2000年4月から5月のダイアリ

2000年5月31日(水)
一人くらしを始めたら、バジルを育てて、トマトソース作るときにさっと摘んでいれてみたい、そんなこと考えてた。

1年目、バジル購入。ベランダ置いておいたら夏場の絶え間ない日差しに力強く育ちすぎ、野性味(苦味)に富みすぎた。
背丈も高くなり花のようなものをちょろっとつけ種となる。

2年目、墓標のように枯れ果てた一世のわきにぱらぱら種を蒔く。
コンテナの土から柔らかい葉を覗かせるに至る。
パスタを茹で中にふと気付き、それをトマトソースに入れたりする。今夜も。

今ベランダには夜のゴミ捨て場から友達が拾ってきて白くペイントされた鉢でいっぱい。
シソとパセリを(出雲で)買ってきたのでとりあえず種まいてみよっと。

2000年5月30日(火)
さっさと仕事場でてきた。
本屋もまだ開いてる時間だし、何だか嬉しくなるよ。
ちゃんとご飯炊いて、味噌汁作って、お刺身を食べて…。
指先まで栄養が巡りそうな勢いだ。
あ〜人間らしい。ぴかり。

2000年5月29日(月)
今一、身体がうまく動いてない感じ。
そんなときWカップ決勝のブラジルのロナウドのこと考える。
ドリブルで突破して強烈なシュートをネットに突き刺したい。
軽やかな身体、淀みない意思

2000年5月28日(日)
三茶でアジア映画の二本立て。
ハーヴェイ・カイテルが関わったベトナムを舞台にした「季節の中で」という作品が割とよかった。
よく女性雑誌なんかでベトナムの青磁器とかリゾートとか良い部分が取り上げられているけど、ベトナムという国が背負っているものとか、陰となっている部分はあえて描こうとしてない。(雑誌の性質上、それは当たり前なのだけど)
ベトナムという国は、僕が見た印象では、資本主義に揉まれて極度に功利主義的な国であったと思う。常に他国から介入されたり介入したりという歴史的背景もその一因なのかもしれない。
農村などはとても静かで美しいのだけど、都市部では非常に金にたいして貪欲でそれが古来の美しさというものを随分と汚しているような気がした。
そしてこの映画なのだけど、そうした現在のベトナムの状況を踏まえた上で、着飾ることがよいのではない、ありのままで美しいのだということをメッセージとして流したところが好感もてた。
夜の蓮池や赤い花びらの舞うシーン(ポスターにもなってる)などカメラワークも巧かったしね。

2000年5月27日(土)
平日の反動で血流重く、熱っぽい。
しょうがないから昼からビア開けてプッタネスカ食べながらセレッソのゲーム見てた。
自陣から一挙に前線にボールを出してゴール前に激しく切り込むようなゲームをしてたよ。
そういうのって観ててなかなか面白いものです。
あと、前から見たかった豊悦のLOVE BEER!焼肉篇のCMもようやく見れた。
あんなのよく考えつくよな、スローで躍動感とかこだわりみたいなものをイメージとして焼き付けられる。
でも銘柄が頭に残らなかったりするのだけど…(笑)
今年のベスト1だね。

2000年5月26日(金)
今週はよくがんばりました。
駅から家への道のりが果てしなく思えたよ。

2000年5月25日(木)
お昼は一人だったので喫茶店へ。
カウンターでねじまき鳥(まだ)読んでた。
落ち着いて思考の形を変えるのはとてもいいみたい。
随分その後はかどったしね。

2000年5月24日(水)
お昼にタイ料理屋でグリーンカレーとタピオカを食べて、ずっとお仕事なのでした。
夜になっても解放軍は来なかったね。

2000年5月23日(火)
学生と社会人の違うところ。
休憩時間の有る無しかな。
ふと気が付けば夜。

2000年5月22日(月)
bird聴いてビア飲んで一日の終わり。
毎日、こんなんじゃ駄目だよ、なんて自省繰り返しながら月日はたっていく。
夜が好き。
遠くが見えない分、自分の心が見えてくるから。
心の湖の波はひととき凍りつくように沈静して、想いと意思とがくっきり浮かびあがる。
湖面にうつる月影のように。

2000年5月21日(日)
picさんとむしゃさんとサティー展&山田かまち展みてきた。
山田かまちは17才で夭折したのだけれど、10代後半のストレートな希望や悩みを絵や文章に著し、その卓越した表現力から死後注目を浴びつづけている人です。
10代の頃のそうした葛藤は多分誰にもあるって思う。
僕の場合は既にその上に幾分でも安定した土台をつくっているがため、10代の人が感じるほどの衝撃はなかった。
けれども、よく生きようとする意思は僕の土台を十分揺らすものだった。
10代のときにこの作品展をみれていたらよかったのにって思ったよ。

2000年5月20日(土)
結局、どこにも行かず家での〜んびり。
懸案だった冷蔵庫の霜取りもやったものね。
そのおかげで冷凍庫の広さが以前の10倍くらいになった。
css利用して、マウスの動作で字の色が変化するようにしました。


今日2回目の日記。
さっき初めての自爆(1,600)しちゃいました。
なかなかの衝撃でありました、曹長。
日付変ったというのに、ファミマに豆腐買いにいってきたのでマーボ豆腐つくります。
ファミマに行く途中に「ねじまき鳥」の宮脇さんちみたいな空家があるんです。
夏草が生い茂って、柵には蔦が絡まりあって、いい感じです。
語り部さえ来れば、物語が始まりそうです。

2000年5月19日(金)
お昼から隣の課の課長とIH市へ。
ファイルコピーをミスって悪戦苦闘。
これは土曜日も…と思いきや、どうにか成功。
気付けば市役所内には人がほとんどいない。
皆さん奥さんの手料理を食べに家路に帰ったのかな。

近代的な建物が織り成す眩い光の渦の中、高速を帰る。

2000年5月18日(木)
朝はキーボード打ちながらクッキー、夜は歩きながらのおにぎり。
こんな生活でも大丈夫なのかしら?
でもでも、昼には鰻食べてたりします。
山椒と鰻の組合せっていつから始まったのだろう。

2000年5月17日(水)
傘をものともしない雨にスーツ濡らして帰ってきた。
今日は関西人の会話継続力に脱帽。

2000年5月16日(火)
帰り、駅の改札を抜けた階段を下りてく途中、入れ違いに上って来た大柄の金髪外人男性が目の前でつんのめって、どうにか体勢立て直したのだけど、ポケットから切符が落ちたのが僕の目から見えた。
慌てて拾って、手渡してあげたら、とてもいい笑顔。
なんだか心温まる瞬間でした。

2000年5月15日(月)
CD整理したら、聴きたかったビル・エバンスのアルバム発見。
I LOVES YOU PORGYをキース・ジャレットと聴き比べ。
そんな夜もいいものです。

2000年5月14日(日)
とある理由から不動産屋のおじさんと話した。
「昔このあたりはどんな感じだったんですか?」
「ずっとお花畑が広がっていたんだ」
うねうねした丘陵地帯に青や紫色の花々が咲いてたのかな、きっと夏蜜柑なんかもたわわに揺れていたに違いない。。
今はアパートとマンション群がひしめいているという。
もうちょっと都市計画がどうにかできてもいいと思うのだけど、川崎市さん。

夕刻自由が丘に出て、青い竹筒で日本酒頂きました。
これが満天の星の下で沢の焚き火だったりしたら最高だろうね。

2000年5月13日(土)
部屋のかたづけをしようとしたのだけどあまりの物の多さにうんざり。
雑誌に文庫にCDにMD…。全ての置き場所をランダムにしたら凄いことになりそうだ。
多量の情報と多量の物。
飽食の時代ですか。

もう欲しいものはないのだ。
いらないものしか欲しくないのだ。

それがゆたかさだと、きみたちはいう。
きみたちはまちがっている。

ゆたかさは私有とはちがう。
むしろ、けっして私有できないものだ。
私有できないゆたかなものを
われわれは、どれだけもっているか?
by Hiroshi Nagata

2000年5月12日(金)
同期の飲み会というのに僕は随分冷めていて、ふんにゃ、どうしようかね。
若者らしく息巻くのもめんどくさいやと思ってる僕はかなり変かも。

2000年5月11日(木)
家に帰ってきたら、ポニーテールの鉢植えが突如置いてあった。
誰もいないと思った部屋のベッドの中から友達が突然顔出して、それはプレゼントなのって呟いた。
そよ風当てたらいい音をたてそうな葉がなかなか素敵だ。

2000年5月10日(水)
未だ闇に支配されない時間に家路をたどる。
鰻を一匹買ってきて一人で食べた。
天然鰻ってどんな味するのだろう。
四万十川に行って…、ってまだ帰ってきたばかりじゃないか。
もしあんなのどかな流域の町で郵便局員になれたらどんな気持ちか考えてみる。

2000年5月9日(火)
久しぶりにトマトソースのパスタつくる。
そしてやっぱりミーシャ流して、ビア開けてしまう。

車のハンドル握って、夜の通りで思いっきりアクセル踏んで、過ぎていく光の瞬き思い出した。
頭の中をからっぽにして聴く優しい声のFMの女性DJの声。
札幌よかったな…

2000年5月8日(月)
再び、コンビニおにぎり生活へ。
でも、ネクタイ締めて気を張りなおす朝もなかなかいいもの。
しっかり歩いていこうぜ。

2000年5月7日(日)
渋谷でアンディー・ウォーホル展見てきた。
数年前まではその存在自体が意味不明だった現代アートなのだけど、友達の影響やHPの作成なんかで随分とデザインそのものへの関心も萌芽して、興味深いものだった。
ウォーホルの作品の変遷を追うことができ、その手法というものが時代の空気を積極的に取り入れることで成立していることは面白いものだった。
恐らく同時代の先鋭を常に走り、賞賛をもって迎えられたのだろうな。
まだ生きていたら恐らくWeb Designも手がけたんじゃないのかな。
展示では事物がもっている客観的な評価とか見方を巧く表現していて、僕にもデザインの面白さに首をふれるようなものになっていた。

最近思うことは学生時代の専門をもっと広く勉強しておくべきだったということ。
ランドスケープ・デザインとか庭園史とか植物分類学とかね。
ぼくときたら札幌にあったイサム・ノグチの構想による公園すら観にいってないのだから。
まぁこれからなのだけどね。
歩みはじめることに遅いことはないはず。思い立ったらまず一歩さ。

2000年5月6日(土)
東京に帰ってきました。
山陰はお天気つづきで幾分日焼けして健康そうになりました。

結局砂丘をカットして、松江の弟の家に3泊。
弟の家(家賃1万数千円)は松江市街のはずれにあって、前を水田と溜池、後ろを竹林という立地でまずびっくり。
そして水は全て井戸水!
稲を植えたばかりの青田ではカモが水面を啄ばみ、おたまじゃくしがゆらゆらと泳ぎ、竹林では筍がにょきりと生えていて、田舎も田舎という風景が窓の外に静かに広がっていました。
青空にむかって思い切り深呼吸してすす汚れた肺のフィルターの目を洗ってきました。
街へでると、堀や古い屋敷群など城下町の名残があり、由緒ある古寺や美術館や蕎麦屋を求めてサツキ咲く狭い小路を自転車で走り回るのも楽しいものでした。
こんな街で学生時代を過ごすのも悪くないなと思った次第。
ラフカディオ・ハーンの心を揺り動かした山陰の日本的な風景が僕の心にも刻印のように残ったようです。

そういえば夜の水田で蛙と思われる生き物がねじをまいたような声で鳴いていました。
ねじまき鳥の正体はこやつかもしれない。
映画のページをちょこっと更新。
山旅を1つUP!

2000年5月1日(月)
5月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする
(俵万智の好きな詩を書きたかったのだけど全て思い出せなかった。友達に歌集あげるんじゃなかった。)
とにかく5月。
洗濯物が窓際の風に揺れています。
パキラの葉も気持ちよさそうに風受けて、静かに落ちる光に葉脈を透き通らしているよ。

さて今夜の夜行バスで島根に行ってきます。
岡山の津山から入って日本昔話に出てきそうな山村越えて日本海に出て、砂丘ながめて松江の弟の家に泊まらせてもらうつもり。
楽しんできます。
きりばんの証つくりました♪ほとんど羊氏のを複製しただけなのだけどね。
きりばん3回でささやかなプレゼントを…考えてます。
「たしかあれとったよ〜」というのもご報告ください。

2000年4月30日(日)
千駄ヶ谷から表参道をお散歩。
春樹氏のピーター・キャットは何処にあったんだろう。
それにしても疲労が抜けきらない。
意識がぼんやりと身体を彷徨っているみたいだ。

2000年4月29日(土)
課内総動員終電まで頑張ってどうにか終わり。
もう少し役に立てるように力つけなきゃ。

そしていよいよ連休だ。
とにかくベッドに潜り込もう。
星の海の中に沈みこむように、ただゆっくりと幾多の銀河の中を落下していこう。

2000年4月28日(金)
ようやく1週間終わっていよいよ9連休と思ってたが…。
帰りの電車が止まって、1時間も立ち往生。
隣に座った小さな女の子が母親にもたれかかってすやすや眠りに落ちている。
電車から降りると会社からの電話。
(恐らく慎太郎君の気まぐれにより)東京都の仕事が舞い込んで来たらしく土日出て下さいとのこと。
電話先の課長の声が疲労してたから、思わず明るい声で大丈夫です。なんて言ってる。
家帰ったら友達がガイドブック広げて楽しそうな顔して待ってた。
ごめんね。
ちょっと出発延ばそう。砂丘は逃げたりしないから。

2000年4月27日(木)
明日はいよいよTB県警へ。
強面の人たちと会えるらしい。
さっきシステムの概要見てみたら、ひき逃げ、当て逃げの時の調書用みたい。
暴力団かどうかなんていう項目まであって、何だかすごいね。

2000年4月26日(水)
どうやら目覚ましを2つ無意識下で消していたみたいで寝坊。
唖然唖然。
会社ならセーフだが遠きYSでは流石にそうはいかない。
作業のほうは不安を打ち消して無事終了。
安堵安堵。
失敗しそうになってもそこから這い上がれるようになってきた。

帰りは2時間近くの道のりも流石に遠く感じられる。
某ピクさんはよくも長距離通学をやってるね。
感心感心。

2000年4月25日(火)
社会人になってからよく食べるようになったもの。
第一位はイタリアンでも中華でもなく、コンビニのおにぎりでしょう。
遅くなるといつも歩きながら食べては家路をたどってるよ。
明日はYS市で作業。
うまくいけばYSともお別れ。がんばろ。

2000年4月24日(月)
ぼくのお気に入りの「J's Bar」のチャットが閉鎖された。
チャットに集まる人が固定化され始め、初めての人が春樹氏の話をしに気軽に入っていくことができるような開放性が失われ、むしろ排他性が感じられてしまうようになったというのがその理由のはずです。
閉鎖後の掲示板など読むと、物分りの良い意見が大半である。(それ以外の人は寡黙を決めてるか、直接反論してるのかもしれないけれど)

あのページを見て最初思ったことは、そこに私有性を感じないという点だった。
自己紹介もなければ、日記もない。
だからチャットが管理人の思う方向にいかないことは、ある意味仕方のないことだったんだろう。
特殊的なものではなくて、無私性のもたらす普遍的なものともいえるのではないか。
今回の閉鎖は「こうあってはいけない」という特定方向のベクトルをもった私的な考えだと思う。
そこに迎合できない人もでてくるかもしれないけれど、ある意味仕方のないことだろうと思う。
壁を打ち立てて、一色刷りの世界を分けてしまおうという試みがどのようになっていくか、その行く末に興味をもってます。

恐らく百論逆巻く中で、一応ぼくの意見も言うと、別にある特定団体が特定目的をなすために運営されているページではなくて、個人の趣味の中で自由にやってるページなのだから、好きにやるのがいいと思うよ。
ぼくはもっと始めの段階からあそこに私有性を帯びさせてもよかったと思えるくらいです。

2000年4月23日(日)
初台のオペラシティーで宮島達男なる人のデジタル・アート見てきた。
デジタルというものを空間の中で表現しようという試みで面白い展示もあったね。

その後、新宿パークタワーまで歩いていって、木の椅子展みてきた。
いろいろな形と座り心地の椅子があって、ずいぶんとくつろげた。
木特有の温かみがあって、そのまま寝入ってしまいたいような椅子もあったよ。
友達が旭川で木工職人を目指しているのだけど、もしかしたら彼の携わった椅子もあったのかも、なかったのかも。
コンランショップも初めていってきた。
センスのいい雑貨や家具がたくさんあって、楽しめるし想像力もかきたてられる。
誕生日のときに友達にもらった時計もそこにはあって、
「かっこいいね」 と言ったら、
「あなたは雰囲気だけで言ってる気もする。ものそのものの良さで判断してないんじゃない?」
ってずばり言われて、確かにそのとおり、反論できず。
ものそのもののよさを的確に見通せる力が欲しいですね。
かっこいいものを率直にかっこいいと言える人間になれるといいな。
みうらっちさんの「旅をつづけよう」とリンクしました♪

2000年4月22日(土)
夕方、渋谷に出る。
札幌の6月位の陽気さ。
まるで学祭に迷い込んだ気分だ。
その後、新緑色の並木の代々木公園をお散歩。
学生がいっぱいいて、ダンスなんかしてて、ここに学祭気分極まる。
小さな坂下り行けば、目の前のヒュ−マックスのビルが何やら幾何学的でキングコングでも出てきて叩き壊しそうな感じ。
渋谷も少しずつ詳しくなってきたかな。
なんといっても大人の街がキャッチフレーズらしいから(笑)
これから「ニノの空」っていう映画、ビデオで見てみる。

2000年4月21日(金)
ランチいつもいく先輩二人が出張ということで、一人のときのお決まりの喫茶店に傘さして向かう。
カウンターでパスタ食べて、珈琲飲んで、ねじまき鳥を読む。
ちょうど「ねじまき鳥と火曜日の女たち」というそれ以前に書かれた短編を読んだばかりだったから、同じストーリーを違う本で読むことになった。
同じストーリーのように見えながら微妙に違う。そういうのを見つける作業も楽しい。春樹氏が丁寧に筆をいれていった様が目に浮かぶようだよ。小説というのは案外プログラムと似たところあるのかもね。ある一点の流し方が全体を左右したりすることもあるということ。そうしたキーとなる文脈をじっくり考えていく作業というのもなかなか面白いのかもしれないね。

2000年4月20日(木)
ここ一週間ほどうまくいってなかった処理がようやく打開。
ホントによかったよ。
GWは9連休なのになんにも決まってない。
ここまで予定のないGWは初めてかも。
海でも見にいこうかな。

2000年4月19日(水)
葉桜の目黒川沿いのタイ料理屋でランチ。
いつも一緒にご飯食べる先輩の突然の結婚宣言。
えーって思わず声あげてしまう。
他の先輩はぼくの口真似を真似して「なんとっ」なんて嬉しそうに言ってる。
そんなこと言ってるかな?

しかししかし、ぼくのほうは完全に袋小路。

2000年4月18日(火)
一体ぼくは何をしているのだ。
今ぼくのてのひらに小さな芽が芽生え、美しい蕾をもとうとしているのに、その芽を風にまかせようとしているよ。
ただ手のひらを重ねてそれを大事に包み込めばいいだけなのに。

好きの気持ちじゃなくて、むしろ好きになろうとする気持ちだけがぼくにあるのだと言う。どうして、ぼくは好きの気持ちしかないって断言できないのだ。

ぼくは自分の将来の不確かさをもとに、自分の気持ちをわからないなんて言うけれど、実はそんな夢見がちな将来よりももっと大事なもののはずなのに。

ぼくは結婚の文字になぜだか怯え、それを危なっかしげによけようとして、その横の穴に落ちるんじゃないのか。
孤独や後悔の入った穴に。
お願いだからもう時間がないなんて言わないで。ぼくは自分の足元さえ揺らぎそうなのだから。

きっと終電と酔っ払いとコンビニの人工的な光のせいで頭がおかしくなってるんだよ。
朝になれば、そっと笑いかけて話しかけることできるはずだよ。
きっと…

2000年4月17日(月)
新しいスーツに腕通すと、きっぱりといい気分。
大好きな「パン屋再襲撃」のハードカバーを電車で広げる。
やっぱり「ファミリーアフェア」がいいよね。

2000年4月16日(日)
大学のサークルの友達と恵比寿で飲む。
待ち合わせ場所にちょいと煙草を買いに来た風情で現れたのには笑っちゃった。
社会人になってもやっぱりみんな変らないね。
学生時代を思い出して、最後はラーメンで締め。
北京ダックの胃のようにお腹が膨れ上がって流石にもう駄目。
なんだかそーいう馬鹿げたことが楽しいよ。

2000年4月15日(土)
楽しみにしてたピクニックオフ。
新宿でピクニックさんとむしゃむしゃさんときりんさんとぼくの4人で落ち合って、「ピクニック」なる喫茶店行ってきました。
角にインベーダーゲーム機のような一昔前のゲーム機が2台あり、店の前にいくつかの観葉植物が並ぶような喫茶店でした。
ピクニックさんのHP的な色使いはなかったし、パキラもなかったけど、落ち着ける茶店だったし、和やかに会話も進みました。
ぼくは渋谷の「picnic on picnic」という雑貨屋で買ったハサミを記念にプレゼントし(もちろん自分用も買ってある)、きりんさんからはサボテンの種をもらったよ。
途中で喫茶店からデパートの和食屋に場所を移し、またおしゃべり。
すばらしく楽しい一日でした。
ぼくはこういうものを求めていたんだと思いました。
ネット上だけじゃなくて、リアルワールドでも同じように言葉を交し、受け入れ受け入れられたことがとても嬉しかったです。

2000年4月14日(金)
今週は一度も残業しなかったよ。
ただし、5月には思い切り忙しくなる模様。
部課は変らなかったけど、課自体の仕事が都市計画から警察・防災関係になっていしまって、これからは警視庁とか県警のシステムなんかをつくるみたい。課の人員も一挙に倍増。さてどうなることやら。

今夜は帰りに自由が丘寄って、ピザ食べてワイン飲んできた。
なかなか楽しい一夜でした。
自由が丘はしゃれた雑貨店なんかも多くて、まだまだ開拓の余地ありそうです。

2000年4月13日(木)
朝、時間があったのでお隣の駅までとことこ歩く。
春の日差しというよりもう初夏の太陽。
新緑もいいもの。子どもの白い歯と対比させた歌人って誰だっけ。

新入社員と仲良く話して、ぼくも一挙にその処理をマスター。
人に物を教えるという行為は自分のためにいいみたい。

2000年4月12日(水)
明日の新入社員研修の教え役になったのだけど、教えることをやったことなくて、今日はそれを覚えた次第。こんなんでいいんだろうか。きっと、いいんだろう。

「カンガルー日和」読み返してるけど、これは随分さらっとしてますね。
同じ短編でも「神の子ども〜」とは随分違います。
神の子はこれまで触りたくなかったような泥にまで手を伸ばしてる気がするけれども、カンガルーはそんな泥のことなんか気にもとめないで、紅茶にレモンでも浮かべながらのんびりと書いた感じがしますね。
春樹氏が前進してるのはわかるけど、どれがいいかは結局、読者の好き好きかな。
ぼくはやっぱり「パン屋再襲撃」に軍配あげます。

2000年4月11日(火)
4月入ってから割と早く帰ってこれる日が多くなって嬉しい限り。
帰り際にスーパー寄るものだから、冷蔵庫をあけると雪崩状態になります。

春先になると匂いに敏感になるのはぼくだけなんだろうか。
今日も帰りがら、お香の香りをかいでしまった。
とても懐かしいものなんだよね。
そのとき大切にしてたものとか人とかが浮かんでくるわけです。
あのときはずっと一緒にいられると思ったのに、随分遠くなってしまったね。

友達がコンペの準備に頑張ってます。
ねぇ君なら大丈夫、あと少しがんばって!

そして友達が就職なんかで上京してきたこともあって、色んなお誘い。
ほんと身体がいっぱい。週末がいっぱいあったらいいのにね。

2000年4月10日(月)
春になったということで朝早めに起きてジローラモさんのイタリア語。
モデルの子も可愛いし、なかなか楽しい番組です。
朝からグラーツィェなどと元気よく発声。
イタリア語は人を生き生きとさせる言語かもしれないな。
半年やれば少しは話せるようになるかも。
そして夏休みはイタリアに…いけるとよいな。

2000年4月9日(日)
春の太陽が傾きかけ始めた時間に渋谷に向かう。
駅前の桜並木の桜が早くも散り始めている。
ただ花びらが線路にひらひらと風に舞いながら落ちていくのを眺めていた。
瞬間が限定されているから美しい。
花びらが落ちていくのはとても凝縮された美なのだ。
もし死を迎えるならばこのような胸をうつような瞬間的な美しさをもっておわりにしたいものだ。 なんてね。

パルコにさっと入って、お目当てのお店でスーツ購入。
フォルムがきれいそうだ。さらにタイ2つに柔らかい色のシャツ3つ買った。
ちょっとは日本経済に貢献したかな。

大根を豚ひきとぐつぐつ煮込んで、その間胡瓜かじって、ビアのんで、バード聴いて、週末もおしまい。
ベトナムのバイク旅をUP。

2000年4月8日(土)
ひとりの週末。
晴れた空の下、電車に乗って、国立市の桜並木みにいく。
岩井俊二の「四月物語」のロケ地にもなったそうだ。
駅の乗り換え。太陽の光浴びてホームのベンチに座ってみれば、線路向こうの道路を高校生の女の子が颯爽と自転車こいでいく。
桜並木は花盛りだけど人盛り。
いっぱし大学もちょろっと見学。駅前でスモークブルーのじょうろをゲット。

渋谷に出て、「ヒマラヤ杉に降る雪」を観る。
この映画、素晴らしかった。最近観た映画の中でダントツと言えばわかるかな。
非常に深い深い映画だった。人種の壁と争いの無意味さ、でも変わることのない人の心。
「シャイン」のスコット・ヒックス監督です。
寡作でもいいものしか作らないという姿勢が、そしていいものを作りえる力量に感服。
役者も一様に力を発揮してたけど、やっぱりイーサン・ホークの演技が素晴らしい。
何かに対する強い想いのようなものに対して天性的な演技力を持ち合わせているのかもしれない。
今、男優の中では一番評価してます。「ガタカ」も◎だしね。
「ニュートン・ボーイズ」も観とけばよかった。

今夜は麻婆豆腐を作りました。味は普通の主婦レベルには達してます。
でも調子のって作ってたせいで、角界に入れるほど食べる羽目になってしまったよ。

2000年4月7日(金)
一年上の先輩が僕の担当の仕事に一日付き合ってくれたおかげで、ものすごく仕事が進んだ。
じゃあ今夜は桜観だねということでその先輩と7時には早々と会社出て、そのまま目黒川沿いに出た。
目黒川は両岸が桜並木になっているのだが、ここの桜が今夜は見事だった。
時の刻みをを止めてしまうほどに、息をのむほどに美しかった。
川沿いの小さなバーに入って、ぼくらは静かに語った。
そしてグラスがことりと音をたてた。

2000年4月6日(木)
和やかな飲み会でした。
なんだか大人の飲みなのです。

2000年4月5日(水)
7時きっかりに帰ろうとして、最後にプログラム流してたら、案外うまくいっちゃって、欲を出してもういっこかけたら、それが罠だった。
うまくいかどころか、ファイルが壊れちゃって、お手上げの状態。結局7時前の状態に直すのに、
随分時間かかっちゃって、あららって感じさ。
帰りは三軒茶屋までテクテク歩いて、明日の送別会の下見をしておいた。
なかなか雰囲気の良さそうだから、あとは料理さえ良ければ皆満足してくれるだろう。

雨上がりで湿度の高くなった三軒茶屋は真夜中というのに道路の喧騒がひどく、まるで東南アジアに来たような錯覚がしたよ。

2000年4月4日(火)
「国境の南、太陽の西」
以前チャットで僕はこの作品も好きなんだと言ったら、ある女の人が「あまりに男の目からしか書かれていないから好きになれない」的なことを言ってた。

この作品の主人公「ぼく」の行動は非常に自己の中で完結している。周りの世界に呼吸を合わせることがない。
呼吸が合わなければ、その人たちがぼくを惹きつけるものがないのだから、そこを立ち去るしかないしぼくにはどうすることもできないのだ、とする。
逆に自分を惹きつける何かがあれば、たとえ恋人の従妹であっても、彼は当たり前のように寝てしまうのだ。そしてそこには後ろめたさも恋人への憐憫もなく、ただぼくが肉体的に否応なしに惹きつけられたから寝たという理由しかない。
自分にとって+を与えるものがあれば、自分に優しさをもつ身近なもの(妻や恋人)を激しく傷つけてでさえ、その+を得ようとする。そしてそうするより他に道はないと平然と語る。

それをなんと身勝手な男なのだとフィクションで済ますこともできるはずだ。しかしながらまるで鏡のように、そこに自分の投影をみてしまうのだ。自分を惹きつけることのないものを容赦なく捨てたり、避けたりすること。そして「失ってしまった」と表現してみたりすること。
この作品を初めて読んだとき、僕は中にどっぷりとつかって、全てを仕方のないことだった、それは僕から去るべくして去った、たとえ誰かを傷つけても進むしかなかったなんていう言葉を免罪符のようにして自分に重ね、外界と壁をはった。外界と僕は異質なのだ、それ故ぼくから物は失われていくのだと感傷がってみせたりした。ただそこに浸かりきってそのような言葉を吐くことは非常に楽なことだったからだ。
しかし今ようやくぬるま湯から半身を起こして、ぼくはこの作品を眺めることができるようになったような気がする。いや、それじゃいけないんだと思えるようになり始めたということだ。行動が伴えているわけではないのだけどね。
羊さんの「水色」とリンクしました!

2000年4月3日(月)
いよいよ桜が咲いてきた。
駅前の坂道の桜並木も見事だし、会社の窓から見える目黒川も和らいだ薄桃色に包まれている。
夕方から急な出張でTH市までいくことになりそうだったが、免許忘れのせいで一応お役目ご免ということになったよ。
静かになった社内でちょこちょこやって、帰りは1年上の先輩と駅上のパスタ屋で夕食。
全然期待してなかったけど、抹茶色の太麺パスタとホワイトソースがとても美味しかった。
なんだか得した気分だよ。
帰宅すれば、大学のときのサークルのOB会報が届いてる。
懐かしい気持ちでページめくった。
僕はスーツにネクタイ締めてるのに、札幌ではやっぱりあの時と同じように、残雪の照り返しのなか重いザック背負って山登ってる仲間たちがいることに可笑しみを感じたよ。

2000年4月2日(日)
吉祥寺に初めて行ってきた。
渋谷からものの20分、あっという間に電車はついた。
井の頭公園は桜が咲き始めたばかりだったけど、すごい人の数。
桜の枝の枝垂れる池に沿って友達と静かに歩く。
お日様のもとで桜餅にほろ苦いビール飲んで、なんだか気分がいいよ。
自分の家の裏にでもあったら嬉しいような小さな蕎麦屋でお昼。
それから再び電車乗って、永福町から明大前までお散歩。
ここも桜が線路沿いに咲いていて、とてもいい気分。
スターバックスの珈琲飲みながら行き交う人々を眺めていた。
春はどの街にも確実に到来しているようだ。
それから渋谷でビール2杯飲んでおしまい。
友達はすっかり酔いがまわって子猫のようになってたよ。
改札ではさみしそうにしてたけど。

2000年4月1日(土)
弟との電車の中での他愛無い会話
「今日エイプリール・フールだね」
「えっほんと?」
「うそだよ」
これから仙台、札幌と18切符で北上する弟と別れて、ひとりで新宿ぶらり。
黒沢清の「カリスマ」観てきた。
役所広司はいいけど、コンセプトが結局はっきりしてなくて、衝撃的なエンディングのはずなのに、はっきりいって訳がわからない。
黒沢氏は「CURE」はかなりいい出来だったけど、あとは何か奇をてらいすぎて逆に駄作に陥りそうになってる気がするなぁ。
期待しているが故に厳しいのです。

電車で多摩川渡ったら、太陽がちょうど町並みの向こうに沈んでいくところ。
夕暮れの淡い光にますます白さの引き立つこぶしや淡い桜の花の中、「中央線」静かに歌いながら、家まで帰ってきた。
さてほかほかの肉じゃがとお味噌汁つくって、友達来るのを待とうかな。

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