遠い太鼓とイタリア

ある朝目が覚めて、ふと耳を澄ませると、何処か遠くから太鼓の音が聞こえ、村上春樹はイタリアとギリシャへの旅に出た。
ぼくはその「遠い太鼓」を読み、イタリアに対しての深い憧れが募った。
ヨーロッパという地域は旅をするのに非常にお金のかかるイメージがあり、これまでの僕にとっては旅先を決めるときに予め地図から抜け落ちていた。
社会人になって2年目。ようやく僕の通帳もそろそろヨーロッパにいってもいいよ、と言ってくれるようになった。
それならば憧れのイタリアにしてみようと考えた。
そして僕のHPの表紙を飾っている憧れのマッターホルン、これを繋げることができたらどんなに素敵なことだろうと思った。

東京に出て、まるで島影の見えないような航海のような毎日のなかで、自分の中の価値観を決定的に変えるようなものに出会うことを望んでもいた。
イタリアはそれを望むのに十分な国であるような気がした。
底のぬけたような楽観的な人生観、恋と唄と食に命をかけるような人間らしい生活、そして歴史とそれを守りつづけていけるような考え方。
果たして僕は自分を変えてしまうような何かをこの旅で見つけたのだろうか。それはそこにあったのだろうか?



天の川の荒れる

七夕の願いも無下に払うような激しい嵐が吹き荒れていた夜が去り、朝が来ると穏やかな7月の日差しが戻っていた。
心配していた飛行機も飛びそうで一安心。
小さなザック一つ背負って電車に乗り、友達にバイする。
(実はこのとき僕は一つの決断をするために考えなければならないことがあったのだが、今ここには書けない。今現在でもそれを引きずらならなければ良いのだがと思うのだが…)
ホームでただ立ちすくむ友達の姿見てると、果たして僕は一人でこのまま旅などへ出てよいのかとも相当に胸をよぎるのだけど、結局自分の願望を選択したのでした。



静かなる街、チューリッヒ

まずは香港までのフライト。
いきなり腕時計が高度のせいか何か知らないけれどもダウンする。
もううんともすんとも言わない。苦笑。
仕方なく、全く価値のわからない香港ドルの値札に困惑しながら、安時計を購入。
安時計ゆえにチープに光る。

さらにフランクフルトを経由して、今にも落ちそうなガタのきた小さなスイスエアでチューリッヒへ。
それは21世紀の旅客機というよりはむしろ戦場に向かう寡黙な兵士を乗せた従軍機の趣である。
丘を越え野を越え、低空飛行のまま、空港に無事着陸。
小さな手荷物しかない僕は検査も何もなしにそのままスイス入国。
この国はパスポートに判すら押してくれない。
ちょっとサンダルつっかけて、隣町の駅で降りて改札抜けるのとまるで変るところがない。
早速チューリッヒの街を歩き回ってみる。
中央駅から数分のところに湖があるのだが、そこまでのメインストリートをゆくも、人通りが疎ら、店は固くシャッターを閉ざしている。
スイスの人って休日に出歩かないものなのかな?
街の中にはトラムと呼ばれる路面電車が走り回っている。
車両を規制して、その代わりに公共交通を充実させるのは街づくりの上でなかなかいいアイディアだと思う。
静かな湖眺めてから、ふらりとチューリッヒ美術館へに立ち寄る。 ちょうどセザンヌ展をやっていたのだが、僕は常設展の方みようとして値段聞くと、なんと無料。
ラッキーなこともあるものです。
そしてこの常設展が素晴らしかったのです。
まず晩秋の過疎地のように、人がほとんどいない。
だから東京の休日の美術館のように絵を見るために行列作りながらのろのろみる必要もなし。
それぞれの展示部屋で絵画と一対一どころか多対一で向き合えた。
人いきれのない部屋で絵画は圧倒的なインパクトで僕に迫り、逆に逃げることができなかった。
そして展示品のほうもずらりと名作を取り揃えていた。
前から見たかった恋人同士が抱き合うシャガールの浮遊感のある絵とも出合えた。
ジャコメッティの不気味な細々とした細工の数々。彫刻が空間に重くあるように感じられたロダンの部屋など…。
やや時差ぼけの頭を覚ますような素晴らしい体験だった。
それから駅まで戻って、チューリッヒから電車で1時間ほどの街、ルッツェルンへ向かう。
車窓が草木の色の美しい休日的な田舎を映し出している。
本でしか読んだことのあるクラインガルテン(市民農園)も所々にある。
クラインガルテンは街にすむ人たちが週末などにちょっとした農作業を楽しめるようにした農園なのです。
小さな畑には花で飾られた小さな小屋&納屋がそれぞれくっ付いていて、そこでのんびりとお茶飲んだりするようです。
日本人には羨ましすぎる生活なんだろうね。
農園の脇を流れる川は水量の調節が巧く行えるようになっているのか、河岸ぎりぎりまで溢れそうなくらいまで迫り、とうとうと流れている。
釣り人が、きっと大物のマスでも釣れるのだろう、夕食のムニエル夢見て、竿をふるっていた。



魔境は遠く、ルッツェルン

ルッツェルンの街でホテルに入ってしばらくすると、雨が降り出す。
この街で魔の山とも形容されるピラトミ山に登ろうと考えていた僕には残念な限り。
仕方なく街を散策したのだが、これが非常に美しい体験だった。
この街は、古い石造りの城壁が街の高みを囲み、水量のある川が中世の建造物がそのまま残る街並みの中央をとうとうと流れている。
アルプスの氷河の水滴を集めた川の水量は多く、流れも速い。
ところどころに淵を形成して、底の見えない渦が何かを飲み込もうと待ち構えている。
その川の上をいくつかの素朴な橋が架かっていて、その欄干から人々はそっと清冽な水のほとばしりを覗いている。
晴れていれば、この清冽な水を生み出している魔の山ピラトミが、そして遥かアルプスを望むことができるのだろう。
豊かな水の流れを見ているうちにオーバーフローしてきそうな気持ちを落ち着けるために、川ぞいの石柱あるカフェでカプチーノ頂く。
黒い犬がオープンカフェのひんやりとした石床の上に寝そべり、愛嬌あるスズメたちが食べ物のくずをついばむのをみていると、幸せな気分になれた。
そしてここのカプチーノが舌上の突起が驚くくらいに美味しいものだった。
ペンを走らせ、友達に絵葉書をしたためる。
足が石化するほどに街を歩き回り、そのままベットに落ちた。


天上も遠く、ツェルマット

翌日もまたしても天気優れず。
仕方なくこの街を後にして、目指すはマッターホルン山麓の町ツェルマット。
ツェルマットまでの道程も飽きさせることがない。
始めは湖沼の横をすり抜け、やがてそれが荒々しい渓谷に変る。登高意欲を湧かせるような岩山が点在し、その急斜面に強力な糊で貼り付けたように牧場があり、雨に緑が洗われていて美しい。
ハイジとペーターの世界はスイスという国ならば当たり前の風景なんだと妙に納得してしまった。
アンデルマットという街で氷河特急に乗り換え。
座席指定なのだが始め自分の席とは違う席に坐っていて車掌にあっちの車両だと言われ、移った先で京都から来たという女の子二人連れと遭遇。
日本語を嬉しく喋る。
実はこの旅において日本人ときちんと話したのはこれっきりであった。
彼女たちはフィーシュという町というより村のようなところで、氷河を見に行くといって下りていった。
スローモーションの映画のシーンのように手振って別れる。
もう会うことはないのかな。
旅先の一瞬一瞬の出会いってとても不思議なものです。
ブリークという町からいよいよマッターホルンに向かって、急勾配になっていく。
本当なら氷河特急の車窓からマッターホルンの姿がはっきりと見えるはずなのだけど生憎の曇天。
ぼくは空を切り取ることができない。
ツェルマットはやたらと日本人の多い町です。
昨今の登山ブームのせいか中高年の方の姿がよく目にとまる。
まるで小学生のように喜々としている彼らの姿には、あ〜よかったね。なんて声をかけたくなるものです。
きっと母親を連れてきてあげたらうるさいほどに喜ぶのでしょう。
小さくて安いけれども気持ちのいい小奇麗なホテルに部屋をとって、霧が晴れるのを待つ。
ここぞとばかりウィンパーの「アルプス登攀記」をザックから取り出し、ベットに横になって読まんとするも、気付けばまた眠りに落ちていて、外は暗くなっていた。
まるで風邪をひいて学校を休んだ日に病床からはっと目が覚めて聞こえる家族の夕食の団欒の声をきくような懐かしい気分になるけれど、ここには階下におりても誰も「大丈夫?ご飯食べる?」とはきいてはくれない。
他の小ホテルの部屋から洩れる明かりの暖かさ眺めつつ、部屋の窓をカチリと閉め、カーテンで覆った。

朝起きて窓を開けるがガスはまだ残ったまま。近くの山際を微妙に上がったり下がったりを繰り返している。
ホテルの前の高山植物も植えているような小さな畑で身軽な黒猫が用をたして、律儀に土を跳ね上げている。
細かい雨がこの麓の町を静かに濡らしている。
「雨男なのかもしれないよ」という氷河特急で会った女の子の言葉を苦笑混じりに思い出す。
階下の食堂で花飾るテーブルにてパンとチーズ、フルーツ、珈琲を頂く。
さすがにチーズは種類がいろいろあって美味しい。
小雨の中、カメラ抱えてお散歩。
今回は無印の白のレインヤッケを買ってきたのだけど大正解。天気は不正解だけど。
教会の中で地元の人たちの朝のミサにまじらせてもらう。
賛美歌が教会内に響いて神の福音のように美しくて心洗われる。
教会から出てもガスが辺りを包み、マッターホルンの女神は一瞬さえ微笑んでくれない。



イタリアへ、マッジョレー湖

天気も見込みがなさそうなのでこの麓の町を去ることにする。
イタリアまで切符を購入し、窓際の席で名残惜しそうな目になってしまう。
前の席では中年を過ぎの女性がうまそうに煙草を吸っている。

ブリークで乗り換えて熱心に読書に講じる女の子の前に坐る。
乗って程なくしてトンネルの中に入る。
そしてトンネルを抜けると、これまでのスイスの山並みとは全くもって異とするような暗い深緑色の深い森に変った。
家並みもスイスのように花で飾り立てるようなものではなく、非常に質素倹約といった趣。
辻邦生はフランスからイタリアに初めて入ったとき、その鮮やかさの違いに歓喜を覚えたと書いたが、僕はその逆を感じた。
熱心に車窓の景色眺める僕に車掌がパスポートを見せてください、とやってきた。
「Italy?」と目の前の女の子に聞くと、実はこの東洋人と話してみたかったらしく、次々と質問が口をわってくる。「イタリア語は話せる?フランス語は?」って。
彼女はイタリアとフランスのハーフだそうで、フランスの大学でイタリアの映画監督パゾリーニの研究をしているそうだ。
名前なら聞いたことあるよって言ったら嬉しそうにしてる。
彼女が刺青を漢字で掘ってみたいので、自分の名前に由来と合う漢字を教えて欲しいとせがむ。
聞いてみると、彼女の姓の意はfrom valleyなんだそうだ。
困りつつも、"谷より来たり"と書いてあげると、漢字だけにしてくれというので、結局"谷出身"と書いてあげた。
誰か身体にそんな文字の掘り込まれている女の子を見ることがあったら、その子ということでしょう。
一応止めた方がいいとは忠告はしたのですが…。

そのまま大都市ミラノまで乗っていってもよかったのだけど、やっぱり田舎の町のほうがいいよなということでマッジョレー湖という湖畔にあるストレーザという町で下りる。
ガイド本に掲載されていたホテルに向かうが、ははぁここはイタリア、英語が通じないのでした。 どうにかこうにかコミュニケーションとって部屋取る。
とても美しい部屋。
部屋にはトイレとシャワーとは別にビデという洗面台を膝下くらいにまで低くしたようなものがついている。 僕はてっきり足を洗うものだと思って、散歩してホテルに戻ってきてはイエス様よろしく足を温水で洗うのが習慣になった。
(これには後日談があって、帰国してから友達に「イタリアにはビデというものがあってさ、とてもいいんだよね」って話したら、「それは女性がある用途のために使うものなのよ。」なんて言われてびっくり。確かにウオッシュレットにもビデというボタンがあるのだけれど。ぼくはあれで今度から足も洗えるのかななんて思ってたのだけど、相当深い勘違いのようですね。一応、某HPのQ&Aにも出そうと思ったけれども、下手すると勘当されそうなのでやめました。(笑))

翌日ようやく天気は回復。ホテルの食堂で朝食を食べていると窓から朝日が一筋伸びてきて僕の坐るテーブルを照らし出した。
ホテルを出て湖まで歩く。湖の周りは避暑地になっていて瀟洒な住宅が並んでいる。
船着場で湖上抜ける風に当たるといい気分。
大きな魚が波間を泳いでいるのが見える。
こんな青空には白い歯がよく合いそうだ。兎に角、人の表情も和らぐ。
フェリーに乗って向かうのは船着場から目と鼻の先のベッラという名の島。
ここには17世紀のボッロメオ家の宮殿とお庭があるのです。
宮殿は絵画が至るところにあってお金がかかっている。
この屋敷には地下があって、そこの入り口が僕が小さい頃から見てきた悪夢のシーンとあまりに酷似していたせいで鳥肌がたつ。
一人で薄暗い地下の部屋など見ていると心なし鼓動も早くなっているのを感じる。
そしてあるところにはあるものです。そこには地下牢があったのです。
どんな騎士がここに幽閉されたのだろうか?
僕だったらすぐに絶望してしまうだろうな。
そして庭園。これまで見た中で最も美しかった。
中央部に幾多の彫像が天に伸びるように配されている。そして手前の芝生には驚くことに白孔雀達が戯れていた。
垣根には紫陽花を随分と多用していた。中には柑橘系のものまであった。
富の集積を感じさせるような庭園だ。
よくぞこんな小島にこんな小さな世界を作り上げたものだ。
庭園でしばし立ちすくむ。上空では燕が滑空を繰り返していた。


果て無き柱廊をわたる、ボローニャ

昼ごろストレーザを出て、ミラノ乗換えでボローニャへ向かう。
ボローニャの街は春樹氏の「遠い太鼓」では食べ物が美味しく、自分の気に入ったものを買いやすい町と紹介されている。
町全体の建物の軒をポルティコと呼ばれるレンガ色の柱廊が巡っている。日差しをよけるのには至極最適で早速ホテル探し。
が、どこもフル。ようやく見つけたホテルでシンプルでクールな白壁の部屋をあてがわれる。
気持ちのよい部屋を見つけることができるとなかなか嬉しいものです。
早速散歩したのだけど、町の全てに柱廊があるせいで、自分が今どこにいるのか判断するのがすごく難しい。
通りの先を眺めても同じような柱廊とレンガ色の建物が続いてるのだから。
ひょっこりと入ったお店でワインにリゾット食べてもうお腹いっぱい。
ぼくの胃にはフルコースは絶対無理ということが判明。ほろ酔い気分で迷いながらホテルに戻って程なく沈。



芸術の街にて彷徨えるもの、フィレンツェ

朝快晴の空のもと、フィレンツェへ向かう。駅のカプチーノ売り場ではスーツ姿の働き人たちが一瞬の待ち時間にその黒々とした飲み物をたしなんでいる。
あっという間にフィレンツェに到着。早速ホテル探し。旅のイタリア語も空いてる部屋はありますか?程度はすらすら言えるのだけど、逆にそのせいでこいつはイタリア語が話せるのだという妙な勘違いをされてしまって、イタリア語の一方通行状態になってしまって至極閉口。
とりあえず部屋とって、近くにあったアカデミア美術館でミケランジェロのダビデ像みてくる。
ここでは観光客多く、30分ほど並んでみた。
筋肉の隆起が足の指先まで見事に表現されている。
が、期待してた割には感動しなかった。きっとこの人いきれのせいだろう。
チューリッヒの幸せな体験のせいで美術品とは一対一で向き合いたいという欲望が起こるようになってしまった。
それからカボチャのペンネなど食した後に、ルネサンスの色濃く残る町をひたすらひたすら歩き続ける。
そうするとこうした町並みも普通に思えるから不思議なもの。
きっとこの後に新宿の高層ビル群に連れて行かれたらそれはそれで驚くのだろうと思う。
市の南側に位置するピッティー宮の面構えは堂々としていて気に入った。
その裏手にはボーボリ公園という自然をとりこんだ公園があって町並みを眺め渡せるようになっている。
ただ東京のような不快な湿度は感じないものの、夏の太陽が手を緩めることなく日差しが極めて強く、ひたすら木陰を求めながら歩いていた。
庭園の裏手には面白いことに淡い深緑色のオリーブの林が広がっている。
きっと昔からこの城壁のまわりで農民達が果物をつくったりして額に汗していたのだろう。
それを馬上から眺める貴族達。
そして僕も貴族にならってただ遠き昔の農民の暮らしを思う。

フィレンツェの町を歩き回るうちにインターネットカフェを発見。
とりあえず日本の自分のHPを開いてみる。
7時間の時差ならば日本は深夜。
日本語の羅列を不思議に思う。
日本語を恋しく思う、やっぱりJapaneseなのだ僕は。
ふと画面から顔を上げれば、ここはイタリア語の世界。
チャオして、何も考えず歩き続ける。
ふと気付くと辺りが徐々に夕闇の中に溶け込もうとしている、そして見覚えのない街路。
それなのに地図すら持ってない。
道に迷ったという嫌な予感が僕をあせらす。
先進国イタリアといえども怖そうなところは怖い。
疲労した頭を立て直して兎に角見知っている道を探すのだけど果たして僕は近づいているのか離れているのか全然わからない。
捜し歩いているうちに僕はちょっと前に歩いていたところに戻ってきたことに気付いた。 笑えない。
ちなみにワンゲル用語ではこういうのを「リングワンデリング」と言います。
落ち着け、落ち着くのだ。
落ち着けば遠方にドゥオ−モが見えてきた。
それでどうにかこうにかホテルに戻れたのです。
万歩計も驚くような一日が終わった。



町が聖者を生み出すということ、アッシジ

聖者フランチェスコの町たるアッシジへ向かう。
バスで行こうと考えたのだが、結局見つからず、鉄道で向かうこととする。
フィレンツェからアッシジはオリーブの丘陵地帯を抜ける気持ちのよい道。
向日葵畑の向日葵が揃いも揃って太陽の方向に首をもたげている景色は壮観である。
太陽の恵みという言葉が似あいそうな大地です。
車で駆け抜けても随分と気持ちよいのだろうな。
ルコントの「タンゴ」の冒頭のように畑を疾走してね。
アッシジの駅から町の中心まではバスで行く。
日本だと駅の周りに町が発展していくというのが常識としてあったのだけれど、この辺りは中世からの丘の上の城郭都市(というのかな?)がまずあって、その後に線路をつけたからこんな風になるようだ。
バスは向日葵畑とオリーブ畑の間の坂道を登り、丘の中腹まで向かう。
アッシジの町が近づいてくる。
淡い白バラ色ともいうのだろうか。
非常に落ち着いた町並みが目に入ってくる。
バスを降りて坂道をぐいぐい登って、ホテル探し。
街中も全て白バラ色。
水のみ場に彫刻を配したり、花を飾ったりと非常に趣味がよい。
ホテルは安いのにとてもバス付きの綺麗な部屋。
イタリアに来てここに来ると来ないでは随分その印象も変りそうだ。
身体をピカピカにした後、丘陵の最高部にある城壁を目指して歩く。
裏路地から何から中世そのままのような町。
歩いてて溜息がでてくるよ。
そして城壁。
町全体が一望でき、その向こうに畑が広がっているのを目にすることができる。
富良野の展望台から見た景色にも非常に似ている。
何だか懐かしみを感じるような光景だ。
ここの展望台は雑多な看板もなければ人もほとんどいない、ただ城壁があって草が風に揺れ、僕がいる。
城壁の上には重たそうな灰色の雲が圧倒的な力強さで覆っている。
迫力のある雲と僕はただ対峙する。
その時、ぼくの頬を涙が伝った。
ぼくはここに来るためにこの旅にでてきた、そうとも思えた。
城壁の隙間から小さな草花が顔を出し、風に揺れていた。
またいつか来ようと思った、この地へ。

小さなピッツェリアで白ワインとこれまでお目にかかったこともないような大きなピザを平らげる。
日本人が一人で入ってきたのが珍しいのか。
僕が店員さんに向かって「センタ スクィージ、ヴィーノ ロッソ、ペル ファボーレ」などと言うと、常連の地元の人たちが「赤ワインだ」「赤ワインだ」などと復唱するのが楽しい。
気持ち良くワインのほてった体でまた散歩。
さんざんに歩き回って最後は雑貨屋で桃を買っていく。
日本円で数十円。とても安い。そして皮ごと食べられるほどに、とてもとても美味しかったのです。



古代都市の上にたつ大都市、ローマ

翌日、大好きになったアッシジの町からローマに一路向かう。
全ての道はローマに通ずというわけです。
電車では横に60歳くらいの梅宮辰夫風のイタリア人、銀行家風の赤ら顔のドイツ人二人組、そしてツンと伸びた鼻先を持つフランス人の母子。
それぞれにお国柄が出ていて面白い。
梅宮殿は労働が生み出した厚くて味のある手のひらを上げながら、カプリに行くのだと熱情的に話してくれた。
ドイツ人は赤ら顔をさらに赤くして地図を広げてムンズを決め込んでいる。
そしてフランス人の母子は親子というよりは恋人のように中むつまじい。そして子どものほうの性別がわからない。きっと中田とかサッカーが出てきたところで目を光らせていたからきっと男の子なんだろうか?
僕はフランス人にならなってもいいかななんて思った。

やがて大都市ローマにつけば、みな散り散り。
フランス人はさっさと歩いていき、梅宮殿は抱えきれないほどの大きな荷物をどっこいしょと下していた。

ぼくも駅をでて怪しそうなところにホテルをとる。
さすがに大都市ともあれば、1つ星、2つ星ホテルでは良いものは望めない。
折角のローマさということで炎天下の街へ飛び出す。
掘れば遺跡にぶち当たるという言葉がうなづけるほど遺跡が多い。
どこも人は多いが、流石に歴史のもつ重みはすごい。
コロッセオ(闘技場)でしばし時の経過を考えていたけれども、イエス様の時代の話など今一ピントこない。
遠い過去も照らしたであろう暑熱を燦燦と浴びる。


東京人に戻るということ

翌日、いよいよ帰国。
ローマから香港、そして成田。
香港までの飛行機の中では隣の台湾人と思われる女性が具合悪そうで、うとうとしかけると「ちょっとトイレへ」というわけで全然眠れなかった。
途中から苦しそうに吐いたりしていて、(スッチーの好感を得るためではないけれど)偽善者はずっと背中をさすってた。
香港からは、日本に旅行にきたというイタリア女性たちと眠たき目にて話す。
「歌舞伎は面白いか?」と聞かれたので、「未だ観たことなし」と答えれば目を丸くしている。
「相撲はどうか?」と聞かれ、又しても「観たことなし」。ちょっと疑念の眼差し。
「新幹線は早いのでしょう?」と聞かれ、乗ったことないなどと言ったものなら日本人であること疑われそうなので、「とても速いよ」と答えておけば、そうだろうという顔している。
果たしてこの陽気な外国人たちが、日本を見てどう思うのだろうとふと考えた。

東京に降り立てば、肌の表面が露骨に嫌がるほどに多湿で、旅では一度も登場せずに終わったハーフパンツにここで初めて着替えたいと思ったくらい。
密に水蒸気のつまった淀んだ空気の中で、サラリーマンたちが忙しく立ち回っていた。
通勤電車に詰め込まれた人たちがただ熱さに消耗しきって窓の外を眺めている。

僕はそのとき思った。
僕も紛うことなくこの街の一員なんだと。
僕は逃げることもなく、ここで全てに向かわなければならないのだと。
何かによって受動的に変わるのを待つのではなく、能動的にそれに向かわなければ何ものも得ることはできないのだと。