3daysソウル  〜ハングルな激辛の国へ〜

 「どこか週末で行ってみたいとこある?」
 「・・・」
 「たとえば、京都とか、沖縄とか、札幌とか・・・・、韓国とか台湾もいいね・・・」
 「じゃあ、韓国!」
  そうやって始まる旅行もあるみたいだ。まったくのお気楽旅行です。

 
2005年5月21日(土) 東京(成田)→アシアナ航空→ソウル
 
『ピクニックくらいの気軽さと身軽さ』 
前夜は飲み会。帰宅して、旅行バッグにパッキングするのがひどく億劫で、小さな手提げかばん一つで海外で行くことを決断して眠る。着替えの靴下、パンツ、Tシャツ、洗面用具、パスポート、デジカメ、ロリータ(ナボコフ)を詰め込む。
 渋谷にでも遊びに行くような格好でGO。船橋のエクセルシオールで買った珈琲を手に京成に乗り込む。車両を移動して、笑顔のS(=彼女)を発見。

『こりごりな免税店』 
眠っているうちに飛行機は飛び立って、カールスバーグで飲んで気持ちよくなったところでソウル着。海外というより福岡くらいまでしか来たような感じしかしない。
 空港には現地係員が待っててくれていて、ホテルまでマイクロバスで送ってくれる。向こうに見えるのが〇〇、こちらが〇〇と至れりつくせり。途中で寄ったロッテ免税店は余計。な〜んにも買うものがない。(と言ったわりに集合時間に5分も遅れたりしたわけだが。)Sはmarimekkoの小さなスペースを動かなかった。

『コリアン料理』 
ホテル着いて、Sがちょっと疲れたというので、ホテル周辺で夕食済ませることにする。日本語メニューが窓に載っていて、現地人であふれている駅前のお店に入る。ビール頼んで、カルビのスープ。キムチは無料で山盛りついてくる。キムチの大きなブロックをそのまま食べていたら、店の人が見かねて、大きなハサミでちょんぎってくれる。韓国の食べ物屋はどこでも大きなハサミが常備されていて、それでキムチをきったり、肉をきったりするわけだ。キムチを頬張ると予想通り舌が麻痺。段々食べているものが辛いのかそうでないのか判断がつかなくなる。はぁはぁと舌を出して犬化していた。勘定を終えて、現地人のイントネーション真似て、チャルゴスムニダー(茶る後、済むにだ、と僕は覚えた)と一声、店を出てホテルへ帰る。ホテルの裏は見るからに怪しい女の人がいるその手の店。ある意味、怖いところだ、と思う。宿泊したニューブリムホテルは安ホテルだと思っていたが広くて綺麗で案外快適だった。ただテレビがH系のをふつうに放映していて、子どもと一緒に来る人は大変かもしれない。

アシアナ航空

機内食。直前にご飯を食べていたので全部食べ切れなかったよ。

夕食です。箸が重たいです。


2005年5月22日(日) ソウル

『市場散策』
まずはガイドブックをもったSが市場へ誘導してくれる。市場の入り口で首を伸ばしたスッポンや亀が売っていたりする。食べ物屋台はやたらと声をかけてきて逃げるのが大変。衣服は安そうなのしか売ってない。まぁ、要するに上野のアメ横みたいなところだ。
 Sはガイドブックに載っていたホットックがどうしても食べたいということで、あちこち回る破目に。諦めかけたそのとき(民放テレビだったら、思わせぶりにCMに切り替わるか、何かテロップでも出てくるはずだ。)、ようやくホットック屋を発見。(といっても500ウォン=50円の揚げ菓子なのだけど)。食べてみると美味しいが・・・ショックだったのは中からシナモン砂糖が垂れてくること。僕のお気に入りのシャツにシナモン砂糖がその食指を伸ばしてきて、3分ほどかなり憂鬱になった。(後で布巾で簡単にとれたわけだけど。)

『雨宿り』
ぽつぽつ雨の中をだましだまし、観光食堂へ。なんでも、ピピンバで観光客に有名な店らしい。その割に店そのものは粗末なんだけど。肝心のピピンバはふつうレベルで、日本でも食べれそうな感じだった。ピピンバの石鍋をもってきた店員のおばさんの手の皮膚の厚さ(あるいは感覚神経の鈍さ)に驚嘆した。一瞬熱くないのかと思って触れたら、反射神経が光速を越えたのだった。
 その後、散歩しながら、仁寺洞骨董品商店街へ向かう。途中、デジャビュに襲われたのだけど、単に8年前にアメリカ帰りにトランジットで偶然泊まったホテルの近くを通りかかっただけだった。8年前からは圧倒的に変わってしまったようだったが、泊まったホテルだけは”いるかホテル”のようにさらに古びて今に至っていた。そこには羊博士や羊男ならぬ、牛博士や牛男でもいるのかもしれない。(そういえばギリシア神話か何かに牛男みたいのがいたっけ?)。骨董品商店街は質のいい陶器のお店などあって楽しめる。僕らは雨宿りをしては少し前へ進んでというのを、まるで敵陣塹壕に近づく歩兵部隊みたいに繰返していたのだった。野党の牛歩もびっくりの歩みののろさだったわけだ。途中で食べた韓国和菓子が美味しかった。和菓子のお店で店員さんに声をかけられて緊張しているSの姿に、なぜか保護者然とした笑みを浮かべていたのだった。韓国人は日本人より親切な人の割合が多く、不親切な人がほとんどいない。80年代前半の日本もこんな感じだったんじゃなかろうか。さすがにこんな牛歩戦術は古いと判断して強力なアイテム(傘)を手に入れる。(ロールプレイングゲームならここで、和音効果音を挿入させるだろう。)
 骨董品商店街を曲がったところにあった喫茶店で一休み。イチョウ並木が窓越しに見えて少しくつろげる。横の女性はガバジュースを飲みながら何やら書き物を始め、逆側に座った女性は男性を待っていた。そうして何やら甘い韓国歌謡曲が流れていて、始めてきたところなのに何か懐かしい気がしてしまった。歌謡曲の男性歌手はサランヘなんとかかんとかとか歌っている。「サランヘヨはどういう意味か知ってる?」「おなかがすいたって意味でしょ」とSに訊かれて答えるわけだ。Sはそういうときしかめっ面をしてみせる。男性歌手は「おなかがすいて死にそうなんだー」と切ない声で歌いつづけている。80年代初めには西条秀樹がこういう歌を僕らの国でも歌っていたに違いない。なんだか、冬ソナがなぜあれほど人気が出ているのかちょっとわかった気がした。日本人はクールを装っているけど、実はそのクールさに辟易している人が多いんだろうなって思うよ。
 喫茶店を出てすぐのダンキンドーナツで再び休憩。村上春樹の小説に出てきて、どんなところなのか知らなかったからなんだか嬉しかった。(読んだときは、ダンキンドーナツは架空のドーナツ店かと思ってたよ。初めてダンキンドーナツを目撃したのは実は3年前のバンコクだった。)だけど、ドーナツの味は残念ながらミスドに比べて落ちるわけで、どうしてダンキンドーナツが日本を撤退したのかわかったような気がした。やがて哀しきダンキンドーナツ。。
 Sが買い物をしたいということで、若者向けのデパートのようなところに行く。カジュアルの服の店がたくさんあって、品揃えはどれも質が今ひとつ落ちるけど、それを気にしなければまぁ可愛い類のもの(と一応誉めておきます)。やたらと込んでいて、結局Sはひとつも買わなかった。マネキン女性がこれみよがしに並んでいてスタイルが極めていい、触ろうとして、Sに睨まれる。

『ディープな路地裏』
韓国といえば焼肉ということで、せっかくだから食べにいこうと勇んでいたものの、案外そうしたお店がない。うろうろしたあげく、普通の観光客は入らないような暗がり路地脇にあったお店のおばさんに「カルビ」の写真を見せると、おばさん突如そこらへんで暇そうにしていたおじさんを呼んで、「この人たちを焼肉屋へ連れてってあげてくんな」って韓国語で言ってるわけ。おじさん、苦笑いしながらこっちこっちとさらに怪しげな路地の奥に連れていってくれる。おじさんに連れられてきたお店は焼肉屋だったのだけど、日本語なんてまったく通じなくって、もどかしい意志疎通をお互いこなした上で(それでも笑顔は大事!)、焼肉にありつく。肉は大きくて、店のおばさんが大きなハサミでちょんぎってくれた。それから母親みたいに焼けた肉を目の前においてくれるは、サンチュの葉っぱでくるんでくれるはで至れり尽くせりだった。たらふく食べてビール飲んで、なんと一人1000円だったわけです。すごいところですね、韓国は。

ピピンバ。

韓国菓子とお茶セット

これがダンキンドーナツですね春樹さん。

カルビを焼いてお腹いっぱい


2005年5月23日(月) ソウル→アシアナ航空→東京(成田)
 
『唐辛子の逆襲』 
最後は大学路というところへ。ここは韓国と日本の中間のようなところ。カレーやパスタといったお店が軒を連ねている。店先の写真のパスタがなぜか辛そうなのはご愛嬌か。大学の周辺ということで店が多いのにもびっくり。(うちの大学なんて周りにお店なんて全然ないし・・・。)Sはパン屋をはじめとして街角風景をデジカメに収めている。一度、何かの拍子にずっこけて、横にいたサラリーマンのおじさんを驚かしていた。おじさんは僕らが日本人だと知るとなぜかアメリカンキャンディをくれた。(僕はそれが韓国と日本がアメリカナイズされた国であることを象徴しているような気がしたんだよ。)
 冷麺で締めようと思いきや、冷麺そのものはこれまで食べた中でベストだったけれど、すごく辛いのなんの。汗は出てくるは、鼻水は出てくるは、舌はひりひりするはでおおいに苦しんでいた。韓国人はそうした唐辛子色の辛い食べ物のを涼しげに食べていて心底驚いたよ。店を出た後、胃やら腸やらまで辛みに負けてもだえていた。

『帰国』 
ホテルに戻ると、お迎えのマイクロバスがいて、それで空港へGO。Sはすっかり疲れたのか、眠りこけていた。同乗した日本人のオネエサン(Sはそう言ってたけど、僕から見たら年下だったわけだけど)5人組が他愛もない話をぺちゃくちゃとしゃべっていて、僕はそれをずっと聞いていた。ヴェトナムでは茶色い川があって、あれを現地人は飲んでいるのだ、えっそうなのー、みたいな話がずっと続いていた。そういう話を聞いていると、ヴェトナム戦争も朝鮮戦争も、えっそんなことあったのぉ、ってなことになるのだろうなぁと何となく思った。
 空港ではけっこう日本語表記を見かけたのだけど、すごい誤記だらけで、「サソドイッチ」、「焼き肉く」、「担ぐ」(いったい何の食べ物?)、「カポチャ」やら何だか笑えるメニューだった。カポチャを食べたいよ〜、と駄々をこねようと思ったけど大人はそういうことはしないなと思って控えてた。Sはそのあたりの売店をめぐって、余ったウォンを使い果たしていた。最後は募金箱にコインを入れたようだ(偉い、大人だ)。
 飛行機は出発ぎりぎりまでどこかをうろついていたオネエサン5人組をしばらく待った後、離陸した。少しうたた寝していたらあっという間、日本。海外に行った気のしない海外旅行でした。

極辛の冷麺。火を吹きそうだった。

これも辛かった。

ふりかえって
 
ソウルは二泊三日でちょうどいいくらいだったかな。街の雰囲気は1980年くらいの日本に、ケータイ等の現代機器が流入した感じ。人は概して親切、日本人ほど良くも悪くもクールではない。警備の兵隊なんかに北朝鮮の脅威がときどき感じられる。おしゃれな人は少ないというか、ほとんどいない、というか感覚が違うのかもしれないけれど。
 次回、行く時は釜山とか他の街にもいってみたい。あと、ナンタという厨房パフォーマンスを見たいな。それからハングルを暗号文的記号の羅列じゃなくって言葉として見れるようになりたいな。