2004年5月31日(月) |
「東京の太陽も東から昇って西に沈むのだ」
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2004年5月30日(日) |
「レベルの高さと疲弊」
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2004年5月28日(金) |
本日はカード会社の面々と。今週はいつにも増して外部との打ち合わせが多かった。名刺コレクターになれるかも。
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2004年5月27日(木) |
クレーム電話でしどろもどろ。年上の女の人に「悔しいんです」とかなんとか言われると、動揺しちゃって、なんて言ったらいいのか全然言葉が思いつかない。思わず、「同情いたします」なんて言ったものなら、「同情なんてしないでください!」 |
2004年5月26日(水) |
本日はシステム会社の面々。段々、相手の年齢とか考えずにふつうにしゃべれるようになってきた。相手の人にとってみれば不思議なんだろうね。女性ばかりのオフィスで、若僧だけがでてきて生意気にしゃべってるって感じで。
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2004年5月25日(火) |
業者を呼んでデモを午前と午後に一回ずつ。無駄な時間はないとばかりに、早口で要点だけ質問すること頻り。自分ってこんな奴だったけとはさすがに思った。小さなWEBカメラで試し撮りされてデモ画面の中にいる今の僕、夢と生活の狭間で苦しんでた僕、旅の空の下で額に汗する僕・・・。それらが全てひとりの僕であること。ときどきそういうことに不思議な気がしてくるんだ。いったい何をやってるんだろうって。運命の鞘が違うところに弾けていたら、もしかしたら今頃アフリカか南米でも靴を泥に汚しながら、歩いているかもしれないなんて思ったりもするわけだ。まぁそのときはそのときで、どうしてネクタイ結んで仕事してないんだろうって思うに違いないんだろうけど。 |
2004年5月24日(月) |
「芸術が生まれる場所には・・・」
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2004年5月23日(日) |
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京都から帰ってきた。一つの旅が終り、自分の中で何かが変わったのだろうかと考えてみる。旅も既に日常の延長でしかないために、自分が大きく変わるためのものではなくなっている。一瞬一瞬の移ろいの積み重なり、それらもやがて記憶へと昇華していくのだろう。僕はときおり、そうした一瞬一瞬のことを誰かと話したくなる。光の揺らめきや、風になびく木々、路に落ちた葉・・・。ただずっと詩人のように、音楽家のように、胸の中に余韻として残しておきたいんだ。
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2004年5月20日(木) |
雨がぽつぽつと何かを叩いている。僕はお風呂あがりぼんやり。この台風をついて、明日は京都なんか行っちゃったりするわけなのだ。 |
2004年5月19日(水) |
ワンゲル時代の仲間と新宿で飲み。東京でやったわりに随分と人が集まった。人生行路も結婚、出産といったところにみんなきていて、軸足の置いているところが自然に替わってきたのだなと思う。この僕でさえも、誰かのために生きていく、ということをやがては選ぶものなのだろうか。 |
2004年5月18日(火) |
「4時半の世界」
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2004年5月17日(月) |
夜闇がやってきて、すべてを包みこむ。
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2004年5月16日(日) |
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NYから連れて帰ってきたアザラシです。今はテーブルの上で泳ぐ練習させてます。そのうち、お風呂で泳がせるつもり。
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2004年5月15日(土) |
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四ツ谷から山王へ。弁慶橋でボートこいで、日枝神社の鳥居をくぐって、首相官邸周辺を歩いてと申し分のない散歩コース。 |
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2004年5月13日(木) |
合コン☆でした。人と話すことってこんなに楽しいんだって素直に思えたかな。言葉ひとつひとつがゆっくりと記憶の外へと消えていく、この余韻がいい。 |
2004年5月12日(水) |
バド飲みながらご飯炊けるの待ってる。お水を入れたかどうか本気で心配になって(昔飯盒炊爨(←難しい字!)でそういう失敗をやったことがある。)、だからといって開けるのも癪なので、炊飯器を揺すってみたりする。
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2004年5月11日(火) |
スペアリブをぐつぐつ煮ている間にこうやって日記を書くのです。胃の中にビールがじぃんと沁みているのです。R&B聴いてリラックス。窓辺から夜風がやってくるから、ああいい気分。 |
2004年5月10日(月) |
頭の回転は久し振りにいい感じ。くるくるくるっと小気味よく糸車は回る。しかし、送信メールが20近くなったところで少し息切れ。一応2chチェックして、システム担当者はわかってない、とかなんとかいうカキコを読んで、無視すればいいのにそれが糸車にガムみたいにこびりついてきてすっかりやる気失せる。まぁ数千人いればいろんな人がいるもんですよ、あっはっは、って先生はいつも笑ってるわけだけど。
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2004年5月9日(日) |
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雨だからずっと眠っていた。ボートをこいだ身体とNYを歩き回った身体がまるで一緒になって寝床の中で重くなっていた。ぴんぽんが鳴って、放っておいといて、戸口がとんとんと叩かれて、仕方なく顔出してみれば、見知らぬ女性から中国語で話しかけられる。何かジョークを言おうと思ったけれど、それを考え出す脳機能も本日休業だったのか、「私は日本人です」としか言えなかった。それも既にジョークみたいなものだけど。
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2004年5月8日(土) |
吉祥寺から東女へバスで抜けて善福寺公園。水を跳ね上げながらボートこぎ。水は濁っているものの、のんびりとしていて気持ちよかった。そんなわけですっかりネムネム。 |
2004年5月6日(木) |
朝4時半というとんでもない時間に目覚めて、何をやっていたかというと、HMVのサイトでCD買ってたのです。NYからのUAのフライト中に流れたのを中心にRockとR&Bで7枚。それからポスターのサイトをチェック。ロスコの青系のポスターが欲しいなんて思っているのです。あんな幾何学模様に毎日僅かな幻惑を覚えるのなんて悪くないかも。 |
2004年5月5日(水) |
NYより帰ってきました。遊びすぎた上に日焼けまでしてしまいました。さて、明日からまた仕事ということで夢の世界にもぐりこみます。 |
2004年4月28日(水) |
アナグマが旅に出ることになったら、こんな感じでのんびりと荷物を入れて、ああこれを入れ忘れてたなんて呟くんだろうね。
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2004年4月27日(火) |
夜八時過ぎからシステム担当のSEと一時間超にわたる長電話。僕が考えている構想(授業の常時WEB配信化の仕組み)について話す。相手も面白いと感じてくれたようで、少しずつ具現化に向かって動き出していけそうだ。場所時間を問わず、WEB上で授業を受けられて、テストを受けられて(これは既にあるけど)成績がぽんと出てきて、それを従量的(あるいは先)に課金するシステムというのが理想かな。最後は通学の授業も全部WEBコンテンツ化して、通学制を飲み込んでしまいたいな、なんて考えているのだ。 |
2004年4月26日(月) |
自分よりレベルの高い人に出会えることっていいことなのかもしれない。すごい刺激、でも息せき切ってでも、カッコ悪くなっても、追いついてみたい気持ち。 |
2004年4月25日(日) |
小セントラルパークな趣の明治神宮の池の前で日向ぼっこ。表参道から渋谷に抜けてというコース。ジャカランダとトックリランのミニ観葉2つ。大事に育てましょう。 |
2004年4月24日(土) |
「オセロー」
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2004年4月23日(金) |
同期が辞めることになっちゃって、結局残ったのは僕だけ。1年前、200人いたあの試験会場でまさか僕だけが残るなんて夢にも思わなかったよ。案外厳しいものだなって思うし、ある意味仕方がないことなのかもしれないなとも思う。僕は淡々とやりたいようにやっていくだけ。 |
2004年4月21日(水) |
イマジネーションがあるということは世界に向かって能動的に走ることができるということだ、と何となく思った。イメージがあれば、それを具現化していく方法を考えて取り組んでいけばいい。例えば、白い斜面を滑りおりるとき、水の迸る瀬でボートを操るとき、小説を書くとき、旅をするとき、恋愛の展開、仕事のやり方・・・。イマジネーションを生み出すには、余裕というものが大事なのかもしれない。どんなに窮地に立っていても、そこで軽く深呼吸してイメージが湧くのを待てばいい。イマジネーションと余裕、その二つがあれば、どんなところでも(例えば無人島でも、一人っきりの宇宙船でも)楽しめるのではないかと思うわけです。 |
2004年4月20日(火) |
どこか遠いところへ行きたい。道祖神が僕の身体の中にいて杖をとんとんと叩いて、あるいはスナフキンみたいな奴が耳の中にいてギターをちろりんと鳴らしていて、ああどこかへ行かなくちゃって思うわけなんだ。一種の病気。 |
2004年4月19日(月) |
同じ一日なのに休日と平日では、脳や身体や心の使い方が違う。休日は身体の中に滋養が蓄積され、鬱積が放出される感覚、平日はその逆の感覚。 |
2004年4月18日(日) |
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今朝も初夏のような気分。夏の旅でホテルから窓を開けて朝の空気を吸い込んだときの感慨にも似ている。弟から電話があって、どこにいるかと思えば鹿島槍ヶ岳。7月まで山小屋つくりのバイトをしているんだそうだ。話を聞いていて、あまりに自分の今の状況と違っていて驚くというより呆れてしまった。(右の写真はそのHPにあったもの。無断転載。)
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2004年4月17日(土) |
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初夏のような朝の空気。ベランダごし、通りを歩いていく家族づれや部活帰りの女子中学生や恋人たち。半袖から腕をすっと伸ばしてりらっくす。
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2004年4月13日(火) |
情報過多。イラクでの事件について、WEB上でいろいろ読み込んでみた。真実というものが情報の裏側にあって、いいように弄ばれているような気もする。それが現代ってことなんだろうな。主張に計算に主義に狂言・・・、あらゆる情報がWEBを通して手の届くところにあり、だからこそ真実までが遠い。 |
2004年4月12日(月) |
桜の花びらの中に埋もれて、埋もれてしまいたい、そんな夜。 |
2004年4月11日(日) |
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国分寺に初めて降りて、日立の庭園を観てきた。さんさんと春の日差しの注ぐ中、お昼寝。
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2004年4月10日(土) |
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「境界線の上で内にも外にもいけずに」
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2004年4月8日(木) |
やらなければいけない細かいことが減ってきたから、やっておきたい大きなことに着手してみようと思って、とりあえず角道でも開けてみることにする。それから来年細かいことを極力やらなくていいようにずる賢く、穴熊なり美濃囲いなり陣形を整えておくのも手だろうなぁ。僕の性として駒が入り混じるような白兵戦は苦手なので、遠くから飛車角の睨みをきかせて銀歩の裏から桂馬が囮で躍り込んで、最後で寝返りたる相手の金でも相手陣深くに指し入れて敵将たる王の首を軽々とちょんぎっちゃうっていうのがいいなぁ。・・・そういえばナボコフってこういう文章をチェス版で小説にしたんだからすごいよなって全然別の話をふっかけてみたり。 |
2004年4月7日(水) |
仕事の繁忙期が終息した感じ。ためっぱなしだった出張報告書やら業務の見直し案やら上司に出して、久し振りのミーティングに、今期のシステム開発事項をまとめて・・・なんてやってるわけ。それで多分ここで働いてから一番早く家路についた。
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2004年4月6日(火) |
最近アスパラが僕を呼ぶので思わず買ってしまう。22時のキッチンで、鍋で軽く茹でてからサラダ用のホウレンソウといっしょにバターで軽く炒めた。アスパラのグラタンが食べたいけれどオーブンなんて気の利いたものはまだもっていない。とにかく、野菜が美味しそうなのっていいことだ。
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2004年4月4日(日) |
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冷たい雨の日比谷でセドリック・クラピッシュの「スパニッシュ・アパートメント」。これはクラピッシュとしてはかなりの会心作だったのではないかな。この監督への見方がかなり変わったかもしれない。この監督は間の使い方や会話の呼吸がすこぶる上手い。これだけ欧州人ごっちゃ煮の登場人物を並べながら、そのひとりひとりの個性を描き出し、微妙な差異を軽妙な会話の中に浮かびあがらせるなんて普通の人にはできる芸当じゃない。これまで「猫が行方不明」や「ガッチョディーロ」で野性味あふれる演技をしてきたロマン・ドゥリスがふつうの好青年を演じていたのにはちょっと驚いた。最後の写真が出てくるまで全然気付かなかった。「アメリ」のオドレイ・トゥトゥなんかも出ているし、若手役者がけっこういい味を出していて、キャスティングにも舌をまくかな。そんなわけでクラピッシュの作品、総ざらいで観たくなってきたよ。
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2004年4月3日(土) |
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桜並木を抜けてオフィスに行ったら、「やっぱ来ちゃうんじゃないかと思ってたんだー」とは上司の言葉。まるで僕なんかPCみたいなものかなとも思う、調子が悪くなってtempファイルがたまったら再起動。睡眠を延々ととったおかげで、少し動きがよくなる感じ。でも哀しいかな、キャパが相当小さくなっている。まるでソフトをいくつか立ち上げてフリーズする昔のMacみたいだ。「電話の声が変」と他の人に言われて、早く帰りなさい、と急かされる。そうして鏡を見たらまた顔が紅潮しだしている。
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2004年4月2日(金) |
まるでボクシングのような呆気ない幕切れ。朝から関節や内臓が小さな抵抗を繰返していて、すでにこの帝国は磐石ではなかった。午後に入って、細かなイレギュラーなパンチ(仕事)をボディブローのように決められて、19時、脳の回転が止まり、さらには目の焦点まで合わなくなってダウン。 |
2004年4月1日(木) |
お風呂あがり、バスタオルをかぶってみれば、外にふっていた雨音は突然僕の中にふりだす。そうして僕の身体は外の世界へ、まるで宇宙船から振り落とされた宇宙飛行士みたいに闇の中を浮遊する。
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2004年3月31日(水) |
しごといっぱいして、お風呂あがり、冷えたペリエを飲む。気泡が僕の胸の中ではじけている。そのとき一瞬何かを思い出す、ほんの一瞬。 |
2004年3月30日(火) |
遅くまで仕事。外に出たら横殴りの雨。自転車で帰るの諦めてさっさと右手を挙げる。
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2004年3月29日(月) |
昼食会。オフィスを留守電にして長いランチ。・・・はいいのだけど、必然的に仕事を分配しきれなくて飽和状態。なのに女性陣はさっさと帰っていくのだもの。
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2004年3月28日(日) |
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「ピクニック日和に自転車の車輪は回る」
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2004年3月27日(土) |
「桜色の日、オレンジ水玉のネクタイ」
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2004年3月26日(金) |
30代の先輩たちとの飲み会。よい刺激を受けることができるっていいこと。明日はJ大学で研修。適当に肩の力抜いて、吸収してくるつもり。 |
2004年3月25日(木) |
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飲み会で初対面に近い人に、村上春樹の世界にいるような人ですね、なんて言われた。そうした色合いはかなり消していると思っていたから何だかびっくりしてしまった。
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2004年3月24日(水) |
学内に行って、前のセクションの人たちとお話。睡眠4時間という彼らと比べると僕なんか全然楽してるわけで、彼らもそう思っているわけで、何だか不思議。みんな僕と代わりたいって言うけれど、多分皆が思っているほど、僕の仕事は簡単ではないという自負もあったりするのです。結局、自分の境遇ってその価値や面白さもすべて自分がつくりだしているものだと思うんだ。例えば、あるものが面白いと感じるとき、あるもの自体が面白いのではなくて、自分が面白いと感じるから面白いのだと思うよ。 |
2004年3月23日(火) |
ひさかたのひかりのどけきはるのひに しずごころなくはなのちるらん
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2004年3月21日(日) |
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新宿で買い物デイ。パステルなYシャツとタイを二つずつ。自転車のかごに収まる手提げの書類かばん。フォルムの綺麗な革靴。すべて仕事用なわけで、通勤が楽しみ。幸せ。
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2004年3月20日(土) |
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「喜劇の難しさ」
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2004年3月19日(金) |
月曜日の業務イメージがつかみずらくって夜一人考えてたらちょっと消耗気味。とりあえず、ばしばしとこなしていくイメージでいきましょう、よし(とりあえず掛け声だけはね)。・・・とその前に早くも週末か。
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2004年3月18日(木) |
(家のテレビはつかないから)サッカーを他のセクションの先輩の家でお寿司食べながら観ていた。こういう気楽さっていいですよね。 |
2004年3月17日(水) |
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斎藤環の「心理学化する社会」半分まで。さほど心理学に興味があるわけでもないのだけど、一応仕事上、ある程度の知識くらいあってもいいかなレベルで手にとった。最初のほうは、世界を心理学でカテゴライズしていくだけで、面白みがない。中盤からトラウマやカウンセリングといった流行りの言葉について掘り下げていく。キーワードとなる言葉の概説や臨床心理学の歴史、流行り的に取りざたされてしまっている心理学(その末端に僕はいるわけだけど)の問題点を挙げてくれるから、僕の目的にはちょうど合っていると思う。そこから何かを得られるかどうかは後半次第かな。 |
2004年3月16日(火) |
サッカー観るために集中力あげて仕事してた。クロールで息継ぎを減らして前に進もうとするようなものかな。微妙に酸欠。こうやってスポーツ選手は鍛えるのだろうね。 |
2004年3月14日(日) |
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10時間くらい眠ったところでケータイのバイブ。職場からのtel。頼りにされるようになったせいなのか、よくわからないけれど週末にはいつものようにかかってくる。適当に指示してそれはクリア。
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2004年3月13日(土) |
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自分の想像していた範疇を1pでも2pでも越えればそれは結構幸せなものかもしれない。
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2004年3月11日(木) |
しばらく札幌の時差ぼけみたいになっていたのが、午後になっていきなり治る。あたりを包んでいた霧が突然晴れたような感覚だった。それであれはこうやってこれはああやって、なんて仕事やってたわけ。仕事もサッカーの試合みたいなものだ。球回しを早くして、ゴールに切れ込んで、枠にきっちりシュートってね。 |
2004年3月10日(水) |
梅の花がキャンパスの噴水の周りに咲いていて春。世界は明らかにのんびりと春の光を楽しんでいるのに、そこに相容れない自分に苦笑い。 |
2004年3月8日(月) |
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「36時間の札幌滞在」
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2004年3月6日(土) |
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「下北→三茶」
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2004年3月4日(木) |
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「主体と客体(対象)の相互置換化」
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2004年3月3日(水) |
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「感覚器は記憶を介在させて世界を感じ取ることができる」
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2004年3月1日(月) |
ワインが飲みたくなって、食事つくってひとり、透明なグラスまわしてたり。ああ、悪くない。 |