ザラメの雪を駆って 狩場山('95 GW)


3年生の春である。
普通ならば冬季で身に付けた経験値を遺憾なく発揮して山行を組み立てるのがGWというものなのだが、前年の12月の事故で半年休部明けの手探りの出発であった。

当時、部の主将でこの山行のリーダーとなったS氏は記録の冒頭にこう書き残した。

お前から離れていた間は、まるで冬のようであった。
お前こそは一年のいかなるときでも、私にとっての喜びである。
    シェークスピア


まさにその言葉のとおりだった。
事故からくる沈鬱は心の中で完全に凍りついていたのだ。
春が到来し、新しい1年生が入り、またサークルに活気が出てきた。
ぼくの中の沈鬱もようやく氷解のときを向かえたのだ。
ただ心も身体も山に向かうことを求めていた。
ただ心を自然の中に開放し、そのまま無心になることを。

半年ぶりの山行だもの、なるべく人の入りこまそうな山に行きたかった。
そして何メートルも滑降できるような山に行きたかったのだ。
地図で目をつけたのが道南の狩場山kariba-yama
よく行く十勝連峰に目をつけていたS氏に「それじゃ魅力ない」と一喝し、彼の心を道南に向かせた。
向かい部屋の山スキー部の連中が得意とするスキー山行にすることを取り決めた。
地形図に滑降予定コースを書きこむだけで胸は期待に高鳴った。
二人の二年生を募集して、いよいよ山行の始まり。

よく晴れた憲法記念日。
先輩の車にのって海沿いを南下する。
林道を入れるところまではいって車に別れを告げ歩きだす。
ちょうどスタート地点にいつ廃棄されたかわからないような苔むしたバスが落ちている。
お化けバスと喜んで無邪気にシャッター押す。
さっそく台地上に上がるべく急斜面との葛藤。
つかめるものはつかんで必死の形相でよじ登る。
台地上にでると、春風がさーっと頬をなでていきいい気分。
ブナの北限にあるということで、あまり北海道ではお目にかかれないブナの林に心静まる思い。
樹林の限界にテント張って休む。

翌日、天気はいいが風が恐ろしく強い。
テントの外に立てかけておいたスキーがいつの間にか流されていて、まずはその捜索から一日が始まる。
尾根上に出ると、風の強さが凄まじいばかり。
突風が時折吹いては我々を根こそぎたおすかのように地面に叩きのめす。
地面に叩き付けられる度にもってるストックで怪我しそうになる。
冗談にもならない。
逃げるように風の淀む斜面に回りこむ。
斜面の中腹に雪洞を掘る。結局この雪洞にその後3泊することになる。

翌日待ちに待ってたスキー日。
主峰よりも少し低い東狩場山のピークまで登る。
ピークから滑降予定の斜面みると、すごい急斜。
思い切ってターンきって滑ってみる。
途中から滑るというより落下するというものに近い感覚を受ける。
ターンの度に身体が空中にぱっと浮くのだから。
アドレナリンが体内を駆ける。
もはや言葉はいらない、最高。

一日視界悪くてピーク越えを断念し、ラストチャンスの日。
天気は快晴。
我々の足も弾む。
スキーをザックにくくりつけ、アイゼンとピッケル装備してピークを越える。
冬の気候の激しさを語るかのような雪庇(*セッピ…稜線上に風によって形成される雪のひさし。ひさしゆえに上にのるとそのまま崩壊して事故を招く危険性大)が不気味な大きさで張り出している。
雪庇の下には虚空がただ命を吸い込まんと待つのみ。
厳冬期は過酷な登山になること間違いないだろう。
多少緊張感のあるところ抜けるともうあとは樹林内。
地形図にコンパス当てて、変な沢形に入らないように気をつけるだけ。
途中から夏道がでてくれば、もう後はただ引力に従って、心のままに下るのみ。
夏道脇には春の草花に交じって、アイヌ葱が大量に生えていた。
とにかくとりきれないほどあったが、ビニール袋にありったけ詰め込む。
*ちなみにアイヌ葱とは、北海道の沢地などに早春に生える山菜の代表格で、味はニラに似ている。
そのまま夏道を下ると白い小さな灯台に出た。
眼下に春の海が穏やかに波だっている。
灯台の上にむんずとあがって皆でしばし時の流れに身を任せる。

灯台に別れを告げてコブシの白き花盛りの林を歩いて、小さな漁村に出る。
下界には当たり前だけど雪はなくて、スキーを背負って真っ赤に雪焼けした僕らは不釣合いだった違いない。


僕の心は山の空気の中で知らず知らずのうちに溶解していたようだ。
またいつかあのうら寂れた灯台に行って、波の色音を確かめてみたいと思う。
  END