「自称スナフキンなる弟の旅メール」


弟は大学4年時('99.4〜'00.3)に休学してユーラシア大陸を行ったり来たり旅しました。
彼の旅先からのメールを紹介します。
メールは英語とローマ字なので翻訳です。

1999年6月28日 ハノイからの絵葉書
旅をはじめて、もう2ヶ月がたつんだよね。
時の流れが早く感じてしまう。
さて10日程前にやっとベトナムに入りました。
現在は首都ハノイでカンボジアのビザ待ち中。
日本人の旅人は以外に多くて、各国の情報は日本以上によく耳に入るから、旅への不安はそれほどないかな。
彼らは個性的な人たちばかりで、旅の目的、考え方もそれぞれにあって、話を聞くと、とても面白いです。
2ヶ月の旅で色々と思うことも多いけれど、さらにこれから先、様々な異なる文化に触れたり、個性的な人たちに出会うことで影響を受けそうです。
間違いなく言えることは、世界は広く、旅は面白い!!ということ。
では。

1999年8月1日 バンコク
調子はどう?
これテストメールです。
2回ももう失敗しちゃったよ。
これが届くかわからないけど、兄貴のメールは届いていたよ。
今、僕はバンコクにいます。
タイはおもったよりもずっと発展していて驚いています。 少
し物価も高いけどね。
バンコクについて1日だけ凄く腹の調子が崩れた。
いままで一度もなかったのにね。
さて、これからラオスに向かいます。
1ヶ月後、再びバンコクに戻ってきて、それからミャンマーにトランジットしてバングラディッシュに行きます。
いまのところ、使ったお金は14万ぐらい。
この調子ならイスタンブールまで行けそうです。
カオサンにて。

1999年8月6日 スコータイ
今スコータイにいます。
ここには古い遺跡があります。
よかったけれど、ぼくはアンコール・ワットにもいったから・・。
アンコール・ワットはとてつもなく大きかった。
とても感動しました。
それと比べると、スコータイの遺跡には物足りなさを感じてしまいます。
さて僕は明日チェンマイに向かいます。
トレッキングを楽しむつもりです。。
では、また。

1999年8月13日 チェンマイ
Hello!
兄貴は仕事のほうはどうなんだろう?
研修期間は当然終わったんだろうね。
忙しそうだ。
さて僕は昨日マエホンソンという町から戻ってきたばかり。
マエホンソンで首長族の村に1泊しました。
でもかなり観光化されていて残念だった。
なんだかアイヌ村みたいだったな。
明日チェンライに向かいます。
そして、ラオスへ。
兄貴はべトナムに行くんだ〜。
どうせならチベットに来たらいいのに。
そしてら会えるよ。
ベトナムは1ヶ月いたから色々教えるよ。
まず、ベトナム人は少し人が悪いから気をつけてね。
特に、ホーチミンは用心が必要です。
僕のお勧めはメコンデルタだね。
ツアーでいってもいいし、自分でも行けるよ。
(ベトナムはツアーの方が安くつくといわれている・・なぜなら滅茶苦茶ぼるから)
ぼくはミトー、カントー、チャウドックという町にいってきました。
他にはニャチャン、ホイアン(ここはお勧め)、フエという町にいったよ。
詳しく知りたい町があれば、聞いて下さい。
ニャチャンからホーチミンに来る途中で見たカーナビーチが良かった。
凄く綺麗だった。ほとんどプライベート・ビーチ。
多分宿は高いと思う。
ではではこのへんで。

1999年9月13日 バンコク 
返事遅れてごめんね。
ラオスはメールが高いから送れなかったんだ。
さて僕は何故か今バンコクにいます。
そんで一度帰国します。
多分今週末に。
兄貴の家に訪ねるかも・・。
ところで兄貴はいつベトナムにいくんだい?
それとももう行ってしまったかな?
アドバイスしたかったんだけどな。
ではでは。
弟はラオスで大金を騙しとられ帰国。秋深くまで東京でバイトして再度船で中国入り。
お金切り詰めている彼に欲しがっていたシルクロードへの旅の本を買ってあげただけで大喜びしてたのが印象的でした。

1999年12月28日 ポーランド
Hello!
青島、泰山、北京、ウランバートルをまわって、12/17にシベリア鉄道に乗りました。
ウランバートルから5日かけてシベリアを横断し、無事東ヨーロッパへたどり着きました。
トランジットだったから、ロシアは観光できなかったけれど、車窓からの景色は寒そうでしたよ。
特に、バイカル湖は冷気が湖面を漂い、草木も白く凍りついていました。
神秘的な光景でしたよ。
列車内は暖かかったから心配なしでした。

クリスマスはポーランド南部の街、KRAKOWでおくりました。
想像していたような賑やかなムードはなくて、街には静寂が漂い、店はどこもクローズされていました。
やっと見つけたバーで、一人寂しく酒を飲んでいました。
でも、0時近くになって、教会に人が集まりだしました。
お祈りしました。
心に沁みるようなクリスマスでした。
日本人はクリスマスの意味も知らずに、ただ盛り上がっているだけなんでしょう。
まるで日本人が新年を祝うようでした。
今日は、アウシュビッツを見てきたけど、もう書けません。
また今度。
新年はウィーンかブタペストにいると思います。
では、またね。
凍りついた大地を一人で旅する弟の見たものに想い馳せました。僕は弟のことが好きです。

2000年1月14日 ローマ
久しぶりです。
ヨーロッパはインターネットがとても高くて困る。
1時間5ドルは高すぎるよ・・。
今はローマにやってきています。
ベネチア、フィレンツェと1泊ずつのハードスケジュールだけど、それぞれの街は素晴らしかった。
水の都、ベネチアはほんとに不思議なところでしたよ。
ぼくは水の豊かな街が好きだから、とてもよかった。
そういえば、イタリアの前も連絡していなかったね。
ミレニアムはプラハでおくりました。
体調が悪くて、2000年になる5分前に吐いたけれど、花火の打ちあがったときはちゃんと復活してました。
兎に角、すごい騒ぎでした。
そしてプラハからブタペストへ直接向かうはずが、スロバキアで追い返され、予定変更でウィーンへ。
ウィーンからは迷ったあげく、インスブルックへ向かいました。
山男の血が騒いでしまい、どうしてもアルプスを見たくなった。
この間で初のヒッチハイクに挑戦。
日本のようにはうまくゆかず、大苦戦でした・・。
インスブルックではスキーに行ってきました。
なんと標高は3300m!!
雄大なアルプスの山々に囲まれ最高でした。
さて、今はローマにいるんだけど、なんか中田のローマへ移籍初試合が今週末開かれるとの情報あり!!
チケットが取れれば観たいと思っています。
ヨーロッパで予算が激減し、早めにイスタンブールへ着きたいと考えています。
がどうなることやら・・、それではこのへんで。
ヨーロッパ。。僕も近いうちに絶対いっとこ。

2000年1月29日 イスタンブール
僕はとうとうイスタンブールにたどり着きました。
既に一週間滞在しています。
10日間のイランビザ待ちも、退屈せずかなりのいごごちの良さにひたっているところです。
イスタンブールは危険な沈没の気配を漂わせる、不思議な空気のある街です。
イスタンブールはちょうど今回の旅の中間地点。
金銭的にも、時間の上でもちょうど半分です。
そしてここからアジアに入る!!
久しぶりのアジアの熱気が楽しみで、少し緊張するくらいにわくわくしているよ。
一週間後にはイランに入ると思います。
そうだ、中田の試合は素晴らしかったよ。
イタリア人もみんな中田に注目していて、歓声が凄かった。
日本の国旗が振られていたりして、嬉しかったよ。
とても同じ歳とは思えないです。
試合も良かったけれど、応援は凄まじかった。
白煙筒や、爆竹が投げ込まれて、まるで戦争のようでした。
サッカーはイスタンブールでも観たよ。
ルーマニアのハジが出てて、やはりここも凄い応援でした。
レベルはセリエAに比べてだいぶ落ちると思ったけど。
それでは、金のムシンはもしかするとバンコクでするかも・・・。
多分大丈夫。
ありがとね。
セリエAなんて羨ましすぎ・・。いよいよアジア突入だけど長旅で自分を見失わないようにね。

2000年2月14日 イスファハン
さて、僕は今イスファハンです。
ここも、イスタンブールと同じように居心地のよいところ。
時間があればのんびりしたいのだけど、今夜の夜行でShirazへ向かいます。
明日は僕のBirhdayだから、ケーキでも買おうかな。
イランは思っていたほど、貧しくはないように思えます。
ベトナムなんかよりも、生活は豊かなんじゃないかな。
でも物価はおそろしく安いよ。
1$=8,400で、ホテルが15,000、食事が8,000、サンドイッチが1,500、
瓶ジュースが500、しないバスはなんと100です。
金があると、買い物も楽しいもので、みやげ買いまくってます。
それじゃ、またね。
お誕生日おめでとう。さっき地図で確認してみたよ。
シーラーズって、ペルセポリスの近くなんだね。ぼくも連れてって!

2000年2月26日 パキスタン
イランはオイル・マネーのせいか、予想外にきれいな国で驚いたけれど、ここパキスタンはアジアそのものです。
同じイスラムでも、文化は全く異なるようで、そのあたりもとても興味深くて、面白く思います。
最近は宗教や政治を考えるのが楽しいです。
旅は、勉強意欲を再燃させてくれるんだよね。
……
あ〜しまった…、今頑張って書いたかなりの文章を消してしまった…悲しいよ。
疲れたから、書き直すのやめる。
え〜そりゃないぜ。そうかいよいよ混沌(カオス)のインドだね。

2000年3月4日 アムリットサル
ようやくインドに入りました。
アムリットサルはシーク教徒の聖地でなかなか面白い。
昨日、今日と寺で雑魚寝です。
宿も食事もただでいいからお金がかからないわけ。
そのせいか、乞食が少ないように思う。
明日はデリーに向かって、すぐバラナシに行きます。
そういうわけで元気です。
最近、葉書が買えず、お母さんに連絡が出来ていないので、経過を伝えて欲しいな。
3/20までには松江に戻って、みんなの卒業を祝う予定です。
なるほど、ガンジス沿いに下っていくのだね。
まさにThank you India♪なわけなんだ〜。

2000年3月8日 バラナシ
昨日、バラナシ到着です。
僕の宿「PUJA」はなかなか眺めがよく気に入っています。
このあたりでは飛び抜けて高い建物で、GANGERを含め、周囲一帯が見渡せますよ。
昨夜は、火葬場へいったら、強引な寄付を要求され気に入らず逃げると、追ってきそうな様子でちょっと怖い思いをしました。
しかし3つの都市を見たけれど、同じインドでも全く異なる雰囲気があって面白いです。
そういえば、列車の移動中に、牛の糞で出来た家を見て驚いたよ。
牛の糞をナンのように平たくして乾燥させ、それを重ね合わせる訳です。
牛の糞で形成された村を見たときは感動物でした。
文化とは面白いものだね。
イランなどの乾燥した国を見てくると、インドはとても緑の豊かな国だと思います。
それに平らな大地がある!
これなら10億の国民を余裕でまかなっていけるわけだと納得しました。
(たくさんの乞食がいるにも関わらずね)
そんなところで、またね。
インドはびっくりなんだ。
GANGERでいったい何かな〜?

2000年3月15日 ポカラ
ぼくは昨日タンセンという山間の小さな町から旅行者であふれるポカラに着きました。
ポカラはのどかなところで散歩するのはとても気分がいいよ。
今朝、見事に晴れ渡ってアンナプルナがはっきりと見渡せました。
この山を見て今回の旅の区切りにしようと思っていたから、ある感慨をもって眺めました。
もっともっと世界を見たいよーーとヒマラヤの山に向かって叫びました。
(心の中でね)
日本も薫風そよぐ季節になったんだね。
ぼくも大学が始まる。
今年もがんばらなくちゃ。
じゃ〜ね。
未だ見ぬヒマラヤ…。
息を呑むような光景なんだろうな。

2000年3月18日 カトマンズ
カトマンズにつきました。
到着してすぐにチケットを取ったので、あとは待つだけです。
3月22日0:05発で関空にダイレクトで飛びます。
3月24日の卒業式にはどうにか間に合うといった感じです。
カトマンズでは土産屋めぐりをし、そしてめちゃうまい日本食を楽しみながら、旅の疲れを休めるには絶好の町のようです。
昨日の夕食は生姜焼き定食を食べて、涙が出そうなくらい感動してしまった。
明日はhollyというお祭りがあって、色つき水が町中飛び交うらしい。
そんな感じで既に現像した写真をみて、旅を振り返りゆっくりと残り4日身体を休めます。
では。
お帰り。
話したいことがいっぱいあるよ。