2001年6月30日(土) |
PCを共有しているせいで僕のメールを彼女が読むことができてしまう。故意に特定のメールを読まれてしまい、そして傷ついたのと彼女は涙して言った。HPなら辞めることができる。メールも切ることができるだろう。だけどそこで全てを切ることが解決につながるのかどうかわからない。あらゆるものを切ったとしても僕という存在は残るから。僕が求めてきた繋がりを全てきり放つことが正しいかどうかもわからない。これだけ生きても僕自身のことにすら僕はきちんと整理をつけることもできない。
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2001年6月29日(金) |
サニーデイサービスの96粒の涙なんか聴きながら、キーボードを叩いている。
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2001年6月28日(木) |
弟の送別会をした。21時から弟と駅前まで買出しにいって、値切られた野菜を中心にどっさり買い込む。腕の太さが僕の1.3倍ほどある筋肉質の弟が難なく持ってくれる。なんだか従者を抱えた貴族のような気分で手ぶらで帰ってくる。彼女と弟の彼女(とても品がよい)と弟の友達の5人でお好み焼きやった。広島風のお好み焼きが上品に焼かれていく様をビール傾けながら見るのも悪くなかった。とてもくつろげた夜だった。クチナシの香りが静かに漂う石段を下りていきながら、弟は蛍の光など歌って帰っていった。 |
2001年6月27日(水) |
僕が今いるこの空間には窓はいくつかついてるけれど、クーラーというものがない。時代的な扇風機すらない。6月の夜というのに風の吹くことのない夜。額に小さな汗粒が光る。友達が横からちょっかいばっかりかけてくる。僕はミックスナッツをテーブルにおいてウィスキーを飲んでる。東京の6月の夜ってこんなに暑かったけ。これじゃウェディングドレスも着る気が起こらないというものさ。
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2001年6月25日(月) |
夜というのに身体が火照っている。梅雨明けのまっすぐな朝の太陽の光の下、駅までの急坂を登るときのように。季節のせいだけじゃないだろう、バーボンウィスキーをいくらか飲んだせいだけじゃないだろう。きっとちょっとした疲労のようなものだ。何かが僕の体内で勢いよく燃えている。うむっ、熱っぽいのかな。
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2001年6月24日(日) |
ゆずの歌みたいに自転車二人乗りして近くの図書館にいった。17時閉館間際だったから慌てて海外文学の棚のほうに行って、2冊借りてきた。1冊はタブッキの「インド夜想曲」だ。イタリア文学なんだけれど、フランスで映画化されていて、映画のほうを2度ばかり観ているが本で読むのは初めてだ。早速、地図片手に壁にもたれつつ読み耽る。インド南部で失踪した友人を追いかける旅が自分探しになるという内容なのだけど、非常に哲学的示唆に富んでいるし、会話に機知があって面白い。バスの待合室での奇形の預言者との出会いが強烈に印象に残る。僕は先に映画を見ているせいでどうもそれぞれのシーンが映像を伴って想起される。いつかこんな旅をしてみたいものだし、こんな文章を書いてみたい。 |
2001年6月23日(土) |
随分と電車に乗った一日だった。東急にJRに京王に都営に営団。お昼すぎに町田市の奥まったところにある祖父の家(空家)を弟と見に行く。退社した後、旅行中にどれだけ荷物を置けるのかとその後住めるかどうかを見きわめるためだ。家に行くのは初めてではないけれど彼これ10年振りくらいでほとんど記憶がないのと同然なのだ。駅は田舎の駅といったたたずまいだったけれども、大学がそばにあるせいか若い人も多く、それなりに活気はある。家は駅から坂を上るかたちで歩いて10分ほどのところ。ところどころに林や森があって環境はよさそうだ。家は古い一軒家。玄関を入るとまるで古い温泉旅館にきたかのような臭いがする。2階の窓を開ければ、遠くに山並みが見えた。一つの選択肢として住むのかもしれないけれど決して進んで住んでみたいとも思わなかったのもまた事実。
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2001年6月22日(金) |
人事部から退職手続きの書類がやってきた。ずっと望んでいたはずなのに、なぜだかショック受けたり寂しがったりする。ここ数日、何の変わりもなく普通のように仕事こなしていたし、成果もそれなりにあげていたから。
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2001年6月21日(木) |
クチナシの甘い香りがひときわにほいたつ夜に。
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2001年6月20日(水) |
午前中は数日でつくったシステムを納めに事故分析センターへ。四谷の橋の下にはのろのろとしたJRが走っていた。
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2001年6月19日(火) |
夕食後、雨上がりの夜道を散歩した。庭先に咲く白い花から甘い香りが漂っている。1年前のダイアリを見れば、そこにクチナシの花とあるから多分そうなのかもしれない。1年前には知っていて今はもう記憶の糸からはずれてしまったものたち。
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2001年6月18日(月) |
辞めるということが一部の人の中でしか知られていないせいか、転がり込んでくる仕事仕事。ただこなしていたら、いつの間にかフロアにも人がいなくなってる。もうこんな時間。
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2001年6月17日(日) |
渋谷のシネマライズで是枝監督の「Distace」を観てくる。ちょうど2年前にはこの映画館でこの監督の「ワンダフルライフ」を観ているから、ちょっと懐かしかったりもする。今回の映画では、オウム真理教をモチーフとして(固有の宗教名を映画の中では指していない)、事件後の信者の家族の思いをなぞった作品。この映画の中で是枝監督は出演者に大まかなストーリーのみを提示し、そこで起きうる会話等は全てアドリブという撮り方をしている。出演者が自分の頭で考えたことがここでは映画の中の会話となるところが面白い。出演者は演じるという枠を一歩越えて、事件を一歩離れて見る立場(つまり観客側)とメッセージを発信する側(監督側、製作者側)の双方をいったりきたりできるのだ。
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2001年6月16日(土) |
東京に戻って2週間がたった。毎日、灰色の空から思い出したように細かな雨が降る日が続いている。小さな折り畳み傘をさしては、スーツの裾を少し濡らしながら歩く日々だ。会社はもう一月のうちに辞めることがほぼ決定した。まだ覚束ない未来に対して、焦燥に駆られることはなく、むしろ元気でいると思う。
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2001年6月3日(日) |
最後の最後まで遊んでしまった。さらば仙台。帰京します。 |
2001年5月31日(木) |
流石に眠気が脳の螺旋階段をぐるりぐるり廻って思考力もいつもの半分以下。それでもどうにか納品。お客様にも満足頂けたしホントよかった。今日はぐっすり眠れそう。 |
2001年5月30日(水) |
プログラムの検証にぎりぎりまでかかって結局2時。プログラマだけの問題じゃないだろ。自分の甘さを痛感。明日は納品、しっかりねしっかり。 |
2001年5月29日(火) |
プログラムはどうにか一段落してきたけど、納品準備が・・・。あと一日がんばろっ。 |
2001年5月28日(月) |
プログラマに依頼しているプログラムの出来が今ひとつで結局こんな時間。
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2001年5月27日(日) |
土曜は朝早くから何故か目覚めて、近くのミニシアターに相米監督、小泉今日子と浅野忠信主演の「風花」見てくる。東京と北海道が舞台で見ていると山の名前までわかってしまうのだけど、逆にわかりすぎるが故になんでこっちの方向に車を走らせているのにこの街がでてくるんだとか細部が目について困った。映画自体も今一。帰る場所のない二人という設定だけど、一体彼らがどこに帰ったのかがはっきりとせず曖昧にしてしまえば、結論も何も曖昧じゃないんだろうか。生きることの困難さを説いているとしか思えないし、一体それを説いて何になるというのか。
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2001年5月25日(金) |
映画館のタイムスケジュールの紙の上にナッツを並べてみて、それを一つずつ人差し指でつまんで口の中に落す。それからウイスキーの冷たいグラスを手にとって、その強い液体を唇に当てる。あたたかな談笑のある夜のひとときを考えてみる。30近くのまだ若い青年が人々の間で話しをしている。「それが滑稽なことに・・・」と話の効果をあげるためにそこで区切って、まわりの人々の顔を見回している。そして彼が何かを口に出した瞬間、笑いの渦になる。中年すぎのよく太った女がひときわよく通った声で笑っている。そう、そんな夏の宵のことを。
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2001年5月24日(木) |
ナオさんとのメールのやりとりの中で、GWの喜びにあふれた日々のこと書いたら、「文章を読んでて何となく、パキラさんのサイトの初期のダイアリの雰囲気を思い浮かべました。世界すべてが愛せるような、一瞬にしてすごく素敵な気持、文章の間から溢れ出ていましたよ」 とメールに書かれていて、何だか嬉しいようなそうでないような気持ちになったり。確かに僕のダイアリはある時期から「なんだか暗くなってきたね」と友達に言われるくらい毛並みが変わってきたのかもしれない。
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2001年5月23日(水) |
未来のために、今を耐えるのではなく、
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2001年5月22日(火) |
少しずつ仙台の日々が少なくなってきた。仙台を去りがたしというより、本社で息詰まって働かされるのに何だか気が重かったりして。
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2001年5月21日(月) |
日曜、仙台の駅から新幹線に乗り込もうとした瞬間に電話。なんと盛岡から東京に戻ろうとした彼女と同じ客車で鉢合わせ。おかげで絶対座れまいと思っていた座席にちょっと罪悪感を感じながら座ることできた。「運命かな?」「いや、宿命だよ」って。
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2001年5月20日(日) |
彼女が早々と盛岡に出掛けていったあと、プールで一泳ぎ。いまだに肺活量が小さく、何往復かしているだけで息が上がる。もし船に乗ることがあって、それが沈没して、木切れで漂流することになっても、いちかばちかで遠き岸を目指して泳ぐのは命を捨てる行為にしかならないレベルだ。そうなったら観念して木切れに乗って、人魚の島にでも流れ着くのを夢見ながら果てようと思う。
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2001年5月19日(土) |
木曜の反動なのかどうかわからないけれど、血の通いの悪い朝。
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2001年5月18日(金) |
早く切り上げて飲み会。普通の居酒屋だったから卸したお金も全然使わず仕舞。あと2週間ということで女の人が「一押しだったのに〜」なんてお世辞でも言ってくれるのは嬉しかったり。 |
2001年5月17日(木) |
1時まで仕事やってた。久しぶりに遅いね。まぁ一日くらいならば僕の身体でも大丈夫だけど。仙台での最後の仕事の締めくくりにきっちしやっていかなっきゃ。きっちしね。 |
2001年5月16日(水) |
会社では出張費の精算をあるソフトを使って行っているのだけど、僕がそのソフト導入後きちんと精算してなかったことが判明。未入金が数十万円に及びとんでもないことに。東京の課長にそのことでメールおくると、「おいおい。しっかりしてくれ。」と(僕に対してこれまでで最上級の)きつい言葉。流石にブルー(というよりブルーになるくらい自己反省すべきだと思う)。そちらの口座の通帳を引き出しにしまったまま、ほっておいたのが原因。今朝初めて記帳とはひどすぎる。不甲斐なくて自分に頭にくる。 |
2001年5月15日(火) |
眠気のようなけだるさがお墓に戻れなかった幽霊のように脳の中を彷徨っていた一日。
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2001年5月14日(月) |
ビル・エバンスの旋律を感じ取る夜。鍵盤を跳びまわる指先から僕の細胞に、空気は震え、心臓も草の上に放りあげられた川魚の心臓のように細かく震えるよ。
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2001年5月13日(日) |
強くなってきた日差しを浴びながらプールまで歩く。家の前のテニスコートでは50代くらいの人たちが弾力のある音をたてながらラケットをふっている。
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2001年5月12日(土) |
サンドイッチ屋経由して、春の日差しをPOPなTシャツに浴びながら図書館に向かう。サンドイッチ屋では、スタンゲッツがかかっていた。コンポの前の椅子に座ったおかげでスタンゲッツのアルバムは一枚しかないことが判明。せっかくだからもっとボサノバ系を置いたらいいのにね。
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2001年5月11日(金) |
大江健三郎の「私という小説家のつくり方」読む。彼の本は、1,2冊しか読んだことなく、それも長編は未だに読んでいない(というか読めていない)。彼にとって、文章を書くということはなるべくしてなったというところがある。彼もまた春樹さんなどと同じように英語の原書を丹念に読んでいたようだ。そして彼の英語という位置付けが人との対話のためではなくて、むしろ自己との対話のためにあるという話が展開される。
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2001年5月10日(木) |
仕事をいまだに辞めさせてもらえない。ひどい話だ。いったい彼らに何の権限があって、僕の生き方まで規定できるのか。かなりうざったい。わかってるという振りをしている分だけ始末が悪い。こんなんだったら嘘でもついておくのだった。
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2001年5月9日(水) |
柴田元幸という学者さんがいる。彼はポール・オースターの名翻訳家として知られている。
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2001年5月8日(火) |
脳の歯車がきれいにまわるのでいい仕事ができる。ほとんどお遊びみたいな感覚。
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2001年5月7日(月) |
スタン・ゲッツの小気味のよいサックスなんか聞いてたら、突然踊りだしたくなるね。「女と男のいる舗道」のアンナ・カリーナみたいにさ。リズミカルに身体揺らしてさ。
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2001年5月6日(日) |
朝早く目が覚めてしまう。ベッド脇で本でも読みながら光が強くなるのを待つ。
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2001年5月5日(土) |
1年4ヶ月ぶりに札幌に帰省してきた。
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2001年4月29日(日) |
今日は天皇誕生日じゃなかった、えっと緑の日だったんだっけ。どこかで罪滅ぼし的に偽善的な植樹祭が行われているのだろう(皮肉屋だね)。まぁ植樹祭も環境教育的な面から見れば、わりばしを使うなというようなことと同じくらい重要なんだけどね。
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2001年4月28日(土) |
先週下北いったときにキューブリックの話になって、そういえば「時計仕掛けのオレンジ」しか見てないよな、なんて思って早速「2001年宇宙の旅」みてみた。ちなみにPCのDVDでみたから、ちょっといつもの映画の感覚と違うものあった。初めの猿人のシーンは面白いなと思ったけれど、舞台が宇宙になるとずっと会話が入ってこないシーンやストーリーそのものがぼやけているのでまぶた重くなってふらふらしてた。 |
2001年4月27日(金) |
仕事もたいしてない一日。ほとんど趣味的にツールの整理なぞやっていた。
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2001年4月26日(木) |
12時前に珍しく眠りの世界の門の前にいたら、電話の音。弟からだ。いよいよ松江引き上げて、上京してくるらしい。「お兄ちゃんHPどうかしたの。ヤフーから検索できなくてさ。」
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2001年4月25日(水) |
ウイスキーあれだけ飲めば、胃の重たき朝なり。でも目覚めはよし。飲んだ翌日の朝って、なんで覚醒気味になるのだろう。
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2001年4月24日(火) |
あれれ、一日分飛んでる。おかしいなぁ。
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2001年4月22日(日) |
今月3回目の上京。第一の目的は従兄の結婚式。親族なのに、パーティー感覚で色シャツにスーツ着てったのはちとまずかった。だいたい礼服を着るべきかどうかで会場につくまで全く頭を回さなかったは反省。親父は、若いのはそれくらいのほうがカッコいい、とかなんとか好意的に見てくれてたけど。
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2001年4月20日(金) |
社会人になって3年目。とうとうコンビニ弁当生活に甘んじてしまっている。自炊する気がしないほど遅い日が多いのが原因でしょう。東京にいた頃のカロリーメイト的食生活と比べるといいのか悪いのかよくわからないけれど。
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2001年4月19日(木) |
また一日また一日と日はたっていく。
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2001年4月18日(水) |
やりたいこといっぱいあるのに、あっけなく一日の幕はとじて、ベッドに潜りこむのみ。
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2001年4月17日(火) |
東京のせいか、何だか身体のきれ悪い。
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2001年4月16日(月) |
週末、桜前線の到来した仙台から東京へ。
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2001年4月12日(木) |
仙台の街もとうとう桜盛り。というのにひねもすPCと睨めっこ。
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2001年4月11日(水) |
ネムの木状態。葉っぱがパタンパタンと丁寧に閉じていって、僕のまぶたも閉じていく。 |
2001年4月10日(火) |
山形という言葉からまず連想されるのは、おうとうよりも蕎麦なのかもしれない。
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2001年4月9日(月) |
終電逃がしてタクシー。そして勤労者の一日は終わった。 |
2001年4月8日(日) |
夜、つくったパスタ食べながら「地雷をふんだらサヨウナラ」観た。実はたいしたことないんじゃないかってかなりくってかかったところがあったのだが、カンボジアの哀しい紛争が垣間見られたこの映画はそれなりに実りあるものだった。一ノ瀬カメラマンを浅野忠信が演じていた。彼が演じると妙な演技感というものが希薄なために逆にリアルだったりする。一ノ瀬カメラマンを命をかけたジャーナリストという尊大な見方をするのではなくて、単なる九州出身の一青年と捉えたのは正解だった。英雄物語ではなく、これはカンボジアの紛争を一日本人から同じ目の高さから垣間見た体験記となっている。それにしても、こうしたアジア(または世界)で起きている血の争いくらい、きちんと把握してからベトナムとかに行けばよかったとちょっと後悔した。無知はときに悪になる。そんな名言があっただろうか。
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2001年4月7日(土) |
休みの日はいいものさ。
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2001年4月6日(金) |
深い木立が庭先にあって、その脇に古い木造の家がひっそりと佇んでいる。木立と家はずっと昔から寄り添って生きている。互いの存在なくして、自分の存在などありえないかのように。
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2001年4月5日(木) |
NHKで教育に関して著名人がもの申す的な番組やっていて、建築家の安藤氏や宇宙飛行士の毛利さんや心理学者の河合氏が現在の日本の教育について話されていた。
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2001年4月4日(水) |
HPとしてアップしないことがわかっているとどうもダイアリつけることに熱意もてなかったりする。
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2001年4月3日(火) |
1年3ヶ月続いたHPを休止させた。
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2001年4月2日(月) |
ここに僕が文字を書くたびにリアルワールドでは少しずつ自分のかけらが失われていくのだったら恐ろしいことだ。
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