'99 タイのトレッキング


修士論文をようやく書き終えて、一挙にやってきた風邪菌に苛まれた身体が復活すると、僕の心は遠い異国の地に馳せた。
銀行に入ってた残り数万円を全て下して、チケット会社に向かった。
その時点で僕は自分が何処に向かうかなんて考えていなかった。
「どこに行かれますか」
「どこでもいいんですけど、どこが安いですか?」
「香港、シンガポール、バンコク、・・・」
「じゃあバンコクにします」(きっぱり。何で自信もってるんだ?)
ピコピコ(キーボード叩く音)・・・
「はい、とれました」(あっさり)
帰りにタイのガイド本購入。順番が逆のような気もしたけどま〜いいや。

そして僕は未だ雪残る札幌から常夏の国タイにむかった。
期間はたったの一週間しか無いけれど、パスポート持って空を飛ぶと血が踊ってくる。
空港に着くととっぷりと日は暮れている。
当然のことながら宿は決めていない。
とりあえず市街地に向かうバスみつけ飛び乗る。
バスの中には黒く現地焼けした日本人の男の子。
一緒に宿とろうよということで意気投合。
安宿のカオサンに入り、混沌亜細亜に流れ着いた若い欧米人たちをかき分けて宿をとる。

初めタイの南の島々で椰子の木眺めながらバカンスも考えていたのだけど、気が付くと北に向かっていたのでした。
きっとストイックというものを求める身体になってしまったのかも。
一夜の友と別れ、タイ北部の街チェンマイ行きのバスに乗り込む。
バスの窓から慌しく乗り込む人々眺めてたら、綺麗な女の人が向こうからスタスタやってくるのが見える。
当然のことながら目で追ってると、彼女も同じバスに乗り込み、当たり前のように僕の隣の席にちょこんと座った。
こりゃ話し掛けなきゃと思って、運命の神様に感謝しつつ、
「Do you speak English?」
って聞いてみたら、彼女の唇から流暢な英語が流れ出したのにはびっくり。
何度も聞き返すから自然と彼女が僕の耳に顔寄せて話してくれる格好となる。
・・・・^^;(笑)
バンコクでNEC関係の会社に勤めてるそうで、週末を利用して実家に帰るということらしい。
就職先の仕事とリンクしているところがあるので自然と話は弾む。
とても綺麗ですね。って言ったら大喜びしてた。
彼女の御蔭で長いバス旅も楽しいものに。
夕陽色に太陽が変わる頃合、南国の花が見事に咲き誇る街にて「バーイ」と彼女はおりていった。
途中でぞろぞろとバスの人たちとhotな夕食をとってさらに北を目指す。
バスは田舎道を走りつづける。
道合いにはのんびりした田舎の家々があり、夕食時なのか家と隣接した四阿のような萱屋根のようなところに小卓を持ち出して、家族一同でランプの明かりの下、団欒しているようだった。
日本も昔はこんな風景が広がっていたのだろう。
家族みんなで涼みながら食卓囲み、冷やした西瓜を割り、慎ましく線香花火などやる。
近所のおじさんなんかがやってきて、大人たちは「わははっ」と笑い、子供達は走り回り、母親は「もう寝なさい」などと言ってみたりする。
そして遠くから蛙やヨタカの声が談笑する人々の声や水音なんかに混じって聴こえたりしたんだろうね。
そんなことに想い巡らす。
バスは夜の一時にチェンマイ着いた。さすがに眠いしくったり。
なのに、やっぱり今夜も宿決めてない。
夫婦の客引きが近寄ってきて安い値段のホテルがあるよというので、この際どんなに汚くてもいいやってそのままついてくことにする。
ホテルは予想外に綺麗。
中央にプールがあって吹き抜けになっているし、部屋にはダブルベッドが行儀よく居座っている。
田舎はやっぱりいいよ。

翌朝眠い目擦りながら旅行カウンター見にいってみると、2泊3日のトレッキングツアーをプッシュされる。
どっちにしろ行こうと考えていたので、日本人的な流れ方で「じゃあいきます」ってことになる。
(なんだか相変わらず主体性に欠けてるよな)
夕方まで太陽に絆されながらチェンマイの街中を散歩。
いっぱい寺院をまわった。(が名前は何一つとして覚えていない)
象を四方にあしらった小ピラミッドみたいのが見応えあったな。
ホテル戻って、明日からのツアーの説明うける。
みんな若い欧米人ばかり、中に今風の日本人学生がいてちょっとほっとする。
彼は上智の学生だそうで、センスのいいカラーのグラスかけて、指輪にピアスに・・って僕もか(笑)
上智くんと早速夕食食べに出掛けて、あっという間に打ち解ける。
いい奴だが、女の子にはひどく手厳しい。
きっと東京じゃ合コンばかりなんだろうね。

翌朝いよいよ出発。
ジープの屋根に個々のザックを上げ、自衛隊式に両並びで膝抱えて乗り込む。
まさに男女混合多国籍軍ってところか。
ジープは市場と雑踏のある辺境の町を抜け、ホントの山奥に向かった。
2時間も揺られて、絶対一人では来ることのないミャンマー国境付近(らしい)でジープ降りて歩く。
下枝のない背の高木の中、ガイドを先頭に尾根を歩く。
みんな少しずつ打ち解けてきて楽しくなってきた。
一行はタイ人ガイド2人、イングランド5人、オーストラリア1人、イスラエル人2人に僕ら大和んちゅ。
山道を歩くのは僕にとっては幸せに通じるものだけど、どうやら欧米の女の子たちにはそうでもないらしい。
彼女らは普通に膝を使って歩けないのだもの。しょうがないから手など貸しては得点稼ぎ。
今夜の宿はリス族の村。
村には鶏やら犬やら豚が走り回り、なんだかいい感じ。
リス族は美男美女で知られるそうだが、実際その片鱗が見れて、幸せ。
夜は大麻をみんなでやってみる。
トリップしてるやつもいたけど、僕には何のことやら。
日常的にトリップしてるってことはないのだと信じたいが…。)

翌日よく晴れた空の下、リス族の畑の脇を歩いていく。
亜細亜的な竹生える小山超えると滝の音が…。
滝の下にて休憩。
海水パンツで泳ぐ。我ながら若い。
滝を2つほど登って見せたら、ちょっとは見直されたみたい。
タイの山奥の沢登りなんてやったら、こりゃ川口浩を超えることができるかもしれない。
滝から下流にむかうと、森の合間に畑が出現。
大麻の畑らしい。この畑の脇に洞窟があって、そこを探検。
さすがお金払ってるだけあって、飽きさせない。
ワンゲル的でめちゃ楽しいよ。
今夜はヤフー族の村でお世話になる。
リス族の村よりこちらのほうが原始的である。
そして、日本人に良く似ている。
あっという間にヤフー族の子供達のアイドルになる。
ヤフー語もけっこうマスターしちゃった。多分一週間くらい住んでたらけっこう分かるんじゃないかな。
上智くんに「こんな村なら一年くらい暮らしてもいいよね」て声かけると
「ぼくなら3日で逃げ出します」だってさ。
夜は焚き火を囲んで、ヤフー族の娘たちの歌と踊り聴く。
ハワイとかで見れそうな横にスイスイと手を波立たせるような踊りでした。
素晴らしい夜だった。パチパチ(焚き火は弾け、星は瞬いた)

翌朝は川下り。竹に縄をしばってつくっただけの筏で川を下る。
川下りのガイドが江口洋介にめちゃくちゃ似てる。
筏の傾きに合わせて江口は身体をくゆらせ巧みに舟を操縦する。
ぼくは舟のバランスが悪くなる度に川におちて、その度に擦りむいてしまった。
川を下っていくと、今度は象使いが待っている。
象に乗り換え、のんびりと花畑を歩く。
象の頭はとても固い、そこから申し訳なさそうに硬い毛が数本生えている。
象から降りて、田舎の民家の樹の下で焼きそばを食べる。
その辺に寝転がっている犬にも分けてやる。
再びジープに乗り込み、ホテルへ。
シャワー浴びたら見事な泥水が体から流れ落ち、丸い排水溝に渦巻いて流れていった。
ピカピカになったところで上智くんと活気ある夜のバザールをお散歩。
蝙蝠まで売っているのにはびっくり。

翌朝上智くんと二人で長距離バスに乗り込み、バンコクへ。
上智くんは随分と頭の出来がいいようで、でもその分割り切れないものが大学入ってから出てきているようでそんなこと「うんうん」きいてた。
とてもよく分かり合えたのだけど、結局日本では会ってないな。(そんなのばっかりだな。)
バンコクで上智くんとバイして僕は安宿をとって、その足でムエタイ見に行った。
日本人が随分といたな。
勝負が一回の蹴りとかであっ気なく決まるのだけど、ぼくは周りから寄ってくる蚊たちの攻撃に苛まれて結局集中できず仕舞。

翌日は最後の最後で酔っ払って、タイ人に騙されてお金(3000円弱、日本円にするとたいしたことない)払う羽目になり、でもどうにかこうにか飛行場着いて日本に戻ったのでした。
でも騙され方も巧妙だったし、結局僕も川沿いの雰囲気あるレストランで豪勢に楽しんだわけだし、ま〜いいかなという感じである。うむ。
帰国して4日後に僕は札幌を出て上京した。
そして川下りの傷口がもとで病床に臥せったのでした。
やれやれです。
おしまい。