2002年11月29日(金)

「3年後の自分へ」

 ねえ調子はどうですか。君はどこにいるんだろう。僕は君の幸福で楽しげな様子を想像しています。
 僕はここのところショックを受けてばかりです。さっきも泣いてたのですよ。僕は自分が泣いたりする人間だなんて思ってませんでした。お風呂の中で目を洗ったから今は多少ましです。どうしてこんなふうになっているのか説明するまでもないですよね。だって君は僕だもの。
 君は僕のことをどう思いますか。これはすべて通らなければいけない道ですか。もっとうまくやっていく方法はあったのですか。今は過去のことを考えていてはいけないのですか。でも不思議なことに前を向いて、物を書けば書くほどなぜか過去のことが掘り起こされていくんですよ。ただ記憶としてだけではなくて、現実の世界にそれが戻ってくるんですよ。なぜなんでしょう。僕は怖いです。
 ねえちょっとだけでいいからヒントを教えて下さいな。僕がうまく生きられるように。僕が人をきちんと愛したり愛されたりするように。もしかして君はまだその答えを知らないのかな。君はさらに3年後の自分にそれを尋ねにいったりするのかな。とにかく僕は過去を背負いながら君のところまで歩いていくからしばらく待っていて欲しいな。僕は喉がからからになっているはずだから、冷たいお茶でも用意しておいてくれたら最高だな。 


2002年11月28日(木)

「壁に開けられた風穴」

 スピッツ聴きながら短篇「満月」を書いていた。最初の一枚目を破棄して、書き直したらいい感じになってきた。みかんの皮をむいたら、もう一枚皮があったことに気付いたような感じ。それにしても草野さんの詞、とてもいいと思う。僕にとって春樹さんよりも先に草野さんの詞があった。
 音楽にのせてメッセージを伝えるほうが文学として何か伝えようとするより、手っ取り早いし流行性がある、さらにはライブで直接的に伝えることもできる。街角でティッシュを配るように誰にでもはいどうぞって手渡すことができる。文学となるとそうはいかない。まず手に取ってもらって気に入ってもらって、読み手の時間を費やしてもらわなければならない。しかしこうも考えることができる。文学のほうが深くまで入っていけるかもしれない。音楽は言葉の数にどうしても制限がでてきてしまって表現をカタチやイメージとしてしか伝えられない。しかし文学はそれらのカタチやイメージをストーリーという糸によって繋げていくことができる。
 そう考えると、草野さんの詞が僕の心のどこかを突き破って風穴をあけて、そこから春樹さんの本がするすると入ってこれたのではないかなとも思う。
 物を書くとき、その行為が自分の心の中できちんと反響するようなものの場合、読み手に対してもそうなることを期待できる。だからこそ僕は自分の中に、裸の気持ちに到達するように深く入り込まなければいけないのだと思う。音楽を聴きながら書くというのは、気持ちの外壁に侵入するための風穴をつくってくれる効果があるのかもしれないなんて思う。そうして風穴から入っていくことができれば、もう外で鳴っている音楽の音も聴こえない。聴く必要もない。僕はただ集中して暗闇の中をおりていけばいいのだ。


2002年11月27日(水)

「記憶」

 昨日のダイアリ見ていると気持ちがそこに吸い込まれていく。自分にとってすごく意味のあったものなんじゃないかって思ってしまう。もっとちゃんとアプローチすればよかった・・・。胸の中が乱れていく。気持ちの分子が右往左往に飛び回って、心の中の内壁にぱつんぱつんとぶつかっている。いっそのこと、これまでのメールとか全部捨てちゃって、全てなかったことにしてしまえば気も楽なのかもしれないけれど・・・。そういうものって絶対捨てられないんだよな。いったい記憶ってなんなんでしょう。昔の手紙とか写真を焼いてしまう人とかいるけれど僕にはあれはできないかもしれない。思い出を焼くという行為の痛さって僕には耐え切れないように思える。でももし捨てるか焼くかどちらを選びますかって訊かれたら、やっぱり焼くほうを選ぶだろう。それはきっと焼くという行為そのものを(それが痛みを伴うからこそ)記憶として刻んでおくことができるからだと思う。
 一度起きてしまったことをもう一度やり直せたらいいと思う。幸せな瞬間や、その予感があった瞬間に、栞を挟んでおいて、そこに立ち戻ってやり直すの。そうすれば今の自分はどうなるんだろう。でもそれを始めると僕はいったいどこから始めることになるんだろう。過去の哀しい出来事の前の幸せに栞を挟んでおいてそこからやり直せば、そこからの人生はすべて白紙に戻るわけだから、結局僕は会うはずの人と会わなかったり、言葉を交わさなかったりするんだよね。そうしたら世界はすべて変わってしまうんだな。今の自分の存在自体が消えてしまう。過去はやり直せないから、いとしいのかもしれない。でも現在は今ここにあって修正可能だから、きっと過去の形を変えるのも現在の自分次第なのかもしれない。思い出に浸ったりしないで「兎に角、リセットボタンを押したつもりでやりなおしてみましょう」そう言えばいいのかもしれない。そうすれば全ては元通りになるのかな。
 12月はきっとそんなキモチ抱えながら小説直しでもするんだろうな。そのキモチを鎮めるために小説を直すのかもしれない。しかし不思議なことにキモチを鎮めようとすればするほど、忘れていたはずの出来事が今さらのようにノックしはじめる。君はいったい忘れたいのか、思い出したいのか、どっちなんだい?


2002年11月26日(火)

「まだ雨がふっている」

 なんかフタがうまくしまらない。箱を開けすぎたみたいだ。こんなに開けるんじゃなかった。心をほとんどそこに向けたのになぜ伝わらなかったんだろう。無力感。
 「distance」・・・距離、道のり、間隔、かなりの距離、遠方、隔たり、相違、懸隔、よそよそしさ、遠慮
 「real」・・・真の、本当の、心からの、現実の、実際の、実在する
 (新和英中辞典、研究社)


2002年11月24日(日)

「山小屋での一夜」

 友人たちと山小屋(パラダイス・ヒュッテ)に行った。手稲ハイランドスキー場から雪に埋もれた林道を歩いて20分ほどのところにあった。山スキーを楽しむ人たちの拠点というよりは、ちょっとした研修会や山仲間との親交を温める場としての利用がなされているようだった。電気あり、ガスあり、水洗便所ありでほとんど下界と変わらない。
 学生時代のワンゲルの同期の人間7人中今回は5人も集まった。それに加えて、皆それぞれ結婚、出産など経てきて小さな子供が3人もやってきた。良きも悪きも知り尽くした仲間との一夜は至極楽しいものだった。やはりもつべきものは友だ。


2002年11月23日(土)

「迫ってくれば逃げたくなる」

 「カーソン・マッカラーズ短編集」読了。うーん、はっきり言って、僕この人苦手かも。感性のあふれるような文章はいいのだけど、この人って他人との関係をもつときに一歩前に進んでくる感覚がある。
 僕が村上春樹の小説に心地よさを感じたのは、彼の世界が他人との間にまずラインを引いてから成り立っている点にあったのかもしれない。そのラインを引くことによって、誰からも攻撃されずに、自分だけの世界にこもることができる。他人の価値観に乱されずに、自分の価値観に沿って生きていくことができる。そうしたところが彼の小説が僕だけでなく多くの現代の特に若い人たちに支持される理由なんだと思う。
 マッカラーズという人はこのラインを飛び越えてこちらに求めようとする力があるような気がする。それはある意味大切なことかもしれないけれど、ラインの内側の心地よさを知っている人にとってはうざったいことなんじゃないかなって思える。まだ一作品しか読んでいないから全てはわからないけれども。
 マッカラーズはネット上の個人書評では好評だっただけにややこの結果は意外かな。うーん。僕に許容力が足りないような気もする。


2002年11月22日(金)

「放心気味」

 記憶についての中篇小説「栞」をUPしました。推敲してたら六時間くらい時間が飛んでた。まさにtime flysだな。今月はdollsで触発されてから、これしか書いてません。読んで頂けると嬉しいです。楽しんで頂けたらなお嬉しいです。(ぺこり)
 しばしtransparenceの短篇(お題は「満月」、29日up予定)に向かいたいと思います。


2002年11月21日(木)

「生きること = 書くこと = 模索すること」

 カフカの「城」を読了。
 カフカという人は今でこそ知らない人はいないけれど、生前は全くの無名作家だったそうだ。いや、作家ですらなかった。彼は労働者傷害保険協会に勤める一サラリーマンでしかなかったのだ。
 彼がサラリーマンでしかなかったからこそ、彼の一連の作品が生み出されたといっても過言ではないような気がする。彼は常に自分の現状から抜け出そうともがいていたに違いない。まるでこの本に出てくる測量技師Kのように。Kはある夜、仕事を頼まれた城のある村にやってくる。しかし、仕事が始めることはできない。というのも村長は測量など必要ないのだと言うからだ。結局彼は仕事の元締めであるはずの城に向かおうとする。だけど城は目に見えているのに到達することができない。途中から(いや始めから)Kは仕事のことなど忘れ去ってただ城を目指すことに力を傾注し、城を形作っているはずの官僚機構にとりつこうとする。しかしそこには実体というものがない。・・・カフカの作品は、そうした官僚機構の時代がやってくることを予見したものだというようなことをどこかで読んだことがある。実体があるようでないものであり、個人の力ではそこに取り付くこともままならないもの。全てが盥回しのようになっていて、明確な指揮系統も、責任の所在もよくわからないもの。確かにそれってまさにお役所そのもののような気がする。あるいは社会の仕組みそのもの。機構の上のほうはよくわからず、機構の下にいる者に対して何かを言ってみたところでそれが果たして上に届くかもわからない。大体、下の者と上の者がしっかり繫がっているのかも定かではない。
 20世紀はじめに書かれたカフカの作品は、現代のような社会機構に対する一個人の無力さを徹底的に書き上げたものだから、全くそのテーマが色あせることはない。色あせるどころかますます彼の作品の意味が強まっているような時代になっていると思う。しかし、カフカ自身は個人の無力さを予見するつもりなど毛頭なかったのではだろうか。彼自身はそれを克服したかったのではないだろうか。
 カフカは書くことに人生をかけたにも関わらず(書くために結婚もしなかったそうだ)、結局無名の一サラリーマンとして終わってしまっている。彼は書くことを通して常に人生の打開をはかろうとしていたように思う。書くことの過程とその結果によって。「城」は、彼の人生の目標そのものなのかもしれない。懸命に「城」に行き着こうとするけれどそこに到達することが最後までできない。大体、目指す「城」が何かもわからなくなるし、その実体は探れば探るほど霧の中に隠れていく。そして測量技師(→作家)という自称する肩書きも、仕事としてその真価を一度も発揮されることがない。
 彼は作品を書く際、プロットというものをつくらなかったそうだ。迷いながら筆を進める。主人公Kはカフカ(Kafka)そのものなのだ。書くこと、模索し最後には抜け出すこと、そしてこの小説の全てについて成功させることが彼にとっての光だったのかもしれない。トンネル掘りの願う微かな光。最後の最後までK(カフカ)は迷い続ける。そしてこの小説は結局エンディングを迎えることができない。光をみつけることができない。彼は完成を諦め、程なくして(恐らく絶望とともに)死を迎える。すべては葬り去られる。


2002年11月20日(水)

「僕は渡るつもりだ」

 毎日は流れるように過ぎていく。足元にしぶきをあげて流れていく水。そこを枯葉のように流されていくだけなら楽だ。踏ん張ることはちょっときつい。
 踏ん張ってみて水に流してはいけないことを考えてみる。そんなこと言うつもりじゃなかったのに。言葉は傷つけるためのものじゃないのに。君が哀しんでいることが哀しい。ああ、こんなはずじゃなかったのに。
 踏ん張ってみて川を渡った人の声を聴く。君は凄いよ。君は笑顔で手を振っている。僕もいつか君の歩いたようにこの川を渡れたらいいなって思う。
 流れの先を見る。流れの渡り方はこれでいいかきちんと考えてみようとある人が言う。私が厳しくするのは君のためだからなんだ、と君は言う。それはそのとおりだって僕は言う。とっても感謝しているんだ。感謝は相手を安心させる言葉ではなくて厳しい言葉をかけることから始まるようだ。僕らの目的はただひとつ、この川を渡ること。
 違う流れを渡ろうとする友達と電話する。僕は明るい声を出す。君も僕もうまく渡れたらいい。
 流れの向こうから数々の優しい声援を聴く。僕は全然ひとりなんかじゃない。
 さあ立ち止まらずに一歩でも前へ進もう。一歩でも。


2002年11月18日(月)

「話すことで整理されていく」

 日曜日は祖母の誕生日を祝いに実家に帰った。花をプレゼントしたら祖母が泣いてしまって逆に恐縮してしまった。僕は祖父母とも長い間離れ離れに住んでいてほとんど会うこともなかったので、正直に言って自分の胸のうちに両親と同レベルの親密な情感というものがないような気がする。ときどき祖父母の僕への思いを知ると不思議な気持ちがしてくる。
 誕生会が終わった祖父母が帰ったあと、両親と話した。何でもできそうで何もできないような将来への不安やら現状の金銭的な問題、ここ数ヶ月小説を完遂させることに至っていないこと・・・を洗いざらい話した。自分で話していてどうしたらいいのかよくわからないのでただ列挙しているという感じ。そうして話しているうちに僕の今抱えている不安の根幹がかなり単純なことにあるのではないかと父親に指摘された。ようやくそれでこんがらがっていたものが解消できた。
「普通の人のように労働をするのは30歳で遅いことはないし、十分間に合う。そうして普通に働いてしまえば小説など書いている余裕などなくなってしまうだろう。夢があるならチャレンジを続けてみるべきだ」と父は言ってくれた。母親はやや不満そうではあったが。「むしろ大変な状況におかれればおかれるほどいいものが書けたりするんじゃないのか」そうも言われた。確かに。
 親とよく話したことで少々ぬかるみ始めていた足場がまた固まったような気がする。これからも不安が四六時中頭をよぎるかもしれないけれど、不安を糧にするくらいでまだ粘り続けてみようと思う。悔いのないように。


2002年11月16日(土)

「門を飛び出していく勇気、自分の心に実直であること」

 漱石の「それから」を再読。以前読んだのは高校生にまで遡る。それでもこの小説が親から金をもらって遊民生活をしていた青年が最後の最後で仕事を探しに門を出て行く情景だけは覚えていた。しかしなぜ遊民である主人公代助が最後に仕事を探す破目になるのかを忘れ去っていた。
 それは彼が金を貰っていた父親の怒りに触れたためだ。理由のひとつに資産家との娘との結婚を断ったこと、さらに親友の妻への恋慕を暴露されてしまうことがあった。結局、金銭援助はなくなり、彼はとうとう門を飛び出さなければいけなくなるのだ。
 代助は人のお金によって生活を完全保障され、文化的なものに何不自由のない生活をおくっていたのだが、本人はさほどそれに有り難味をもたずに生きていた。むしろ汗水垂らして馬鈴薯(生活の糧)のために労働している人を馬鹿にし、人はダイアモンド(のように自分を磨き高みにあげていくもの)のために労働しなければいけないということを説いてみたりする。しかしそれは馬鈴薯のために生きている人にとっては、生活に不安のないものの戯言でしかなかった。しかし代助は人がそう思うことを知りながらも、自分で何か労働してみようという考えは浮かばない。労働をしようと思わずにいられないようなのっぴきならないものが彼の心に宿らなかったからだ。
 彼は最後親友の妻と生きることに決めて、親、兄弟、親友を捨て去ることを決意する。そこで始めて彼はそれまで指先も触れてみようとしなかった社会に出なければいけなくなるのだ。馬鈴薯のために働かなくてはいけないと決意するのだ。そこまで非常にぬるま湯の中で生きてきた主人公の全てを捨て去る覚悟の強さ、潔さ、一途さには感心するし、そこに人は感動を覚えるわけだ。本を読んでいて僕も久し振りに涙が出てきた。しかし誰もが思うことだが(代助自身も思うことだろう)代助の未来は全く明るくない。彼はまったく職に手をつけたことがなかったために、まず仕事探しからして難儀するだろうし、女を抱えて馬鈴薯のために働くことにも難儀することは間違いない。
 その困難さを知っていたら、代助はこんなに自分の心だけに忠実な行動ができるのだろうかとも思えてしまう。しかしきっと彼はそうするのだろう。彼はあるいはそれをずっと求めていたのかもしれない。ずっと煮えきらないまま生きるのではなくて、愛する女のためにたとえ苦労が大きくても生きてみたかったのかもしれない。僕はこうした潔さが好きだ。自分の感情を隠してまで生きるのは阿呆だ。代助はよくやったのだと思う。そうして門を飛び出したからには、彼は何が何でもその先にある壁を乗り越えていかなければいけないのだと思う。
 人は一生の中でそうした選択を迫られるときがやってくるのだろう。自分の心には反するけれど安楽な道と自分の心に従った苦難の道。どちらを選ぶのも個人の自由だ。でも僕は自分の心に従えたらなと思う。誰に何と言われようとこれは俺が選んだのだと胸を張って進みたいなと思う。それが人の強さというものかもしれない。


2002年11月15日(金)

「ロープウェーを見て思うこと」

 雪ふる中、図書館へ。ここからはロープウェーのある山(藻岩山)の中腹が見える。僕がいつも使っている路面電車の駅の名前「ロープウェー入り口」が示すとおり、乗り場もそんなに遠いわけではない。しかし引っ越してきてから未だロープウェーで山頂まで上っていないから(誰かが札幌へ遊びに来たら案内がてら上ろうと思っている)、ロープウェーの架線が見えなくなった先に何があるのかわかっていない。山の頂までどれくらいあるのか、そして山の頂がどんなふうになっているのかもわからない。中腹ですらもう春まで融けることのない雪が積もっている。ここ市街地の雪は融けたり積もったりを繰り返している。
 本をひとしきり渉猟してから、「文學界」という文芸雑誌を読む。日本で純文学を牽引している雑誌だ。年に二回新人向けの文学賞があって一度に1500くらいの応募がある。最近では長嶋有なんかが出てきた賞だ。さて今月号は新人賞の発表。自分が最終審査にでも残っていたら少しは胸の鼓動も高まるものなんだろうけど、既に予選通過もままならなかった僕には、テレビの向こうのオリンピックでも見ているみたいにひとごとと言えばひとごと。そして一ページ目を開いて、目に飛び込んできたのは、該当作なし(佳作1作)の文字。現実は厳しい。この場合倍率1500倍とは言わないで何と言うのだろうかとちょっと考えてしまった。審査員たちは明らかに雲の上の世界。相変わらず、天上人たちは軽口叩いて、雲に手をかけた人たちのことを「駄目だね」などとこきおろしている。まぁ軽口が叩けるくらいに一見優雅にやっていないときっとこの世界は生き残れないんだろう。どんな世界もそういうことは言えるんだろうけど。一方でこの雲と今自分がどれくらいの開きがあるのかちょっと考えずにはいられなかった。
 僕はロープウェーを見て頂まで上ることがあるんだろうか、とときたま考えてしまう。そして頂には何があるんだろう。


2002年11月14日(木)

「コロンビアの語り部」 

 ガルシア・マルケスの「予告された殺人の記録」読了。ある殺人について、濃密な語り部たる彼の手によって編み出された可笑しく哀しいお話。現実にあった悲劇を、関係者の多くが亡くなってからようやく書いたということだけど、読んでみてあまり現実のお話のような感じがしない。「百年の孤独」のような壮大な物語をスケールダウンして小さな事件に沿わせて書いた架空の話という感じしかしない。そのせいかお話の面白さは味わえても作者が何を伝えたいのか今ひとつ伝わってこなかった。策士策に溺れる、といった印象も受けてしまった。しかしこの人の話の編み方は決して単純にならずに常に何かをかみ合わせようとしていて面白い、というか不思議だ。そうして考えてみれば自分の文章もこの人の影響を多少受け出しているところがあるような気がする。


2002年11月13日(水)

「カキモノの調子」 

 記憶の話、下書きを終えて推敲に入ってる。原稿用紙100枚くらいになるかな。これまでで一番いい出来だと思う。期待してもらっていいと思う・・・たぶん。


2002年11月12日(火)

「アイスランドの現在」 

 さてアイスランドの本第二弾として、島村英紀先生の「地震と火山の島国」を読んだ。副題に「極北アイスランドで考えたこと」とあり、現在のアイスランドについて地質を中心とした自然から人々の生活までわかりやすく書かれている岩波ジュニア新書の本だ。(文章が平易で面白いのでお薦めです。)
 第一弾として読んだウィリアム・モリス(→11月8日ダイアリ)の語るアイスランドは19世紀の話でまだ舗装道路などもなく、馬での苦難の旅だった。モリスをこの土地に引きつけたのはそこに昔からあったサガという伝承物語であり、モリス自身もこの旅を境にファンタジー作家になってしまう。モリスは永年夢見ていたサガの生まれた大地を歩いたわけだが、彼は感動と同時に落胆もしている。サガに読み込まれていた<栄光と熱望><情熱と勇気>といったものがそこでは<卑小さと無力>に苛まれているように感じているのだ。実際、モリスが旅した時代はアイスランドにとって苦難の時代だったようだ。島村先生の本によると、1783年に人類史上最大の火山噴火がアイスランドで起きたのだという。この噴火では当時のアイスランドの人口の五分の一にあたる一万人が死に、その後の火山灰が死の灰のように地球を覆って太陽光を遮って太陽熱が届かなくしてしまったそうだ。そのお陰で農牧業が大きな打撃を受けて餓死者も続出したという。モリスが見たアイスランドはつまりこの凋落にあった国土だったようだ。
 そして21世紀現在のこの国の状態だが、全人口が二十七万人と極めて少なく漁業をメインとした一次産業で成り立っているのに、島村先生の記述を読む限り、非常に豊かな国である印象を受ける。家屋、庭ともに広く、普通に別荘をもち、医療費・大学までの教育費・水道代が無料。地熱のおかげで温水を家に引き込むことができ、電気代が格安だという。生活全般に無駄を省き、最小限必要なものだけを揃えているのがその豊かさの背景にあるのではないかと思った。人が少ないため、重要な業務を各個人で分担するため、ひとりひとりの責任は重いけれど、非常に生きている実感を得られる国ではないかと思った。
 さっきから島村先生と気安く呼んでいるけれど、実はこの人、僕の出身校の教授で名前に見覚えがある。教養生時代に講義をとったこともあるような気もする。(なんて曖昧な記憶。出来損ない学生は全て忘却する。)
 興味をもってこの先生のHP読んでたら研究というものについて面白いことが書いてあった。
『研究となると、応用問題よりもさらに先だ。研究とは、問題そのものを自分で見つけ、答えを切り開いていかなければならないことだ。どこで外に出られるかわからないトンネルを掘っていくような孤独な作業だ』
これは先生の分野に入ってくる学生が学問への人気度から学内でも優秀な学生を集めるようになってきたことについての話なのだが、優秀な学生ほど自分で問題を解いていくことができないと嘆いていらっしゃる。
『簡単に言えば、与えられた選択枝の中から答えを選ぶのは得意だ。これは彼らが永年の受験戦争を勝ち抜いてきて、もっとも得意とする技術なのだ。 けれども、既製品の答えがあるかどうか分からない応用問題だと、早くも、うろたえはじめる。(上記の文に続く)』
 これは先生のおっしゃる研究だけに限った話ではなく、自分で答えを見つけていけない作業、例えば小説を書くということについても当てはまるんじゃないかな、と僕は畏れ多くも思うのだ。結局、自分一人で答えを探す孤独で当てのないトンネル堀りなのだ。
 さてアイスランド特集はこれにておしまいかな。これを何に使おうと考えてるんでしょうね、僕は、いったい(笑)。


2002年11月11日(月)

「回帰」 

 薄暗くなってきた午後の部屋でスピッツの「花鳥風月」聴いてる。僕はぐるりと回ってまたここに戻ってきたって感じ。
「また歩き出すの?」「うんそうするつもりなんだけど」「君またここへ戻ってくるよ」「僕もそんな気がしてる」「困った人だね」
「とりあえずここでお弁当でも食べていったら」「うんそうしようかな」「食べ終わったら少し眠るといいよ。何も慌てる必要はないんだよ」「うんそんな気がしてきた」
「ねえ眠ったのかい」「うん眠りそうなんだ。・・・あのさ」「なに?」「僕が眠っているあいだ、ずっとここにいてくれないかな?」「そんなのお安いご用さ」「ありがとう、安心した」


2002年11月10日(日)

「もしも・・・」 

 僕がお金もちだったら、君のところに飛行機でひとっとび、もう仕事で悩まなくていいよって言ってあげられるのに。そうして美味しいものでも食べて君の笑い顔見るのに。
 僕が魔法使いだったら、君のところに箒でひとっとび、君の嫌な人たちを全部南瓜に変えて大笑いするのに。そうして南瓜畑でピクニックするのに。
 僕が神様だったら、君のところに降りていって、君のみるものすべてがバラ色に色づくように物の組成を変えてしまうのに。そうして雲の上で一眠りするのに。
 でも僕は僕でしかないから、君のこと電話で励ますくらいしかできない。でも誰よりも君のこと考えているんだよ。
 元気出して!


2002年11月9日(土)

「生活という奴が僕の部屋に居候しつづけているのです」 

 トップページに載せた詩は誰のものだかわかります?1975年埼玉生まれ、札幌育ちの人の詩ですね。なんとも五分くらいで書いたそうです。まだ詩が何かもわかっていないようです、小説が何かわかっていないのと同じように。しかし言葉を使った表現って面白いなぁと思います。もっともっとこの地平線を広げていきたいです。
 昔、ギリシア人は奴隷に全ての労働をさせて、自分たちは芸術を楽しんだそうです。結局、芸術って生活とかけ離れたところでできるのかもしれない、と最近思います。というのは一人暮らしを始めてからというもの、一つも小説を完成形までもっていけてないからです。なすびを見習って、投稿生活になるはずでしたけど、今投稿ゼロ状態です。手紙を出さないと返事だってもらえるわけがないのはわかっているんですけど。机に向かえば、書くことは好きなので、結構すらすら書けたりするんですよ。だけど小説の場合、何かタメのようなものが必要なのですよ。井戸に下りるのにも時間が必要だということなんですよね。だから平日は書いているようでもほとんど書けていないような気がする。どうせやるならば一日ずっとそれだけ考えてやっていけたらなんて思っているんだけど。ううん、言い訳だな。
 ミコノス島でお会いしたスペイン暮らしの人(原宿で細工物売っているうちにお金が溜まって今は旅をメインに暮らしてる人)に、「お金のある女性を探すのも一つの方法だよ」とアドバイスされたのです。「そんなぁ、真面目な顔して言わないで下さいよ」とは言った訳です。
 しかしお金というのはうざったい存在ですね。野菜を愛する歌とかつくってそれと引き換えに八百屋さんから大根一本とジャガイモ一袋もらってくるとかいう生活したいものです。
 窮乏というのはよくありません。さすがに家計簿くらいつけるようになったけれど、収支を合わせるようなことをこまめにやっているのは少々阿呆くさいです。そうしてそれに頭を使い出すと、肝心の言葉のほうが奥に引っ込んでしまいます。欲ある人の切り株には兎は跳んではこないわけです。
 女の子とデートしたらお金のこと気にしなくていいから、ってずっと言ってたいです。そろそろ次の旅行のプランでも考えるかなんてパスポート見ながらいつも言ってたいです。書きつかれた頭を冷やしに街へ出て一生懸命に働いている人たちを遠くから見ていたいです。
「社会の底辺にいるんだよ」と僕は言うわけですが、父が言うに「そういうのは底辺とは言わない」と。・・・次、図書館行ったら漱石の「それから」でも借りてこようかな。


2002年11月8日(金)

「アイスランドに思いを馳せてみる」 

 アテネのバックパッカーご用達の宿アナベル・ホテルで仲良くなった男の子が隣のベッドでもたれながら僕に言った。「ほんとはですね、今回はアイスランドに行きたかったんですよ。写真で見てもう惚れちゃって・・・」「アイスランドねぇ。雪と氷と苔しかなさそうだけど・・・、あと火山とか・・・。想像つかないなぁ」
 そうしてなぜか今僕はアイスランドに興味をもっている。まぁちょっとした話の流れからだ。あるいはちょっとした弾みからだ。ウィリアム・モリスの「アイスランドへの旅」を読んでいる。僕は昔から結構旅行記というものが好きだ。特にその旅行が困難を伴うようなものであればあるほど、読んでいて面白いと思う。昨今のバックパッカーブームに乗じた「これを見てきました食べました仰天しました」的なのは今のところ触手がのびない。もう「なんでもみてきた」小田実の時代じゃないから誰でも飛行機さえ乗ってしまえば追体験できてしまうお手軽さに加え、恐らく自分の旅自体があまりそういうのを求めていないからなのかもしれない。表層だけを上滑りして旅をしてきて自分が何も変わらないのではあんまり面白みを感じられない。(そういう旅自体を否定するつもりもないし、そういう旅を毛嫌いしているわけでもないけれど。)
 ウィリアム・モリスの旅は1871年のことで、アイスランドを巡るのにも馬を使わなければどこにも行けなかった時代のものだ。氷河からの冷水とどろく川を命をかけて渡り、何もない平原や丘陵地帯を歩き、自然の造形に驚く。テントを張って釣ってきた魚を焚き火で調理する・・・。非常に僕好みの旅だ。読んでいると僕も彼と一緒に旅をしている気分になる。
 さてなぜ僕がアイスランドに興味をもっているのか・・・、もう少しこれは秘密にしておこう。勘違いされないために先に言っておくと、アイスランド旅行の予定があるわけじゃないし、アイスランド人の友達ができたってことでもないです。


2002年11月7日(木)

「長旅より1年がたって」 

 一年前の今日、3ヶ月半もの旅を終えて成田空港に帰国した。結局僕は中国からギリシアまで行って戻ってきたことになる。(一緒に旅した弟は大晦日にオーストラリアから1年半ぶりに帰国するという。)トルコ・イスタンブールで弟と別れ(彼は東欧へ上った)ひとりでエーゲ海を渡ってギリシアの島々に入ったところまではよかった。お金も時間もあったから、よしこのままポルトガルまで行ってしまおうと思っていたし、実際そういうガイドブック(ロンプラ地中海編)を購入したばかりだった。しかし3ヶ月の楽ではない旅は身体に泥やら疲労のようなものを背負わせて、物を見る目も少しずつくすみ始めているような気がした。旅をすること自体が少し惰性になりつつあった。もう帰るべきかもしれない、そう思い始めていた。
 この日を選んで帰国したのは当時つきあっていた彼女の誕生日に合わせたかったからだ。それは僕にとってひとつの意思表示だったのだ。これからは彼女と一緒にやっていくよって。
 それから一年うまく生きているようでもあり、うまくいっていないようでもある。ただ大体においてはほぼ考えていたとおりの自分がいるようにも思う。ただ札幌でひとりだというのは思いもつかなかったけれど。
 結局旅の終りはそれまで僕が引き摺っていたもの全てとの終りだったのだと今は思う。旅の終りには全てを燃やしてしまわなければいけなかったのだろう。そういう旅だったのだ。
 
 旅の途中、ずっと書けるだろうかと考えていた小説というものについても最近書くことに楽しみを覚えるようになってきた。それがこの先僕の生活を支えるものになるのかわからないけれど、きっと創作すること自体は一生やめないと思う。今、僕は創作することで自分の抱えているものを解き放っているから。このHPにUPしている短篇も(最初の頃のものは特に)自分が抱えていたものを放つ行為をストーリー化したもののように思う。
 それから恋愛。これについては恥ずかしいから公には書く気もしないし、書くほどのものもない。僕は好きになりそうな気持ちや好きだった気持ち(記憶)のようなものを一つ一つ箱に入れて封をして保管してあるのだけど(もう忘れてしまったような箱がごろごろしている)、そのひとつを今開くか開くまいか考えているところ。開けたらいいなと思っている。それはきっと今の世界を変える光のようなものになると思っている。ちなみに一年前の気持ちは箱に押し込んで鍵をかけて暗闇の中に置いて、朽ちていくのをただ待っている。 


2002年11月6日(水)

「血は争えない?」 

 母親に「シッピング・ニュース」を貸して(又貸し)、どうせ読みきれないだろうと思っていたら、意外にも「面白かった」とのこと。「この人は書くのがうまいわねぇ。ニューファンドランド島に渡るまでやることなすこと駄目だった人が少しずつ好転していくのは読んでいて何か応援したくなってくるものね。主人公は自分に一番いい場所を見つけたってことなんだわね。それに出てくる人が逞しい人たちばかり」「やっぱり厳しい自然の中にいると強くなっていくんじゃないの、人間って。都会にいるから人はひ弱になるんだよ」「そうね・・・。それからこの作者って実は女の人なのね」「そりゃアニーっていったら女の人でしょ。大体写真もあったじゃん」「読み終わるまで気付かなかったわ。子供三人を女手ひとつで育てて、家までつくって、小説も書いたのね」「すごいよね」「あなたもそうしたら。兎に角何かの仕事をやって落ち着いたら書けばいいんじゃない」・・・その一言は余計です。「他に何か読むものない?あれ読み終わったら手持ち無沙汰で・・・」「宝くじの話なんてどう?」「それがいい」
 本棚からオースターの「偶然の音楽」貸してあげた。やっぱり血は争えないんだろうか。小説書くなんてそのうち言い出すかもしれない。用心用心。


2002年11月4日(月)

「数分間の邂逅」 

 地下鉄で学生時代に共同生活してた後輩と偶然出会った。たった一駅の移動(西11丁目→大通)の間に早口でやり取り。彼は新聞社に勤めていて、これから会議なんだそうだ。だけど服装といえば厚手のフリース着ていて休日的(記者というのはほとんどスーツを着たりしないそうだ)なのに、僕は塾に行く途中だったからスーツで何か笑っちゃった。どっちがバイトかわからないねって。
 僕は今あの頃のことを思い出そうとしているのだけど、段々過去の時制というものが曖昧になってくる。勤め人になったのは僕ら同時だったかどうかがうまく思い出せない。彼は火山のある町に配属されてその火山がよりによって噴火して1年目からひどく多忙だったと聞いている。それから結婚して、もう子供が生まれてもおかしくないはずだ。とても不思議だ。僕らは先輩後輩の関係でありながら実は歳が一緒だ。大学というのはそういう逆転というものが兎角起こりやすい。ある時点で僕が彼の話を聞いてアドバイスし、ある時点では僕は彼に話を聞いてもらった。
 僕は結婚なんて言葉が辞書から欠落して再び学生のようになっている。それでも僕らの先輩後輩という関係は変わらない。たった数分の邂逅の後、彼は地下鉄を降りて人波の中に消えていった。


2002年11月3日(日)

「憑かれたように」 

 今日は夕方からずっと小説書いている。夢中になって書いているって感じ。書いている途中からストーリーの行く末がわからなくなってきて、自分でも少しドキドキしながら書いている。不意に何かが後ろにいるんじゃないかなって怖くなったりしながら書いている。今夜は書けるところまで書くつもり。


2002年11月2日(土)

「銀杏並木、人と話すこと、表現すること」 

 朝から雪が舞っていた。銀杏並木の黄葉の絨毯を歩く喜び。
 新しい友達と話をする。話をするってとても大切なことなんだと改めて思った。ずっと一人で物を考えているとダムに水や枯葉がたまっていくように自分の中で支えきるのが大変になってくる。それは時折放出されなければいけない。放出することで僕はまた新しい水をためることができるのだ。会話の本当の意味とは結局そういうものなのかもしれない。いい聞き手は相手のバルブをひねってその人の抱え込んでいた水を流すことができるだろう。会話とは卓球のような球の軽妙な打ち合いによって、互いのバルブをひねっていく行為だということもできる。僕は今日、来る冬に向けてダムに溜まっていた枯葉を整理して水を少し放出したわけだ。
 それから北野武の「dolls」を観た。(→感想)。これを観たおかげで僕の創作欲はものすごい高まった。表現することの意味を改めて考え直したからだと思う。
 本当に意味のある土曜日だった。


2002年11月1日(金)

「町医者の日々」 

 読みたい本がたくさんあるというのは素晴らしいことだ。まるでたくさんの患者が押し寄せる町医者みたいな気分になる。患者さんがどんどんやってきて、「センセイ、まだですか?」などと時折顔を覗かせる。さすがに診察ばかりしてるわけにもいかず、学術雑誌に載せようと思っている論文(送っても未だかつて載ったこともない)を書いていると、「センセイ、時間があるんならちょっと見て下さいよ」なんて口を挟むものもいる。待合室はいつもガヤガヤとして、スリッパたちも常に人の足に収まっていて休めない。
 ときどき急患がやってくる。「センセイ、急いで見て下さい。この子、ひきつけを起こしちゃって・・・」取り乱した若い母親が飛び込んでくる。大抵の場合、そんなに慌てて見るほどの患者はここにはこない。なんといってもここは内科なのだから。テレビでやってる「何とか病院24時」などとはかけ離れた世界なのだ。
 そういうわけでRのリクエストに従って、図書館から借りてきた漱石の「文鳥・夢十夜」を読んでいる。ここに出てくる漱石の文章は知性が口をついて迸るような「虞美人草」や、あるいは凄まじい心理描写を展開する「行人」のような小説と全く違っている。かなり吉本ばななとか江國香織あたりに近い印象を受ける。この人はこんなものも書くんだと改めて驚いてしまった。漱石は百仮面というわけだ。文鳥に心を委ねながらも結局世話をきちんとできずに死なせてしまう儚げな「文鳥」もいいし、10の夢を綴る「夢十夜」も悪くない。多分、この夢の話は、本当に見た夢ではなくて、彼の創作の夢なんだろうけど。そして時折織り交ぜられる彼のユーモアセンスも素晴らしい。100年経っても色あせないユーモアセンスだ。
 急患をいったんおいて、自分のカキモノのチェック。クリスマス・ストーリー。自分で書いておきながら無責任にもところどころ忘れ出しているから結構楽しめる。なんか僕じゃないほかの人が書いたような気もしてくる。もう一回最初から書き直せと言われたら書けないかも・・・。自信喪失に対抗するにはやっぱり書くしかないんだろうなぁ。というかこれまでが根拠レスな自信をもちすぎてたのかもしれないなぁ。