・リサイタルを聴きにいくのです。

 *
 ヴァイオリン聴いたあと(これまで聴いた中で間違いなく一番だった。)、静岡から遊びにやってきた弟と落ち合って、軽く飲んだ。


2003年10月11日(土)

 S先生とともに名古屋へ。のぞみに乗って、ひつまぶし食べて、学生さんたちに出会って、会をアレンジして、お酒飲んで、たくさん話して帰ってきました。仕事の意欲も↑なわけで。


2003年10月10日(金)

 消防署の講習会受けに二日連続で隣隣町へ自転車で。同じ東京といっても、そのあたりは随分不便そうなイメージ。薬局の化粧品ポスターの女優の顔が違和感すら与える。人は東京という言葉を聞いたとき、いったいどこをイメージするんだろうか。銀座も、渋谷も、新宿も、青山も、下北も、浅草も、ここも、あそこも東京なわけで。明日は名古屋出張。

 

2003年10月9日(木)

 飲みに誘われて僕はただしゃべってる。相手が求めているものを手のひらにとって、それからゆっくり考えて。


2003年10月7日(火)

 包み込まれたい。スーツ姿、秋の夜道を自転車で走るとどこかに置いてきぼりになったような気がしてくるよ。そっと誰かが手を伸ばして、僕を連れていってくれたらいいのにな。食卓テーブルの向こうでそうだねそうだねうんうんって頷いてくれたらいいのにね。だけど自転車は走っていく。置いてきぼりにされたのか、何かを置いてきぼりにしてしまったのかもわからないままにね。


2003年10月6日(月)

 今回の異動で僕が一番期待されている業務というのがシステム対応ということになんだけど、今日始めてシステム開発保守をやっているSEとの打ち合せがあった。海千山千の兵がやって来るんだと思っていたら、静かな声で話す僕と同じ歳のSEがやってきたから逆に拍子抜けした。相手は僕がSEを続けていたらという仮定の今の姿でもあり、なんだか親近感がもてたというわけだ。人見知りしない性格と形容されてしまった僕はここでも結構楽しく話せたってわけだ。きちんと話すべきところは話したし、どうやら僕の初戦場に聞き耳立てていた周りの方々からも合格点を頂けたようだ。少しずつ、ここに溶け込んで業務に歯車が噛み合いつつあるような気がする。

 ・・・最近仕事のことばかり書いているから、別視点の世界のことも書いていかないとダメだな。


2003年10月5日(日)

 二連休というのは当たり前のようで当たり前でなかった。よっぽど疲れていたのか、土曜日はひたすらうたた寝ばかりしていた。日曜日ようやく身体が元に戻ってきて、渋谷まで出て「フリーダ」を観てきた。
 その後、表参道をひとりでぶらぶらしていてカフェでこの映画を観て思ったことをノートに綴っていたのでそれをそのまま写すことにしよう。

・・・メキシコの画家フリーダ・カーロをヒロインとした映画。他のメキシコ映画にもれず、ここでも開けっぴろげな開放感、性や生の放逸といったものがみられる。しかし、メキシコ映画は常にその人の内に深い喪失感などが根を下ろしていたように思う。このフリーダの身体の中には強烈な痛みがある。それは交通事故によってバスの鉄棒が体内を貫通したときにできた物理的な痛みであり、またそこから繫がっていく精神的な痛みである。痛みが彼女を芸術に向かわせ、貪欲な生に駆り立てる。力強い生への希求。
 北の映画が抑圧された生や性への膨張点のようなものに焦点を当てていれば、南の映画は開けっぴろげな生や性の高まりの合間に起きる一瞬一瞬の憂いやメランコリーのようなものを扱っているってわけなのだ。
 人生において常に死は隣りあわせであり、哀しみや絶望といったものはつきものだ。村上春樹は死は生と別個に存在するのではなく、生とともに今ここに存在すると言ってはいなかったか。結局、僕らの世界に死や喪失はいつかは必ず訪れるものであり、僕らはそれを予感しながら生きているんだ。
 哀しみや絶望を、表面的にまるで長い冬に木々を覆う雪や氷のように帯びているのが北の生き方だろう。北の人々は痛烈に春を求める。春というものが、幾分やらしさというかコントロールできない性というものを意味するのも当たり前のことなんだ。
 哀しみや絶望を奥に秘め、敢えてそれを忘れたかのように振舞って生きるのが南のやり方だ。でもときどき、賑やかな饗宴の後に取り残された寂寥感のようなものがふと心に現れたり、消えたりするってわけなんだ。
 映画に話を戻そう。開けっぴろげなストーリーの中に、計算されたような美術的効果が巧かった。芸術というのは生の一瞬一瞬を捉えるものだと僕は理解しているが、スローな映像の中に僕らもその一瞬をつかめるのではないかと錯覚できた。交通事故の金箔が空を舞うシーン、アパートの窓の外に残された服のシーンなんかがよかった。
 北と南、閉鎖と開放、生き方も語り口も違うけれど、結局僕らが語りたいのは一つだと思うよ。その芯にある生なんだと思うんだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 と書いてあるとおりに写したけれど、話の展開の仕方が幾分おかしいよね。赤ペンで論理の展開にチェック入れたくなっちゃうところだけど、もう眠いからまた今度ということで。
 
 週末に読み終えた本。「柴田元幸と村上春樹のもうひとつのアメリカ」三浦雅士。まるで自分のために書かれたかと思えるような本。村上春樹とオースター、ミルハウザー・・・僕の大好きな作家たちをなぜ読まずにはいられないのか、それが親密にここでは語られる。
 敗退本。ジョイス「若い芸術家の肖像」。うーむ、引っ張り込まれることもなく、数十ページめくったところでストップ。いつか面白くなる日がくるんだろうか。ヴァージニア・ウルフの「ダロウェイ夫人」に続く敗退であります。忍耐力や集中力にあるいは欠けているのかもしれない。


2003年10月3日(金)

 朝職場まで行ったら入り口のところで前の部長に会う。「心配になって見に来た」なんてにこにこしながら言う。「きっと宝物手放しちゃったのよね」と上司の女性は言うわけ。ありがたし。
 午後から上司の女性と二人で大学まで行ってくる。この方の服やバッグや指輪やらのセンスが僕的にとってもよくて、横を歩いているだけで少し嬉しくなってしまう。歳は十も二十も離れているんだろうけど。早く右腕になれるようになりたいな。というかならなっきゃダメなわけだけど。
 ここの職場ではシステム部分を引っ張っていくように言われているので、どうにかこうにか自分なりにまとめている最中。これまでシステム部門の中心でがんばってきた女性がなかなか鋭い方なので、まずこの方と協力しあえるところまで自分のレベルをあげていかなくては。
 一応、今考えている僕の初手はHPのアクセス解析。通信なのにやっていないなんて逆に信じられないところだからとりあえず最初はここから僕の色を出していこうかなんて考えてる。他にいくつかビジネスとして面白そうなことも思いついたので、おいおいやっていこうかなんて思ってる。仕事ってやりようによっていくらでも面白くなるってことを知って本当によかったよ。


2003年10月2日(木)

 駅前の通信教育に異動になって、ここは僕以外すべて女性、そして僕が一番年下。もちろん社会経験も、大学での勤務経験も一番下。なのに、専任職員の立場上、マネージメントが求められているってわけ。こういう場合はどうしたらいいんでしょうね。
 新しいところへ行くと、周りは当たり前だけど、こいつはどれだけできるんかいな?、って感じで観察する。女性の場合、特にそれが強いような気がするかな。サッカー選手じゃないけど、早い段階である程度成果を出していく必要性を感じる。信頼さえ得られれば、まぁどうにかなるってものだけど。
 とりあえずは新しい仲間たちの実力を素直に認め、学ばせてもらうこと。自分のいいところ(構想力と論理的に組み立てる力)をうまくそこに調和させていくこと。みんなで仕事を面白くすること。


2003年9月28日(日)

 週末フル出だったから今週はたくさん働いた。がんばりましたで賞とか貰ってもいいくらいだよ。延々とやっているうちに仕事があることに似ていることに気付いた。これは修論の研究に似ているんだよ。なんかこんなふうに日曜もやってたぞ、とか思い出したってわけ。やっている内容も、共学化で教室の机椅子の規格を変えると収容定員も変わるよというレポートみたいなのと、今後5年くらいのAV機器の整備計画だったりするわけで、理論づけしていく作業は同じようなものだ。どれくらい説得力のある資料をつくれるか、それが問題なわけなんだものな。
 しかし、誰か優しい人ががんばったねって言って後ろからそっと肩にでも触れてくれないものかな。なんて書くとまた甘ったれだとか何とか言われるんだろうけど。


2003年9月26日(金)

 今日はなぜかもてた。自分が女だったとしたら、自分みたいなのを選ぶものかなぁ。


2003年9月25日(木)

「やがてここからいなくなること」 

 僕が抜ける代わりにうちの課には違う課から二人入ってくるということになったらしく、僕の業務を誰に割り振っていくか先輩たちが考えている。自分の居場所がなくなっていくというのは何となくさみしいもの。それでいて自分がいくセクションはまったく違うところにあるからイメージすら湧かない。
 仕事は来月の10日あたりを目安にしていたのが全て今月いっぱいになってしまったから大変。日が変わるまでこつこつやってるってわけ。といっても、明日は助手の女性たちと飲みにいくことになっているんだ。こんな機会は僕の人生の中でもまぁ滅多にないことかもしれない。女の人ばっかりの飲み会ってなんかうまく想像ができない。


2003年9月24日(水)

「自分の限界を突き抜けてしまいたい」 

 帰り、隣の席の先輩とラーメンを食べて帰って来る。ラーメンというものを久し振りに食べたけれど、そんなことはどうでもよくって、新しいセクションでの仕事の進め方をいろいろ伝授してもらう。求められているのは、マネージメント能力だ、と先輩は言い切る。僕が唯一の男となる仕事場だから、間違いなく周りもマネージメントし、コントロールしていくことを僕に求めてくるはずなんだそうだ。それから外部のシステム会社や広告会社を選定していく中で本当に優秀な人と付き合っていく必要があるよ、と言う。HPを含めた宣伝方法の再考、競合大学のチェックと先駆け、現在の学生の分析、システム運用の改良・・・やることはいくらでもあるよと先輩は次々例をあげてみせる。そのためには、この四ヶ月ほどで培ったもの(計画から具現化まで基本的な業務の遂行の仕方、コミュニケーションのとり方と仕事の分配の仕方・・・)をうまく活かしていくのは勿論、ある程度始めから自分というものを強烈に打ち出していく必要があるのだろうと思う。僕は兎に角立ち止まれないようなところへやってきてしまったらしい。今は表の道をどれだけ走れるのか、あるいは飛べるのか、自分に限界はあるのか、そんなことに興味がある。


2003年9月23日(火)

 秋分の日。朝から透き通った青空に心地よい風。洗濯機をまわしながら、今日は映画を観にいこう、と決める。といっても、ネットなし生活だから何がやってるかがよくわからない。とりあえず渋谷まで行って映画館でもまわってみることにする。北野武の新作は込み込み(さすが東京)でパスして、ライズで「アダプテーション」を観てきた。この映画、結構面白い。にやにやできるという意味で面白い。セリフの呼吸やタイミングが結構練られている感じがした。「マルコヴィッチの穴」の脚本家が、新しい仕事に悩みに悩むというお話。これを観ると、ほんとうに悩んだのだな、という感じがする。どこまでが狙いなのかわからないけど、女性記者である主人公(メリル・ストリープ)が奔放な生き方をするラン栽培家の男に接するうちに自己の人生を見直していくようなややまじめなストーリー(=脚本家に依頼された元本のストーリー)と、ニコラス・ケイジ演じる悲観的な脚本家がそのストーリーを構成していくコミカルな姿が同時に語られる。勿論この前半で面白いのは脚本家が悪戦苦闘する姿である。しかし、あまりに考えすぎる余り、リアルワールドで女性記者に急接近していき、ストーリーはとんでもない方向に引っ張られていくってわけなのだ。最後はストーリーがコントロール不能になって、アクション・スリル・人生ドラマの入り混じったひっちゃかめっちゃかの様相になっていく。ある意味、ひっちゃかめっちゃかになってしまうのも、この脚本家の才能なのかもしれないけれど。こういう映画はあまり深読みせず、あははって楽しむのがあるいは一番いいのかもしれない。


2003年9月22日(月)

 突然、異動を言い渡された。異動先は大学ではなくて、駅前にある通信教育部。
「早く帰れそうだよねぇ」なんて女性の先輩は言うけれど、本心としてはもう少し今の部署で力をつけたかったかな。それにしても自分の生き方って展開が目まぐるしいって思うよ。


2003年9月21日(日)

 オペラシティで維新派(松本雄吉・演出)の舞台「nocturne −月下の歩行者−」を観てきた。精緻で凝った舞台美術の連続に、舞台全体で常に様々な動きがあり、まずそれに驚いた。そうして中国と日本という空間軸、現在と戦時中という時間軸を織り交ぜて、物語が進んでいく。しかしこの物語はストーリーがはっきりと示されているわけではない、イメージの羅列としてみることもできる。だから、そのイメージの連続を咀嚼して繋げることを観客は自分でしていかなければいけない。これは宮崎駿の映画を実際に三次元に開いて、そこから個性のあるキャラクターとストーリーをばらばらと寸断したものと考えてもいい。理解する努力によって、作者の意図が飲み込めたときそれは大きな感動になるだろう、しかしその作業で追われてイメージを繋ぎきれなくなった人にとってはただ凄かったとしか形容できないことだろう。僕は、ただ凄かったと呟き、会場を後にしたのではなかったか。
 雨の恵比寿で飲む。話も合う、好意も感じる、なのに僕の中で何かが駆動しない。


2003年9月20日(土)

 夏休み終わって学生が構内に戻ってきた。これから二週間は履修相談。雨の土曜日ということで出足は遅くしばらく閑古鳥が鳴いていた。答えるのがきつい相談もあるかと覚悟していたけれど何だか拍子抜け。昼過ぎにはさっさと家に帰ってきて、久し振りにのんびりした。


2003年9月19日(金)

 ここのところ帰りが遅くなって蕎麦ばかり湯がいて食べてる。蕎麦、柿ピー、ビールの三点セット。何の栄養が足りないかしら。
 仕事のほうは派遣さんが優秀なので上手くまわってる。それにしても、いい仕事仲間もったと思う。各自、得手不得手があるけれど、僕の得手はやっぱり構想力と踏ん切りの良さというところにあるような気がする。(学生時代の研究や、衝動的に思い立つ旅の経験、物語の構築、それからこのHP作成なんかも仕事に有効に働いているってことなんだよ。)僕が描いたイメージを派遣さんに説明して、実際にそれが具現化していくときの面白さっていったらないよね。
 他のセクションの仕事ぶりみていると、かなり受身的にこなしてたり、事務仕事だけに専念しているところもあって、そういうのって今の僕には我慢できないなって思う。やっぱり何かを能動的に生み出していきたいし、自分の中で作り出したイメージを具現化できる仕事でなくちゃやれないなって思うよ。 それが許されるセクションに配されたのは運がよかったと思う。No Imagination 、No work!(イマジネーションのない仕事なんて!)


2003年9月18日(木)

 やはり競技場でイナズマンしすぎた。ここに来て、脳の回転が鈍り気味。昆布のようなものが脳の歯車に引っ掛かってきれいに回ってくれない感覚。まぁ頑張っているお陰か、課では仕事をやっていても一体感を感じるわけだけど。忙しいけれど、仕事そのものには不満がないし、面白いものでもあるし、常に自分の能力を引き出すようなチャレンジであるわけだから本当に恵まれているなぁって思う。


2003年9月17日(水)

 僕が初仕事として計画した教室機器の納品日。教室を回って、新しく導入したプラズマディスプレイやDVDなどをチェックしてみる。学生が20人くらいたむろっている部屋があって、そこでDVDの映像をチェックして、ついでに後ろ振り返って学生たちに「どうですか、よく見えますか?」なんて訊いてみたら、一生懸命お世辞を言おうとしてくれるのでちょっと笑っちゃった。
 しかし業務は既にオーバーフロー。教員やら業者やら次から次へと人に会って話をしてふらふらになっちゃったよ。


2003年9月16日(火)

 ちょっと仕事やりすぎた。マラソンにたとえると、よーいどんの競技場の周回コースで先頭にたった市民ランナーみたいな感じ。まだ42.195−αkm残っているんだからこんなにやるんじゃなかった。全体のペースを配分できなければ、競技場をトップで出て行っても意味がない。そういえば大学時代の駅伝大会で最初の周回コースをトップで走るとイナズマン賞なんていうのが貰えてたっけ。


2003年9月15日(月)

 日比谷の帝国劇場で「レ・ミゼラブル」を観てきた。俳優たちの声の張り、舞台の巧緻さに驚かされた。革命のシーン、ジャンバルジャンがマリウスを助け出す地下道のシーンなんかの舞台設定なんか上手かった。
 その後、二子玉川へ出て夕方の川を眺めていた。いつものように、川を挟んで二つの駅があって、その間の橋梁をブレーキをかけながら緩慢に私鉄が走っていくのはなんともよかった。この辺りは東京にしては空間が広くて、のびのびとした気分になれる。友達のうっすら染まった頬を眺めていられるのも小確幸。


2003年9月14日(日)

 オープンキャンパス。相談会場の総合というところに回されたから、全ての学科について万遍なく高校生の質問を受ける破目になった。愛想良くぺらぺらとしゃべっている自分がいて、なんとも不思議な気分だった。僕って口下手だったんじゃなかったけ。最後の子とは向こうもしゃべりやすい相手だと思ったのか、延々と話していて、気付いたら手伝いの学生たちが二十人くらい廊下で終わるのをてぐすね引いて待っているなんて状態になっていた。
 それから平日と同じように仕事片付けて帰ってきた。帰りも自転車で学生と話しながら。ときどき本当に不思議な仕事だって思うよ。


2003年9月13日(土)

「スペア」

 洗濯機を札幌から送ってもらって、ぐるぐる巻きの包装を取り払って早速組み立てようとして、部品がひとつないことに気付く。蛇口と直結させる部分の器具だけが消失しているのだ。札幌に電話してみても困惑のみ。この忙しい自分がその器具ひとつのために生産している会社から取り寄せたり、受け取ったりしなければならないかと思うとちょっとうんざりしてしまった。暗くなった夜道、自転車で一分くらいのところにあるディスカウントストアまで兎に角行ってみた。洗濯機コーナー、やっぱり新しく買うとなると二万数千円レベルだよな、なんて横目流したら、必要とする器具がちゃんとあったのでした。拍子抜けするくらいに普通にそこにあったわけなのです。今日、学んだこと、何事にもスペアというものが存在する、そしてそれは案外簡単に手に入るものなのかもしれないってこと。何かを失っても、それは何かで代替されてしまうっていうこと。ああ、これが21世紀なんだな。


2003年9月12日(金)

「東京住宅事情と大学事情」

 クーラーのきいた人工的な空間なのに、外からは虫の音が聴こえてくる。隣には誰が住んでいるか全然わからない、壁の向こうからどこぞの言葉ともわからない外国語が突然聞こえてびくっとしてみたりする。まぁここは気取らないアパートってわけだ。先輩がどういうところに引っ越したの?って訊いてきたから、大学職員がこここに住んでいると言われてその人が大学職員になりたいとは思わないようなアパートですね、って答えてみせたりしてるわけ(勿論半分うけ狙いだよ)。と書きつつ、別に不満があるわけじゃないんだけど。
 巷では都心回帰ということで、無料で配達してくれている日経の広告にも都心部マンションが随分と紹介されているんだけど、うちの大学もそのご多分に漏れず、なんと新宿進出を企てているっていうから驚き。学生のブランド志向等の調査や明確な将来構想がなければ認められないっていうのがうちの課の意見。しかし、少子化が進む中で凌ぎを削っていかなければ生き残れないのもまた事実なんだよね。実際、来年度からは共学化してみせたり、新学部つくってみせたりするわけだ。今日はトップ30構想とも言われるCOEと対になるCOL(特色ある教育を行っている大学)にうちがめでたくも選出されたということでNHKが早速やってくるぞとかなんとかどたばたしてたり。手は次から次へうっていく必要がある。僕が採用されたのもそれを支えるための一手なのかもしれないわけだけど。


2003年9月11日(木)

「一兵卒もやがてはね。」

 部での会議、そうしてようやくどのくらいのレベルの会話がここで交わされているのかわかってきた。それはちょっと見晴らしのいい丘の上で戦の様子を眺めとることができるようになってきた、っていうことだ。自分ならこういう戦術をとるだろう、と考えることができるようになってきた、ということだ。僕は自信をもっていいとそう思った。この三ヶ月常に負荷をかけられてきたおかげなのかもしれない。まだ発言は控え目にしているけど、いずれはここでしっかりと自分なりの論証でもできるようになれたらと思う。そのためにはまだ必要なものはたくさんある。声のトーンや話の展開方法といった会話術、ユーモア、知識・・・。せっかく選んだ仕事だから、僕は絶対面白くやってやるつもりなんだ。
  
 カフカの「アメリカ」について。
 この小説の不思議なところは展開がまったく読めないということだ。誰でも小説を書く時は、ある程度ストーリー展開というものを予測して書くだろう。何が出てくるか自分でもわからない、なんて最新作で語っていた村上春樹だって、一応はある程度のラインを無意識的にせよ考えていたはずだ。だけど、このカフカの小説は無意識的にもストーリーの流れというものを、作者自身が知らなかった節があるってことだ。はっきり言ってしまえば、ストーリーの流れ方はめちゃくちゃといってもいい。話がA→B→C→Dと運んでいくとして、普通はAはDの伏線になるはずだろう、少なくともAはDと何らかの連関をもっているだろう。だけど、ここではAとDに連関がほとんどない。AとDの間に何らかの必然性が見つからないってことだ。そうやって読んでいくと、読者は仕方なくDのあとに出てくるEが全てを繋げてくれるのだろうと期待する。カフカはそんなことを知らぬ存ぜぬといった体で話を進めていく。そうしてエンディングはいつものとおり、ぶつりだ。まるで編集中の映画フィルムに目をつぶってハサミをいれて、ここで終りにしようと言うようなものだ。読者はいつものように、最後の最後まで来て放り投げられるってことなんだ。意味を理解するなどできるわけがない。読者は困って、どういうことなんだ?って途方にくれるに違いない。しかし、勘のいい読者ならここであることに気付くだろう。なんと作者のカフカ自身も自分の横で途方にくれているじゃないかって。だから仕方なく、僕らはなぜ僕は(カフカさんあなたは)ここまで来てしまったのですか?迷ってしまったのですか?と自問自答しなっきゃいけないっていうわけだ。それがカフカの作品の魅力なんだよって言ったらわかってくれるかな。


2003年9月9日(火)

「余裕が生まれた」

 まだダンボールに囲まれた生活ではあるけれど、調味料(塩)が見つからなくってパスタづくりを断念したりしているけれど、少しずつ生活の基盤が整いつつある。とにかく、学校まで自転車で7分というのは素晴らしすぎる。夏休み中ということで未だに私服で行けるから(ちなみに私服なのはうちの課と隣の課だけだ)気分はほとんど学生だ。自分にはまだ未来が広がっていて、誰からも束縛なんかされないし、自由なんだって思えることって本当に悪くない。
 通勤時間が大幅に削減できたおかげで朝と夜に時間ができた。九時まで仕事をやっても九時過ぎに家に着く計算。十時までやってもそんなに苦じゃない。本も読めるし、料理もつくれるし、睡眠もとれるということで生活にずいぶん余裕ができた感がある。
 そしてここは前の家に比べて便利でよろしい。アルコールも帰り道気軽に買ってこれるから摂取量が思わず多くなりそうだ。夜飲みに行ける近所友達が欲しいなんて思ってるけど、それはちょっと贅沢かな。 


2003年9月7日(日)

「新しい街、新しい生活」

 随分とスピーディーな引越しだった。家探しを始めて、引越し終了までたったの二週間。それも週末だけで全てこなしたわけだ。金曜の夜は荷造りに追われて気付けば朝。半分眠りながらテーブルを解体していて、こりゃダメだということで仮眠。昼前に一挙に仕上げて、クロネコに荷物を明け渡す。
 日曜は家の掃除に近所の挨拶もやって、それから不動産会社経由して、新しい街へ。駅前のサイクルショップで早速自転車を購入。その自転車に乗って、地図見ながら、新しい家発見。(自分の家のくせに地図がおかしかったせいで結構迷った。)
 ガス繋げて、荷物受け取って一段落して、家の周りを自転車で走り回る。大学までは大体自転車で7分くらいかな。駅までもそれくらい。適当に走り回っていたら、国木田独歩の碑があってちょっとじんわりした。ここは「四月物語」の地なわけだものな。
 駅前はふつうに賑やかな感じ。前いたところがいたところだけに、都会に出てきたばかりの田舎者という感じでデパート?のエスカレーター上って喜んでいる。本屋もあるし、喫茶店もあるし、やるかどうかわからないけど会員制のスポーツクラブもあるし・・・言うことなしって感じ。前の家の周りにはそういう類のものが一切無かったわけなのです。
 まだ荷物は全然片付いてなくって、ダンボールが山積みになっている。まるで遺跡の発掘現場みたいだ。やがて何かがみつかるんだろう。この街でなにかがね。


2003年9月5日(金)

「しばし休止です」

 この仕事をはじめてわかったこと。自分は結構話好きなのだということ。それから会話のゲームメーカーみたいなものになることが案外好きだっていうこと。あっちにふったり、こっちにふったり、皆が楽しそうにしていると何だか嬉しくなっちゃうんだよ。
 さてさて、ただ今12時間近。そろそろ引越しの準備はじめます。予定としては3時までやって、残りを明日おきてからやっちゃうつもり。それから、しばらくネット(更新)できないかもしれないんだよね。個人的に連絡とりたい方は、harukatabi@jp-t.ne.jpまで。


2003年9月4日(木)

「月面歩きの方法」

 あっという間の一日。新しい靴をおろして、まるでふわふわと月面でも歩いている心地。まぁ地面に足をつける必要もないものね。自分の抱えている業務量とか考え出すときりがないから、宙に浮いているくらいがいいんじゃないかななんて。
 夜中に蕎麦を湯がいて食べている。そうだ、蕎麦屋めぐりをしよう、なんて膝を打ったときに、「いいね」なんて言ってくれる友達が欲しいなぁ。


2003年9月3日(水)

「溺れ泳ぎとR&Bなドライブの夢想」

 課を横断しての業務、進捗を報告して、すんなり終わるはずが、舟が引っくり返った。まぁ立て直すこともできるんだけど、問題は時間。他の業務とうまく調整して計画的に進めていたから、これで一挙にタイトなスケジュールになってしまった。「もうアップアップですか?」という先輩の質問に、「溺れながら泳いでいるって感じです」なんて受け答えができる分、人がくすりと笑うのを確認してる分、まぁ余裕があるのかもしれないけれど。女性の先輩も「わたしかなりてんぱってきたよ」って言うから、「僕もかなりきてますね」。横の先輩も「オレもやばい」ときたもんだ。まぁ皆そんなものなのか、なんて安心してみたり。
 引越しの用意など進むわけもなく、ビヨンセのアルバムなんか聴いてる。スローテンポのリズムにのりながら、伸びていく声が悪くない。ネオンが舗道に伸びる夜の街でもドライブしたい気分。そうやって瞼に浮かび上がってくるのは札幌、豊平川沿いの夜景。生きることと同じように、自分がどこに行きつくかわからないような、そんな夜のドライブしたいね。


2003年9月2日(火)

「流れ」

 冷凍庫からバーボンを取り出してグラスにいれる。液体は少しとろんとして眠そうで、だから氷なんか放りなげてやる。グラスの縁にコンという小気味よい音をたてて氷は琥珀色の中に落ちていく。
 最近は時間の流れが早いよね。僕はズボンをまくって恐る恐る浅瀬を歩いている。足の甲の上を水は光にもつかまらないくらいのスピードで駆けていく。夜12時を過ぎてCDを聴く。UAの「光」なんか聴いてみる。少しためらいながらCDをそっとプレーヤーの中にすべりこませる瞬間。音が響くのを待つその一瞬。その一瞬。僕は水をつかんだと思う。水はスローモーションになっていくから僕は狙い定めて、流れをそっと手のひらですくいあげてみせようとする。
 試験監督として学生たちに指示している。配り間違えて謝っている。報告があります、と先輩に言っている。カフカのアメリカを夜中の電車で読みながらうたた寝している。ミニスカートの女子高生が坂道僕の横で転んで助け起こしている。派遣の方たちに細かに仕事の指示をしている。派遣の女性と食事しながら談笑している。通勤友達になった女性と朝のバスで話している。知り合った子と飲みにいく約束をしている。ピンクのネクタイが映えることを鏡で気にしている。好きだった人にケイタイでメールを打つか迷っている。夕食を食べる前にアイスクリームを食べている。深夜にUAを聴いている。ダンボールに本を詰めている。バーボンにゆっくり口をつけている。一人だけのヒアリングテストにつきあってそれから談笑している。MDを忘れて手持ち無沙汰電車の外を眺めている。景色が流れていくのを眺めている。
 その一瞬一瞬をつかもうとして、それらはあっという間に視界から消えて、流れてゆく。