2004年5月31日(月)

「東京の太陽も東から昇って西に沈むのだ」

 ごほごほと病弱の文学者みたいな咳をして、こりゃ折角の休日も灰色になるかもよ、とさすがに思ったけれど、外は快晴。まずはヘアカット。いつもパリやNYの話をしてくれた美容師さんが辞められてしまってちょっとがっかり。そのまま、自転車で南下(いや北上なのか?)、よくわからないけれど気分的に南下。ちょっとフランスの詩人的に太陽求めてね。吉祥寺をうろうろ。旅行ガイド買って、ABCafeで本読み。ボサノバ系の曲がかかっていて、平日ですいていたし、気分がいい。帰りに、園芸屋さんに寄って、アイビーとイタリアンパセリとバジルを購入。さらに、なぜかすごくコーラが飲みたくなって、ついでにアイスクリームも買ってきて、クーラーをきかせた部屋でくつろいでいるってわけ。21世紀的な休日の過ごし方かな。少し昼寝をうとうとしてね、今宵はライブなのだ!


2004年5月30日(日)

「レベルの高さと疲弊」

 仙台行き。全て終わって、ホテルのバーで先生と話し合う中で、自分の仕事への取り組み方など考えるべき点が多かった。仕事そのものにも成果があったし、自分自身にも成果があった。
 オフィスに帰ってきて、前の部署の先輩から「甘い!」というタイトルのメールひとつ。計画時点では全く関っていない新カリキュラムの立ち上げについてのことで、マーケット調査はやったのか等々、浦島太郎になるぞ、という最後のきつい一言。関っていないで済ましていいのかわからなかったけれど、兎に角、目を覚まさせられるような叱咤。
 常々、高いレベルを目指して仕事をしようと思っているけれど、率直に言って今のオフィスには身近にレベルの高い人がいないと思う。先輩は異動する際に、そうしたレベルの高い人を社外に求めるしかないね、なんて言ってたけれど、逆の人だったらいるけれど、実際にはそんな人今のところ目につかないような気がする。
 家まで帰ってきて疲れでバタンキュー。外が暑いせいなのかわからないけれど、どうやら身体が熱っぽい。(体温計がないからよくわからないけれど。)お粥が食べたいと思っている時点で、風邪なのかもしれない。


2004年5月28日(金)

 本日はカード会社の面々と。今週はいつにも増して外部との打ち合わせが多かった。名刺コレクターになれるかも。
 明日は仙台に出張(ランチは牛タンだね)。今回は初めてノートPC・プロジェクター・携帯スクリーンをもっていくのだけど、それ全部鞄に詰めて、遠足前夜の小学生のごとく、オフィスの部屋を歩き回ってたら、まるで釣りに行くみたいだねって。確かに!来月には授業収録のためにデジタルビデオカメラも購入するから、ちょっとした歩くハイテク君になれるかも。


2004年5月27日(木)

 クレーム電話でしどろもどろ。年上の女の人に「悔しいんです」とかなんとか言われると、動揺しちゃって、なんて言ったらいいのか全然言葉が思いつかない。思わず、「同情いたします」なんて言ったものなら、「同情なんてしないでください!」


2004年5月26日(水)

 本日はシステム会社の面々。段々、相手の年齢とか考えずにふつうにしゃべれるようになってきた。相手の人にとってみれば不思議なんだろうね。女性ばかりのオフィスで、若僧だけがでてきて生意気にしゃべってるって感じで。
 一年目にして最初で最後の同期飲み会。気兼ねなく話せる仲間がいなくなるのはつらい。


2004年5月25日(火)

 業者を呼んでデモを午前と午後に一回ずつ。無駄な時間はないとばかりに、早口で要点だけ質問すること頻り。自分ってこんな奴だったけとはさすがに思った。小さなWEBカメラで試し撮りされてデモ画面の中にいる今の僕、夢と生活の狭間で苦しんでた僕、旅の空の下で額に汗する僕・・・。それらが全てひとりの僕であること。ときどきそういうことに不思議な気がしてくるんだ。いったい何をやってるんだろうって。運命の鞘が違うところに弾けていたら、もしかしたら今頃アフリカか南米でも靴を泥に汚しながら、歩いているかもしれないなんて思ったりもするわけだ。まぁそのときはそのときで、どうしてネクタイ結んで仕事してないんだろうって思うに違いないんだろうけど。


2004年5月24日(月)

「芸術が生まれる場所には・・・」

 どうして、もう僕は小説を書かなくなったのだろう。と昼休み、立ち寄った本屋さんで考えた。漱石の背表紙を見ながら、「それから」のことを考えながらそう思ったんだ。
 書けないから書かないのではなく、書かないから書けなくなっているのに過ぎないと思う。思うに、書くという行為はすごく辛かった。いや正確に言えば、書くに付随していた自分の存在が辛かった。しかし、書くというのは恐らく辛いという状況の中でしかありえないのではないか、と今はそう思う。辛いからこそ、立ち向かえる。今の僕はまったく辛くもない。それを喜べばいいのか、あるいは哀しめばいいのか、今の僕にはわからない。相克というものがない生活の中では、人は苦しまないし、何も生み出すことはできない。ほら、以前観たレオン・スピリアールトの絵と同じことだ。平穏を得て幸せになった後のなんと才気に乏しいことか。


2004年5月23日(日)

 京都から帰ってきた。一つの旅が終り、自分の中で何かが変わったのだろうかと考えてみる。旅も既に日常の延長でしかないために、自分が大きく変わるためのものではなくなっている。一瞬一瞬の移ろいの積み重なり、それらもやがて記憶へと昇華していくのだろう。僕はときおり、そうした一瞬一瞬のことを誰かと話したくなる。光の揺らめきや、風になびく木々、路に落ちた葉・・・。ただずっと詩人のように、音楽家のように、胸の中に余韻として残しておきたいんだ。

 今回いったところ。初日、八坂神社、清水寺。二日目、嵐山、天龍寺、祗王寺。三日目、御所、下鴨神社。

清水寺。一瞬の光の飽和。 清水寺。新緑の緑のなんて素敵なこと。 清水寺からの下りにあったCafe「かねや」。また行きたい。
     
天龍寺。無窓国師による庭。みごと。 嵐山の蕎麦屋「かねむら」。美味。 祗王寺の木漏れ日。静かな苔の庭もまたよし。

2004年5月20日(木)

 雨がぽつぽつと何かを叩いている。僕はお風呂あがりぼんやり。この台風をついて、明日は京都なんか行っちゃったりするわけなのだ。


2004年5月19日(水)

 ワンゲル時代の仲間と新宿で飲み。東京でやったわりに随分と人が集まった。人生行路も結婚、出産といったところにみんなきていて、軸足の置いているところが自然に替わってきたのだなと思う。この僕でさえも、誰かのために生きていく、ということをやがては選ぶものなのだろうか。


2004年5月18日(火)

「4時半の世界」

 旅行やら飲み会やらのせいだと思うけれど、最近なぜか4時半に目覚めることがある。空は西暦を違えて大気の成分まで変わってしまったかのように淡くぼんやりとしている。そう、今は4時半ってわけだ。そういう時間に起きるとときどきマジメに何かを考えてみたいと思う。ただ、脳はそういう状態にはなっていないわけだけど。あるいは考えられないからこそ、雑多な日常を越えて思考がそこにストレートに向かおうとするのかもしれないけれど。
 相変わらず、僕の生活といえば、消費から成り立っている。ミュージカルやらライブのチケットをネットで手配して、夏休みがいつ取れるかもわからぬままに適当にエアチケットを探し、やたらと飲み会の回数が多く、週末はデートばかり・・・って具合だ。(あるいは消費というのは生きるっていうことを意味するのかもしれないけれど。)
 消費の反語とでもなる(生産の向こうの)貯蓄は将来への投資とイコールだから、きっと僕は投資すべき未来図を具体的に描けていないのかもしれない。それでいて、手数料無料のS銀行に口座をつくってみたり、生命保険のパンフを取り寄せたりしているのだから、多少はその未来とやらに、視線を投げかけてみるくらいのことはしたがっているらしい。
 今の仕事はもともと1年更新の2年の期間の決まった雇用だった。それが実は2年目を迎えるにあたり、上の計らいで定年雇用に切り替わった。そう、つまりあと30年以上はこの仕事を続ける権利みたいなものができたってことだ。30年って、僕の生きてきた時間に匹敵するわけで、それを保証されても、外に広がっている空のように現実味なんて湧かない。
 ついでだから仕事にも言及すれば、男1人のオフィスであるせいかやはり人間関係が気にはなる。だけど僕は半分それには(面倒くさいから)立ち入りもしない。今考えているのは、@明るく楽しくA前向きにBレベルを少しでも高く、の3つだ。今のところは相当うまくいってると思う。
 さて、炊飯器のスイッチでも入れてから、もう一眠りしようかな。


2004年5月17日(月)

 夜闇がやってきて、すべてを包みこむ。
 もう、振り返ってもなにも見えなくて、ちょっと戸惑いながら歩いている。
 ああ、つまさきだって見えないかもしれない。
 誰かの声が聴こえたような気がして、ふっとたたずむ。
 気のせいか、も何も、それが誰の声だったかすら思い出せない。
 ただ涙が出てきそうなくらいに懐かしいだけ。
 だから、再び静かな夜を歩きはじめる。

 ・・・そんな気分。


2004年5月16日(日)

 NYから連れて帰ってきたアザラシです。今はテーブルの上で泳ぐ練習させてます。そのうち、お風呂で泳がせるつもり。
(*GWのNY旅行記もUPしました。)


2004年5月15日(土)

 四ツ谷から山王へ。弁慶橋でボートこいで、日枝神社の鳥居をくぐって、首相官邸周辺を歩いてと申し分のない散歩コース。


2004年5月13日(木)

 合コン☆でした。人と話すことってこんなに楽しいんだって素直に思えたかな。言葉ひとつひとつがゆっくりと記憶の外へと消えていく、この余韻がいい。


2004年5月12日(水)

 バド飲みながらご飯炊けるの待ってる。お水を入れたかどうか本気で心配になって(昔飯盒炊爨(←難しい字!)でそういう失敗をやったことがある。)、だからといって開けるのも癪なので、炊飯器を揺すってみたりする。
 こうやってパチンパチンとキーボード叩いていると、夜道をゆく誰かの足音とか、茶碗の音とか聴こえてくる。そういうのも悪くない。


2004年5月11日(火)

 スペアリブをぐつぐつ煮ている間にこうやって日記を書くのです。胃の中にビールがじぃんと沁みているのです。R&B聴いてリラックス。窓辺から夜風がやってくるから、ああいい気分。


2004年5月10日(月)

 頭の回転は久し振りにいい感じ。くるくるくるっと小気味よく糸車は回る。しかし、送信メールが20近くなったところで少し息切れ。一応2chチェックして、システム担当者はわかってない、とかなんとかいうカキコを読んで、無視すればいいのにそれが糸車にガムみたいにこびりついてきてすっかりやる気失せる。まぁ数千人いればいろんな人がいるもんですよ、あっはっは、って先生はいつも笑ってるわけだけど。
 あとはいつものように習い事やって(続いてる!)軽いジョークを言って、自転車の車輪をくるくる回して帰って来る。そうしたら随分と解放されたような気がするものだ。


2004年5月9日(日)

 雨だからずっと眠っていた。ボートをこいだ身体とNYを歩き回った身体がまるで一緒になって寝床の中で重くなっていた。ぴんぽんが鳴って、放っておいといて、戸口がとんとんと叩かれて、仕方なく顔出してみれば、見知らぬ女性から中国語で話しかけられる。何かジョークを言おうと思ったけれど、それを考え出す脳機能も本日休業だったのか、「私は日本人です」としか言えなかった。それも既にジョークみたいなものだけど。
 ガラス窓の向こう、冬の間はあんなに寡黙な木肌をさらしていた樹が今は饒舌なまでに緑をあふれさせている。僕は誰ともしゃべらずに、珈琲を飲んだり、フランスパンを食べたり、ロックを聴いたり、本のページめくったり、ネットで誰かの旅行記読んだり。
 ここの家、前の大きなマンションのせいか、ケータイもNTTも繋がりが悪い。それをいいことに、誰とも電話しなくなったかな。仕事で四六時中電話とメールの日々だからちょうどいいのかもしれない。leave me aloneってな感じなのです。


 カズオ・イシグロの「遠い山なみの光」。過去と現在の2つのストーリーを並行させて語りながら、ストーリー上はそれを交錯させず、過去のストーリーの中で将来を予感させているという面白い構造をとる。ここでも作者は、主人公を客観的な場所においていて見事。訳者小野寺氏の解説が秀逸なのであとはそれに譲ることにする。(って単に今は自分で考える力も弱まっているだけのことだけど。)


2004年5月8日(土)

 吉祥寺から東女へバスで抜けて善福寺公園。水を跳ね上げながらボートこぎ。水は濁っているものの、のんびりとしていて気持ちよかった。そんなわけですっかりネムネム。


2004年5月6日(木)

 朝4時半というとんでもない時間に目覚めて、何をやっていたかというと、HMVのサイトでCD買ってたのです。NYからのUAのフライト中に流れたのを中心にRockとR&Bで7枚。それからポスターのサイトをチェック。ロスコの青系のポスターが欲しいなんて思っているのです。あんな幾何学模様に毎日僅かな幻惑を覚えるのなんて悪くないかも。


2004年5月5日(水)

 NYより帰ってきました。遊びすぎた上に日焼けまでしてしまいました。さて、明日からまた仕事ということで夢の世界にもぐりこみます。


2004年4月28日(水)

 アナグマが旅に出ることになったら、こんな感じでのんびりと荷物を入れて、ああこれを入れ忘れてたなんて呟くんだろうね。
 明日は太平洋を横断して、新大陸でも目指すことにしましょう。


2004年4月27日(火)

 夜八時過ぎからシステム担当のSEと一時間超にわたる長電話。僕が考えている構想(授業の常時WEB配信化の仕組み)について話す。相手も面白いと感じてくれたようで、少しずつ具現化に向かって動き出していけそうだ。場所時間を問わず、WEB上で授業を受けられて、テストを受けられて(これは既にあるけど)成績がぽんと出てきて、それを従量的(あるいは先)に課金するシステムというのが理想かな。最後は通学の授業も全部WEBコンテンツ化して、通学制を飲み込んでしまいたいな、なんて考えているのだ。


2004年4月26日(月)

 自分よりレベルの高い人に出会えることっていいことなのかもしれない。すごい刺激、でも息せき切ってでも、カッコ悪くなっても、追いついてみたい気持ち。


2004年4月25日(日)

 小セントラルパークな趣の明治神宮の池の前で日向ぼっこ。表参道から渋谷に抜けてというコース。ジャカランダとトックリランのミニ観葉2つ。大事に育てましょう。


2004年4月24日(土)

「オセロー」

 銀座でロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの「オセロー」。すべて英語で参っちゃった。それでも翻訳機を意地で借りずに聴いていて、ストーリーを追えたのは、単にその前に文庫本で読んでたからってわけ。体格のいいイギリス人の大きな身振り手振り、それに靴音なんかが印象に残った。それにしてもイアーゴウはどうしてあそこまで悪人で、オセローは馬鹿正直に騙されたりするのだろう。(小学生の感想みたいだ、あはっ.。)
 *
 吉祥寺でカート付きの3WAYバッグを買ってきた。さすがに今回はいつものリュックサックじゃ恰好悪いなって思って。
 明日のデートどこ行こうと思って、なんだか東京も行き尽くした感があったりして。イメージが湧いてこないな。東京の人って毎週末どこかに出かけるものだとずっと思ってたのだけど、周りの人に訊いてみると実はそうではなくって、こんなに物見遊山というかなんというか出歩いてる人って案外少ないみたいね。多分、すぐに外を歩き回りたくなるのって、ワンゲルでひととき毎週末山を登ってたせいがあるのかもしれない。


2004年4月23日(金)

 同期が辞めることになっちゃって、結局残ったのは僕だけ。1年前、200人いたあの試験会場でまさか僕だけが残るなんて夢にも思わなかったよ。案外厳しいものだなって思うし、ある意味仕方がないことなのかもしれないなとも思う。僕は淡々とやりたいようにやっていくだけ。


2004年4月21日(水)

 イマジネーションがあるということは世界に向かって能動的に走ることができるということだ、と何となく思った。イメージがあれば、それを具現化していく方法を考えて取り組んでいけばいい。例えば、白い斜面を滑りおりるとき、水の迸る瀬でボートを操るとき、小説を書くとき、旅をするとき、恋愛の展開、仕事のやり方・・・。イマジネーションを生み出すには、余裕というものが大事なのかもしれない。どんなに窮地に立っていても、そこで軽く深呼吸してイメージが湧くのを待てばいい。イマジネーションと余裕、その二つがあれば、どんなところでも(例えば無人島でも、一人っきりの宇宙船でも)楽しめるのではないかと思うわけです。


2004年4月20日(火)

 どこか遠いところへ行きたい。道祖神が僕の身体の中にいて杖をとんとんと叩いて、あるいはスナフキンみたいな奴が耳の中にいてギターをちろりんと鳴らしていて、ああどこかへ行かなくちゃって思うわけなんだ。一種の病気。


2004年4月19日(月)

 同じ一日なのに休日と平日では、脳や身体や心の使い方が違う。休日は身体の中に滋養が蓄積され、鬱積が放出される感覚、平日はその逆の感覚。


2004年4月18日(日)

 今朝も初夏のような気分。夏の旅でホテルから窓を開けて朝の空気を吸い込んだときの感慨にも似ている。弟から電話があって、どこにいるかと思えば鹿島槍ヶ岳。7月まで山小屋つくりのバイトをしているんだそうだ。話を聞いていて、あまりに自分の今の状況と違っていて驚くというより呆れてしまった。(右の写真はそのHPにあったもの。無断転載。)
 *
 幕張メッセでradiohead。電子音と光線が眼と身体を射る。やがて動脈血にどくどくと音が入り込んで流れていく快感。


2004年4月17日(土)

 初夏のような朝の空気。ベランダごし、通りを歩いていく家族づれや部活帰りの女子中学生や恋人たち。半袖から腕をすっと伸ばしてりらっくす。
 堀江敏幸「雪沼とその周辺」。寂れたスキー場くらいしかない山間の雪沼を舞台に、そこで生きていく人たちの人生を交差させた小品。地味で枯れ味とも言えるような円熟度。彼の作品群の中では、人間の不器用さの感じられる「熊の敷石」が好きかな。

 *
 本当は「エレファント」でも観にいこうと思ってたのだけど、気付いたらソファに突っ伏して眠りこけていた。最近どうもこういうのが多い、有意義な休みなのかそうでないのか判断しにくいところ。眠気眼で窓の外に目をやれば若葉が風に揺れていていた。
 フランク・ダラボンの「グリーン・マイル」。原作スティーヴン・キングの物語を紡ぎ出す力が感じられるような映画だった。ほんのり、じんわり。










2004年4月13日(火)

 情報過多。イラクでの事件について、WEB上でいろいろ読み込んでみた。真実というものが情報の裏側にあって、いいように弄ばれているような気もする。それが現代ってことなんだろうな。主張に計算に主義に狂言・・・、あらゆる情報がWEBを通して手の届くところにあり、だからこそ真実までが遠い。


2004年4月12日(月)

 桜の花びらの中に埋もれて、埋もれてしまいたい、そんな夜。


2004年4月11日(日)

 国分寺に初めて降りて、日立の庭園を観てきた。さんさんと春の日差しの注ぐ中、お昼寝。
 井の頭公園で夕暮れのボート漕ぎ。桜はもう散ってしまったけれど、こういうのってデートぽいねって。
  *
 ベルナール・ラップの「趣味の問題」。「私家版」と同じように心理的描写に優れた映画。ここでいう趣味というのはかなり洗練された趣味で主に味覚(多分それがもっとも微細で個人的なものだからなのかもしれない。)のことを指している。繊細な味覚を二人が少しずつ共有していくことで、人格までをも混在していくという話の流れになっている。こうした受容器の同一化は一種、恋愛と同じような作用なのかもしれない。自分の好きな人の優れたところ、その趣味をまねしようとし、さらには自分のものとしようとする。そうしたことを突き詰めていけば、結局このように他者を半ば自己として捉えてしまおうとするために悲劇が待っているってわけだ。しかしそれを感情論に流したくないがために、この映画では男同士の関係によって恋愛という要素を切り離している。そのために精神的・感覚的な同一化をはかれた一方で、それが肉体的に遠いという効果を生み出しているのかもしれない。映画を観終わったときに、主人公のように、自分の感覚器までもが鋭敏になったような気がしたのも面白かった。
  *
 自衛隊撤退に一票。アメリカに追従することで日本の国益を、という思考にのっとって自衛隊は自国(の権益)を守るためにイラクにいるのだろうが、立ち返れば自国の人間を守るための軍隊なんだから撤退ということでいいんじゃないかな。テロリストに屈してはならないも何も、僕らの軍隊ではテロリストの弾を避けることもできないんだから。とりあえずアメリカ様にもいい顔をしたし、ここで帰っても大丈夫なんじゃないかなぁ。というか帰らないと、僕らには現時点で解法のわからない大きな禍根を残すことになる可能性が余りに大きすぎる。英断を。

 

2004年4月10日(土)

「境界線の上で内にも外にもいけずに」

 綿谷りさの「蹴りたい背中」。まるで村上春樹のような読了感。自分と周りの世界との間の微妙な懸隔感。それは自分の意志によって起きるもので、決して世界が離れていくわけではなく、自分と世界とに境界線を設けたに過ぎない。そうした境界線の中で、それを自己愛化して、自分の世界に入って去っていくものへの憧憬を通してその空疎感のようなものを描いたのが春樹氏だとすれば、綿谷りさの場合は境界線の内側ラインの手前でいらだっている感がある。つまり世界と境界をもつことを是とした村上春樹に対して、むしろ否定の意味合いをもたせているのだ。しかし、完全な自己否定をすることはできずに、主人公ハツは、まるで村上春樹のように懸隔した自分だけの世界をもっているにな川に対して、それを貶めることで自己を客体化して、自分に痛みを与えているってわけだ。蹴りたい背中は、自分の自己愛に対して蹴りを入れているってことと同義なんだ。
 しかし、この中途半端な自己世界の構築って一体なんだろう。内に入り込むことも、外に出ることもできない。でも実際には世界はそういう形でできているんじゃないのかな。恐らく10代後半から20代はじめにかけて、ほとんどの人がこんなキモチを味わっているんじゃないのかなとも思えた。だから、この小説はひどく狭い世界を扱っていながら、これほど受け容れられたのかもしれない。

 
 芥川賞をもう一作。金原ひとみの「蛇にピアス」。出だしの勢いがなかなかいいし、自分の身体に痛みを与えることの緊張感のようなものがよく伝わってくるのだが、後半は文章が単調になってしまうのがもったいない。作品として、全体に何かの意味性をもたせているようにも思えないし、デビュー作で芥川賞を与えてしまうほどではなかったのではないのかなぁ。ふむ。

 
 ヴァルテル・サレスの「セントラル・ステーション」。父親を探す少年との旅の中で、小さいときに父親に捨てられたことで屈折していた女性の心が温かみをもちだしてくる映画。エンディングの後に静かな余韻が残る。

 

2004年4月8日(木)

 やらなければいけない細かいことが減ってきたから、やっておきたい大きなことに着手してみようと思って、とりあえず角道でも開けてみることにする。それから来年細かいことを極力やらなくていいようにずる賢く、穴熊なり美濃囲いなり陣形を整えておくのも手だろうなぁ。僕の性として駒が入り混じるような白兵戦は苦手なので、遠くから飛車角の睨みをきかせて銀歩の裏から桂馬が囮で躍り込んで、最後で寝返りたる相手の金でも相手陣深くに指し入れて敵将たる王の首を軽々とちょんぎっちゃうっていうのがいいなぁ。・・・そういえばナボコフってこういう文章をチェス版で小説にしたんだからすごいよなって全然別の話をふっかけてみたり。


2004年4月7日(水)

 仕事の繁忙期が終息した感じ。ためっぱなしだった出張報告書やら業務の見直し案やら上司に出して、久し振りのミーティングに、今期のシステム開発事項をまとめて・・・なんてやってるわけ。それで多分ここで働いてから一番早く家路についた。
 大豆を煮ようと思って開けたワインが赤じゃなくて白で、仕方なく飲んでたら沈没。横でビルエバンスがじゃんじゃんとピアノかきならしてた。


2004年4月6日(火)

 最近アスパラが僕を呼ぶので思わず買ってしまう。22時のキッチンで、鍋で軽く茹でてからサラダ用のホウレンソウといっしょにバターで軽く炒めた。アスパラのグラタンが食べたいけれどオーブンなんて気の利いたものはまだもっていない。とにかく、野菜が美味しそうなのっていいことだ。
 身体は復調。仕事もようやく残務から解放されて新しいところへ着想。やっぱり旅と同じで計画段階が楽しい。いったんすべてが始まってしまえば、泥濘あり、砂塵ありってな感じだものね。
 毎晩眠る前、本当の旅のことを夢見る。相変わらず青い地図帳を広げて、小さな町に思いをめぐらせている。今の仕事、一ヶ月くらい休みがあったら完璧なのに。って10年前くらいは本当にそれくらいの休みがあったんだって。


2004年4月4日(日)

 冷たい雨の日比谷でセドリック・クラピッシュの「スパニッシュ・アパートメント」。これはクラピッシュとしてはかなりの会心作だったのではないかな。この監督への見方がかなり変わったかもしれない。この監督は間の使い方や会話の呼吸がすこぶる上手い。これだけ欧州人ごっちゃ煮の登場人物を並べながら、そのひとりひとりの個性を描き出し、微妙な差異を軽妙な会話の中に浮かびあがらせるなんて普通の人にはできる芸当じゃない。これまで「猫が行方不明」や「ガッチョディーロ」で野性味あふれる演技をしてきたロマン・ドゥリスがふつうの好青年を演じていたのにはちょっと驚いた。最後の写真が出てくるまで全然気付かなかった。「アメリ」のオドレイ・トゥトゥなんかも出ているし、若手役者がけっこういい味を出していて、キャスティングにも舌をまくかな。そんなわけでクラピッシュの作品、総ざらいで観たくなってきたよ。
 「アムス→シベリア」、「シャロウグレイブ」等、旅先や共同生活の中でつくりだされていく他人とのコミットメントから生まれる喜びと擦れ違いから生じる落胆の中で、何らかの成長を見せる主人公・・・といった映画は好きだし、その中でもこの映画は◎です。


 黒沢清の「アカルイミライ」。この監督の映画はおそらく4本目くらいで、「CURE」を観た時はなかなかやるなぁ、なんて思ったのだけどこの映画はどうでしょう。この監督はある社会事象があってそれをストーリー化するような映画をつくってきて、ここでは無気力の若者に焦点を絞っている。クラゲが半ば救済的な希望として出てくるのだが、ここでの意味付けの仕方がいまひとつわかりにくい。(それは他の映画でも同じことが言えるような気がするのだけど。)物語の重要なキーとなるクラゲの意味をとりにくいために、アカルイミライなのはタイトルだけでちっとも何かに救済されない。無気力はそこにある、という提示があって、それ以上は何も進まない。むしろ、これは作り手から何かの力を与えるものではなくて、その無気力な現状を捉えることで観た者から何かの力が生まれてくることを期待しているのかもしれないけれど。


2004年4月3日(土)

 桜並木を抜けてオフィスに行ったら、「やっぱ来ちゃうんじゃないかと思ってたんだー」とは上司の言葉。まるで僕なんかPCみたいなものかなとも思う、調子が悪くなってtempファイルがたまったら再起動。睡眠を延々ととったおかげで、少し動きがよくなる感じ。でも哀しいかな、キャパが相当小さくなっている。まるでソフトをいくつか立ち上げてフリーズする昔のMacみたいだ。「電話の声が変」と他の人に言われて、早く帰りなさい、と急かされる。そうして鏡を見たらまた顔が紅潮しだしている。
 夕方リングアウト。ヘアカットして帰ってみたら、戸口にお花が下がってた。
  
 Nさんから貰って、お昼ごとに読み続けてた川上弘美の「ニシノユキヒコの恋と冒険」。一人の男を巡って多数の女性の視点から淡々と恋愛の話が進んでゆく。極めて平凡な世界なのだけど、川上弘美が描けばそれは何か非日常的な世界に見えてくるから不思議。おそらく女性の視点自体は日常の中にあるのに、そこに突として入り込んでくるニシノユキヒコの世界が極めて非日常的なのだろう。女性たちはニシノユキヒコの世界にいったん入るけれど、そこがその女性を絶対的に必要としていない個人的な世界であることに気付き、どこかで立ち去ることを決心する。このニシノユキヒコの世界では、女性≒姉の面影といった独特の世界観があり、女性は交換可能になってしまっているのだ。だから恋愛に執着がなく、それが次から次へと移ろっていくわけなのだ。そうした淡々とした世界の描写が秀逸で、快感すら覚える。春のぼんやりとした空気にぴったりの本だったかな。

 


2004年4月2日(金)

 まるでボクシングのような呆気ない幕切れ。朝から関節や内臓が小さな抵抗を繰返していて、すでにこの帝国は磐石ではなかった。午後に入って、細かなイレギュラーなパンチ(仕事)をボディブローのように決められて、19時、脳の回転が止まり、さらには目の焦点まで合わなくなってダウン。


2004年4月1日(木)

 お風呂あがり、バスタオルをかぶってみれば、外にふっていた雨音は突然僕の中にふりだす。そうして僕の身体は外の世界へ、まるで宇宙船から振り落とされた宇宙飛行士みたいに闇の中を浮遊する。
 少し疲れているのかもしれない、と朝、鏡を見て思った。顔が紅潮していたからだ。知らず知らずの間に何かが僕の中にたまっていてそれが出るところを失ってぐるぐると回っている感じ。
 今それが雨音とともにどこかへ流れ出していけばいいかなと思う。すべてを失った僕の身体の中に、まるで死んだように眠っている僕の身体の中に、誰かがそっと戻ってくる。


2004年3月31日(水)

 しごといっぱいして、お風呂あがり、冷えたペリエを飲む。気泡が僕の胸の中ではじけている。そのとき一瞬何かを思い出す、ほんの一瞬。


2004年3月30日(火)

 遅くまで仕事。外に出たら横殴りの雨。自転車で帰るの諦めてさっさと右手を挙げる。

 上司が言うには、これからは伝票関係や広報もやってもらうつもりなんだけど、って思わず、誰がですか?と聞き返してみたり。3年くらいであらゆる業務をやらせるというのが上の方針なんだそうです。


2004年3月29日(月)

 昼食会。オフィスを留守電にして長いランチ。・・・はいいのだけど、必然的に仕事を分配しきれなくて飽和状態。なのに女性陣はさっさと帰っていくのだもの。

 *
「広告都市・東京」読了っと。80年代は見られることを意識した都市の舞台化が進んだとあったが、その後はケータイ電話の意味なしメールなどに見られる「見られていないことへの恐れ」が作用しだしていると筆者は言う。その例にWEB上の日記なんかが挙げられていてちょっと複雑だった。もしかしてこれも自己の確認や表現といったもので書いたつもりでいるけれど、読む人を想定した外部からの視線による自己の確認や、受け取り手への表現といった意味合いになるわけなんだろうか。確かに、ここがまったくのオフラインだったら僕はこんな時間にダイアリをつけたりしない。横でシュワシュワ音たてているペリエごくりと飲んで布団に潜るまでなのかもしれない。・・・が、どちらにせよ、もう眠る時間。


2004年3月28日(日)

「ピクニック日和に自転車の車輪は回る」

 とーいっく。H大学ってなことで行く寸前まで電車で行こうと思ってて、よぉく地図を見たら家の近くだった。自転車で裏路地を五分程度で着いたのには驚いた。東京って不思議なところだ。テストは時間内に終わったものの、Part4に斬られた。
 晴れていたから免許の住所変更を半年遅れでやることにする。H大学なんか目じゃないくらい自転車こぐこと30分。どこの公園も桜が満開で、ピクニック帰りの家族連れやカップルがずいぶんと歩いていた。しかしこうやって遠出すると、世界には人がたくさんいて、たくさんの恋愛やら人生があって、僕もそのひとつに過ぎないんだなぁと妙に諦観してしまうところがある。それにしても桜の美しいこと、ヤナギの青葉の目に清新なこと。そうして人生の楽しげなこと。

 
 フェルナンド・メイレレスの「シティ・オブ・ゴット」。ゴールディングの「蝿の王」のような野蛮なまでに欲望に従っていくスラム街の少年の話だと思っていたが、確かにスラム街の話なのだけど、随分とスタイリッシュで計算された映画のつくりがなされている。映像、音楽、演出のレベルが驚くほどに高い。ブラジル映画ということをいったん忘れたほうがいいくらい、よい出来だ。そこに流れるサンバにボサノバにその他のラテン系音楽。集落の撮り方も面白い、貧民街のはずなのに整然としていて、むしろ豊かさを感じる。夜の集落のたたずまいなど、一種幻想的でもある。キャラクターのつくりも上手い。個々の性格というものが一つ一つわかり、彼らがどうして闘争の中に巻き込まれていくのかがよくわかる。ちんぴらも結局はその下に素顔があるわけなのだ。
 映画を観てから夜桜観にひとり散歩。それにしてもここは平和なんだなぁと思ってしまったことだよ。


2004年3月27日(土)

「桜色の日、オレンジ水玉のネクタイ」

 J大学まで行って、ある学会主催の業者デモみたいな会。多少参考になるところもあり。最初私服で行こうかなと思って、考え直してスーツで行ったのだけど、仏壇的に渋いタイばかりのおじさん連中の中でちょっと浮いたかも。女性ばかりのオフィスとやっぱり勝手が違うかな。
 女性しかいないオフィスというのは羨ましいようで、最初はけっこう戸惑った。女の人って馬力を使って仕事をしたりしないし、ことあるごとに人の噂で騒ぎ出す。才能がある男をもちあげるけど、そうではなかったりすると完全にバカ扱い。それも遠慮なく言うわけ。その代わりと言っては何だけど、きめ細やかさというものがすごい。かなり顧客というか学生の気持ちになりきれるところがある。感性みたいなものが強いせいなのかな。でも、気の合わない人がいると、徹底的に嫌がる。泣いている女性とかいると、すごい嫌がる。あれは全部演技だから気をつけたほうがいいよ、って本当なのかなぁ、なんて言うからまた「いい、教えてあげるから・・・」。
 女性のオフィスが当たり前になってくると、今日みたいなおじさんたちの中に入っていくとすごく違和感を感じてしまう。まぁ、そのうち僕だっておじさんになるんだろうけど。 


2004年3月26日(金)

 30代の先輩たちとの飲み会。よい刺激を受けることができるっていいこと。明日はJ大学で研修。適当に肩の力抜いて、吸収してくるつもり。


2004年3月25日(木)

 飲み会で初対面に近い人に、村上春樹の世界にいるような人ですね、なんて言われた。そうした色合いはかなり消していると思っていたから何だかびっくりしてしまった。

 
 北田暁大の「広告都市・東京」。気鋭と思われる北田氏の書いたものを読んでみたくて手に取った本。80年代の西武や東急による渋谷の広告化に触れ、そこでは都市の中に広告があるのではなく、都市=広告となり、その舞台装置を歩く人=役者にするという効果を狙っているという。ここに日常性の脱出が演出されたのだという。なかなか面白いけど、飲み会やら勉強やらでなかなかページが進まない。 


2004年3月24日(水)

 学内に行って、前のセクションの人たちとお話。睡眠4時間という彼らと比べると僕なんか全然楽してるわけで、彼らもそう思っているわけで、何だか不思議。みんな僕と代わりたいって言うけれど、多分皆が思っているほど、僕の仕事は簡単ではないという自負もあったりするのです。結局、自分の境遇ってその価値や面白さもすべて自分がつくりだしているものだと思うんだ。例えば、あるものが面白いと感じるとき、あるもの自体が面白いのではなくて、自分が面白いと感じるから面白いのだと思うよ。


2004年3月23日(火)

 ひさかたのひかりのどけきはるのひに しずごころなくはなのちるらん

 まだ桜は咲き始めだけれど、紀友則の歌を思い出したことだよ。静謐な情景の中に心が微妙にかき乱されていく様がいいなと思います。こうした機微をなかなか感じられなくなっているかもしれないな、僕は。以前は確かにそうした感覚の連続した世界が広がっていたのに。
 卒業式。振袖姿の女の子たちがとても華やかでした。


2004年3月21日(日)

新宿で買い物デイ。パステルなYシャツとタイを二つずつ。自転車のかごに収まる手提げの書類かばん。フォルムの綺麗な革靴。すべて仕事用なわけで、通勤が楽しみ。幸せ。
 
 カフカの「変身」十数年ぶりに再読。2/14に考えたことを確かめるための読書だったはずだが、そこに思考が結びつかず、ただザムザの孤独な心を感じ取るだけだった。ザムザの人間としての生き方は家族のために尽くすものであったのに、一度虫になってしまえば、もはや誰も彼を彼として扱うこともない。家族が彼を彼として認めなくなっていくほどに、彼は虫として衰弱していく。そうして家族が彼を捨てたいと思ったとき、死あるのみなのだ。そうして、それを片付けるのも家族ではなく、使用人であるという寂しさ。
 しかし、カフカの生き方を考えたなら、実は彼は結婚を選ばずに、二度も芸術(孤独でないと書くことはできない)を選んでいる。カフカは、彼の人生を楽しむことよりも、人生そのものの意味を解き明かす苦しい道を選んでいる。どうしてそこまでしなくてはいけなかったのか。なぜ、そこまで孤独を背負わなければならないのか。
 家族との愛情を絶ち、虫になったのもあるいはザムザ(カフカ)がそれを望んだからなのかもしれない。ザムザは決して人間に戻りたいなどと思ったりしないではないか。しかし、この作品では、虫になったことの意味は極めてザムザ自身にとって薄弱だ。そこから何かが生まれる気配が全くないからだ。カフカにとって、この作品は彼をどこにも運ばない行き止まりである以上、失敗だと思ったのではないか。この作品には同じ行き止まりである「城」がまだ城を目指して、あるいは「審判」が公正な裁判なりを目指しているのに対し、部屋に閉じこもったばかりで出口のかけらもない。終盤、カフカの苦しい息遣いが感じ取れるような気がして、それが哀しかった。


2004年3月20日(土)

「喜劇の難しさ」

 喫茶店でケーキを食べながら、「喜劇は悲劇より難しいんだよ」って。
 池袋の東京芸術劇場で ク・ナウカ「ウチハソバヤジャナイ」を観劇。出だしは衣装・テンポ・踊り・間の妙みたいなものが観るもの全て新しく、口を半分開けて見入ってたわけだが、どたばた劇を入れたあたりから入り込めなくなってしまった。もちろん、途中途中の会話なんかが妙におかしくて吹き出したりもしたのだが、外す場面と理解不能な展開も多かった。やはり演出の仕方としては、各人がもっている常識の微妙なずれにのみ集中したほうがよかったように思う。まじめに話し合おうと思えば思うほど、自分が常識人だと思い込めば思い込むほど可笑しいといったような。例えば主人と妻の間でくり返しやりとりされる、「うちは蕎麦屋なのか?」「あら、あなたそう思っているの?」といったような会話を重ねたほうがよかったんじゃないのかな。最後の挨拶で拍手があまりに小さかったのは、舞台のエネルギーが大きかったのと差がありすぎて寂しかった。この劇団が得意とする壮麗な古典劇を次回は観てみたい。
 
 「心理学化する社会」読了。斎藤氏が最後に着地していくのがポストモダニズム(この言葉、僕自身はよくわかってるわけではないけれど)であるというのが面白かった。ここでも東浩紀の名前が出されるわけで、恐らくこの人がポストモダニズムの旗振り役ってことなのだろう。しかし、結局現在の世界はポストモダニズムで説明されるってことで本当にいいものなのかなぁ。とりあえず流行りの面白い理論に乗っかりましたでは、心理学化に対する社会要請に乗っかっている人を叩くことはできないような気もするけれど、しょうがないのかな。最後のラカン崇拝みたいなところも、難しいから説明しないよゴニョゴニョゴニョではちょっとなぁ。とりあえずは色々解き明かされたから読んだ価値はあった。

 *
 今後本を読んで考えてみたいこと。
・「自由を考える」でも取り上げられていた情報化社会における匿名性の喪失と管理の問題(文学ならば安部公房、カフカ、オースターっていうところなのかな。)
・グローバリゼーションとグローカリゼーションを含めた地域性や固有文化の問題
・動物化する世界の中での個人の在り方、生き方。
・島田雅彦や星野智幸が文学テーマに掲げている国家と個人の問題(そろそろ読んでみたい)
・画一化した世界に対する個人のあり方(ex1.保坂和志:世界個人の感覚(記憶)の受容の仕方から捉える手法。ex2.茂木健一郎のクオリアの発展形。)
・現代の問題に対抗する上での物語の有効性そのもの。(長嶋有や綿谷りさみたいな極小的で超私的世界の語り口と、全世界を包括するような大きな語り口といった手法の違い。)
・・・こ〜んなところかな。一年間くらいこれだけに費やして、しょぼい自己満足的な論文(か小説)でも書きたい気分。

 

2004年3月19日(金)

 月曜日の業務イメージがつかみずらくって夜一人考えてたらちょっと消耗気味。とりあえず、ばしばしとこなしていくイメージでいきましょう、よし(とりあえず掛け声だけはね)。・・・とその前に早くも週末か。
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 「心理学化する社会」終盤さしかかり。ここにきて結構面白くなってきた。斎藤氏の論点は、心理学が時代の要請によって、社会事象を解く鍵としてもてはやされてしまったがために、科学的根拠のない説(例えば、ゲーム脳、あるいは宮崎勤事件に見られる虚構による現実への浸食という誤解)が簡単に広まるようになってしまった(=心理学化)ということを踏まえて、より科学的根拠をもって心理学から解き明かしていこうよというところに導いていくもののようだ。
 ここで漠然と感じるのは、心理学が文系学問であることからくる、サイエンスである脳科学への妄信のようなものだ。脳科学の発達が進むほど、脳から心の在り様というものが証明されるようになってきた。それがサイエンスをバックグラウンドにもたない心理学者にとって、それを齧らなければやっていけないぞという意識を植え付けてしまっているのかもしれない。だからこそ、サイエンスの手法を知らずに(それは科学的方法に基づいて結論を導き出すということだ)むやみやたらにサイエンスの名前だけ出して結論を出そうとしまうのかもしれない。そうして社会が何はともあれ心理学というものを過信しているから、そうした嘘学説にいとも簡単に惑わされてしまう、そういう構図があるようだ。そうした構造の奇妙さを斎藤氏は徹底的に揶揄しているわけだ。
 斎藤氏の指摘は的確ではあるけれど、残念なのは心理学化する社会というものを先に提示するために、映画や本といったもので説明をとってつけたようにしてしまったことかな。科学的論拠の薄弱さのある他説を粉砕するために、ここでは科学的論拠をもって説明していこうと考えたのに違いないが、そこがこの本の弱みかもしれない。サイエンス出の斎藤氏は逆にそこにこだわりすぎるきらいがあるのかもしれない。まぁ兎に角、助走部分には目をつぶって、終盤の跳躍をどうするのか見ものかな。


2004年3月18日(木)

 (家のテレビはつかないから)サッカーを他のセクションの先輩の家でお寿司食べながら観ていた。こういう気楽さっていいですよね。


2004年3月17日(水)

  斎藤環の「心理学化する社会」半分まで。さほど心理学に興味があるわけでもないのだけど、一応仕事上、ある程度の知識くらいあってもいいかなレベルで手にとった。最初のほうは、世界を心理学でカテゴライズしていくだけで、面白みがない。中盤からトラウマやカウンセリングといった流行りの言葉について掘り下げていく。キーワードとなる言葉の概説や臨床心理学の歴史、流行り的に取りざたされてしまっている心理学(その末端に僕はいるわけだけど)の問題点を挙げてくれるから、僕の目的にはちょうど合っていると思う。そこから何かを得られるかどうかは後半次第かな。


2004年3月16日(火)

  サッカー観るために集中力あげて仕事してた。クロールで息継ぎを減らして前に進もうとするようなものかな。微妙に酸欠。こうやってスポーツ選手は鍛えるのだろうね。


2004年3月14日(日)

  10時間くらい眠ったところでケータイのバイブ。職場からのtel。頼りにされるようになったせいなのか、よくわからないけれど週末にはいつものようにかかってくる。適当に指示してそれはクリア。
 突如やってきたマイブームになりそうなベーグルを朝ごはんに食べて、しばしオースター読みふける。本当は靴とワイシャツを買いに行くつもりだったのだけど、途中からどうでもよくなって、洗濯物が空に映えるのを楽しんでいた。
 お昼ごはんは長葱とベーコンのパスタ。ビールを飲んでいて、ああこれは春樹氏の小説みたいな休日だなと思う。そうしてお昼寝。
 起きて、ビデオで「シカゴ」を観る。別にミュージカルを観たい気分でもなかったのだけど、まぁ観たついでにGWのチケットをWEBでいくつか予約してみる。ヤンキース戦とアイーダとオペラ座の怪人、うまく取れるといいなぁ。(行き先はわかるでしょ?) 「シカゴ」はアメリカでしか作れないエンターテイメントの王道的作品。キャサリン・ゼタ・ジョーンズがカッコいい。リチャード・ギアも他の映画でどういう演技してたか忘れるくらいであります。


2004年3月13日(土)

 自分の想像していた範疇を1pでも2pでも越えればそれは結構幸せなものかもしれない。
 渋谷Bunkamuraで「モネ、ルノワールと印象派展」。休日で込み込みかと思ったら、つっかえたのは入り口だけで集中してたせいもあるけれど割合楽に見れた。モネとルノワールの実物をこれだけ観たのも実は初めてだったけれど、ピサロのこてこてした絵の具使いや、シスレーの空と水の妙、アンリ=エドモン・クロスなんていう聞いたこともなかった画家の儚げな点描タッチなんかが悪くなかった。
 それから偶々入ったSPUMAのチーズケーキも、TOMPOOYAの生春巻も美味しかったし。


2004年3月11日(木)

  しばらく札幌の時差ぼけみたいになっていたのが、午後になっていきなり治る。あたりを包んでいた霧が突然晴れたような感覚だった。それであれはこうやってこれはああやって、なんて仕事やってたわけ。仕事もサッカーの試合みたいなものだ。球回しを早くして、ゴールに切れ込んで、枠にきっちりシュートってね。


2004年3月10日(水)

 梅の花がキャンパスの噴水の周りに咲いていて春。世界は明らかにのんびりと春の光を楽しんでいるのに、そこに相容れない自分に苦笑い。


2004年3月8日(月)

「36時間の札幌滞在」

 札幌行って来ました。時計台の前を何度もいったりきたりして、先輩の晴れ姿見て、研究室の人たちと飲みにいって、さらには古い家屋に明かりの妙といった点で共通する「朱蔵」や「北地蔵」いって、駅ビルで「ラストサムライ」(社会の変化の前に、そこに簡単には変わりきれない個人(サムライ)の生き方という問題が絡んでくる維新後を描いた上に、きっちりエンターテイメントとしても機能している良作)や「シービスケット」(世界恐慌で一夜にして挫折を知った人たちが、もう一度やり直すことができるのだ、ということを馬とジョッキーの怪我からの復活の中に見る良作。前半の人物整理がうまくいっていれば、賞も狙えたのかもしれないね。)を観たりした。それにしても充実しすぎの週末だった。そうして僕はやっぱり札幌人であることを実感したのでした。最後は友達と話こみすぎて、飛行機に乗り遅れそうになったらANAが次便に変更してくれて(Thanks!)、正確には36時間25分の札幌滞在だったわけだった。

未だ雪は記憶とともに残る。


2004年3月6日(土)

「下北→三茶」

 久し振りの下北沢。Cafe Ordinaireでまったり。本がいっぱいあってお菓子が美味しい。
 バスで三茶へ向かい世田谷パブリックシアターで「ファウスト」観劇。やや原作の消化不足のような気もしたけれど、よくできていた(かく言う僕はゲーテの作品など手にとったこともない)。筒井道隆のファウストは線が細くもうひとつ、ここでは欲望に忠実で人生に対して肯定的に力強く進む役なのだから、もう少しメフィスト(石井一孝)とやりあってくれないと緊張感が生まれない。石井さんの演技を見ていてどこかで観たなと思ったら、ああ「レ・ミゼラブル」のジャンバルジャンか。篠原ともえも意外によかったですよ。
 明日は朝から北上なので、このへんで。「ファウスト」はいずれ原作を。


2004年3月4日(木)

「主体と客体(対象)の相互置換化」

 ポール・オースターを読んでいると、「読む」という行為が「書く」という行為に近づいていく。ニューヨーク三部作の「幽霊」で出てきた探偵と見張られている人との関係のように、相互の役割が不確定になっていくのだ。探偵は思う、もしかして自分は見張っているのではなく見張られているのではないか。あるいは見張っている「対象」がいるからこそ、見張っている「主体」があるのではないかと。「対象」があるからこそ「主体」があるのではないかというように、「対象」と「主体」が相互置換的になったとき、自分の存在というものが非常に危うくならざるえない。そうして考える。今、ここに「読まれるもの」があって「読む人」がいる。あるいは「書く」があって「読む」がある。「書く人の存在」がなれけば、「読む人の存在」がない。やがて書く人=オースターが主体となって、読む人=僕が客体化されていく。だから僕は僕が主体であることを取り戻すために、書かなければいけなくなる。そうして書いているその先に、オースターの影が見える。それを僕は追いかける。オースターは突如本を取り出し読み始める。その本がさっきまで僕が読んでいて僕が書こうとした本だと気付いたとき、僕の存在は煙のように跡形なく消えていくのだろう。

 ・・・うまく書けないけれどこんな心持がする。オースターの新刊「トゥルー・ストーリーズ」読み始め。


2004年3月3日(水)

「感覚器は記憶を介在させて世界を感じ取ることができる」

 保坂和志「カンバセイション・ピース」ようやく読了。一ヶ月くらいかけて読んだ分際で言うのも変だけど面白かった。面白かったというのは、動物的欲求を満たすような面白さではなくて、何ていうのだろう、常にまわりにあって見えていなかったものが僅かずつ形を見せていく、あるいはそれが見えてくるという自分の感覚器が新しくなっていくことの面白さだ。それは普段僕らが五感の働きの強いときに感知するもの、あるいは猫のような動物が感じ取るものなのだ。例えば、雨上がり窓を開けたときの何か懐かしい気分、あるいは空でも見上げていたときに感じる微かな郷愁のようなもの。これまでも保坂和志は一貫して感覚として世界を捉えようと試みていたけれど、この本の中では明らかにそこに記憶というものが呼応しだしている。そして個人的な記憶だけではなく、ここでは家という場所を用いることによって、現在家で暮らしている人の記憶、さらには過去に家で暮らしてきた人の記憶というものにまで一挙に遡っていく。保坂和志は記憶の所在を断言することはなしに、それこそ空気を感じるようにそこに記憶があることを感じ取っていくってわけだ。そうして自分−感覚器−記憶−世界という繋がりの中から、自分が世界で生きていくことの、あるいは生かされていることの喜びをそこに感知させようとしている。本の中で主人公の口から出てくるように「歳を重ねることでわかることもある。わかる世界もある。」というように、彼の小説世界も成熟してきたということになるのだろう。帯には最高傑作と銘打っているけれど、それは間違いなく、さらに何かを見出していきそうな雰囲気をそこに感じることができる。


2004年3月1日(月)

 ワインが飲みたくなって、食事つくってひとり、透明なグラスまわしてたり。ああ、悪くない。