中国の伊寧(イーニン)からカザフスタンのアルマティへ寝台バスに乗って移動する。国境バスだけあって値段が30$もする。中に乗り込むと漢民族がいない、既にロシア語の世界だ。
昨夜食べた火鍋のせいでほどなくしてお腹が下りだす。勿論バス内にトイレもないので脂汗にじませて我慢する。中国ボーダー手前の検査でバスが停まった瞬間にバスから駆け下りてトイレへ。トイレといっても藪の中にしきりがあるだけなのだが。間違えて女子便所に入ってしまって、後から来たでっぷり太ったおばさんに叱られるが背に腹は変えられない。その後もお腹の調子は一向に良くならず、中国ボーダーでも真っ先にトイレに行った。さらにそこから少し離れたところにあるカザフ・ボーダーでもまずトイレに行こうと思い、迷彩服に銃を持った若い警備兵にロシア語で聞くと、「トイレは税関の向こう側にあるのだ」と気の毒そうな顔をする。それから役人に交渉してくれて、僕だけ優先的に税関を通してもらう。カザフ・ボーダーは腐敗しているという話も聞いていただけに、こうした親切には正直言って驚いた。警備兵の若者は日本から来たということを知ると、大きく手を広げて「Welcome
to Kazakstan!!」と歓迎の意まで示してくれた。それで僕もカザフスタンにすっかり友好的な気分になってしまった。
お腹を下したおかげで近い距離にある2つの国のボーダーのトイレに入ったわけだが、それぞれお国柄を反映していた。中国は仕切りなしの溝トイレ(横の人とニイハオと挨拶できるので「ニイハオ・トイレ」と弟は呼んでいた。)であり、一方カザフスタンは個室で洋式ではあるのだが便座のないトイレだった。足腰を鍛えることができそうな中途半端な姿勢で事に当たらなければならなかった。ロシア圏のトイレに便座がないことは椎名誠の旅行記などで昔読んだことがあったが、その伝統?は未だに残っていたわけだ。ちなみにカザフスタンではその後も便座のあるトイレはほとんど見ることがなかった。
バスの中で慌てて飲んだ漢方薬が効きだしたのか、カザフボーダーを最後にお腹の痛みは収束した。火鍋の威力を身をもって体験したバスの移動だった。僕のバス旅遍歴ではこの経験はワースト2位にランキングされた。(1位は天山山脈越えの雨漏りバス、3位はメキシコのティファナ〜ラパス間の炎熱バス)。今後このランキングに変動がないことをただひたすら祈る。
閑話休題。カザフスタンに入ると地続きの中国と同じ気候、土地であるはずなのにガラリとその雰囲気が変わってしまう。まず煩わしい程に氾濫していた漢字の広告板等が全て一掃される。道路標識、地名の標識なども必要最小限のシンプルなものとなる。そして建物も地味なものから、白壁に水色の窓枠をつけたようなPOPなイメージのものに変わる。とても品がよくて感心してしまう。カザフ人は国旗の色である水色をこよなく愛する民族のようで、皆取り決めたかのように、水色と白を主体として建物や塀の色を塗っている。家々の庭には中国ではついぞ見かけることのなかったバラなどの色とりどりの花々が彩を成していた。
車も水色やクリーム色のものが走っている。決して高級なものを使っているわけではなく、むしろおんぼろに近いものなのだが生活を楽しんでいるという印象を強く受けた。
総じて、カザフスタンはアジアのヨーロッパとも言える程にセンスが良いと思った。農村は明るく車窓の風景も見飽きることがなかった。弟の「こんなところに住んでみたいね」という言葉にも素直に頷くことができた。
アルマティに近づくと、左側の平原の向こうに白く雪の輝く山々なども見え、景色が素晴らしかった。山の手前にはミレーやクールベの絵のような農村風景が広がっていた。
アルマティに到着後、一挙に辺りが暗くなる。この旅では弟が中国語担当、僕がロシア語担当ということで一応付け焼刃程度には日本でCDなど買って基本的な会話のフレーズを覚えたりしたのだが、いきなり放り出された暗いバスターミナルでトラムの乗り場等を聞き出して宿に直行できるレベルになく、当然そこでもたついてしまった。警官には良い噂を聞いていなかったので、ちょっと声をかけられそうになるだけでびくついてしまう。
どうにかトラム乗り場を発見して、行き先もよくわからずにやってきたトラムに乗り込んだ。そこで偶然に日本人バックパッカーのH君と出会った。更に偶然にも、宿泊を予定していた宿に彼が泊まっていたため、宿まで一緒に行くことにした。宿はトラム停留所から近いもののどこにもホテルの看板も出ていなかったため、昼でも探すのが大変だったように思えた。医学学校の寮をホテルとしても利用しているもので、中のおばさんたちは白衣など着ていて不思議な雰囲気がある。
H君は大学3年生で北京での1年間の中国留学を終え、今回は中央アジア3国を旅したそうだ。翌日には中国を経由して帰国するとのことだった。生まれも育ちも良さそうでバックパッカーなのに彼の仕草や話し振りに気品を感じた。彼は早くから国外(ロシア、極東、ケニアなど)を旅行し、視野の広さ、語学への探究心が強く、とても良い刺激になった。中国の抱える問題点や日本の多額の金銭的援助などについて話し合った。随分と刺激的な一夜だった。
8月19日。朝早く、H君が慌しくたって行く。僕らはゆっくり起きて、バザールで朝食を済ませて、まず街を知ろうということで適当にトラムに乗ってみる。4番トラムに乗ると、前夜到着したバスターミナル方面に進んでいったので、バスターミナル横のサイラン貯水池に行ってみることにする。
貯水池は恐らくこの街の水がめであり、同時に市民の憩いの場所でもあった。日曜のお昼をのんびり過ごす水着姿の人々がいた。池の上にはいくうtかのシンプルな足漕ぎボートが浮かんでいた。子供たちが派手なクロールを繰り返し飛沫をあげて水上を行ったりきたりするのをぼんやり眺めていた。のんびりとしていて、なかなか良い気分だった。
この街にはロシア系の人種も多く、モデルのような綺麗な女性たちが行き交うのを見て、少々どぎまぎする。僕らの座っているそばにも、20歳くらいの綺麗な子が小さな子供たちを連れて水辺に遊びに来ていた。
その後、トラムに乗って中央博物館へ向かった。疲れのせいか、脳の回路のスイッチがかなり緩んでいるようで、チケット切りのお姉さんにチケットの代わりに100テンゲ紙幣を手渡そうとして、失笑をかう。博物館は恐竜時代から現代までを体系的に展示してあって非常にわかりやすい。ただ全てロシア語で表記されているので解説を読むことができないのが難ではあった。動物の剥製コーナーには架空の動物のような不思議なものもいて、二人して笑うこと頻りだった。
博物館を出た後、緑溢れるアルマティの街を散歩してチャイを飲んで宿に戻る。札幌に似ている街だが、札幌以上に歩道のスペースが広く、街路樹がたくさん植えられていて、町全体が公園のような錯覚を覚える。街路樹はソ連時代に植えられてから特に手入れされている様子もなく、大木で枝ぶりがいい。落枝の心配などはこの街ではしないようだ。街のどこにいても木々のざわめきが聞こえ、緑陰に休むことができる。緑が多いと心に余裕が生まれとても良い。
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