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旅日記
2002年5月6日(月)
前夜遅くまで準備していたせいか頭の中に眠気のシコリのようなものができてしまっていた。千歳(札幌)から成田への飛行機の離陸の瞬間にはまるで悪魔に魂を取られてしまったかのように前後不覚に眠り込んでしまった。身体が地を離れるというのは神に対する一種の背徳行為なのかもしれない。
飛行機の窓から眼下に海が眩しいばかりにきらきらと輝いていた。液体というよりはむしろ軟らかな固体に見える。ババロアでも掬うようにスプーンをさしこむことができそうだ。
成田からバンコクへの便に乗り換えて更に空の旅。ワインを何杯か飲んだら、体内のギアのようなものが1段階か2段階ほど上がって、思考回路が浮遊しだしそうになる。
バンコクのドンムアン空港から最終24:30のエアポートバスで安宿街カオサンを目指す途中、日本人で同じ歳の男の子J君と知り合う。かなり異国的な風貌の上に民族的な衣装を身に纏っているため長期旅行者かと思えば、なんと日本から今到着したばかりだとのこと。アジアなどの雑貨商のような仕事をしていて、今回は一週間ほどタイに滞在して雑貨を買い求めるということだった。
彼は同じ歳ながら、僕のこれまでの人生とまるで違う人生を歩いてきたようだった。十代は水商売をし、長旅に出るようになり、旅先で手作りの物を売り歩き、そのうちに物を買い付けて日本でも売りさばくようになったのだと言う。「俺は普通のサラリーマンなんかより稼いでいる。働くのは週2日くらいのものだよ。レイブや祭りで遊びながら物を売ってるんだ」「気持ちいいことを求めてやっていたら今に至ったんだよ」彼の表情には自分なりの生き方が確立していることへの誇りのようなものさえ感じ取れた。完全に日本の枠をはみ出して生きている日本人ってわけだ。
川の流れにたとえると、彼の生き方はそこにのっかって下れるところまで下っちゃおうぜというやり方であり、僕の生き方は舵を操作して自分の流れを探していくやり方だな、と思った。どちらがいいというわけでもなく、そういうのを個性というのではないかとも思った。 |
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