2000年8月から9月のダイアリ

2000年9月30日(土)
朝早くごそごそと音がして、弟がもう出ていくから、といって大きな荷物担いで出て行った。
ぼくはその間も半分夢の中、申し訳なさ程度にモグラ程度に目を開いて「じゃあね」とお別れ。
今回は少しは話せたものの、一緒にどこかに行くわけでもなしということで、ちょびっと残念。

夕方、プールで一泳ぎ。
少ない筋肉をフルに使ったら、堀辰雄の小説にでてきそうな病弱の人のようにふらふらとなってしまった。
家帰って、じゃが芋がどうしても食べたくなって久しぶりにシチューなど作る。
アメリカ開拓時代の丸太小屋で奥さんの温かなシチューを食べるチャールズ(マイケル・ランドン)ほど幸せでないにしても、ミレニアム迎えた東京(正確に言えば川崎だな)で一人でシチューをぐつぐつさせながら、ビール片手に土曜の夜迎えるのも悪くない。

2000年9月29日(金)
一週間が終わった。
10分で終わらせようと思った処理がどうもうまくいかなくて、結局何時間もあ〜でもないこ〜でもないって。
ようやくできて、やったと思いしも、事務員もバイトの人もとっくに帰ってる時間。
暗くなった目黒川沿いを、肩の力抜きつつ、ただ週末に向かい歩く。

2000年9月28日(木)
電車に揺られて市原市まで。
先輩のピンチヒッターとして作業やったわけだけど、まぁピンチヒッター成功という結果だったかな。

帰り三茶寄って、相変わらずスターバックスで珈琲飲んでたりする。
そして言いたいことがあるけれど、公開ダイアリじゃちょっと言えないか。

家帰って、J’sBarの作文の冒頭書いてみる。
いつも書こうと思って、気付くと締め切りが過ぎてるので、今回こそというわけです。
実は小説という形式のもの書くの初めてだったりする。
それから無印のミルクのバスに漬かって、佐藤雅彦さんのプチ哲学読んで、あははっ笑ってた。今のところ、ちょっと目標にしたい人ですね。これくらいの言葉のセンスと発想法があれば、楽しいだろうね。毎日バスつかりながら、あははって笑えそうな気がする。
あはは(笑)

2000年9月27日(水)
午後から都庁へ。
渋谷も新宿も人があふれていた。
ぼくがPCに向かってる間も確実に世界は回っているのだ。

カレル・チャペックの「園芸家12ヶ月」
土に触れる創造的な生活はいいよね。

2000年9月26日(火)
来週末に仙台に仕事の途中報告しにいくことになって、詰まってきた。
家帰ったら、弟が遊びに来てました。
自由人ぽくって羨まし。

2000年9月25日(月)
集計に使ってるEWSの調子がおかしいせいで早めのご帰宅とあいなりました。
サルサソースのパスタつくってビール飲んでミーシャでも聴けばいい気分。
いい気分。
毎日がオザケンの弾くギターみたいに楽しければそれでいい。

2000年9月24日(日)
夕刻の涼風をシャツに受けて駅に向かう。
久しぶりに恵比寿いってみる。
ここにもスターバックスができていた。
ちょっと似つかないような商店街の一画だけど、中はお客さんでいっぱい。
まだまだ受け入れられていくだろうね。

公園の前にサボテンアートの小さなお店があってね。
大小様々のサボテンたちがアートとしておかれている。
今日のショーウィンドウを飾ってたサボテンはなんと水栽培。
透明の瓶を通してサボテンの根なるものが水の中に足を浸している。
「水入らず」なんていうコピーが書いてあって、そうかサボテンも水がいるんだもんねと感心してしまったよ、当たり前か。

よくいくJackPotという居酒屋でビールごくりと飲みながら、将来のこととか話す。
さすがに身近にいると僕のこと、僕以上にわかっているんだなって、ちょっと嬉しい気持ち。

2000年9月23日(土)
泥炭の底に埋められたような重さを身体に感じながら起き上がる。
参ったね。
土を落としにプールで一泳ぎ。
昼寝すれば、ようやく地上を歩いてる心地。

「デッドマン・ウォーキング」
死刑の賛否を主張させるのではなく、考えさせる映画。
ぼくはやや賛かな。

そしてサッカー、アメリカ戦。
後半同点になったところでぬるま湯モードから俄然盛り上がったけれど、うむ残念。。
こほりさん&四季さんの「銭湯」とリンクしました。
ちょっと手打ちでいじってみましたがやっぱり時間とられますね、面白いけど。

2000年9月22日(金)
今日目一杯やったら一週間の残業記録更新だなんて思ったけれど、脳のほうが追いつかなかった。
夜になったらもうPC上の文字が意味を持たずに思考の配線が混濁状態。
もう一行も読めないやということで、後ろの席の先輩と帰り支度。

へとへとのときにはラーメンと言われて、一緒に三宿へ。
長く行っていなかったラーメン屋というものの暖簾をくぐって、動物的に疲れをとらんとする。
冬の弱った眼光なき狼のごとき我々の前に学生的ならぁめんなる食べ物の器が並ぶ。
食べ終わったらかなり体力回復。
「これから柔道の一試合でもできそうです」なんて言った次第。
狼は再び背筋を立てて、森の向こうに走り去っていったという。

2000年9月21日(木)
山田詠美の「快楽の動詞」読む。
書名からしてなんとも彼女らしい。
彼女の指先は言葉たちを口紅のついたシガレットのようにそっと並べてみせるのだ

2000年9月20日(水)
仕事も自分の力で少しずつ進めるようになれば進歩もしてくる。
ハードルを越えていく技にも少しずつ長けてくる。

岩手にいったときの写真ができた。
とてもくつろいだ表情してるんだ。

2000年9月19日(火)
ちょっと仕事の量多し。
ぎりぎりの時間まで一応こなす努力。

タブッキの「遠い水平線」読了。
タブッキには普通の人が引いてしまう境界線を越えた視点を持ち合わせる。
文体はぽつりぽつりと切れて、僕のと似てなくもない。
こんなのもありなのさ。

2000年9月18日(月)
今日は一日、プログラムと真っ向勝負。
あっけなく白旗あげて、するめみたいに机に伏せてあきらめ気分。
先輩横にやってきて、こうやるのさ、あ〜なるほどってね。
気付けば周りにはもう誰もいなくなっていて夜はただ深まるのみ。
鞄握って、駅へといそぐ。

2000年9月17日(日)
岩手県は宮古市まで遊びにいってきました。
新幹線で盛岡までいって、そこから2時間半かけてという長い行程。
ついたその夜に浄土が浜というところまでいってお月見。
白砂とそこに面する松の木生える岩との対比が絶妙なところですね。
ただ夜ということで足元が白砂かどうかまではわからなかったけれど。
自分と月の間の波間に白く輝く月の道ができて、とても素敵な気分だった。

翌日は秋吉洞とも並ぶ鍾乳洞の龍泉洞にローカル線とバス乗り継いでいってきた。
洞の中はひんやりとした空気、天井から落ちてくる飛沫、脇を勢いよく流れる地下水。
ここには青く輝く地底湖なるものがあって、美しさもさることながら、全てを引きずり込んで決して話さないような冷血さも感じられて、背筋がゾクゾクきたよ。
この冷たい洞穴で屍になった探検家も数知れずということだろう。
洞を出て、地底から湧き出たばかりの水を集める渓流沿いを歩いているととてもいい気分。
学生時代に沢を歩いた記憶が木と水苔の混じったような匂いから甦ってきた。
久しぶりに深呼吸を繰り返してみた。
ホントは毎週でもこうした森の匂いを感じる必要があるのだろうな。
結局、今回はその結論に収束したような気がする。

新幹線がまたこの大都会に戻ってきたとき、少し胸の中が窮屈になったような気がしたよ。
そして窮屈になった分、胸の中から小さな溜息が押し出された。
溜息は都会の空気に少し迷ってから、街の中にゆっくりと散っていった。

2000年9月14日(木)
録画したサッカーのために、今夜はみざるきかざるで結果知らないままに帰宅しようと思ってた。
PCのネットも速報なんてものが飛び交ってるはずだから決してつけたりしないでね。
ところがである…
夜も深まってきた頃、課長がぽつり、「日本勝ったみたい」だって。
「あ〜ぁ〜」
(苦笑い)

日本と南アフリカ、ほとんど力的には互角で拮抗した良いゲームだった。
オリンピックのような舞台では結果が求められるのだから、そう意味で接戦をものにしたということは、タフなチームである証なんだと思うよ。
まだこれからが楽しみであります。

さて世の中は3連休ということで、我輩もご多分に漏れず、新幹線に乗って岩手の友達の実家にいってきます。
秋刀魚でも食べて日本海太平洋の岩洗う潮の流れでも見て、心も身体も秋色にでもしてこようかと思う。
…ということで留守しますが、満月でも見上げたら同じ月の光浴びてるんだよってそう思えるでしょう。

2000年9月13日(水)
とてもビールの飲みたい夜なのに、冷蔵庫の中にはすっかりなくなってて、しょうがなくJavaTeaなど飲んでる。
学生時代は午後ティーばかり飲んでたんだけど、最近甘さが舌に受け付けなくなってしまって、JavaTeaとかジャスミンティーばかり飲んでる。嗜好の変化ですね。
社会人になったばかりのときはかなり早く家に帰って、ペペロンチーノ用にニンニクと唐辛子を炒めつつ、ビールを飲むのが習慣化してたせいか、どうも同じような行動をとると、パブロフの犬じゃないけれど・・・。
あっ駄目、買いにいってきます。…バタン。。

2000年9月12日(火)
あまりにPCの画面ばかり見てたら、脳の回線がヒートしてきて、帰りの電車で本読んでも文字を捉えることができない。

お昼に天麩羅つまみながら先輩と話す。
学生のときはコンピュータ関係の仕事なんかするなんて思ってもみなかったよね。
そう僕なんか情報処理の課題、全部友達の写したもん。
その友達は今ごろ長靴に白衣姿といういでたちで静岡で花の品種改良でもしていることだろう。

自分で決めた道だけど不思議なものさ。
10年後にはどんなことしてるんだろ、変化、転生、やっぱり面白く生きなっきゃね。

2000年9月11日(月)
ただ不乱にPCに向かえば、誰かと優しく会話をしたくなる。
ぼくはキーボードを叩いて、僕自身の心を探してみる。
この電話線の向こうで繋がっている誰かの扉を開いて、やぁって言いたいのさ。

2000年9月10日(日)
夕刻電車にのって散歩へ。
今日はちょっと上品な用賀の町へ。
暮れ方の散歩にはちょうどいい季節になったものです。

帰り中古の「ベティー・ブルー」を発見。
思わず買ってしまったのでした。
札幌にはベティー・ブルーというBarがあってね。
その名の通り、ブルーの心地良い空間なんだ。
学生時代にサークルの追い出しコンパのときに下級生数人と気張って入って、そこで将来のことを語ったりしたのでした。
昨日、部屋に蚊取り線香焚くときにそこのブルーのマッチを使ったのです。
社会人になったのだから、今度は気軽に入れそう。
札幌に今度住んだら、あれしてこれしてというのを思い描いてます。
夢使いになろう!ということで、こがらしさんによる「夢使いの旅」をスタート。

2000年9月9日(土)
ぼくのPCの傍らには青い光を発する小さなコンポがあるのだけど(コンポ自体は就職活動用にスーツをかったときに当たったもの。買ったスーツより高かったりする)、それが一月前ほどに壊れて、修理に出してたわけです。
その間ずっとこのPCで音楽聴いてた。
今日、修理工場からコンポが帰ってきたのだけど、ものすごく音がいいように感じる。
たとえると耳掃除を1年間してない人が、耳掃除の専門家に膝枕してとってもらったあとくらいに音がいいように感じる。
(ちなみに耳掃除はよくしてるほう)
それで思ったのだけど、案外ぼくらが普段聞いてる音にせよ言葉にせよ、知らず知らずのうちに音域を狭めて、そのものがもつ本来の姿を認知できていない例って案外身の回りにいっぱいあるんじゃないかと思った次第。
さて、天気もいいことだし、ぼくも外の光でも浴びて音域でも広げにいこっと。

2000年9月8日(金)
A0の地図をプロッタから出力して先輩と作戦会議。
地図を前にして話してると、山に行く前の登山ルートを検討するときの高揚感にも似たもの感じる。
けれど、それはエラーのチェック図。
まだ先は長い。
今後の作業の青写真描いたのだけど、どうも正月まで忙しさが加速していきそうな雰囲気。
今はきゅっと鉢巻しめてゴールをきっと見ているそんな心持ち。

2000年9月7日(木)
一日中カチコチカチコチ、キーボード叩いてた。
段々自分の思考そのものがキーボードから生み出てくるような気までしてしまう。
それくらいまでやってかないとこの職業は上達しないです。
一見難解そうな微積分の式をきれいに解いたような嬉しさを感じれるようになったらしめたものさ。
もっとステップアップしなっきゃ。

2000年9月6日(水)
この人はなんて不自然な笑い方をするのだろう、とは初めて会ったときに友達が思ったことなんだそうだ。
「どんなときだって笑っていなさい」とは母親が小さいときから語ってくれた言葉。
ぼくは確かにもっとすんなりと笑えたのに、いつの間にかそれを丁寧にコントロールしてしまうようになってしまったよ。
まぁここで生きるにはそれも便利な技なのだけどさ。
いつだって気持ちよく笑えたらいいのに。
…そんなことを会社の小さな立食パーティーで考えた。

***
そんなこと書きながら、今、NHKでやってた広末涼子と「ソフィーの世界」の著者の対話を見たのだけど、けっこう面白かったです。
広末さんの生き方にけっこう共感がもてたよ。
(単なるアイドルかと思ってたのに参ったね。)
「ソフィーの世界」、ちょっと読んでみたくなったよ。

2000年9月5日(火)
闇の向こうから雨だれの音が聞こえてくる。
窓を開いておくと、すこし肌寒いくらいだ。
こんな夜にはバスタブにつかって物思いにでも沈みたい。

2000年9月4日(月)
願いが通じたのか涼しい一日。

久しぶりに島田雅彦氏の「夢使い」を再読。
なかなか面白い。
僕の周りに出来かけてきた壁を、規定概念を、壊したような気持ちよさだ。
彼は気持ちのよい生き方というものを知っていると僕は思う。

ここに出てくる東京の描写が面白い。
「…通りや電車には寝入り端のように表情のない顔があふれていた。表面上は毎日何かがせわしなく動いているのに、一皮剥けば、のっぺりと一様に退屈が支配する世界、それが東京だった。ここで暮らしてゆくには最低二つのモラルは守らなければならない、とぼくは思った。ひとつはのっぺりとした世界にでこぼこを発見すること。… 今一つは東京を退屈な都市だと思い込まないこと。東京にいるあいだはせめて、東京を愛そうと努めること。」

2000年9月3日(日)
風が気の向くままに吹きあれた一日。
夕方まで寝てばかりいた。
遠くの空に誰かが赤の絵の具を薄めはじめた時間に外へでた。
そのまま隣町まで散歩してトンカツを食べてきた。
ちょっと衣がかたかったけれど(恐らくは重くなった油をそのまま使ってるせいだと思う)くつろげてそれなりには良かった。
あとは珈琲飲みながらジャズ聞いてた。
時間の流れ方をこよなく愛することができるような気がした。

2000年9月2日(土)
空高く秋がきた…かのように見えた。
が、外にでれば凝縮いしたかのような凄い湿度。
まるで乗車率200%くらいの電車に詰め込まれているような感覚で、肌の穴に空気中の水分が入ってこようとする。
もうそれだけで駄目。

池尻に出て、むしゃさんときりんさんと軽く飲んだ。
たまに行くタイ料理屋の上が吹き抜けのBARになってて、結構くつろげるような空間だった。
よく話したけど、既にこのHUMIDな暑さにやられてた僕は人の話ちゃんときいてなくてダメヲくんですね。
線香花火して夏の終わりを確かめる。

家帰って、録画してたサッカーのオリンピックの試合見る。
日本強いですね。
元札幌の吉原くんが活躍したのは、高校野球で同郷のチームを応援してるようなもので、なんだか嬉しい。
来年、札幌がJ1再昇格して彼が戻ってきたら絶対応援いこっと。
リンクページを整理、素材を使わせて頂いてるページを加えました。

2000年9月1日(金)
夕方からデザインぽい仕事。
そして10時からの会議。
うむ、よく働くねぇ。

東京は貪欲な生き物のようだ。
金や人やシステムを飲みこんで成長するのだ。
ただ人を詰め込んだ電車は動脈血のように朝オフィス街に運び、
夜疲れきった人々を乗せ静脈血のように郊外に人をはき出す。

たまに恐くなることがある。

2000年8月31日(木)
切実に札幌に帰りたくなってきて、脳の回転は鈍い限り。
それで早めに帰ってきた。
身体の中に溜まった重いものをちょっと抜いてみよ。

2000年8月30日(水)
先輩の指示のもと、明日客先に出す書類作って、帰り際に課長に見せたら、実はこういうのが欲しかったわけじゃないんだなとのこと。
それで一日が奈落に落ちたような気がしてがっかり。
(…って、愚痴でございました。)

ほら、そこの君、顔上げて、そんなしかめっ面しないで。

2000年8月29日(火)
数時間集中して気付いたら、脳のCPUを越えて、少ないメモリも使い果たしていたのでした。
どこかにCPUとメモリ売ってないですか、かるいやつ。
とぼとぼ帰ってくる。
とぼ、とぼ。

2000年8月28日(月)
真夜中にもらったカードのおかげかしらないけれど、今日は随分ときれいに脳の車輪がまわった。
脳の車輪が回れば、気持ちよく笑うことだってできるんだ。
課の一つしたの子と帰ってくる。
彼ときたら、筒抜けに境界線ひくことなく、僕に話し掛けてくれる。
うんうん、って一歩境界線を跨いで話聞いてた。

2000年8月27日(日)
一人で三茶へ。
スターバックスで鉛筆回していた。
ここの店員さん、なかなか可愛いです。
そうして、…珈琲は減ってくわけです。
脳が凝縮してきたところで店をでる。

中古CD屋で、ビョークとスタンゲッツと今井美樹と艾敬をゲット。
最近、買いすぎかしら。

今日、読んだとこ。
「君だからだよ。誰にでも親切にするわけじゃない。誰にでも親切にするには僕の人生は限られすぎているんだ。もし限られていなかったら、僕はもっといろんなことを君にしてあげられると思う。でもそうじゃない」ほんとう?…なのか。

今日、言われたこと。
「親切だけれど冷たい」
ほんとう?…さ。

2000年8月26日(土)
夕刻、蟻の巣が10数個並んだかのような混雑極める渋谷にでる。
道玄坂のホテル街の中にあるライブハウスにいってきた。
「黒猫・白猫」や「アンダーグラウンド」、「ガッチョディーロ」といった映画の音楽をつくっていた人たちのライブだったのだ。
ライブハウスは狭い中に入れれるだけ入れきった感じの密集感。
でもライブは素晴らしかった。
東欧のジプシー音楽らしい連続的な音の羅列。
映画みたいに犬とかブタとかガチョウなんかが出てきてもおかしくないようなハイテンポな盛り上がり方だった。
そこでピョンピョン飛んでたら、シャツがびっしょりになるくらい汗がでて、背筋も痛んじゃった。
家帰って、お風呂出て、そのまま11時間ほど途中駅に停まることなくぐっすりと眠っていた。
メビウス(?)さながらのはねた髪で新聞とりに外にでれば、途切れることない蝉の声が終わらない夏を告げていた。

2000年8月25日(金)
参ったな、終わらないやと時計を凝視した末、打ち切りを決めて会社でる。
(一応、残りはメールで家に送ってしまったのだけど)
三軒茶屋にでて、パスタ食べる。
幅広の木のカウンターで僕は時間を取り戻す。
テキーラベースの白緑色のカクテルが美味しくて、凝り固まった細胞がパッと開いたような気がした。
週末は、ジッタリンジンじゃなくったって嬉しい。

2000年8月24日(木)
久しぶりのYS市。
夏蜜柑が民家の塀の上になってるのなんかが電車からも見ることができ、随分とのんびりした気分になれる街だ。

やるべきことはすんなり終わって、すんなり帰ってきた。
自分の時間があるってとてもよいもの。
のんびりお湯につかろっと。

2000年8月23日(水)
一応早く帰れる曜日だから、よしっ7時には帰ろっなんて思ってたけど、気付けば針はくるくると回ってたのでした。
電車は意外にもすいていて、表紙のとれた「国境の南〜」読んでいた。
ある意味で、一日を集中して過ごすのも悪くない。
電車は僕の変換点でもある。
脳の中のシナプスの信号で思考の走るレールを変えていくのさ。

2000年8月22日(火)
しゅうでんにのってかえってきたよ。
とってもねむたいよ。

2000年8月21日(月)
電車往復1回半きっかりで「風の歌を聴け」読む。
この小説、夜中の台所で春樹さんが鉛筆をカリカリと進めているのが目に浮かぶようで身近な気がする。
まるでダイアリのようにぶつりぶつりと章がきれていることが、過去から今に意味を見出そうとする作業を想起させる。
それは読者というよりもむしろ自分のための朴訥なる作業だ。
また登場人物に対する愛着を強く感じさせる作品だと思う。
僕もいつかそんな作業を夜の台所でやってみたいなとふと思った。

2000年8月20日(日)
江ノ島までいってきた。
太陽は「異邦人」のように輝き、人々の肌を赤く焼いていた。
あまりに人が多いのに畏れなしてただ無数の白き帆が波間を揺らぐのを眺めて帰ってきた。
帰りの電車の中では半ば後頭部のヒューズが切れたように眠りに落ちていた。

朝早く出たおかげで帰ってきてもまだ3時。
いつもの休みならようやく行動起こす時間だよ。

去年の10月号の広告批評という小さな雑誌読む
ここに村上春樹が主にスプートニクについての対談を載せているんですよ。
とても面白いのだけど、なかなかこれは手に入れにくいかもしれないな。
春樹氏は「小説が何を意味しているかとか、これはこういう結論なのだと無理に意味をもたせるよりも、自分がその小説をによって、どの方向にどれだけ運ばれたのかを意識するほうが自然じゃないか」と語っている。

夜はブラックタイガーというエビを入れたカレーをつくる。
野菜を炒めながら、ジャズ聴きながら、ビールを喉に通したりすると、これはもう究極の幸せなんだろうなという気がしてくる。
食後は近くの公園までお散歩。
ブームの「楽園がどうだら〜♪」というサンバ風の歌歌いながら、踊りながら、人のいなくなった夜道を友達と意気揚揚歩く。
休日は早い時間から動き出すと時間が有効に使えていいみたいと今更ながら実感。
TOPをちょっとクールに変身させてみました。出所はジャック・マイヨール(グランブル−のモデルになった人)を取材した池澤夏樹氏の「クジラが見る夢」からもってきました。スキャナーは偉大なり。

2000年8月19日(土)
昨日買ってきたスタン・ゲッツとビル・エバンスのセッションのCD聴いてる。
リズミカルでかっこいい。night&dayが好きかな。

「スプートニクの恋人」読了。
春樹さんの小説の中で一貫して喪失というテーマが語られるけれど、スプートニクって、あちら側の世界に消えてしまったもの(すみれ)が帰ってくるのがとてもいいですよね。
ただ登場人物の中に他の小説でも多いのだけど、何かを喪失してしまった人が描かれますよね。
今回の場合だとミュウとかにんじんの母親であるとか。
人が生きるということは、そして自我というものに素直になるならば、人が傷ついたり失われていくのは仕方ないことなのだろうか。
ミュウの場合は複雑だ。最後に決定的に自分の核を失ってしまった彼女を主人公が見かけるシーンがあるのだけど、そこに何のメッセージがあるというのだろう。
わからない。
「国境の南〜」ではイズミが決定的に損なわれてしまうのだけれど、あれをどう解釈したらいいのだろう。
ぼくにはどうしたらよかったのかという解決法を導く標がない。

多摩川の花火。近くの高台の芋畑の脇に座ってビール眺めつつ遠方で咲く光の花を眺めていた。
「これをみると夏も終わりだね」と何処かの女性の声が聞こえる。
日本人は儚く失われていく美学を生まれながらに知っていて、それを愛してやまない。

2000年8月18日(金)
課の人は半数以上が夏休み。
昨日はVisualC++、今日はASPというのを教えてもらった。
これにDBやHTMLが絡んでくるわけです。
なんだかまだ五里夢中なわけだけど、なかなか面白いです。
手探りながらでも何か形になっていくのは嬉しいものです。

帰り渋谷に出る。駅前の例の交差点で幻覚見てしまった。
右斜め上から大きな金属のような物体が振り落ちてくるイメージ。
混雑した交差点で大きくよろけてしまったよ。
一体なんだったのだ、あれは。

あとは静かにまっすぐとスプートニクたちのことを考えてた。

2000年8月17日(木)
仕事で簡単なCGIをつくってHTMLでデザインして、Web上においてみた。
といっても作ったのはほとんど係長なのだけど。
そのうちやってもらおっくくくくっ、だそうだ。
好きでやりだしたHTMLだけど、仕事にもとうとう役に立ってきてまぁ嬉しいね。
これは仕事というより遊びだなって思ったよ。

2000年8月16日(水)
今年のイタリアの写真と去年のベトナムの写真を現像した。
一年で明らかにやせたようだ。
それは美しいやせかたではなくて、週刊誌とかが激痩せとか騒ぐような類のもので、空恐ろしくなってしまった。
この一年の間、彼はインドの山寺で苦行でもしたのだろうか。。
逆玉でもしてもっとのんびり暮らすべきなのかも。

2000年8月15日(火)
会社に出てのんびりお仕事。
半分以上の人がこの時期に夏休みをとっているせいで机まわりも閑散としている。

社内の人の不幸のため、課の少ない人員を集めて告別式にいく。
帰りの電車で係長たちと一緒。
鞄の中を見せてもらえば、ネットワーク関係の試験対策の厚いテキスト。
「・・くんは鞄になに入ってるの」
と問われ、ぼくが出した唯一のものは「スプートニクの恋人」
読むのは3回目かな。
主人公の他人と自分との間に境界線をひくようになったというくだり、自分と似ていて、皆と別れたあと一人深く読み進む。
まだかなり加筆訂正してはいますがスイス・イタリアの旅をUPしました。
えっと、突然ですが手書きonlyをそろそろ脱却しようかと思います。
MicrosoftのFrontPageを併用していきたいと思います。
僕の中ではこれは一種の産業革命です(笑)。こんなに楽だとは…。。

2000年8月14日(月)
何だか学生に戻ったような一日をおくってしまった。
昼近くまで寝ていて、起きるなり三軒茶屋へ。
スターバックスでアイスコーヒーなんぞ飲んでました。
それから安映画館で「シュリ」を今ごろ見たわけです。
韓国のアクション映画な訳ですが、アクションシーンの画面の揺れなど撮り方が随分と巧かったです。
そして題材が起こりえうるものであるせいか、緊張するところでは緊張した映画を撮れたのだと思います。
北朝鮮との関係が緩んできた今だからこそ撮れる映画であって、本当に両国が緊張状態にあったときでは北朝鮮の国民感情を刺激するものになりえたし、逆に和平が進みすぎると現実味がなくなるという点で、現時点でしか撮れなかった映画なのかもしれない。
映画観たあと友達とエレベーターでアクションシーンの真似やってたわけで、人間って成長しないところは成長しないものだなと思った次第。
それから涼しくなってきた夕暮れ近い町を下北沢まで歩いた。
あの界隈、結構好きですね。

今日はバザールでゴザールの佐藤雅彦の「プチ哲学」なる本をゲット。
なかなか頭の柔らかい人だなんて感心することしきり。
難しいことは平易な言葉で言える人こそ頭がいいって思いません?
小沢健二もそんなこと昔言ってたような気がする。

2000年8月13日(日)
こんな時間から一人でウィスキーことりとやっている。
ことり。。
J's Barの読書感想文のコーナーで某Sくんが私が春樹氏から得たものとして、一行でズバンと書いてたけど、そんなものかもしれない。
夕刻渋谷に出て、機能よりも省スペースにデザインということで薄型のスキャナ買ってきた。
面白くなって帰ってから色々なものをデジタル化してみせた。
これでまた一つ現代人の階段上ったわけだ。
上っていくのに飽きたら、高台から一挙にジャンプして、焚き火に木をくべて河原の冷たい石に足のせて、旅路を振り返るのも悪かない。
ははっ、いつだってジャンプしてみせるさ。ちょっとくらい足を捻ったって構わない。

2000年8月12日(土)
父の誕生日。朝、札幌に電話をいれる。
「よく札幌にいるってわかったな」
「あ、そうか、ほんとは仙台にかけるべきだったんだね」
「何か声に張りがないぞ」
「うん、今日は休日だからね、力を抜いてるんだ」
社会人となって父というものがより身近に感じられるようになった。
高校ぐらいのときは、東京に単身赴任していてときたま家に帰ってきて家の中心に居座ろうとする父に反撥を感じたものだけどね。

夜、ビデオで「アリゾナ・ドリーム」観る。
監督が「アンダーグラウンド」や「白猫黒猫」作ったエミール・クストリッツァ。
(舌を噛みそうな名前だ)
ジョニー・デップに、ヴィンセント・ギャロまで出ている。
ハリウッドなのに東欧風の監督独自のエッセンス(軽快な音楽や動物が入り混じって出てくるところ)が効いているのはとても嬉しいところ。
そしてデップの語り口。
ちょっとした味わいのある映画というところで、拾い物でした。

2000年8月11日(金)
携帯に文字メールで友達から「バイクで事故った」と入ってる。
会社出て慌てて電話。
バイクは駄目になったけど、身体は大丈夫とのこと。
よかった。
一度バイク乗ってるところみてたのだけど、ホント覚束なく見えてたから、何だか危なっかしいななんて思ってたけど早々やってしまうとは。
無事でよかったよって家でマグロとタコのトマトソース・パスタに僕が駅前の酒屋で買ってきたワインにて乾杯。
そして今週末は一応お盆ということで3連休。

2000年8月10日(木)
母親から手紙きた。
札幌は赤とんぼが飛び、庭には桔梗におみなえし、そして虫の音なんだそうだ。
(おみなえしがどういう草花かはわからないのだけど、きっと秋風を思わせるようなものなのだろう。)
クーラーが絶え間なく稼動しているこの部屋ではそれはどこか遠い異国の話のように思えてしまう。

2000年8月9日(水)
どうにかこうにかプログラム変えて一応つくるべきものはつくれそう。
日進月歩していこう。

帰りの電車は遅いくせに何故か混みに混んでいて、思わず全てに幻滅してしまいそうになった。
何を喜んで地下足袋の擦り切れみたいになってるのかって。

ラベンダーの香りのする熱いバスにつかってみた。
身体から目には見えない汚れまでもが湯に溶解していくような気がした。
お風呂を出て、キース・ジャレットかけてみた。
ピアノの音が心の中をそっと流れていくのが感じられる。
大丈夫、きちんと戻れそうだ。

2000年8月8日(火)
帰りに上の階のプログラマーがつくったプログラムを無理やり改良して流してきた。
明日の朝には結果がわかるだろう。ちょっと楽しみ。

遅くなって仕方なくコンビニおむすび齧りながら帰ってくる。
試しに一年間に何個のおむすびを食べることになるか計算してみた。
一週に3日2個ずつ食べるとして、2コ×3日×4週×12月でえっと288個か。
案外たいしたことないな。ほっ。

2000年8月7日(月)
新しい席でお仕事。
机の上はデスクトップ1つきりにして空間を広く使うことにしてみた。
帰りの電車は珍しく文庫本じゃなくてプログラムの雑誌なんか読んでた。
うむ、理系ぽい?

2000年8月6日(日)
三茶まで出掛けてお蕎麦食べる。
席の横で頑固一徹の職人肌ともいうような男の人が蕎麦粉をのし棒で均一に平たく広げていく。
最後には大きな包丁でこれまた同一の細さに切り分けていく。
口開けて見てた。
山葵を自分で摩り下ろして頂くお蕎麦は…。
幸せなものです。

2000年8月5日(土)
朝目覚めると枕もとにプレゼントの包みがおいてあった。
夢かとも思って目こすっても確かにそれはそこにある。
開けてみると、谷川俊太郎の「青は遠い色」がおいてあった。
谷川さんの詩集に堀本さんという方の青を基調とした挿絵の入った詩集で、兎に角気に入りました。
けいじばんで書いたことが僕にも起きて、その偶然に少し驚く。

夕刻、電車乗り継いで八王子の花火大会見に行く。
花火が先か雨が先かと思わせるような曇天だったのだけれども雷神様もたまにはいいことしようかと思ったのか知らないけれども花火が威勢良く夜空を彩った。
錬金術師がフラスコふった末にできあがった火の花々を堪能する。
やっぱりいいものです。

2000年8月4日(金)
今日は夕方から社内の引越し。
さすがにくったり。

2000年8月3日(木)
21:00過ぎからの会議というわけで、相変わらずコンビニおにぎり齧りながら帰ってきた。
仕事は「こうこうやってこれを作って下さい」という形から「これをこの日までに作っておいて下さい」という形に変わってきた。
僕は生来の面倒くさがりやなのだけど、そうした面倒だと思うものを避けないで当たっておかないと進歩の傾きが随分と緩くなってしまうことに最近気付いている。
一つ一つ決意新たに前に踏み出すつもりなのです。

2000年8月2日(水)
商店街の開いている時間に帰ってくる。
友達の和風の部屋でチキンのカレーを頂く。
ちゃんと香ばしいナンまで焼いてくれたのには嬉しさ一杯。
大学などが近くにあるとカレー屋というものはスープカレーやらグリーンカレーやら選ぶのに困るくらいあるものだけど、今のぼくの生活圏にはカレー屋の存在がほとんどない。
このカレーだったら商売ができるね、なんていう言葉がまた笑顔を呼ぶ。
夏の闇のような深い色の珈琲飲みながら勉強していれば、料理長は畳の上でうつらうつら。
部屋出て、涼しい格好で夜道歩いてたら、まだ電車から解き放たれたばかりの鳥たちがねぐら求めて帰ってくる。

2000年8月1日(火)
辺見庸の「赤い橋の下のぬるい水」読む。
冒頭は池澤夏樹と川上弘美の「蛇を踏む」をたして2で割ったような不思議だけど文体の整った文章なのかなと思った。
がが、読み進めていくうちに、これは宮本輝のような泥に片足をつっこんっだような代物であることがわかってきた。
(どうも宮本氏の作品、苦手なのです。)
辺見氏は共同通信社の記者やってて、ベトナムのハノイの支局長(?)など歴任したような人らしい。
僕はあのメコンの泥水を部屋の中に湛えて、その水に腰まで浸かっているような気分になってしまったよ。
もっと明るくいこうよ。なんて思った次第。

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