ユーラシアの最西端 ロカ岬


*地図を見ながら 旅のはじまり * 

 春先からポルトガルへ行こうと決めていた。

 しかし、どうしてポルトガルに行きたいと思ったのか、途中から不思議なことに思い出せなかった。

 そのため、旅をしながらどうしてそこを旅しているかを探すという一風不思議な旅となった。

 「サウダージ」とはポルトガル語で郷愁という意味で、僕はこの言葉の響きがとても好きだ。
 この旅の中で、これまで何度か思ったことだけど、旅と人生は似通っているということをつくづく思い知らされた。
 身軽に次から次へと町を巡り、疲れた足を休めながらぼんやりと過去を回想して、その町の空気に自分を慣らす。つまりは、そうした旅のスタイル自体が僕の生き方とほとんど変わらないということなのだろう。
 
 結局、サウダージを僕は探していたかったから、ポルトガルに来たのだろう。それを日々追い求めずには(過去を振り返らずには)いられないから。そして、その感覚が好きだから。
今回のルート。日程が少なくて、早足でまわった。
 
2004年8月31日(Mon) 東京→(BA8)→ロンドン→(BA504)→リスボン
 
『おとぎ話の国のような』
 
 エアーフランスで行き帰りのはずが欠航ということで、ブリティッシュエアウェイズに変更。機内は空いていて快適だった。ロンドン乗り継ぎ、小一時間ほどでリスボンへ。ロンドンの飛行場はよいスーツをきたカッコいいビジネスマンが多かった。
 リスボン着は21時ごろ。機上から見るリスボンは、まるでロウソクを並べたようなミニチュアのおとぎ話の町のような雰囲気で、初めてなのに懐かしい気分がした。入国審査は二つしか窓口が開いてなくてかなり待たされる。ラテン系の国だから、特にそういったところも考えないのかもしれない。飛行場からはタクシー乗ってネット予約していたホテルへ。Turim Hotelというところだったのだけど、☆4つなのにネットでは55€で、広々として快適だった。(逆に最初がよすぎて、その後の宿のレベルに少し苦しんでしまった。贅沢を知ってしまうのはよくないのかなぁ。)バスからあがった後、備え付けのバスローブなんか着てゆっくりしてた。
 
2004年9月1日(Wed) リスボン

『大航海時代に輝いた街』
 
 朝食をとったあと、早速リスボンの街へ。
 気温は20℃程度、半袖だと日陰では涼しく感じられるくらいの気候で、札幌の夏にも似ているような気がした。途中のケーブルカーで急勾配の坂を攀じ登って見晴台へ。眼下に家並の煉瓦色の屋根が目に優しかった。
曇り空の下、大航海時代に帆船が出て行ったであろう静かな入江が見えた。
 サン・ジョルジェ城の丘に登ってさらに逆側から街を一望した後、北部にあるグルベンキアン美術館に向かう。朝方の雲はどこにいったのか、いつの間にか太陽が頭上でまぶしく輝いていた。美術館の展示物は印象派の絵が数枚目を引いた程度だった。むしろ建物の周囲のランドスケープ・デザインが面白い。方形の平石を使った舗道と、ススキ等の植栽など、想像力の喚起されるようなつくりになっている。大学時代に来ていたら、もしかしたら今頃こういった設計をやっていたかもしれない。しばし、芝生にてくつろぐ。
 夜はホテルの近くのレストランへ。テーブルクロスにキャンドルが輝くようなレストランで、旅先だから入るものの、日本だったら一人では敬遠してしまうようなところ。タラを焼き物だったのだけど、これが残念ながらしょっぱかった。おかげで相当ワインが進んだ。サニーデイ・サービスのアルバムで昔ポルトガル旅行の話が書いてあって、そこに「食事がしょっぱかった」とあったのを今さらながら思い出した。ひとりで食べていると、ちょっとしんみりしてきて、ポルトガルを一人旅行していたRのことを思い出した。そうして、いつもは好きな一人旅の寂寥感に、この旅では耐え切ることができるかちょっと自信がなくなってしまった。


 コメルシオ広場で写真展が開かれていた。

ベルべキアン美術館。ランドスケープ・デザインがおもしろい。ススキの使い方が上手い。

サン・ジョルジェ城からの眺め 城からの眺め

大衆食堂で昼ごはん。骨付きの豚肉。

夕食。タラ?の焼き魚風。しょっぱかった。ワインはすごく美味しかった。

 
2004年9月2日(Thu) リスボン→コインブラ
 
『古き大学町で』 

 朝食をとってバスターミナルへ。今のところ、スマートに旅は進んでいる。バスの発車を待つ間、去年の旅で開眼したのに日本ではなかなか飲む機会のない炭酸水を飲んでいた。アグア・コン・ギャスという言葉をとりあえず覚えた。
 コインブラまでのバス車中はひたすら眠っていた。そんなわけであっという間にコインブラへ。宿は歩き方に載っていたモデルナ(S35€)にした。前の宿に比べると、いまひとつなのだが、親父の愛想はよくて気に入った。
 お昼はタコのリゾット(アローシュ・デ・ポルヴォ)。タコがすばらしく柔らかくて、タコ好きの僕としては間違いなく絶品と言えた。ポルトガルのタコが柔らかいのか、それとも単に調理法が違うのか・・・。
 コインブラは16世紀にここに定められた大学町として有名。古い大学の図書館とか一応見学。新しい大学も隣接していて、いい感じだけど、実際には新しい理系の研究が行われる規模はなさそうで、文系の大学といった感じ。大学町というのは、メキシコのグアナファトもそうだけど、肌にしっくりときていい。伝統の中に今が息づいているような気がするものね。
 大学の丘を越えて、植物園を歩き回っているところで夕立。一時間くらい、木の下のベンチで雨宿り。その間、雨にも関らず園内をジョギングする女子学生ひとり。まるで時計の秒針のように、その子が時折姿を表しては、また木陰に消えていくのを眺めていた。
 夕刻、雨上がり、川面に映る旅先らしいすばらしい夕陽を眺めてから、ごはん。今度は下町風の定食屋みたいなところに入る。わけもわからず、メニューの上に書いてあるものを頼んだら、オーナーがよくぞ頼んだという顔をする。出てきたのが黒い丸焼きの大きな肉片。あとで歩き方で見合わせたら、コインブラの郷土料理であるシャンファーナという食べ物だったらしい。小ヤギ肉をワインや香草と一緒に煮込んだもの、らしい。見た目はそれほどよくないが美味しかった。ただ、量が多すぎて、さらにオーナーが残すなという顔をするので(さすが下町的!)、胃拡張になってしまうかと思った。出てきた赤ワインがとびっきり美味しかった。

タコのリゾット。最高。

コインブラの丘の上。

現在の大学の校舎。

コインブラの町並み。

これもコインブラの町並み

コインブラ駅です。ちょっと優雅な建物。 川面に映る夕陽かな。

コインブラの郷土料理シャンファーナ。ちょっと豪快。

 
2004年9月3日(Fri) コインブラ→ポルト→ブラガ
 
『ワインの街の昼下がり、宗教の町の夜』 
 
 コインブラからポルトへ電車で移動。いつもながらすぐに眠りの中。ポルトには荷物を預けて、簡単な観光。街はどこを歩いても歴史的な雰囲気があって悪くない。まぶしい太陽の下で、電車の時間まであちこち歩き回っていた。
 午後、ブラガへ移動。ブラガは宗教の町と言われていて、こじんまりとしていながらも歴史的な重厚さを感じる建物が多い。夜は広場の噴水のまわりがライトアップされて、サニーデイサービスのアルバムのメリーゴーランドの写真を思い出した。サーカスのような華やかさとそれが過ぎ去っていく一抹の寂しさが感じられた。

バルテゥスの絵みたいな写真。全体的に何か不安を感じてしまう・・・。右下の少女と空の暗さとのバランスがよいように思う。
食べかけだけど、夕食。

夜のブラガ。庭園のライトアップ。

街中の不思議な動物の像。かわいい。 ちょっとうっとり、ブラガの夜の噴水広場
 

2004年9月4日(Sat) ブラガ→ギマランイス→ポルト→リスボン
 
『クールな山城のある町』 

 ブラガからギマランイスへの移動。この日はブラガからリスボンに戻る予定で、一挙に戻れば問題のないところを、折角ポルトガル北部まで来たのだからと欲張って足を伸ばすことにした。ギマランイスまでは一時間ほど丘陵地帯をバスで抜ける。バスがぼろくて、ちょっと車酔いしてしまった。
 荷物をバス会社に預けて、ギマランイス観光。町の名前からして不可思議。初代のポルトガル王が生まれた町で、一応世界遺産みたいだ。お城と城砦が見所。特に城砦は10世紀につくられたものらしい、城というよりは山城風の雰囲気。巨石が白の壁にくっついていて、なんだか面白い。かなりシンプルなつくりなのだが、10世紀であれば、大砲や銃器もなく、とりあえず刀剣と弓矢の戦いだっただろうから、壁さえ高ければ用は足りたのだろう。おまけで来たにしては楽しめた。
 バスまで時間があって、日本で言うところのカフェでハンバーガーとワインを飲食。若手オーナーがつくった店のようで、けっこうセンスがよくて、楽しめた。オリーブが上部に旗のように刺さったハンバーガーも重層構造だったしね。でも店の雰囲気の中、ワインを飲みすぎたのがよくなかった。店を出てから、路がわからなくなって、危うくバスに乗り遅れるところだった。最後は走って滑り込みで乗り込んだ。これじゃオトナの旅が台無し。まるで銀河鉄道999だ。「早くしないと、もう汽車が出ちゃうわ」みたいな感じで。
 ポルトまでバス。さらにポルトから特急電車で3時間リスボンへ。日本で言えば、大阪−東京の移動の感覚かな。ロシオ駅のそばに宿をとる。便利この上ないけれど、バスの栓はないは、テレビは壊れているはで、ちょっと不満な宿だた。大都市はやっぱり予め予約に限るのかなぁ。

遠くから見たお城。ドラキュラとか住んでいそうだね。 お城、うーん堅牢。 影も面白い。 青栗と青靴
山城風の城砦、巨石が壁と一体化していた。 城砦内部、塔へのつり橋 城砦の外観 ギマランイスの不思議な噴水。
カトラリ、ハンバーガー、ワイン、すべてクール。 ハンバーガーの断面図。もう一度食べたい。 リスボンの夜。 リスボンの門。
 
2004年9月5日(Sun) リスボン→シントラ→ロカ岬→カスカイス→リスボン
 
『ユーラシアの西端へ』 

せっかく来たのだから最終日はロカ岬を見ようと思う。朝早めに起きて、電車でシントラへ向かった。山の中に一風変わったというか、奇をてらったような宮殿のある町だ。日本にあったら、多分悪趣味だと言われるだろうし、僕もそう思うだろう。まぁここは異国だ。
 宮殿へは森の中の坂道登るバスで行く。宮殿はノイシュバンシュタイン城を建てたルートヴィッヒ2世のいとこがつくったのだという。ノイシュバンシュタイン城は優雅という感じがするが、こちらはその逆のイメージだ。ただ、観光で見る分には面白い。もし住むのを選べるんだったら間違いなくノイシュバンシュタイン城だね。宮殿の周囲は深い森で囲まれていて、空気が澄んでいて気持ちがいい。
 ロカ岬行きのバスまで時間があったからiより少し下ったところにあるレストランに立ち寄る。タラのグラタンがすばらしく美味しかった。オーナーがホスピタリティに満ちていて食後酒などサービスをしてくれたのも気分がよかった。しかし、のんびりしすぎて、またしてもバスまで走る目に合う。全然懲りていない。
 ロカ岬までは最後細い道をたどっていって到着。岬は風が強く、柔らかい髪は風の思うがまま、なすがまま。大西洋を眺めて、ミネラルウォーターを片手に、ぼんやりしていた。特に陸路でユーラシアを横断してきたわけでもないから、これといって感慨もなかったが、とりあえず旅の終りに近いんだなという気にはなった。
 ロカ岬からバスでカスカイスという海辺の町を立ち寄る。海沿いにテラスのようになっているレストランでビールを飲んで、西日を思いっきり身体に浴びた。(結果、最後の最後で日焼けをすることになった。)
 カスカイスから戻る途中で、この旅初めての日本人青年。彼と一緒にリスボンでご飯食べて最後の夜は終わった。いろいろと話したけど、大事なことはすべて忘れてしまった。

シントラの町並み

まるでアニメにでも出てきそうなお城。ファンタジーな王様が住んでいそう。

誰も座ることなく苔むしたイス

やっぱりワインだね。

バカリャウ(干しダラ)のグラタンみたいなもの。とても美味しかった。

大西洋の波です。

ここがロカ岬。

ここに地果て、海始まる

 
2004年9月6日(Mon) リスボン→(AF2125便)→パリ→(AF276便)
     9月7日(Tue) →東京(成田)
 
『帰国』
 
 パリ経由で東京行き。相変わらず、おなかが痛くなる。隣の席に座って、グローバリズムの本を読みふけっていたどこぞの私立大学の女性教員と大学の将来について話し合ったりもした。
 そうして東京着。もっと旅をつづけていられたらなぁなんて思える旅だった。終わってみれば、僕の探した「サウダージ」は、旅するほどにみつからなくなるようなものだったのかもしれない。そう、僕はあまり過去を振り返らなかったし、寂しくならなかったのだ。こぼすはずの涙もポルトガルの日差しと風が忘れさせてくれた。きっと、それが今の僕が選んでいる生き方なのかもしれない。結局、過去の幻影は旅のはじめに僕の前を一瞬よぎっただけで、それは見えなくなり、僕は現在形の世界の中を進んでいたのだと思う。過去よりも現在への直視。大西洋の青い波の向こうに広がる未来。そうしたものを、この両目を見開いて記憶して、自分の心の中に焼き付けていたのだと思う。
 ・・・でも、一方でそうした感動を心底から分かちあえる人がいたらなぁという思いが以前よりは強くなりはじめているような気もする。今、生きている現在を同じ言葉で刻むことのできる人を、ね。

『オマケ * 旅程がもう数日あったら』
 
 オビドスとエヴォラにいきたかった。どちらも城壁で囲まれた美しい町。今でもちょっと心残りなのです。