2005年12月31日(土)

 一年が終わってしまうということで振り返ってみると、パリの威勢のいい爆竹で正月を迎え、2月に今のワイフと付き合いだし、GWには念願の北欧を旅して、夏はばて気味で最後は肋骨にひびまで入って大変だったけれど、なんとか秋を迎え、引越しして入籍もして一年を終えるという、なんか喜劇役者みたいな一年だった。仕事もちゃんとやったしね。僕としては上出来というところかな。

 *

 2005年に観た映画のベスト  (*は2回目、dはdvd/video)
01エレファント(ガス・ヴァン・サント) d
02マイライフ・アズ・ア・ドッグ(ラッセ・ハルストレム)*d
03トニー滝谷(市川準)
04天井桟敷の人々(マルセル・カルネ)
05サマリア(キム・ギドク)
06茶の味(石井克人) d
07ライフ・イズ・ミラクル(エミール・クストリッツァ)
08ネバーランド(マーク・フォースター)
09東京物語(小津安二郎) d
10そして、ひと粒のひかり(ジョシュア・マーストン)
11ミリオンダラー・ベイビー(クリント・イーストウッド) d
12下妻物語(中島哲也) d
13道(フェデリコ・フェリーニ) d
14アマデウス(ミロス・フォアマン) d
15サウンド・オブ・ミュージック(ロバート・ワイズ) d
16Dearフランキー(ショーナ・オーバック) 

 舞台ベスト
01「ナイン  the musical」(デヴィッド・ルヴォー演出、別所哲也主演)
02「偶然の音楽」(白井晃演出、仲村トオル主演)
03「ソウルノート」(青年団)

展覧会・美術館ベスト
01オスロ美術館(ストックホルム)
02工芸博物館(コペンハーゲン)
03ナショナルギャラリー(ロンドン)
04杉本博司展
05ルーシー・リー展


2005年12月30日(金)

 2005年に読んだ本のベスト
【小説】
01「半島を出よ」(村上龍)
02「冬の犬」(アリステア・マクラウド)
03「東京奇譚集」(村上春樹)
04「その名にちなんで」(ジュンパ・ラヒリ)
05「となり町戦争」(三崎亜記)
06「7月24日通り」(吉田修一)
07「空港にて」(村上龍)
  読み込めたとは言いがたいですが、時間は有限なので致し方ないかなぁ。

【小説以外】
01「反定義 新たな想像力へ」(辺見庸、坂本龍一)
02「アメリカ依存経済からの脱却」(相沢幸悦)
03「不安の正体! メディア政治とイラク戦後の社会」(金子勝、アンドリュー・デウィット、藤原帰一、宮台真司)
04「希望格差社会」(山田昌弘)
05「非営利組織の経営」(P・F・ドラッカー)
06「「人口減少経済」の新しい公式」(松谷明彦)
07「脳内現象 <私>はいかに創られるか」(茂木健一郎)
08「カーニヴァル化する社会」(鈴木謙介)
09「反社会学講座」(パオロ・マッツァリーノ)
10「考える技術」(大前研一)
11「日本経済を学ぶ」(岩田規久男)
12「戦略思考のすすめ」(河瀬誠)
  今年はとっつきやすいところから経済学、社会学関係を読みました。
  来年は今の仕事に関連した分野をかなり読むことになるでしょう。(ひととおり読もうかと思っています。)

 
  *
 海難記に音楽の好みに合わせて曲を勝手に選択してくれるサイトの紹介があった。自分好みのネットラジオって感じかな。気に入れば簡単に購入できちゃうわけだしね。
 ⇒http://www.pandora.com/ おもしろいので試してみてください。それにしても21世紀ってすごいなぁ。個々人の嗜好があっという間にDB化されて、細かくカテゴライズ化された市場に放り出されちゃうんだろうな。そういう世界では本も音楽も服も旅行先も休日の過ごし方もある範疇の中に既定されちゃって、自己の決定ということすらあやしくなってくるんだろうな。

     
 ジム・ジャームッシュの「コーヒー&シガレッツ」。ジャームッシュらしい渋くてかっこいい映画。他愛もないカフェでの様々なやりとりが、次々と繰り広げられる短編なのだが、コーヒーとシガレッツそのものが体現している時間と場所の共有感や自分に回帰していく感覚のようなものがそれぞれの話の軽妙なやりとりの中に浮かび上がってくる。思わず笑ってしまうものも多い、まさに(シガレッツはちょっと無理だけど)コーヒーポットを傍らに適当に突っ込みを入れながら観ていたい映画。

    
 キム・ギドクの「春夏秋冬そして春」。映画館で観たこの映画の予告には何も惹かれるものなどなかったのだけど、「サマリア」の監督がつくったということで思わず観たくなったわけ。どちらが先に作られた映画かわからないけど、「サマリア」に比べると深みにやや欠けるかな。どちらも人間の原罪のようなものを扱っているのだけど、サマリアでは罪の意識を人の心の襞をこじあけて曝け出させているのに対して、こちらはそれをオブラートに包んでいるような感覚がある。この監督の原罪に対する意識は面白い。それは行ってはいけないと高みから言うのではなく、どう足掻こうと僕らはそれを背負わざるをえないということを語っているからだ。そして罪を犯したものはそれを自分の生の中に刻み込んで生きていくしかないのだという諦観的な思想が映画を支配している。こちらの映画は仏教的要素を含んでいるのに対し、「サマリア」はキリスト教であり、結局そうした原罪を償うということは宗教観を超えて、普遍的なことなのだというところを敢えて打ち出しているようにも思える。この監督の映画、他にも観てみたい。


2005年12月29日(木)

 クリント・イーストウッドの「ミリオンダラー・ベイビー」。深い味わいのある映画だった。人は希望がなければ生きていけない。逆に言えば、かすかな希望があればどんな境遇だって生きていくことはできる。しかし、苦しいエンディングだ。どうしてそれを選ばなければいけなかったのだろう。マギーをなくすことは、フランキー自身をなくすことでしかなかったのに。その苦しみの向こうに一体何があるというのか。


2005年12月28日(水)

 絵本に出てくるアナグマのように暖炉ならぬハロゲンストーブの前で一日過ごしてしまった(明日はどっかへ出かけよう)。
 *
 ペドロ・アルモドバル「バッド・エデュケーション」。アルモドバルらしい、人間の根底に潜む欲望をわしづかみにしたような映画。かつ自叙伝的な内容ということであり、かなりのこだわりがあるようにも思えた。ガエル・ガルシア・ベルナルの妖しい演技が素晴らしい。二つの役をうまく演じ分けていて、この映画の芯となっている。


2005年12月27日(火)

 仕事納め、ということで一気に肩の力を抜いたせいか、身体が安息を求めている。節々が妙に痛む。
 あまり考えずにやっていた外貨と投資信託がこの1年で15%のリターンだったようなので、いよいよ株をやろうかと考えている。まずはということで入門書を買ってきてぱらぱら読んでみたり。


2005年12月26日(月)

 スクーリングも終了ということで気づけば明日で仕事納め。一年間でたくさんのことをやったなと思いとやりきることができなかったという思いが交錯する。でも、たとえやりきれないことがたくさんあったとしても、今年は人生の中で一度の決断しか許されない、二人乗りの自転車をこぐことに決めたのだから、素晴らしい一年という以外の形容の仕方はないだろう。


2005年12月25日(日)

 上司をはじめ、オフィスの人や先生にも報告。お昼の懇親会では先生のひとりがそれをしゃべったおかげで300人の拍手を受けることに・・・。ありがたい。


2005年12月24日(土)

 仕事から帰ってきたあと、自転車で市役所まで行って、当直室に婚姻届を出してきました。一応、イブ入籍。帰り路背中ごしふりかえると満面の笑みがあって、星空の下をどこまでも走っていけそうな、とても幸せな気分になったよ。


2005年12月23日(金)

 スクーリング開始。キャンパス内で待機しているのだけど、ほとんど仕事がない。昨日までが嘘のようにまったくの暇。というのもインターネット環境がない部屋なので、inputもoutputもなくなるからだ。インターネットとPCは生活を便利にしているけれど、仕事においては情報処理能力が格段と求められるようになったわけで、頭の使い方も昔と比べるとまったく変わってしまったにちがいない。もはや自分にとってはネットとPCのない頭の使い方は考えられないし、実際のところ何もない部屋に座っていても何のアイディアも湧いてこない。毎年この時期は頭がピーマンのように空になってしまう。脳が休まったところで年末休みということだから、ちょうどいいのかもしれないけれど。


2005年12月22日(木)

 後輩とジョーク言い合いながらずっと仕事してて楽しいのだけど、ひとりで旅に出てどこかの川のほとりでぼんやりと物思いに耽りたいような心もちもする。


2005年12月21日(水)

 「こころ」を読みきった。先生はKを裏切りながら、最後までひれ伏して許しを請うこともできず、その罪を背負って生きていかなければならない。そしてこの罪の意識は果てなく深い。妻の生が自分とともにあるにも関わらず、罪の意識に苛まれて自分に生の喜びを吹き込むこともできない。先生のそのような意固地さこそが、実際のところ恋愛においてKの寝首をかくような行為にうってでさせ、Kに謝ることもできなかったことに繋がっているのだろう。結局ははじめに叔父に裏切られたという思いが人に簡単に心を許さず、自分の存在に過当に重きをおくようにしてしまい、その自分がまったく叔父と同質の人間でしかなかったという失望が彼の世界への扉をすべて閉じさせてしまったのだろう。
 自分を蔑み、死を選ぶようなことがほんとうに贖罪になるのだろうか。ほんとうに罪滅ぼしをするならば、死を十字架のように背負って悲壮感を持って生きるのではなく、むしろ生を背負ってその喜びを人に分け惜しみなく与えるべきなのではないか。そのほうがずっと自分にとって辛いだろうし、それこそが贖罪になるのではないか。
 死がすべてを解決するというのは安易だ。Kも先生も安易なように思う。それが思想を学んだ末にあるのならば、いったい人は何を学んだというのか。
 しかしそう書きながら先生の意固地さもよくわかる。Kが死んだ後に奥さんの前でひれ伏したシーンには苦しくって涙がでそうになった。僕らはどうしようもなく弱さをまとっていて、多分それは僕らから切り離すことができないのに違いない。


2005年12月20日(火)

 係長のもってた仕事を引き継いだせいなのか、やってもやっても終わらない。午後だけでメールを15通くらい書いて、次々かかってくる電話に応対して、業者と名刺交換して・・・って感じ。夕食後、そんな一日がくやしくって「こころ」を数ページ読み進めた。Kが下宿にやってきて、嫉妬心が湧き始めていくシーン。


2005年12月19日(月)

 イルクーツクかハバロフスクあたりの冷気を捕ってきて、まちがえて放してしまったような寒さ。ロシアの人たちなら毛皮の帽子をかぶって、赤くなった頬をゆるませながら、白い息はきはき楽しく会話するのだろうけど、東京人になりくだった僕は何かするにつけ寒い寒いばかり。それ以外の言葉を忘れてしまったようだ。


2005年12月18日(日)

 電車の中で漱石の「こころ」を読み返していて、主人公の父に死が忍び寄ってくる場面で、ふとこれが自分の父親の話だったらどうなのだろうと考えてしまい、その切実さのせいで文章が緊張感をもって自分に迫ってきた。
 明治天皇の崩御というイベントは、大きな時代の転換点を暗示する。時代のうねりと、個人的な世界の中で生きている先生の死のつながり。時代の変換点を越えることのできない人間がまるで”羊男”のように時間と空間のどこかに取り残されて消えていくというわけだ。死はその人がもっていた記憶とともに、ある時代を闇の奥深くに葬ってしまう。ある時代が終わるとき、新しい時代に移行できない人は死に迎えられる。
 先生が若いときに叔父に裏切られ傷心のまま故郷を捨てて、東京に居所を探したときの、奥さんのお母さんたちの優しさにようやく安らいでいくことができる場面が個人的には好き。落ち着きがない彼が少しずつ落ち着きを取り戻していき、世界を信じることのできるようになれるところがいい。でも結局彼はその世界を彼のほうから断ち切ってしまわざるえないような事件に遭遇してしまうわけだが・・・。そういうのってとても悲痛だ。一度裏切られて、それでもどうにかつながりがもてたはずの世界にもう戻れないと悲観せざるをえないということが。それが明治の美学であり生き方だったのだろう。そうした美学をもたずにある意味ずる賢く生き延びるということが大正という時代の意味だったのかもしれない。
 *
 生まれて初めての墓参り。僕は親の代から移った札幌で育れ育ったせいで墓というものと(あるいは死というものと)まったく無縁で生きてきたのだ。母と弘明寺の駅で待ち合わせて、お水を汲んで、お花を買って、墓に向う。寒風が身に沁みる。母方の墓のはずだが、墓が新しくなったということで、肝心の墓の位置がわからない。「先祖代々の墓って書いてあるのがそうよ」といわれても、どれもそのようなことが書いてあって、いくつか探し回ってようやく馴染みの祖父の名前を見つけた。水をかけて、花を供えて、側面の名前を見ていく。そこで祖父の命日がちょうど今日であったことを知る。「ちょうどよかったのよ」と母は言う。名前は4つあって一番新しいのが数年前に亡くなった叔母の夫、そして祖父、23才と書いてある女性名、16才と書いてある男性名とがあった。「お母さんのお兄さんとお姉さん?」と聞くと「そうよ。昔はよくここに来て、お墓参りをした後、林の中を歩いたものよ」と母は言う。「16才なんて人生の意味もわからない年齢だよね」と僕はつぶやく。「まだ小学生の頃だったわ」母の声は風の中に消える。身近の死が積み重なっていくという感覚を僕は知らない。死を知って初めて、僕らは生が切り離すこともできず死とつながっていることを知ることができるのだろう。それらは互いに独立しているものではなく、生と死は同時にここにあるという意味だ。「こころ」で先生がお墓参りをしていて、主人公が無邪気に墓のことをしゃべっているときに、先生が鋭く問いかける場面があるが多分そういうことだ。
 僕にはあまりにもわからないことが多すぎる。僕には若くして亡くなった叔母と叔父となるべき人たちが死に至った理由について今日に至ってもまだ尋ねることもできなかった。父は昔言った。「もしお前に万一のことがあったら、お母さんは狂うかもしれないぞ。お前だけの命じゃないからな」と。その意味が突然、僕の中で切実にわかるような気がした。一体、そうやって繰り返される墓参りの中でいったい母は何を考えたのだろう。
 僕らは墓参りを終えて、丘の上にできて、昔はなかったという見晴台に上った。北国に大雪をもたらしているという冷気が風とともに身体の芯の熱までも奪っていった。遠くに富士山がこれまで観たこともないくらいの大きさで青い澄んだ空に姿を映し出していた。

富士山


2005年12月17日(土)

 窓の向こうに澄んだ空の下、東京の街並みがどこまでも広がっていた。品川のホテルで結納。形式的なことは好きではないけれど、将来ふりかえったときに自分の中に残っているような一日になったように思う。フレンチ(特にスープ)が美味しく、シャンパンもワインも楽しめた。
 家に帰って、ロバート・ワイズの「サウンド・オブ・ミュージック」を観た。実はこの映画はじめてだった。オーストリアの自然の美しさ、音楽の素晴らしさ、恋愛と反ナチの信念と逃走劇まで含まれていて驚いた。そして温かい気持ちになったよ。


2005年12月16日(金)

 お風呂からあがってオレンジジュースをぐっと飲みほして、ぼくのからだが吸収していく。
 僕が採用されるまで10年間近く採用をしなかったにもかかわらず、ここにきてまた新たに7人を採用。どんどん新しい血が入り込んでいく。
 最近仕事のことばっかり考えて平日を過ごしているようで、わずかの週末にかろうじて自分の軸足を変えているような気がする。働くこと、生活することはそういうことなのかもしれない。たとえば、毎日のように何かを考えていた2002年頃と今の僕が会話したら、話が合わないというか、お互い不思議な気になるんだと思うよ。


2005年12月15日(木)

 やらなければいけないことがどんどん広がってきて、それを効率化してこなしていく術を考えて・・・という毎日。
 ジャックと豆の木の種を植えたのになかなか芽が出てこない。さすがにこの寒さではきついのかな。 全然関係ないけど、内田さんの村上春樹擁護論が興味深い。


2005年12月14日(水)

 フレンチで忘年会。みんなが楽しんでくれたらからひとまず成功。係長が3月で退職されることになった。ひとつひとつの瞬間を楽しんで大事にしていきましょう。


2005年12月13日(火)

 冷気に覆われた一日。レポートの添付ファイルをシステムに提出できないという学生からの連絡があって、IEの設定等いろいろ試してもらって上手くいかず、とりあえずEメールでそのファイルを送ってください、と指示したら、しばらくして電話があって自己解決したから大丈夫とのこと。念のため、システム内から添付ファイルを覗いてみたら、健康関係の科目でここ二週間の朝昼晩に食べたものが事細かにファイル中に記してある。朝は毎日チーズにフルーツ、ヨーグルト。夜は必ず麦ご飯と納豆・・・。二十歳の女の人ってこんな健康食をとっているんだなってびっくり。・・・とそこまで見て、なぜ自己解決したかちょっと分かった気がしてみたり。


2005年12月12日(月)

 仕事で来年度に向けて大きな構想を考えているところ。授業をWEBで流して受講を希望する社会人からクレジットカードで受講料をとるという仕組み。オンラインすべてを対象にできるため、かなり効率的な収益モデルが描けそうだし、サービスの向上もはかれる。さらに他のところに先んじれる。それには収録を大量に効率よく行って、WEBに上げる仕組みも必要でそこに例の補助金を投入してはどうかなと考えている。


2005年12月11日(日)

 一日ストーブの前でのんびり読書。暮れてからコート着て図書館までお散歩。


2005年12月10日(土)

 渋谷でジョシュア・マーストン「そして、ひと粒のひかり」。痛烈に身体的な痛みを感じさせる映画だった。何ら危険もない現代の日本で生きている僕らにとって苦難とは多くは精神的なものであり、自分の身体を賭したものであることはほとんどない。コロンビアという国で生きていく主人公のマリアにとっては、苦難を乗り越えて生きていくために、敢えて身体を使うことが選択肢の中に簡単に浮上してくる。身体を賭けるという意味もわからぬままに、マリアは麻薬の運び人になる。人を人と見ないような冷たいやりとりの中で、マリアはようやく自分の生きる道を見つけることができる。結果的に彼女の未来は光明のあるものになったわけではあるけれど、決してその過程が正しい判断とはとても思えないし、安易だったとしかいいようがない。僕が感銘を受けたのは、死と隣り合わせのような身体的苦難をもってでも生き抜こうとする人たちがいることである。またそうした苦難を乗り越えて生きていけたときにこそ僕らは本当に生と死の意味がわかりえるのではないかということである。死など希薄で形もなく、痛みを受けることなく生きている僕を十二分に揺り動かす映画だった。南米や中南米の映画は生と死というものに真摯に向き合っている映画が多いし、実際にそういう生活なのかもしれない。いい映画をみたと思う。


2005年12月9日(金)

 忘年会に向う車の中で学長の隣に座って、私もここで働いて二年数ヶ月がたちました、って言ったら、「大きな顔しているからもっと昔からいるかと思った」とか言われて苦笑い。忘年会の終わりに「あと30年を支えるのは君たちです」とか言われて背中ばんと叩かれたのはいいけど、ここに30年もいるのかなと真に受けて逆に酔いが覚めてしまったよ。なんだか少しずつオトナになっていくわけだなぁ。ずっと清冽な小川の流れのようにいられたらいいな。


2005年12月8日(木)

 鶏の炊き込みご飯に最後に茗荷を入れたらいい感じ。+思いつき料理で卵をだし汁とお酒と醤油少々で溶いたものをごま油で軽く炒めたセリとあえて半熟にしてみた。お味噌汁もできたし、あとは・・・。
 美容院のお兄さんと、あるものをつくるときにイメージがまずあって、そこにもてるテクニックを使いながらイメージに近づけていく行為について話す。多分、最初のイメージを自分でつくれる人は自分の世界を楽しめる人なんじゃないかと思う。結局、多くの場合、人のイメージに頼って(人がいいと言うものを買って食べて)生きる人が多いんじゃないかな。そういう場合において人が言うこだわりとは一体なんだろうかというちょっと意地悪な話。


2005年12月7日(水)

 お風呂上り、電気ストーブに火照りながら、オスカーピーターソンのピアノを聴いているのです。


2005年12月6日(火)

 次から次へ仕事こなして夜。身のぷっくりした牡蠣ご飯つくって食べたら、もう眠る時間。
 それでもこんな生活の中で好きな人の笑顔をみることができれば、リンドグレーンの描いたような優しいファンタジーがミルク色の霧のようにこの世界を包み込んでいく。


2005年12月5日(月)

  九州から帰ってきました。熊本では大学時代の先輩諸氏にも会えたし、友人(故人)のご家族ともたくさん話すことができてよかった。長崎では医者を目指して国家試験を間近に控えた先輩と夜飲みにいった。医者になることや子どもをもつことのよさをたくさん話した。ほんとうにいい先輩をもったことに感謝。それにしても長崎は寒くて凍えた。この冬の初雪を長崎で見るなんて思いもよらなかったよ。

アクロス福岡です。 友人の納骨堂のイチョウ 熊本の空
有明海を渡るフェリーより
長崎の大浦天主堂
 

2005年12月2日(金)

  打ち合わせ資料をつくっておきながら、肝心の打ち合わせをする時間がなくなるくらい、やることが次々にあった。気づいたら夜とっぷりで再び星空の下を帰ってきたのでした。
 明日から福岡・熊本・長崎に行ってきます。あれから11年が経ったわけです。11年前の吹雪のラッセルがついこの前のことのようにも思えるし、ずっと遠い昔の夢のようにも思える。心臓の血は温かく今もここにあるということ。嬉しくなったり、哀しくなれるということ。そういうすべてを感謝したいと思うよ。


2005年12月1日(木)

  今週は矢のように過ぎていく。後輩の力が伸びてきて、自分の手の届かなかった範囲の仕事をどんどんやってくれるからかなりありがたい。それでも来年度に向けて準備しなければならないものが多くて、やらなければならないことはいくらでも出てくる。夜、母親と一時間もの長電話。相変わらず話をしていると、突飛な方向に飛んでいって、ブラックボックスにもぐりこんで再び地上に出てくるといった展開。自分も間違いなくその影響を受けているのだと思うと不思議な気になってくる。正月は久しぶりに家族がそろうことになりそうで、母はずいぶんと張り切っているみたいだ。
 *
 ドラッカーの本は示唆に富んでいる。4章の大学の理事長などをやっているマックス・ドゥプリーとの対話はとてもよい。この方は組織の育成よりも人の育成に力を入れているというところがすごい。ふつうは組織を育成するために人を使うという考えをするところだけど、人の育成をすることでその結果組織の育成に繋がるという考え方をする。だから、<<リーダーは、成果をあげられるような機会と仕事を与える責務を負っていると思うのです。不可能な仕事を割り振ったりすべきではありません。>>などと語る。<<意味のある仕事に対する欲求、よりよい社会関係のために自己の可能性を引き出す機会を得たいという欲求、というものを考慮に入れなければ、活き活きとした永続的な組織をつくることはできません。>>


2005年11月30日(水)

  今日は青空が澄んでいて美しかった。仕事に没頭していたら既に宇宙の闇の中に落ちていて星がかすかに瞬いていた。


2005年11月29日(火)

 大学時代の研究室の先生や後輩との飲み会。ぜんまいを巻き戻したかのように楽しかった。流れ星が瞬いてすれ違う、その瞬間に光を放つ、そういうことが人との出会いなんだって思った。もし自分が光を出せる相手ならばずっと大事にしなければいけないって思うよ。


2005年11月28日(月)

 お役人さんがやってくるので、そのための準備資料つくり。一つの資料作るのに朝から晩までかかってしまった。他の部署から内線がプルルときて「まだですか」の催促。今日は絞りに絞った雑巾状態ですよ。夜は夕食つくるのが面倒で、冷凍うどんをもどして鶏肉や青梗菜などと一緒に食べた。料理研究家?のケンタロウがNHKでうちにはいつも常備してます、って胸を張って言ってたからまぁよしとしよう。


2005年11月27日(日)

 駅前のイチョウが映える秋晴れ。渋谷まで「そして、ひと粒のひかり」を観ようと思ったら満席(さすが東京)で敗退。仕方なく、シネマライズでブルース・ウェバー「トゥルーへの手紙」を観てきた。反戦映画であったが、残念なことにひどく退屈な代物だった。どうもアメリカ人が共有できて、日本人にはわからない何かがそこには描かれていたように思う。アメリカ人にとって、アメリカとはこの映画で出てくるような自由で動物や家族との愛情に包まれている明快な世界なのだろう。それが911で貶められたことに対する恐怖からの脱却をテーマにしていたように思う。反戦映画はいいのだけど、結局この映画の見方は一面的で自分たちの世界を外から守るというところしか描かれていないように思う。だから、日本人たる僕が見ても何の感興も湧かないってことなんじゃないのかな。


2005年11月26日(土)

 珍しく一日家の中にこもっていた。クリスマスソング聴きながら読書などしてたよ。あとは、ポッドキャスティングとかvlogとかSNSとかそういう流行りもののネット記事など読んで唸ったり、大学時代のサークルの分厚い50周年誌を読んだり、ペンネアラビアータつくったりってとこかな。


2005年11月25日(金)

 イチョウの葉がキャンパスの小路に輝いているのだけど、僕はもうそれを手にとってもちかえったりしなくなったのだな、と気づいてみたり。


2005年11月24日(木)

 いろいろなことをやりたくて、やりきることもできなくて、いつも一日の幕は閉じる。


2005年11月23日(水)

 吉祥寺まで自転車で出かける。ダンディゾン寄ってオリーブのパンを、雑貨屋でスウェーデン製の布を(糸が少しほつれていたせいでずいぶんと安くなってた)、近くの酒屋で薀蓄の書いてあったスペインの白ワインを買って帰宅。夜はマカジキにハーブとパン粉をかけセロリ・クレソン・エリンギ・ピーマンなどと一緒にオリーブオイル使ってオーブンで焼いてみた。どんな魚かと思ってネットで調べたら、老人と海で出てきたような魚がヒットして老人以上に驚いた。いったいどこで捕ったのだろう。ダンディゾンのパンは相変わらず美味しい。
 
 アリステア・マクラウド、ようやく2冊目に突入。「冬の犬」は「island」という短編集に編まれたうちの後半で、その前半にあたるのが「灰色の輝ける贈り物」。マクラウドは土地や血のつながった家族に対する記憶をたぐりよせていくのに非常に長けている。記憶は今ここで文字にされなければそのまま厳しい自然の中に消えていくような類のものだ(きっと文字にはならないで数々の記憶がもちろん消えていったはずだし、それが普通なのだろうけれど)。だけど、マクラウドがどうにか僕らのもとに運んできた記憶たちは決して楽しいものばかりではない。そこには人生には切っては切れない苦味や後悔や哀しみに彩られている。でも、そうした一見マイナスのようにも見えるものがあるからこそ、僕らはこの人生を愛してやまないのだろうと思う。そして厳しくて美しい自然と対峙した生活をおくることができたとき(おくればこそ)、僕らはそういったものを痛切に知ることができると彼の本は教えてくれる。






 つい先日亡くなったビジネス書の大御所ともいうべきP・F・ドラッカーの「非営利組織の経営」も同時読み。仕事柄、読んでおいた方がいいとある人のブログで薦められていたものだ。アメリカの成人の二人に一人、総数にして9000万人の男女が非営利機関で無給で週に最低で3時間、平均で5時間働いているという冒頭の文書にまず驚く、というかむしろ「嘘でしょ」という疑義しか挟めない。アメリカ人はキリスト教が根底にあるからじゃないの?とSが教えてくれてなるほどとも思う。確かに資本主義自体が信心深いプロテスタントから生まれてきたものだものね。社会貢献というのは彼らの身体にしっかりと刻み込まれているものなのかもしれない。一方でなぜ日本人はそういう考えに至らないのか。仏教も関係しているのだろうし、教育や社会環境も違うのだろうとも思う。なかなか興味深いテーマかもしれない。
 読んでいてなかなか面白いのだが1ページから箴言めいてる。<<自己への関心を基本にすえるリーダーは、間違ってリードする。(略)リーダーのカリスマ性は重要ではない。リーダーの使命が重要なのである。したがって、リーダーとして真先になすべきは、よくよく考え抜いて、自らのあずかる機関が果たすべき使命を定めることである。>>こういうことって、当たり前のようでいて決して世間では当たり前でなく、自分の中でも確固とした考えがなかったように思う。




2005年11月22日(火)

 赤く燃えるヒーターの前でアルコールを飲める至福。


2005年11月21日(月)

 業務を委託している会社のミスが発覚。それに対応するのに午前中が消える。それから新設学部のe-learningの具体的なプランを練ったり、文字化けの報告などに対応したり・・・であっという間に夜。机にかじりついてるばかりで楽しいとは言えなかったかな。
 でも習い事で好き放題に話しててストレス発散。家に帰って、二週間後に亡き友人の実家に行くためにそこのお母さんと電話でお話する。相手の声にリラックスして話せる。お元気ですか?に「とっても元気です。今、声をお聞きしてほんとうに元気になりました」なんて喋ってる。ある意味、第二の故郷なんだと思う、僕にとっても僕の仲間たちにとってもね。電話の後、タラのカレー煮などつくる。月桂樹を使って野菜を煮るのがコツかな、あとクレソンを最後に入れたのも絶妙だったような気がする。思った以上に美味しかった。


2005年11月20日(日)

 ニューオータニ美術館でルーシー・リー展。美しい曲線と薄くシンプルな陶器がよかった。陶芸というのはとても幾何学的な世界なのかもしれない。これを数学にしたらきっと美しい数式が描けるのだと思う。器は果物を受け取るだけのものでなく、僕らの気持ちだって受け止めることができる。少なくとも彼女の器はたくさんの気持ちを受け止めてきたに違いない。


2005年11月19日(土)

 天気がよかったから自転車乗って吉祥寺まで。外に出ると、ジャケットだけじゃぴりりと寒い。井の頭公園周辺を散歩して、nigiro cafeでサンドイッチ食べて帰ってきた。帰りに近くの酒屋でワインを買い込んできた。能書きのあるものをわざわざ選んできた。この前読んだ本にはそういう人種のことをロハス系と分類していた。(まぁ否定はしない。)ワインのうち2本を自転車のかごに入れて、これから職場の先輩の新築祝い&鍋会に行くのです。

井の頭公園に陽は注ぐ 水の形って不思議

2005年11月17日(木)

 社会人のe-learningだとなかなか大学と一体感を感じることが少ない、と学生アンケートにあったから、現在ブログを画策中。12月のスクーリングで試しに使ってみようかと思っている。毎日の構内の様子を写真でUPしたりすると、大学に愛着をもってもらえるんじゃないかなって。
 googleが無料でアクセス解析をはじめたそうで、これも仕事に使えるかなって。ネットで仕事してるのに未だにアクセス解析やっていなかったのです。やりたいことがたくさんあるっていいよね。
 習い事、今日はイラストの絵からイメージして役割練習。医学部の女の子がいるんだけど、その途中にふつうにソファにねっころがってげらげら笑っていて、こういう世界の人ってあまり枠にはまってないんだなと変な驚き。
 夕食には鰤の照り焼きとアサリのバター風味酒蒸しをつくりました。


2005年11月16日(水)

 仕事は目の前のものをひとつひとつこなしている感じ。来年度のプランを練っていく仕事が多いかな。そうしてまた一日が過ぎて、朝夕の空気は研ぎ澄まされていく。


2005年11月15日(火)

 豚肉のブロックを買ってきて、大根とくつくつ煮てみた。大根は包丁を倒すように切って断面を凹凸にするのがコツらしい。夕食後は3日連続のケーキであった。
 なんか最近食べ物日記化しはじめている。仕事めいっぱいやってるので、必然的につくって食べる時間が一日の比重を占めてしまうみたいだ。


2005年11月14日(月)

 今夜はミートソースのパスタとキャロットポタージュとサラダをつくりました。キャロットポタージュは初めて作ったけれど、ジャガイモも一緒にミキサーでかけたら結構上品な感じに仕上がったよ。でもおあずけ状態なの。おなかすいたです。


2005年11月13日(日)

 近所のフレンチで彼女のBDを祝う。カルパッチョと黒豚肉のローストを食べた。赤ワインを一本開けたらふらふら。これで鬼門も克服かな。美味しいものを食べると幸せだね。


2005年11月12日(土)

 有楽町でヴィム・ヴェンダースの「ランド・オブ・プレンティ」。ヴェンダースらしい一作。全般的に何かが始まりそうで始まらないような単調なストーリー運びでそれでいて観た後に何かが残っていく感覚をもたせる。そして車からの風景の撮り方とシーンの挿入の絶妙さ。ベトナム戦争以降、脅迫観念にかられて、911で頭のねじが飛んでしまったかのうようなポール(ジョン・ディール)は、アメリカそのものを象徴するかのようだ。常に不安に苛まれ、人との信頼を築くことができない。すべてをモニターで監視し、自分のやることなすことを録音、録画する。自分は正義だと信じ、自分が誤ったことをやっていることに気づくことがなかなかできない。美しい姪のラナ(ミシェル・ウィリアムズ)はそうした叔父の変人的な言動を優しく包み込める存在。さらに異文化を小さいときから実体験で知ることによって、自己中心的な物の見方をする叔父を変えていく存在。この映画で被害者的な役回りになったのはパキスタン人であり、ずっと被害者意識の強いアメリカ人ではないというところもミソだろう。
 今回の映画を観て、ヴェンダースが映画の中で何を語りたいのか少し見えた気もしたよ。もう一度、「パリ・テキサス」も観直してみようかなぁ。


2005年11月11日(金)

 イワシを買ってきて、薄力粉をまぶして、オリーブオイルで焼いてみた。最後にバルサミコ酢をかけて甘みをつけて、粉チーズをふりかけてみたら、いい感じ♪ もう少し、凝ったものもつくりたいなぁ。


2005年11月10日(木)

 空芯菜炒めをつくった。心が空というのは道教的というか深みのある名前で好きだし(実際には芯がないという意味なんだろうけど)、炒め物のシャキッとした歯ごたえもよい。空芯菜を初めて食べたのはシルクロードでの放浪行で中国を旅したとき。僕はこの炒め物にはまって(そして中国人は火を扱うのが上手いから、この炒め物を絶妙につくるのだ)、毎晩のようによく食べた。日本じゃ、ついぞ見かけなかった野菜だったのだが、とうとう最近スーパーに出回るようになってきて、初めて買って来たってわけだ。胡麻油で豚肉、ピーマン、生姜、ニンニクと炒めて、醤油とお酒、オイスターソースなんかで味付けした。歯ごたえもしっかり残って美味しくできた。塩味だけでもいけそうな感じもしたよ。そしてビールによくあうことこの上もなし。


2005年11月9日(水)

 お風呂あがりにハーパーを飲んでる水曜日の夜。もう少し、本を読む時間があるといいのだけど、なかなか。ネットを再開して思ったのは、結局ここは情報への欲求が増すところなんだなってこと。一度、ひとつの扉を開くと、そのあとの扉が次々に開いて、そこに情報がわんさかとある。それをパクパクマンのごとく、食べようとして、食べきれないという感覚。ネットやっていると相対的にテレビって見なくなってしまうね。21世紀はほんとにすごいところだなぁ。


2005年11月8日(火)

 内田さんのブログhttp://blog.tatsuru.com/archives/001341.phpや評論家中俣さんのブログhttp://d.hatena.ne.jp/solar/20051102に紹介されていた三浦展の「下流社会 新たな階層集団の出現」(光文社新書)を読む。マーケティングアナリストらしくデータのクラスタ化によって、現代の若者の特徴をあぶりだしていくところがなかなか面白い。下流といっても結局、自分らしさを大事にしていて、三種の神器を使いこなしているわけだから、それで一時的にでも幸せならたとえ搾取されるとしてもそれは危機というほどのものではないとも言う。だから、社会学者がデータ分析を単純に問題化していたり、行動が短絡的で無邪気に見えるところには手厳しい。ただし、マーケティングアナリストは職業柄、我田引水的な学者に輪をかけて、データを使っていかにもそうであるかのように見せるのが得意な人種でもありそうだから、眉唾的なところが多いような気もするけれど。(実際にはどの程度の有意水準があって、データがクラスタ化されているのかがよくわからないし、データ数が少ないという指摘には反論できなさそうだものね。)ちなみに概要については上の二人の感想を読めばわかると思う。それにしても中俣さんはきちんと自分の視座をもっていてすごいなと思うよ。


2005年11月7日(月)

「世界の裏側が僕を呼び込んでくれた日に」


 計画休を返上して普通に仕事行こうなどと考えていたら、「それはワーカホリックだよ」って言われて、確かにその気があるかも、なんて単純に反省してお休み。吉祥寺まで自転車こいで、気持ちのいい秋の日差しを身体に受ける。まずは図書館へGO。ここで、アリステア・マクラウドの短編集「冬の犬」を借りてみた。近くのスタバでコーヒー傍らに読み出して、この本に引っ張り込まれた自分に気がつく。コーヒーのせいか、ランチに食べたカレーのせいか、それとも文章のせいなのか、身体の芯が微妙に疼いて熱をもっていた。ニュー・ファンドランドの南にあるケープ・ブレトン島が舞台なのだが、過酷な自然の中で家畜を世話しながら生きていく農民たちの姿が描かれていく。描写も素晴らしいが、ストーリーの抑えどころが大変よい。シッピング・ニュースあたりに通じるものを感じる。非常に僕好みの文章だと言って差し支えない。スタバの窓から街路を眺めていて、僕は世界が周りで息づき、動いているのを感じた。文章のスピードが僕の内部時計のスピードになって、そのとき外界はゆっくりと時を刻み、それに煩わされることもなかった。
 昨日、思ったこと、現代は効率化ばかりを求めていて仕事をしていると僕は効率化のベクトル方向に歩んでいる。一方で、小説は非効率なものだ。効率化では拾いあげもしないまったく無視してかまわないような”ものたち”の意味を考えることだ。だから、それはまったく相反する行為なのだ。もし本気で小説に取り組むのならば、僕は分裂してしまうような気がする。しかし、効率化だけを求めていても僕はダメになってしまう。世界の襞をまったく感知できないような人間になってしまう。だから、僕は時折、小説を読むことを必要としいているのだ、と。
 僕はこの「冬の犬」という素晴らしい小説を読んで、世界が僕の名前を呼び、僕の足首をつかんで、世界の裏側に引っ張り込もうとするのを感じた。そう僕は今日決めたのだ、今日は自分をコントロールしないようにしようって。だから僕は世界の裏側に引っ張り込まれて、世界はまるで鏡の裏側から見えるように、そこに在ったのだと。
 
 六本木ヒルズの森美術館で杉本博司「時間の終わり」展。この展示、なかなかよかった。杉本氏の作品は写真が中心で、撮られた写真が現実に見えることを逆手にとって、クロマニヨン人やらネアンデルタール人の写真、いろいろな野生動物の決定的瞬間の写真を用意する。それは僕らの眼に対する挑戦。君は写真というものがすべて現実を映し出しているんだと思っているんじゃないのかい?という。あるいは写真のなかった時代の歴史上の人物たちの写真、フェルメールの絵の実物写真・・・、こうしたものを通して僕らの写真への信頼を揺るがせ、物事の見方そのものを変えようとする。誰も見たことのない海の穏やかな写真の数々もよかった。そこには僕らが見ることのないものは存在しえないのか、という命題を感じ取ることができる。僕らは目にするものを現実と捉えるけれど、同時に目にすることが絶対的にできないものも実は現実としてそこにあるのだという不思議。目にするものを意味づけできるけれど、目にできないものは一体どうなんだ、ということ。誰もが目にできないものが意味をもたせてくれて向こうから懇願してくる。部屋には耳の奥から発せられていると錯覚するような微妙な電子音のようなものが絶えず流れていて、僕らは自分の耳を疑う。僕は自分の聴覚がおかしくなったのではないかと耳に手を当てて、そうしてふと周りの人たちが同様に違和感を覚えて耳を触っているの見て、それが自分だけの現象ではないことに安堵した。僕らの感覚を揺るがせる彼の作品群に拍手。
 美術館を出た後、六本木ヒルズの展望台から見えた東京の街並み。まるで仮想空間のように広がっていた。無数の建物と、その建物の窓に点される灯り。高速道路をゆく無数の車。こういうものを見ると、世界に対する僕の卑小さを思い知らされる。この東京という街の中にもたくさんの人がいて、そのひとりひとりが知覚をもって生きていて、それらのデータ管理をするだけのDBはとてもじゃないけれど作れないし、神ですらそれは無理な仕事なのかもしれないって思ってしまったよ。世界の裏側から帰ってきたとき、世界の世界であることに驚いた。 

吉祥寺駅に行くまでの道すがらにある蔦で覆われた建物。ラピュタを想起させる。


2005年11月6日(日)

 渋谷シネマライズでダニー・ボイル「ミリオンズ」。想像していたよりも楽しめる映画だった。イギリスらしさがよくでていたけど、フルモンティのような低所得労働者の時代はもう終わって、既に高級住宅街があって、poorな人を探すのに苦労するようなところがあって、まさに時代を反映しているように思えた。主人公の少年がpoorな人にお金を施そうとしてそれをわざわざモルモン教のアメリカ青年達に見いだすところは面白い。それでいてポンドからユーロへの変換期に焦点を当てていて、イギリスもヨーロッパであることをいよいよ認識しだしているのかもしれない。少年の為替感覚に父親が驚いて「本当に俺の子か?」というところが笑えて、近くに座っていてやたらと受けのいい(外人さんらしい)外人さんよりも早く笑った(ここだけちょっと勝ったと思った)。しかし、ダニー・ボイルは最初の「シャロウ・グレイブ」が一番面白いと思うけど、これいかに。


2005年11月5日(土)

 NTTの工事の方がやってきて、KDDIの設定も電話越しに変えてもらって、ようやくネット開通。長かったー。


2005年11月4日(金)

 吉祥寺で20〜30代前半の職員飲み会。開始20時半に慌てて行ったら浮かぬ顔をした幹事だけがいて、「全然集まらないですよ」。みんな忙しいみたい。結局、2時まで飲んだのでした。


2005年11月3日(木)

 三茶で白井晃演出「偶然の音楽」を観劇。オースターの原作にかなり忠実なストーリーの流れになっていて、椅子が並び、後半は方形の石の並ぶ舞台も簡素ではあったが、この物語にはよくあっていた。主演の仲村トオルは声が低くてよく響き適役。ジャック・ポッツィ役の小栗旬も、僕のイメージしていたポッツィ像(へらへらした感じのしけた男)とはまったく異なっていたものの、ジャニーズ系で軽い感じの演じ方が案外適役だったようにも思えた。この物語にはいくつかのテーマがある。ひとつは物事には流れがあり、それは他のものと調和することによって成り立っているということ(主人公はそれに逆らったために、石積みという調和の必要な作業に従事することになる)。ひとつは運命は自分で切り開いていくことができるように見えても実はそれは神の掌の中でのゲーム程度のものかもしれないということ(主人公は絶えず自分を掌中に収めている、姿の見えない支配者の存在に脅かされている)。ひとつは僕ら自身の存在を確認する作業はとても難しいということ(それは結局人とのつながりの中で生まれるもので、主人公はポッツィとの共同作業の中に自己の存在を見つけたように思うが、結局ポッツィーの消失した後には、彼自身の存在というものがひどく不確かになってしまう。)
 ということで、いろいろ思考を必要とする演劇で大変楽しかった。記念にTシャツも買ってしまったり。
 帰りは新宿で仕事用のシャツ・タイ・靴を買って散財。


2005年11月2日(水)

 物を捨てることって過去を忘れ去るってことと同義なのかもしれないね。

  

2005年11月1日(火)

 システムにログインできない人がでてきて対処に頭悩ました。ネットが理由と対応方法を調べてシステム会社に相談して、夜の20時にシステムの設定を変更してどうにか事なきを得た。我ながらスピーディーで的確な対応だったと思うよ。


2005年10月31日(月)

 学長に呼ばれた会議でe-learningについての発表。こうしたことが初めての割には上々だったと思うよ。春に僕が作文して申請した文科省への補助金が通って、今後数年間一千数百万円がおりることになって、学長に「大変だね」と変な労い方だったけど声をかけてもらった。とにかく、これで僕は当面給与をもらう資格はあるってことだね。


2005年10月30日(日)

 ハロウィンということで、10月の初めの北海道行きで買ったカボチャでポタージュをつくる。サツマイモを少し入れたら、深みのあるよい味になったよ。ベランダのパセリを刻んで入れる。それに鶏肉のバルサミコ酢の照り焼き風、サラダ、ダンディゾンのパンに、金曜の余りの白ワインといった夕食。彼女と出会って一周年というわけだ。
 
 駒場で青年団+劇団PARKの「ソウルノート」。平田オリザが湾岸戦争やボスニア紛争でインスピレーションを受けて作った「東京ノート」という作品を下敷きに、韓国で「ソウルノート」として脚色されたのを日本人と韓国人の共演で行ったのが今回の演劇だった。青年団の演劇は今回が始めてだったが、同時進行する多層的な日常的会話によって、観ている者の何かを変えていく力を感じ取ることができ、なかなか面白かった。美術館の入り口の待合室という空間のみを使って、これだけ広がりのある世界をつくれることに驚いたし、まったく違和感の感じさせない演技をみせる役者陣の技量にも驚いた。また、行きたいね。
 
 ショーペンハウエル「知性について」。序盤の哲学とその方法についての項は読むのが大変だったし理解もかなわなかったけれど、中盤の知性については脳が興奮して冴えていくような感覚があった。(が、一週間前には覚えていたのに、今となっては早くも記憶の網からすり抜けてしまったように思う。)
<<知性が必要な程度をすでに超えたときに、はじめて認識が多かれ少なかれ自己目的になるのである>>さらに天才になると、<<天才においては、認識そのものを生活全体の眼目とし目的とするような段階にまで達し、これに対して彼一個人の現実生活は、付随的な問題、単なる手段へ格下げされる>>ということである。
 ショーペンハウエルの時代はまだ遺伝子や原子レベルでの科学的な究明がなされていなかったようで、哲学がすべての学問を支配できるような考え方にあるのもそれはそれで面白く思った。ある時代までは哲学というものは学問の上座にのっかっていたのに違いないね。


2005年10月29日(土)

 スピッツなど聴いてるお休みの昼下がり。
 NTTに電話したらマンションの配電盤が悪いかもしれないって。思わず、双子のこと思い出しちゃった。KDDIに電話したらやっぱり配線がおかしいかもって。僕もそう思うよ。


2005年10月28日(金)

 月曜日の会議での発表用の資料作成を夜一挙にやる。ネットを駆使して、総務省やら文科省やら、他大学のセミナーの発表資料を集めておしまいっと。こういうことやってると、どんな情報であっても誰もが手に入れることができる時代であることを実感できるよ。


2005年10月27日(木)

 この前の京都のお礼のメールがけっこう届く。学生の満足度調査としてアンケートを集計中なのだけど、そちらでも好意的な意見が多い。そういうのを読むと、自分もいろいろな人のために役立てているんだなぁって単純に嬉しく思う。この仕事のいいところはそんなところ。


2005年10月25日(火)

 KDDIの案内によると今日からネットが繋がるということだったので意気揚々の接続の準備。・・・なのにつかない。どうもモデムの信号によると、回線のほうが繋がっていない模様。NTTかKDDIかこの部屋の配線のどれかがおかしい模様。テレビの見れない部屋の次はネットのできない部屋?ちょっとdisappointed。

 
 

2005年10月24日(月)

 夕刻、オフィスに残光が差し込んで部屋の中がオレンジ色になって、「世界の終わりみたいだなぁ」ってつぶやいたら、「世界の終わりってこんなに明るいの?」なんていう突っ込み。「明るく終わるって感じじゃない」なんて答えたら普通に笑われた。暗いエンディングってなんか想像できないな、今は。


2005年10月23日(日)

 近くの蕎麦屋で蕎麦焼酎と辛味大根の蕎麦をいただく。この店は駅前にオフィスがあったときに週1回は行ってたところで、JAZZがかかっていてくつろげる。たった一杯の焼酎で意外にも酔ってしまったのでした。


2005年10月22日(土)

 日帰り京都。手提げかばんで出かけて仕事も成功、アイーダのポスターにちょっとため息混じり終電近くの新幹線に飛び乗る。今年のロード戦はこれをもって終了。


2005年10月21日(金)

 フィンランドの現代デザインをNHKでとりあげていたので観てみた。アールトから最新のデザインまですべて自然との調和を考えた気持ちのいいデザインばかり。もっと気持ちよく生活することって多分できるのだと思ったよ。また、北欧に行きたいなぁ。
 明日は京都日帰り出張。ほんとは一泊してのんびりお寺でも回りたいとこだったけど、ホテルがフルだったのだ。今週は振休をとらないからまぁちょうどいいのかもしれないけれど。


2005年10月20日(木)

 村上春樹の新しい短編集「東京奇譚集」。「偶然の旅人」と「ハナレイ・ベイ」を読んだところだけどいい感じ。思った以上というか、あまり期待せずに読み始めただけに(好きな作家だからあまりに期待してはずれるのが嫌だというのもあったかもしれない)、ちょっと驚きだった。うん、それにしても、面白いとはいいことだ。
 村上春樹の小説を読んでいて、小説家というものは、日常の中に潜んでいる記号(あるいは自分のために用意された意味)をキャッチしてストーリー化してしまうことに優れた人種なのだということに気づいた。ポール・オースターもまた然りだよね。日常の中には僕らにとって意味のあるものがいつだって息を潜めて僕らに発見されるのを待っている。僕らはそれを発見することによって、この世界が僕の外にあると同時に中にあることに気づかされるのだ。つまり、僕はその瞬間、世界と繋がっていくのだ。だけど、表層だけを追い求めるのが好きな僕たちは、日常に潜む自分のための記号を発見することができない。僕らが発見するのはテレビの中の流行だけで、それは発見するのじゃなくって、発見したと錯覚させられているに過ぎない。
 僕らは優れた小説を読んで、日常に潜む記号の見つけ方を思い出すことができる。もし見つけ方を知らなければ、見つけ方を知ることができる。そうして自分の記号を発見することができれば、それは自分の中に用意された無数の部屋のひとつを開ける鍵となるのだろう。その部屋を開くことはどんなにか僕らを興奮させることだろう。部屋をひとつ開けることで僕の世界は広がる。僕らの外の世界の広がりは、実は僕らの内部の広がりに比例しているのかもしれないね。


2005年10月19日(水)

 物事は好転しているのか、空転しているのかわからないけれど、続いていく。キャラバンみたいにもっと愉快に暮らしていかなっきゃなぁ。


2005年10月18日(火)

 動物園のシロクマの檻の中みたいに淡々とした一日だったよ。


2005年10月17日(月)

 木曜の面談を受けて、仕事のやり方を若干変更。効率性よりもコミュニケーションを重視。これまで普通に頼んでいた仕事も自分でこなすようにして、さらに他の人の仕事をひとつひとつチェックして丁寧にサポートすることにした。おかげで残業時間が延びたって、・・・当たり前か。しばらく、こんな感じでいこうかな。


2005年10月16日(日)

 東京ステーションギャラリーで加守田章二展。20世紀後半の陶芸家。若い頃つくった花瓶からして既にセンスがよく驚かされる。色合いやラインなど現代的な感じがして日本をかけ離れた感じもするのだけど、素材そのものは日本的なものを踏襲していて、それらがうまく調和していた。<<自分の外に無限の宇宙を見るように、自分の中にも無限の宇宙があり>>、それを統一させていくことが彼の芸術だったようだ。見応えがあって、ほんとうによかった。
 
 「陽のあたる場所から」。原題はstormy days。発声できず内に籠った精神病患者をアイスランドの離島に訪ねる若いフランス人女医のお話。訪れたアイスランドの離島は観光シーズンも終わり、空は暗く、寒く、ただただ重く苦しい。女医は患者を救い出すこともできず、何もできずただただ立ち止まるのみ。比ゆ的には、恐らく心的内面への旅とでもいうのかな。だけど、そこは抑圧されていて解放への道がない。最後にようやく陽の光が当たって、一瞬何かが融けるようにも思うのだけど、それは変わることもない・・・。ということで、救いがないというか、諦観的な映画だった。


2005年10月13日(木)

 上司と上半期の成果について面談。求められているのが今以上みたいでちょっとたじろいじゃった。仕事があまり大変じゃなさそうなのが(実際、大変じゃないんだけど)、周りからは楽をしているように見えるとかそんなこと。だから大変になるとこまで挑戦ってことなのかな、ふむ。まぁ、その上をいきませう、いきませう。


2005年10月12日(水)

 サッカー日本VSウクライナ戦をTVで観る。さすが敵地ということで最後は審判にゲームを壊されてしまった感はあったけれど、力の均衡した良いゲームだった。中田はやはり欠くことのできないプレイヤーだと改めて認識。フィールド内の監督とも思えるほど、ここぞというところでチームに統制をつくるし、どんな状況でもボールをキープして感情的にならない。そして中村の正確なキック。ピンポイントで次々と前に当ててチャンスをつくるところは流石。以前はトリッキーなプレイばかりが目立っていた松井はフランスで成長したようで、前線でボールをキープし続け、そこから巧みに前に抜けていくような、相手が嫌がる選手になった。


2005年10月11日(火)

 金子勝、アンドリュー・デヴィット、藤原帰一、宮台真司の対談「不安の正体! メディア政治とイラク戦後の世界」を読んでいる。宮台真司は援助交際やオタク系の社会学者なんだと思っていたら、ここでは特にメディアにおける世界の仕組みについて力強く述べている。若干、人(ex.ネオコン的言動の福田氏など)をこきおろすところが感じられるけれど、意見は真っ当でもしかしたら勘違いしていたかもしれない。ここに絡んでくる国際政治学者の藤原氏の意見もなかなか面白い。藤原氏の言うアメリカでの選挙の方向性の変更が非常に日本と似ている。<<ニューディールから公民権運動の時代までの民主党の票の集め方は、基本的には政府の予算を分配して、それで支持を獲得するという、非常にわかりやすいものでした。これは具体的には政治利益を組織化して、組合や農民団体といったものがベースにあり、それが集票マシーンになっていた。>><<共和党のほうはメディア選挙なんですよ。メディアを操作してその場限りの争点を作り、それをテレビで流して相手に勝っていく。p.196>> また、イラク戦争の原因については藤原氏はこう説明する。<<今回の戦争は、アメリカ資本と保守勢力が大団結して勃発したという見方はたぶん間違いだと思う。(略)むしろ少数のかなり突出した役人や政治家や企業が政権をハイジャックしたと捉えるべきでしょう>>また、911以降ネオコンが<<多様性を認めない文化は逝ってよし>>に<<カント的な合意の時代から、ホッブズ的な力の時代への移行>>を加えて、一時的に強大になっていることを宮台氏は指摘する。情報操作が強くなってきている時代にどのように国際政治や経済を見ていくのかがこの本の主眼と言えるだろう。本の帯には『もっとリアルな認識を!』『踊らされるな!』という文字が刻印されている。
 
 フェリーニの「道」。優しさにあふれる味わい深い作品なのだと勝手に思っていたら、味わい深くはあったが息が詰まりそうなくらい寂しい作品だった。人は誰かに愛され、必要とされることが絶対的に必要なのに、ここに出てくる女は一緒に旅をする男がいるのにその証を得ることができない。むしろ期待は裏切られていく方向に向かう。道化はとてつもなく寂しいものなのかもしれないし、またフェリーニの心のうちもこのくらい寂寞としたものだったのかもしれない。映画観た後、ひとり寒風の中、自転車こいでたらこの映画のシーンが浮かんできて心苦しかったよ。


2005年10月10日(月)

 アキ・カウリスマキ「白い花びら」。サイレント・ムービーであるが、心情に合わせたような音楽が印象的。田舎で幸せな暮らしをおくっていたにも関わらず、不意に訪れた不足感によって、女は知り合ったばかりの男と新しい希望をもって街へ出てしまうが、女の希望は程なくして絶望に変わっていく・・・というストーリー。妻をとられる男はこの映画では気の毒な存在として描かれているが、彼は妻自身を結局のところ知りえていなかったのであり、幸せであるということを日々の幸せの中で実感していても実はそれを共有できていなかったということに気づくのが遅かったわけである。そして最終的な決着のつけ方も、古典劇的に直截的過ぎて、そこで何かが救われることはない。白い花びらは二人の幸せ、あるいは女性の思いを暗喩している。
 *
 インターネットから離れて早くも一ヶ月以上。今日、僕が使ってるプロバイダであるKDDIに電話してようやくすべてが明らかになったが、この会社には呆れ果てた。前回の引越しのときにもKDDIの対応が悪かったがこう何回も続くとそういう社風なのかと疑ってしまう。一方でKDDIに比べて座を取って代わられそうなNTTのほうが対応が早く、正確で、不思議な感じがする。とにかく、あと2週間か3週間はお待たせすることになります、だそうだ。
 *
 少しずつ秋が深まっていくようで、窓ガラス越しに冷気が入ってくる。原美術館で買ってきたシロクマのカップにココア淹れて飲んだりしているのだが、この気分、3年前に似ている。日中、ずっと本を読んだり書き物をして、夕方から塾で教えていた頃が。小舟の中でひとりきりになってしまったような気持ちで生きていて、焦燥ばかりが胸のうちにつっかえていた。夕闇の中、街へ向うバスの窓越しに見える街の風景とこの僕は隔絶してしまっていて否応なく胸が痛んだ。ずっとそうしたものは忘れたくないと思うよ。


2005年10月9日(日)

 渋谷ライズで犬童一心「メゾン・ド・ヒミコ」。ゲイを演じるオダギリ・ジョーがかっこよく、それでいて存在感がある。「人に必要とされることこそが、生きていく上で何よりも大事であり、そうしたことが得られる場所を人は何よりも大事にするものなんだ」というのがテーマだったように思う。一方で柴咲コウ役の女性が感じる「自分のために他のものを捨てたのに捨てたものを好きだと言える心情への戸惑い」には完全に救いがなかったように思う。ただ、だからこそ、この映画には意味があるのかもしれない。金属のようなざらついた心象音ともいうべき音楽もよかった。

原美術館で買ったシロクマくん。


2005年10月8日(土)

 原美術館でやなぎみわ「無垢な老女と無慈悲な少女の信じられない物語」展。老女と若い女の対比がみごと。美醜と老若は常に僕らと一体にあって分かちがたい。どんなに美しく純真な女もやがて年老いて皺だらけの手をもつようになるだろう。そうしたものへの直視と残酷さと受け入れなくてはならない諦観を観るものに植えつけているように思う。老いているからこそ得られる美しさというものももちろんあるだろうがここではそこまでは触れてはいない。すべては永遠ではないことを悟ることも大切なこと。もうひとつガルシア・マルケスに触発されて創られた砂女の話も味わい深くてよかった。
 団四季「キャッツ」。キャッツの新しい劇場は品川から五反田へ行く途中にある。全体的にストーリーがなく、猫それぞれの個性と歌、踊りといったところが見所なのだけど、僕にはもうひとつだったかな。後半の歌唱はよかったけれど、やっぱり単なるエンターテイメントだけであれば、僕には何かを観ることの意味がそこに見出せなくなってしまうんだよね。


2005年10月7日(金)

 連休に入るのに仕事が残ってしまってどうしようかなってところで飲みの誘い。コミュニケーションを優先してさっさとオフィス出る。恋破れた友達の話聞いてて、思わず飲みすぎて、帰り雨降る中、他の友達を巻き込んで自転車で転ぶ。


2005年10月6日(木)

 昼ごはん食べてるとき、後輩とこの前の札幌の夜の記憶試し。二人とも二次会と三次会の記憶が相当曖昧で大笑い。一次会から移動するとき階段で躓いて脛を打って痛かったのだけはなんか覚えてたり。


2005年10月5日(水)

 雨降りにスーツ少し濡らして、でも何かクールな気分してたり。軽快なジャズピアノ的雨音みたいな軽口放って曇り空だって蹴散らせ水曜日。


2005年10月4日(火)

 振替休日で、何か本でも読もうとして押入れにある本のぎっしり詰まったダンボールを探っていたら出てきたのが読みかけのナボコフの「ロリータ」。栞が全体の4/5のところにあったから一挙に読んでしまうことにする。限りなくアブノーマルに美的陶酔に酔いしれる主人公の独白はなかなか面白いのだけど、いかんせん話が長過ぎるような気もした。母国ロシアを出てヨーロッパを遍歴し、最後の最後で容易には懐柔できないアメリカに至ったナボコフの経歴を考えれば、伝統的なスタイルを保つヨーロッパ的要素(母親)を打算的にも捨て、粗野で悪趣味なものが入り混じりながらもその処女性と純粋性に甘美せざるえないアメリカ的要素(娘)への転換をストーリーにしたとも言えるような気がする。
 イギリスの炭鉱町が舞台の「リトル・ダンサー」。炭鉱労働者の職あぶれの中で希望を見出すような映画は「フルモンティ」などいくつか観たように思う。希望の光明があり、愛するものがいるからこそ、人は生きていけるのだと思う。


2005年10月3日(月)

 若干身体が重いけど一定速度で仕事をこなす。出張のお礼状やらお礼メールを機械的に書いて、手当を機械的に計算してって感じで独創力はまったく関係なし。お昼は学生課の方(僕が入ったときの人事担当)と食事して、少子化や高齢者医療費、都市の防犯などについて留め止めもなく話す。高齢者向けに自給自足程度でもいいから畑を用意することで、医療費削減と食料自給率微上昇とコミュニティの結束づくりがはかれるんじゃないかって思いつきで話したら、妙に感心してた。
 夕方は学長に呼ばれて委員会参加。余計な仕事を増やしたくないから出来る限り黙って、訊かれたときだけ、丁寧な言葉遣いで意見を言ってた。しかし全体の目的が決まっていないから会議の話の流れがすごく本末転倒的なところを行ったり来たりして、誰もそれを止めないから、一人でむしゃくしゃしてたよ。とにかくすごく生産効率が悪い会議だったよ。 会議前には学校のトップと会ったのだけど、こちらは満面の笑みで「おっ何かいいことを思いついたか。いつでも提案を待っているよ」って。先週呼び止められついでに部屋までのこのこと出かけて、収益を上げる施策を打つことについてちょっと熱く話し過ぎたためかな。まぁとにかく、上の方々から存在を認められているからよしとしなければね。
 今やってる仕事は4月から授業のWEB配信をやるんだけど、その次は携帯電話の利用じゃないかって睨んでる。イメージとしては図書館や喫茶店でたとえば30分でもテキストで勉強して、その場でケータイ使ってテスト受けて復習ができるという感じ。ノートPCを持ち運ばなくても、テストができちゃうってすごくないですか。飛行機乗るときケータイ自動チェックイン使ってたら、やっぱりこれかなって思ったんだよ。
 やりたいことが旺盛な一方でどこかで転職を見極めなければって思ってる。札幌に二週連続で帰って、やっぱりより自分らしくいられるところで生活したいなって思ったから。決断するなら30代前半かな。 


2005年10月2日(日)

 二週連続の札幌。今回は出張だったけど、非常にリラックスできた。一緒に連れていった後輩が「仕事とは思えなかった」なんて言ったくらい。
 土曜日は昼に着いて早速市場でイクラ丼、仕事の後も学生と飲み歩き(僕は飲みすぎて途中陥落寸前だった)。日曜日は藻岩山展望台、ラーメン屋五丈原、時計台をまわったよ。札幌はなんていい街だろう。望郷の思いがますます高まってしまったり。ちなみに仕事はこれまでで一番成功したよ。プログラムを練り直してグループワークを取り入れたのと、一般向けにきちんと説明会をやったのが功を奏したみたい。

二条市場の寿司屋でいくら丼。後輩が幸せそうだった。

地味に、初めての五丈原。

これが札幌を代表するラーメン。スープはこくがあって美味しい。

このアングルの時計台は初めて

スローな札幌の中でもスローな空間。時計台裏の北地蔵。

静物画みたい。ずっといるとどこかに落ちていきそうになる。

大通公園。躍動的な噴水と雲の動き。