2002年9月30日(月)

『非日常がもたらすもの』

 旅に出ているときは日常の中で当たり前だと考えていたことをもう一度根底から考え直さずにはいられないことが多々ある。特に自分が何かを探し求めているときには。僕にとってそれが顕著だった旅はシルクロードの旅以外にない。僕は弟という鏡を通じて、自分という人間について考え、生き方について考えた。あるいは中国という国の教育や人々の思想から日本の教育や社会を考えた。キルギスに一番金を出しているのが日本だと知って、僕はODAの現状について考え、貧富について考え、貧富を越えた友情というものがありえるか弟と議論した。毎日毎日、そばに弟という話相手がいたせいなのかもしれないけれど、僕は様々なことを感じる度に様々なことを考えた。それは僕がある意味、まったくゼロの状態に近かったからだ。一旦自分のもっていた価値観をもう一度ゼロに戻した状態で旅に出ていたからだ。僕は何かを見るたびに感じるたびに考えざるえなかったのだと思う。

 今、「モスキートコースト」(未読だが映画は観た)の作者ポール・セローの「古きアフガニスタンの思い出」を読んでいる。アフガニスタンのことも出てくるのだと思うが、これは作者の各国旅行記であり滞在記だ。セローは前書きで旅行記は小説と比較して全く金にならないような仕事だったと断っている。金にはならなかったけれど、彼が小説を書く上でなくてはならなかったものだとも書いている。
 中を読めばその理由はわかる。最初、中央アフリカの話などが出てくる。彼は本当に非日常の積み重ねの中で(それは半分日常になりつつあるのだが異国人であることに変わりはない)色々なことを考えている。多分その積み重ねが彼の小説に繫がっていったのだと思う。
 ウガンダでは内戦のために夜間外出禁止令の最中にある町を体験している。朝が来るたびに側溝に人が死んでいるのを発見するような日常なのである。夜の間、人々は家にこもってただ時間をつぶして、不安と孤独感を押しのけようとしている。そうした極限状態の中で、人々は(そして作者も)奇異な行動に走ってしまう。男友達と女を二人ひっかけて夜を共にする。彼らは互いに選んだ女とセックスしてから二人で誰もいない危険な闇夜を散歩する。そうして戻ってから女を取り替えて再びセックスする。女は男が上に乗っかった途中で気付く。しかし、笑う。二人の男は行為を終えた後、廊下でくすくす笑い合う。ああ、これわかるなぁと思った。押しつぶされそうな不安にあるとき、人はどうにか馬鹿げたことをして不安を解消しようとするものだ。考えることを止めて身体的なことに委ねようとする。
 これは確かにかなり究極的な例だけど、彼はそうした非日常の連続の中を生きている。そうして思索を重ね、小説という形でそれを産み落とす。ある意味、旅と言葉の二軸を掲げる僕にとってはセローの方法は一つの理想のような気がする。


2002年9月29日(日)

『年上趣味ね』

 アーヴィングの「未亡人の一年」ようやく読み終わった。前半については9月22日のダイアリに書いたわけだけど、大きなサイドチェンジを見せて後半、この小説のテンポが落ちたことは否めないような気がした。ルースの小説の書き方、またアムステルダムのモグラ男の話など幾分面白さを感じたけれど、前半の主人公エディは36年前の恋愛にいまだ抜け出せないせいで、話がずっとルース主体であったこともその一因かもしれない。うーん、できればエディにはルースにボールを明け渡して影を薄くするのではなくて、そのままドリブルで突破して欲しかったかなぁとも思った。それにしても、エディの徹底した年上趣味がこっちにまで移ってきそうで参ってしまった。
 話がそれるが、アーヴィングに小説にして欲しい人がいる。版画家の山本容子さん。アーヴィングのいくつかの作品の装丁なども手がけている方でもう50歳にもなるけれど精力的に活動されている。とても綺麗で魅力的な方だし、二度結婚などされていて何か人生の悲哀をたんまりと味わっていそうだしということで、推薦しまーす。装丁はもちろん本人の絵をつけて。でも、アーヴィングは書かないだろうな、・・・それならお前が書けって?・・・いつか僕がそんな身分になれたらそうしようかなぁ。(その気になっている。)


2002年9月28日(土)

『昔の仲間と会って思ったこと』

 研究室関係の飲み会に行って来た。世話になった助手のアメリカ行きの壮行会と先輩の助手就任祝いを兼ねた会だ。行って良かったと思う。僕はなんら今の境遇を卑下する必要なんてないんだと改めて思った。どんな人もどんな地位があっても生きていく上で考えていくことは同じようにあり、誰もがそれを乗り越えていこうと日々努力しているわけだから。恥じることも引け目を感じる必要もない。これは僕が選んだ生き方だし、しっかり胸を張っていればいい。
 同期にランドスケープ・デザインを手がける民間会社に入った女の子がいて随分久し振りに会った。学生時代は本棚にねじまき鳥を並べているほど読書好きだったのだけど、最近は仕事が忙しすぎて(今日も明日も仕事だそうだ)本を読むこともないなんて言ってた。春樹氏の新作もまだ買えてないんだよねってことだった。それを聞いて、今さらながら自分の今の自由な境遇って本当にありがたいなと思った。好きなだけ本が読めて、好きなだけ文章が書ける。ある程度納得できる生活がおくれているし、ストレスなんてほとんどない。この生活に自信をもっていこうと思った。僕が僕である限り、何も問題はないのだ。一番大事なのは自分らしい、自分にしかできない生き方をするってことなんだ。


2002年9月27日(金)

『人の日記を読むこと』

 集中力があるかどうかという大問題はさておき、集中力が続かないときはどうするか。どうしようもない。甘納豆は結局粘るものではないからやる気が起きなければやめる。(それは塾に来ている中学生を見てもそう思う。やる気がなくなればその状態で何時間黒板の前に座っていても全く意味などあるはずがない。塾が果たして意味があるかという問はおいといても。・・・ちなみに答えは、意味はあるがもっと意味のあるものはある、ってところだろうな。)
 集中力が下がった場合はひとまず珈琲を淹れてみる。珈琲の深みというのは一種のマジックだ。それを世の中ではカフェインの魔力というのかもしれないけれど兎に角もう一度ストンと落ちるべきところに心が落ち着いてくるのだから。余談だが、高校のとき国語のテストの前に友達と午後ティーを飲むのがはやった。カフェインの効果のおかげで小難しい評論もクリアに理解できるのだ。まぁ一種のおまじないなわけだけど、そういう馬鹿らしいことが高校生は案外好きだ。
 さてもうカフェインもいいやってことになる。それで僕はネットで人の日記など読み始める。リンクしているページは既に読んでしまっているから他のところから探してくる。そこに何かいいことが書いてあるんじゃないかと思って読むわけだ。そうやって人の日記をいくつか見てるうちに自分の気に入った日記も見つけて、このところある人の日記を欠かさず読むようになった。(まだ誰にも教えたくないからリンクしない。)それから若手作家の日記なども読んでみたりする。それは単純にどういうことを考えているのか興味があってだ。誤字を見つけて小うるさい姑みたいにちょっと嬉しがってみたりする。(嫌な奴)
 人の日記を読むことって一体なんだろう。人のふり見て我がふり直せ、ってことなんだろうけど、それを読みたがるというのは自分の中に渇望があるからなのかな。何かが足りていないと感じているのかな。まるで飢えた人みたいに何かを食べたいって。
 昔からそんなに人のことに興味もったりするほうじゃなかったけれど、今はどうして人のものに興味があるんだろう。あるいはそれは人次第なのかもしれないな。別に誰だっていいわけじゃないものね。その人の言葉が自分に意味があると思うから読んでいるわけで、別にそう思わないような人だったら時間の無駄とまではいかなくてもわざわざ見る気しないものな。
 ということは人のことに興味をもちだしたわけじゃなくて、単に自分にとって意味のある人が周りに現れた、あるいは見つけたってことになるのかな。結局興味のベクトルは大概において自分だものね。人の綴った言葉は改めて自分に投影してくるものなんだろうな。
 しかしこの渇望みたいなのは何だろう。ひとりで書いたり読んだりしているばかりでは、世界と自分との距離や位置取りがわからなくなってくるからなのかもしれない。大抵の人は誰かに認めてもらいたいと思う。誰かにとって意味のある人でありたいと思う。僕はその部分が不安定なのかもしれないな。「もう君はわたしにとって意味がなくなった」なんて言われたらそりゃ引き摺っちゃうよな。そうして、今とても意味があるよ、って言われても手のひらをいつ返されるかということに疑心暗鬼にならざるえなくなる。しかし、絶対的に意味があり続けるということを求める自体がおかしいことなのかもしれない。どんなに絶対的なものも、例えばあるビルのように、消え去ってしまうこともあるわけだし・・・。って書いて結局自分のカキモノに戻ってきたみたいだ。(今なんのこっちゃって思った人も)この意味がじきわかるでしょう、ただし解くことはできないと思うけれど。
 兎に角、珈琲でも淹れよう。深くて美味しい珈琲をね。


2002年9月26日(木)

『パンを買いに行く』

 朝目覚めて、突然ボストンベイクのサンドイッチが食べたくなった。中はふんわり柔らかく外の皮はパリパリとしたフランスパンに、チキンやハムなどが挟んであって200円ほどの品だ。大学に行く途中の地下鉄駅の横に店があったからよく買っていったし、大体学生食堂でも買うことができた。僕はポテトサラダが挟んでいるものが好き。
 この家から図書館と逆方向にその販売店がある。朝の日差し浴びながら買いに行く。本当に天気がよい。土の匂いや草の匂いがして、秋というよりは春といった趣だ。なぜか川崎の春を思い出す。もう見ることもないウメの木やナツツバキ、マンサク、ツバキ、クチナシの茂みのことを思い出す。もう戻ることのない日々のことを考えてみる。それから夏に会った人たちのことを考える。僕はダンボール箱の中にいくつかの思い出を入れたままだ。本当は取り出したいものだらけなのに、とにかく封をしておいておく。ただ忘れてしまうために。本当は忘れたくなんかないのだけど。
 家に帰って、コーヒーを淹れて(今日はいい感じに深い味)、ポテトサンドを食べる。これは学生時代の味だ。ますます古いダンボール箱のことまで思い出しそうになってしまう。ダメダメ。しっかり封をしておかなっきゃ。思い出が完全に死に絶えるように。
 
 transparenceの次回テーマ「飛行機」をそれから書く。ラフスケッチはできあがり。その内容のことをここで書きたいのだけどそれは我慢と。なんか最近どんなテーマでも書けるような気がしてきた。テーマを与えられたら、まぁこんな話あんな話と思いつくのだけど、とりあえずそれを抑えてまずそのものの意味合いから考えるようにしている。それをまず列記してから登場人物を考えて、ストーリーを伸ばしていく。そうすれば、その意味からストーリーがぶれないから。・・・そんなこと説明しても仕方ないか。


2002年9月25日(水)

『リズムを刻め』

 少しずつ今の生活スタイルが板につくようになってきた。起きて朝ごはん食べてからカキモノに集中する。途中で珈琲を淹れて飲む。今日は美味く入った(やったー)とか、もう一つだな(うーん)とかやっている。昼ごはんの後は大体読書とかその他のこまごまとしたもの。日によっては塾でやるところの予習をしておく。あまり侮ると痛い目に合うから。
 日暮れが近づく時間に顔を洗って、窓の外見ながら(モミジが色づき始めたなぁ)長い時間かけて歯を磨いて(もう虫歯は作るまい)それからYシャツ着てタイ締めてバイトに出掛ける。日によって家庭教師とのWヘッダー。
 そうやって一日を振り返ると僕は既にカキモノを半分仕事のようなつもりでやっているようだ。それはとても楽しい仕事でもあり、無報酬の孤独な仕事。 一応リズムはできてきたからこの調子でやっていこうと思う。当面は10月末に合わせてきっちしこなしていくつもり。いいものに仕上げたい。ある程度のエンディングは見えているのだが、ここにきて主人公の選択肢が増えてきているような気もする。いったい、どうなるのか僕も(僕だけ?)楽しみ。誰かの心に届くようなものになったらいいな。


2002年9月24日(火)

『時間の流れが止まりそうなとき』

 昼過ぎ、灰色の空から雨が落ちてきた。雨が降りしきるのを眺めていた。それからサニーデイ・サービスを聴き始めた。曲を聴きながら、短歌をつくって、村上春樹の生み出した喪失感のある世界のことを考えていた。そうしたらもうどこにも行きたくなくなった。まるで学生のときみたいだ。授業が早く終わって、家に帰って冴えない空模様を眺めながらただ音楽を聴いて哀しい気分になったりする。夕方、ワンゲルの部室に自転車を走らせる。キーコ、キーコ。でこぼこの林の中の道には濡れた枯葉がついている。キーコ、キーコ。誰もいないグラウンドの水たまり。キーコ、キーコ。農場の向こうでただ風に揺れるポプラ。灰色のコンクリートの部室。キーコ、キーコ。僕はかじかみそうな手で自転車に鍵をかける。そして部室に向かう。部室の重い扉を開く。妙にぼんやりした光の中に人がいる。山道具や煙草の匂い。椅子や机のガチャガチャいう音。つけっぱなしのFMの音楽。誰かの爪弾くギター。いつもの仲間達の声。「おっす」とか「よぉ」とか「こんにちは」だとか。そうして僕は世界に戻っていく。
 人は学生時代に戻れたらいいなぁ、という。戻ればいい。そうしてもう一度心のありかについて考えてみたらいい。
 サニーデイ・サービスのアルバムが全部終わる。部屋の中が静かになる。あー僕の鼓動の音だって聴こえるかもしれない。遠くから聞こえてくるトラックの走り去っていく音。どんどん去っていく。去っていく・・・。みんな去っていく。
 そうして今はこんなにも静かだ。


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『時間が淀みなく流れ出すとき』

 バイト2つやって帰ってきた。23時過ぎのキッチンでペンネ・アラビアータつくる男ひとり。「bird」かけて、鍋にできたのはひとりじゃ食べきれないほどの量のペンネ。皿によそって、お客さん用に用意してた南アフリカからやってきたワインもあけちゃってワイングラスきらり。好きな音楽聴いて、鬼門のワインが血中の中で騒ぎ出して、もうおなかいっぱい。ひとりですっかり酔って、最高!、なんて呟いている。君は踊っている。僕も踊っている。部屋の中には幸せな色しかもう見えない。僕の網膜は歓喜の色で満たされてただ音楽と昇天するだけ。


2002年9月23日(月)

『ウイスキーな夜』

 ウイスキー飲みながらチーズをかじっている。学生のとき研究室の一つ上のカッコいい先輩が言った。「Tくん、男ならひとりでバーボンだよ」今飲んでいるのはスコッチだ。まぁそんなことはいい。先輩なら「バーボンとスコッチじゃ全然違うよ」とそう言うに違いないだろうが。
 忠実な僕はそうして一人でウイスキーを嗜むようになった。一人で過ごす夜の楽しみを知った。そうしてこれからもそんな夜が何度も訪れるだろう。
 その先輩は弱いものに対しては徹底的に馬鹿にして、自分が認めたものとしか目線を合わせないところがあった。その頃から官僚的だったとも言える。僕は出来損ないの四年生のとき先輩の手ひどい発言に何度も痛い思いをした。逆にM1のときはかなり先輩が対等に下りてきたように思えた。それは僕がそれなりに賢くなろうと努力したからだと思う。
「Tくんは旅行ライターになったらいいんじゃないの」彼はそんなことを僕に言った。時が経て、僕はかなりそれに近い線を歩いている。
 就職してある日、先輩から職場に電話があった。R庁にいたから、官公庁を得意先とする僕の会社にとっては顧客中の顧客なわけだけど、用件は仕事じゃなくて世間話。先輩は毎日のように野山を歩いていると言い、僕は人工的なビルの中で一日中コンピュータの前で手の汚れない仕事をしてますよと言った。「なんかこれじゃ逆だなぁ」確かに学生時代、ワンゲルで山ばかりにいた僕と都会派で多分クラブとかで遊んでたろう先輩との立場の逆転。
 そうしてまた時がたって、僕は社会的肩書きをなくして好きな文章を綴って、先輩は官僚機構の上位にあると思われるG省の役人さんになってしまった。これで互いの位置取りがうまくいったような気がする。まぁ次に会ったら、先輩は皮肉のある笑いを僕にみせて、人の急所をつくようなナイフのような言葉を投げかけてくるかもしれない。「ちょっとフランツカフカ的ですね」とでも返してみようかな。先輩だったら「言ってくれるなぁ」などと返しそうだけど。
「あれからよく一人でウイスキー飲むようになりましたよ」と僕は言うかもしれない。先輩はにやりと笑って何か言うんだろうか。


2002年9月22日(日)

『有無言わさぬストーリーの力』

 ジョン・アーヴィングの「未亡人の一年」を読んでいる。この本も彼の他の本の御多分にもれず長い。長いけれどストーリーの力があるから読者は抵抗らしい抵抗もできずに彼の世界の中に引きずり込まれる。まだ折り返しまでいってないのだけど、前半は16才の少年が30代の美しい女性に対して恋をするところから始まる。ただ恋といっても、アーヴィングの恋は汗まみれ欲望まみれの恋だ。表層をなぞるようなトレンディドラマみたいな美しくてピュアな恋愛なんてものは存在するわけがないし興味もないとでもいうように、身体の底から突き上げてくる恋愛を徹底的に書いている、書き込んでいる。それは恋というより欲望と言い換えてもいいくらい。
 この始まりを読めば、この小説は少年の人生を追っていくのだろうと思うわけだけど、女性はある日忽然と姿を消して、恋愛は終わる。驚くことに、ストーリーは突然32年後に跳ぶ。少年はそこそこの作家になり(このあたりの文章が認められていく過程も僕には興味がかきたてられた)、美しい女性は相変わらず姿を消したまま、しかし女性の娘が大作家になってしまう。・・・よくこういうストーリー転換ができるなと驚かずにはいられない。サッカーでいったら左サイドで崩してそちらでいくぞとドリブルで突き進もうとして、突然右サイドに大きくサイドチェンジさせてしまうのと同じだ。確かにゲームはスリリングになるしうまくいけばチャンスは広がるかもしれないけれど、結構危険な展開ともいえなくない。この小説の中では、右サイドにボールが移った瞬間、ボールを受け取るのは大作家になった娘で、彼女に一人称がおかれる。ずっと16歳の少年に馴染んだところから突然36歳の女性作家への転換は、観客ならぬ読者も振り切られそうになるけれど、彼は読者の襟元をつかんでしゃにむに引っ張っていこうとする。一体この小説はこれからどうなっていくのか・・・、まだ半分以上もあるわけだし。読者はエンディングを知るまでは不慮の事故死なんてものには絶対合いたくないし関わりたくもないだろう。明日までの命だと言われたら、とりあえず夜を徹してでも読んでおこうと思うかもしれない。誰か命を絶とうという人がいればこういうストーリーの展開力のある小説を渡してあげればいい。彼なり彼女なりが夢中になっている間に少なくとも時間稼ぎはできるはずだ。まぁ読んでしまえば多分死ぬことが馬鹿らしくなるのだろうけど。だってお馬鹿さんな登場人物たちがそれなりにきちんと胸張って生きているのを目の当たりにしてしまうから。「なんだなんだ、こんな奴でも生きてるんだから、俺だってわたしだって生きてて悪いことなんてない」そうしてお馬鹿さんたちになぜか愛情を注いでいる自分を発見するだろう。
 そういうわけでアーヴィングに完全に脱帽。多分今年僕が一番影響を受けた作家はアーヴィングということになると思う。自分が書いてるものもかなり影響受けつつあるわけだし。


2002年9月21日(土)

『筋肉を鍛えるのだ』

 オレンジ・ジュースを水玉グラスにいれて、サニーデイ・サービス。素敵。一生こんなんでいいなぁ。
 さて。ここのところ、ずっと身体を動かしたい衝動があった。さすがに筋肉たちもここのところ動かされることがなくて危機感を抱き出していたのだろう。今日は一日フリーだったからお昼にネットでプールを調べて早速出かけた。図書館前から路面電車にゴトゴト揺られて医大の前で下りて、小さな喫茶店などちょこちょこ覗きながら円山まで歩いた。(って書いても分かる人あんまりいないか。)プールは25m、7コースあって水はそんなに綺麗じゃなかったけれど泳ぎやすかった。筋肉は使われたがっていたけれど、泳ぎはじめるとすぐに音を上げてしまう。すぐに腿が張って乳酸がたまってくる。しかし、問題は肺活量のほう。多分肺がすごく小さくなっているのか、あるいはあのブドウ粒みたいな肺胞の働きが弱くなっているのだろうが、すぐに息があがる。ただサラリーマン時代に比べると一応健全な動き方をしている。
 数百メートル泳いでおしまいとする。別に誰かと競い合っているわけでもないから当たり前だけど溺れるまで泳ぐ必要なんてない。建物を出てみれば、全速力で走った後のような疲労感がある。スローペースで帰る。途中でモスで休んで呆けて、それから更に歩いて家まで。相変わらず西側の山がこんもりとしている。なかなかいい散歩コースだ。
 今日書きたかったのは筋肉のことだ。水泳の場合、習慣的に泳げば、腿も腕も背筋もさらには肺活量も含めてその筋肉が鍛えられるのだと思う。そうすればじっくり泳ぐことができる。苦しみはやがて心地よさに変わっていくだろう。山登りだってそうだった。毎週のように登っていれば足腰が自然と鍛え上げられるから苦しみは徐々に筋肉を使う心地よさに変わっていった。特に冬の間はラッセルといってスキーで(時には腰まである深さの)雪を踏みしめていかなければならないのだけど、それも慣れてしまえば身体の筋肉がフルに使われていくような感覚が味わえたものだ。
 さて今僕が一番必要としている筋肉はなんだろう。言うまでもなく、(生命維持の機能を別にすれば)物を書く筋肉だと思う。それは恐らく脳の力のようなものになるのだろう。既に幸いにもその行為に僕は苦しみというものをほとんど感じていない。ただもっともっと鍛える必要はあるのだと思う。ある程度量をこなしていけば必ずその筋肉は柔軟で丈夫なものになるに違いない。僕はそれを信じている。きっと今こうやって書き綴っていくことで必ず自分の書く力(それは考える力とかストーリーの構築力とか描写力とかいろいろ)はどんどん伸びていっているのだと。


2002年9月20日(金)

『これから読みたい小説』
 
 ジョン・アーヴィング「オウエンのために祈りを」「サーカスの息子」「未亡人の一年」「第四の手」
 スティーブン・ミルハウザー「バーナム博物館」「マーティン・ドレスラーの夢」
 レイモンド・カーヴァー「大聖堂」
 カズオ・イシグロ「女たちの遠い夏」「日の名残り」
 E・アニー・ブルー「シッピング・ニュース」
 ティム・オブライエン「ニュー・クリア・エイジ」
 スティーブン・キング「アトランティスのこころ」
 グレアム・スウィフト「ラスト・オーダー」「ウォーターランド」
 リチャード・パワーズ「舞踏会に向かう三人の農夫」(買ったのに・・・)、「ガラティア2.2」
 アゴタ・クリストフ「悪童日記」
 カーソン・マッカラーズ「心は孤独な狩人」
 イザベル・アジャンデ「エバ・ルーナ」「精霊たちの家」
 ドストエフスキー「悪霊」「カラマーゾフの兄弟」「白痴」
 メルヴィル「白鯨」
 カフカ「城」
 +トルーマン・カポーティー「叶えられた祈り」 
 平野啓一郎「葬送」
 堀江敏幸「おぱらばん」
 川上弘美「センセイの鞄」
 江國香織「泳ぐのに、安全でも適切でもありません」「東京タワー」
 星野智幸「毒身温泉」
 吉田修一「パークライフ」「パレード」

  ざっと思い出したところでこんなとこ。全部未読。読むのにいったいどれくらいかかるものやら。


2002年9月19日(木)

『珈琲のように深いもの』
 
 美味しい珈琲を淹れることができるとそれだけで幸せだ。心の中も珈琲と同じように深くなっていくような気がしてくるってものだ。それからソファに座ってずっと本を読んでた。
 レイモンド・カーヴァー全集の二巻「愛について語るときに我々の語ること」。カーヴァーの短編小説は何度読んでも素晴らしい。言葉に対して、そして周りの事物に対して、すごく真摯な目をもっていると思う。この人は恐らく周りの物事を馬鹿にしたりすることなんてなかったんじゃないのかな。彼はどんなものに対しても愛情をもって接することができ、だからこういう文章を書けたんじゃないかと思う。


2002年9月18日(水)

『神様が・・・』
 
 つくってくれたチャンスをいかさない馬鹿な男。なんでそこで・・・んーーー。(動揺中)


2002年9月17日(火)

『もっと潜りたい』
 
 お昼くらいまでパチパチ物打つ。書けるのだけど、もう少し深くまで下りていけるような纏まった時間が欲しいような。今はまだうまくこの生活のリズムで物書くことに慣れきっていない。例えば、潜水服を着て、海に潜るとする。潜ろうとするんだけど、背負っているタンクの空気量が多くなくて、落ち着いて海の底までいくことができてない感じ。ターボで一挙に海の底まで潜って、またターボで戻ってくるような集中力の使い方しないと駄目なのかも。集中力がなくなっている上に、僕ときたらきちんと使いこなせていない。
 昼過ぎ、冷たい雨の降る中、図書館に行く。本をいつものように本棚から選ぶ。いつものように読みたい本が多すぎてなんだか途方もない気がしてくる。世界地図帳見ているのとたいして変わらないような気がしてくる。
 「文學界」が翻訳文学の特集で柴田元幸と高橋源一郎の対談なんか載ってるのでとりあえず読んでみる。二人のベスト30が紹介されていたけれど当たり前だけど知らない作品もまだいっぱい。
 他に読みたい短編などもあったからどうかなと時計と相談。ちょっと無理と諦めて本棚に戻す。
 東急ストアによって、パンとチーズを買ってきて、オレンジジュースをグラスに入れて遅い昼ご飯。そうして早い日記つけ。そしてそろそろ出動と。


2002年9月16日(月)

『学生のときに戻ったみたい』

 夕方、先輩Mさんが迎えにやってきてグリーン・カレー食べに行く。そのあと珈琲飲んで、さらに映画まで観た。ほとんどこれじゃデートって感じだ。ちなみにMさんは僕の知っている人の中で最も二枚目な人だ。映画はオースティンパワーズのパート3。ある意味、これまで観た映画の中でもっとも難解だった。ツボがよくわからない。もっとクールな映画にしたほうが面白いと思うのだけどそうでもないのかな。「どうだったどうだった」と終わった後聞いてくるので「驚いた」と答えると、「やっぱ最高だよね」と満足気に笑ってみせる。
 多分今後もMさんとは遊ぶことになりそう。思い返せば、僕の男友達って案外僕と違っていることが多い。ときどきそれってどういうことなのだろうとも思ってしまう。


2002年9月15日(日)

『海辺のカフカを読み終えて』

 村上春樹の「海辺のカフカ」を読み終えた。→その感想。  


2002年9月14日(土)

『アイスクリームの楽しみ方、あるいは未知なる世界』

 コンビニのアイス売り場。まるでアイスクリームというものを食べたことがないかのように丹念に選んでいる中学1年生たち。僕は自分のアイスクリームをさっさと選び出すともう手持ち無沙汰。仕方なく棚にアイスを置いて彼らがどこかに決心をつけるのを眺める。もしかしたら彼らはアイスクリームを食べることより選ぶことに楽しみを求めているのかもしれない。
 地下鉄の改札脇のベンチでアイスクリームを食べていた。先にベンチに座ると、女の子は恥ずかしいのか顔赤くして横には座りたがらない。さっきまでずっと同じ教室で向かい合っていたというのに。何が違うというんだろう。僕たちはヴァレンタインのチョコレートの話をしてみたりする。「男子にはあげるつもりはないの」
 さっさと食べてしまって横を見れば、まだ食べ終わる気配もない。「いい先生でよかった」「それはおごってあげたらから」「うん」「そのうち彼氏とかができたら何だっておごってもらえるよ」「彼氏はいらないかも・・・」そうしてアイスはまだ食べられる気配もない。もしかしたら彼らはアイスクリームを食べることより食べる時間というものが好きなのかもしれない。
「いつもここにたむろってるの?」「うん」そう言って改札を出ていく人波を眺めている彼ら。もしかしたら彼らにとって改札の向こうは海なのかもしれないと思う。海から出ていったり入っていったりそういう波を眺めて世界の大きさに思いを馳せてるのかもしれない、知らず知らずのうちに。そうして知っている人がそこから出てくると、その人をちょっとした英雄のような気持ちで見るのだろう。まるで岩礁の小さな水たまりで外洋に出ることを迷っている小魚みたいなものなのかもしれない。
 ようやく彼らがアイスクリームを食べ終わったことを確認して、僕は改札の向こうに消えていく。


2002年9月13日(金)

『歯車が動き出すとき』

 「海辺のカフカ」を読んでいて、僕は本当に文章が書きたくなる。もっといい文章を書きたくなる。いい本というのは僕に内在する何かを呼び覚ましてそれを覚醒させて動かしていくような本のことをいうのかもしれない。僕は文章書きに大体において集中できる今という時間を本当にありがたく思わないといけないのだと思う。
 今回の作品は春樹さんの他の作品と同じように僕らは井戸を下りて自分のことに照らし合わせて物を考えることができる。今までの作品と違うのは、井戸を下りたときに自分の閉鎖的な世界があるのではなくて、むしろ世界が広がっていくような感じを起こさせること。一段下がるのではなくて、一段上がるような感じがする。以前よりも自分のまわりの事象が見えてくるような気がしてくる。
 それから以前の作品に増して、レトリックや引用が多い。やややりすぎのような感じもするが、特に引用は話が世俗的に向かいすぎそうなところで(僕はこうやって世俗に流れるのはどうかとも思ったのだけど・・・)文章や展開に緊張感を与えている。効果の妙ともいうべきか。こういうことは誰にでもできることじゃない。多分、僕の知る限り村上春樹ただ一人のような気がする。
 彼がこの作品に対してすごい集中力をもって書き綴っていることがよくわかる。それは読んだときに僕にかかってくるエネルギーの負荷のようなものでわかる。僕は脳でほこりを被っていた歯車にも油を入れて、それを動かしてやらなければこの世界と対峙することができない。春樹さんの知力のようなものが僕の脳の歯車を動かしているのだ。さらに、僕自身も自分の歯車をもっと動かさなければ到底いい作品など書けないということを知る。僕はもっともっと頭をよくしなければいけない。ただ知識を詰め込むという意味ではなくて、自分の血や肉となり筋肉を動かすような知識(つまり知力)がなくてはいけないのだと強く思う。

 今日はもうひとつ書きたいことがある。


『叱ってくれる人がいるということ』

 おとといのダイアリで僕は研究室の先輩から電話を貰ったことを書いた。僕は変なショックを受けてそれでもどうにか立ち直って翌朝先輩にメールを書いた。

(僕からのメール)・・・ 
 僕も〇さんに負けぬよう少しでも精進できたらと思います。一応前進しようとしているつもりでも、傍目から見たら無責任にしか生きているように思われないだろうなと思ってしまって、それが自分をあせらせます。・・・(略)・・・そうして皆さんほどまだ僕自身地歩もかたまっていないので。
・・・


(先輩からのメール)・・・・
 自分で選んだ道なんだから、もっと胸を張って生きなさい。人がどう思おうが関係ないし、第一、人様に迷惑かけたのでなければ、無責任もなにも他人にとやかく言われることではないし、とやかく言う人はそんなに立派な人間なんだろうか?そういう人は、君のことがうらやましい、かといって組織に依存する生活を棄てることのできない人。そして、このご時世に足下のしっかりした人なんていません。
 民間はいつ会社がつぶれるか、クビになるかわからないし、公務員にしたってこれからは失業する時代。それこそ君の行こうとする世界では、どんなにトップにいたっていつ売れなくなるか分からない(芸能人だね)。君いう「地歩」は安定という意味とはちょっと違うとは思うけど、安定(金銭的であったり社会的評価であったり)によって多くの人は足下がしっかりしていると判断していると思う。今はどんな職種にも安定なんてないから、みんな不安なんだよ。だから、そんなことで遠慮すんな!!
 他人がどんなにうらやましがっても、「じゃあ、やれば?楽しいよ!」っていってやりなさい。

 それと、組織と人間は区別して考えなさい。組織とのつながりが気まずくなったからって、そこにいる人とのつながりを切っては決してダメ!俺達は〇〇社のTとつきあってた訳じゃない。君が会社を辞めたからって、俺の後輩で尊敬する人物であることに変わりはないんだから。もっといえば造園やってるTでもないよ。仕事上のつきあいだって、全員が肩書きを持った人とつきあっている訳ではないよ。なかには仕事を抜きにしてつきあいたい人だっているでしょう。そういう人たちと組織を一緒にしてはダメだよ。
 どんなにがんばったって人間は社会の中でしか生きられないんだから、人とのつながりは大事にしなさい。たとえ今は対して必要と感じて無くても人脈はどう活きてくるかわからないんだから。

 俺の周りでも環境が変わったとたん、そういう風に自分にバリアーを張ってしまった人が何人かいるから・・・あんな風にはなってほしくないし、絶対、絶対に損する!

一度きりの人生、楽しくやっていくためにも、そんなことにこだわってたらもったいなくない?
・・・・
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 僕は目が覚めたような気がした。ほんとうに。


2002年9月12日(木)

「本を買いに行く」

 朝起きると携帯にメールが入ってた。それだけで一人じゃないって思えて、立ち直れちゃった。人間は単細胞のほうが幸せみたいだ。
 時計を見るとまだ七時前。こんな時間に起きたら必ずあとで眠くなると思ったけれど折角だから起きてしまう。ゴミ出しにでて、顔見知りになった同じ階の人と挨拶。エレベーターで馬鹿みたいに譲り合ってる。そんな朝の光景も悪くない。
 十時過ぎていよいよ行くかと腰をあげる。気分はほとんどデートに行くのに近いものがある。晴れ渡った空の下、気分は高揚している。そして本屋について本を手に取ってレジに向かう。その本の発行日はもちろん今日だ。そういうふうに本を買ったのは実は初めてだった。家に帰って、とうもろこしを一本むしゃむしゃ食べて、さてとページめくる。この喜びといったら・・・。


2002年9月11日(水)

「テロのあった日の日記」

 狭いシートと時折灯されるバス内照明のせいで熟睡できずに、仕方なく星空を眺めていた。
 朝の光が世界を包む頃、カザフスタン国境に到着。さらにウズベキスタン国境。国境の前で強制的にバスを降ろされ、モスクをイメージしたと思われる半円の球体が軽やかに光るイミグレの建物に入る。エックス検査で呼び止められて、ザックを開くように命じられるが、ザックの一番上に入れてあった洗面器と洗剤を出そうとすると、係員も仕事への遂行心がくじかれたのか「もう行っていいよ」とのこと。それ以外には特にチェックもなく通過。中央アジアの国境のイミグレによい話は聞いていなかったけれど、ここまでは特に問題もなく進んでこれた。
 先にタシケントに進んでいたE君より貰ったメールで紹介された安ホテル「タラホテル」を目指す。途中、タクシーの運ちゃんと料金の支払いでもめたが、まあとりあえず到着。1人あたり800スムと1ドルもしない料金でありながら、ホットシャワーもついていて快適。いいホテルを教えてもらったものだ。
 睡眠不足で極度に重いまぶたと、前々日のブラナの塔の超急階段で筋肉痛も甚だしい脚にムチをいれて、やらなければならない用事を済ませにいくことにする。
 まずウズベキスタン航空に行って、タシケント発バクー(アゼルバイジャン)行きのフライトの値段、日時をチャックして、一応予約だけいれておく。次に市の北にある旅行会社(ヤスミナツーリスト)にビシュケク(キルギス)から電話とファックスで取得したインビテーションの代金を支払いに行く。
 タシケントも他の中央アジアの都市と同じように緑が豊かだ。旧ソ連圏の街づくりは全て一様で面白みがないとガイド本では指摘されているけれど、なかなかどうして計画的にグリーンベルトを広く取るような緑地計画、都市計画がなされている。それでいて人口は札幌よりも多い200万人なのだから驚きだ。ポプラなどからなる高木のグリーンベルトを歩いていると、なんとも心静かな気分になることができる。中の小道に沿って置かれているベンチには市民が憩いのひとときを過ごしている。お金をかければいいものとばかり遊具コーナーを設置することに忙しい日本の人たちに是非見てもらいたい空間づくりだと思う。
 中央アジアの都市に共通することは、交通手段としてトラム(路面電車)が多用されていることだ。なんとものんびりと街中を走っていて、一刻一秒を争うビジネスマンには心許ない乗り物だけど、実はこうしたゆっくりとした時間の流れこそが現代人には必要なんじゃないかなとも思う。札幌のような街でもせめて観光ポイントを繋ぐことができるレベルで、トラムのような公共の乗り物を整備すると面白いんじゃないかと思うのだがどうだろう。心の余裕やゆとりはこんなところからも生まれるのではないかと悟った次第。

 12日はビザ取りに専念。朝、ホテルの延長手続きをしようと1階の廊下を奥に行こうとしたところで、E君とNさんと再会。北京、ビシュケクに続き、3度目の邂逅。ちょうどヒヴァ、サマルカンドからの遠征から戻ってきたところだった。
 彼らもグルジア等のビザを取りに行くとのことだったので、一緒に宿を出て、タクシーを拾って大使館へ。グルジア大使館では4時間程待たされた末にすんなりゲット。なかなか幸先はよい。その後トラムで移動してアゼルバイジャン大使館へ。ブドウ棚から甘い香り漂う庭先でしばらく待たされた後、すんなりゲット。これまでビザ取得には苦労することが多かったから、ちょっと拍子抜けしてしまったくらい。
 それからE君らと別れて、ウズベキスタン航空に出向いて、昨日予約しておいたチケットを取得したばかりのアゼル・ビザを見せて購入。これも問題なし。138$/1人。これでイスタンブールまでの道程も確実に確保できたということになる。そういうときは、にっこり笑って、小さくガッツポーズでもしたらいい。

 13日。夕刻のブハラ行きの夜行バスに乗ることにして、昼間はタシケントの中心街通称ブロードウェイ周辺でネットでもすることにする。というのも、前夜E君からアメリカでのテロ事件について小耳に挟んだからだ。これからアフガニスタンを旅しようというE君にとってはかなり頭の痛い事件になったようだ。そしてこれから中東を目指そうとする僕らもその例外ではなかった。1時間くらい朝日新聞のHPなど読んで事件の概要を掴むことはできた。ちなみに1時間のネット代は僕らの宿代2人分/1日とほぼ同じ。アメリカ及びNATO軍の今後の対応次第で新たな国際紛争が起きる可能性があり、予断を許さない。日本にいる彼女からもメールが送られてきた。10月にイスタンブールで合流して、中東を一ヶ月ほど旅する予定でいたのだが、メールには「チケットを買うのをしばし控える」との旨が書いてあった。僕もこの旅に命をかけるつもりも、命を誰かの手に委ねることも考えていないから、中東行きが難しくなったことは否めないだろう。(*・・・テロはビルだけじゃなく僕らの関係を間接的に壊すことになるのだが、そのときはそこまで考えることができなかった。)
 夕刻、ホテルに戻って、まだ乾ききってない洗濯物にドライヤーをあてて無理やり強制乾燥させてザックにしまいこんで、バスターミナルへ向かう。ホテル前のトラム乗り場でなかなかやってこないトラムを待っているうちに徐々に夕闇が迫ってくることが身をもってわかる。
 ウルゲンチ行きのバスに乗り、途中のブハラで下車させてもらうことにする。予定時刻を30分まわって19:30、闇に向かってバスは出発した。ウズベクの民俗音楽がバス内に賑やかに鳴り響いている。バスはこれまでの窮屈極まりないものに比べれば、割合余裕がある。少し深夜特急の趣になってきたかな。沢木耕太郎然となって過ぎ行く街の灯りを車窓より眺める。悪くない。
 途中の休憩タイムで食堂に入ってお茶など飲もうとすると、バスの最前列の補助席あたりに座っていた身なりのいいウズベク青年が同席してもいいかと訊いてくる。これまで現地人と気軽に付き合った結果のトラブルもあって多少躊躇するものの席を勧めてみる。警戒していたのに関わらず、最後には彼にそこで飲食したものをおごってもらってしまった。(純粋に彼は僕らと話がしたかっただけだったのだ)。彼は全く英語を解さないので、片言ロシア語の会話となる。しかし込み入った話が全くできない。英語を解する大学院生と思われる他のインテリ青年の力を借りてわかったのは、この青年は父親の3年間の獄中生活が終わるため、これからサマルカンドまで迎えにいくということだった。僕は「それはよかったですね」と言いたかったのだけど、片言のロシア語では逆に誤解を招いてしまいそうなので遠慮して、表情だけで彼に気持ちを伝えた。バスが発車して、前方に座る彼の後姿をずっとみていた。するとこの純朴そうな青年の後姿がとても美しいもののように感じられた。彼の父への思いというものがそこにはっきりと感じ取れたからだ。

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「テロの1年後の日記」

 もちろんテロのあった一日の日記を綴ってお茶を濁すこともできる。でもなぜか書かずにはいられない。まずテロについては僕は結局普通の日本人より情報が乏しく、メディアに触れなかったためにほとんど個人的な体験でしかない。飛行機がビルに突入する映像を見たのは事件のだいぶ後になってからだ。僕はショックではあったけれど、結局自分の旅がどうなるかということについて、あるいは自分のいる国が安全なのかどうかとそういう着目の仕方しかしていない。実際、そのときいたウズベキスタンはモスリム国だったため、反アメリカの人がほとんどで、そのことが話題に出れば、皆よくやったよくやったと嬉しそうに語っていたものだった。その瞬間、僕と弟はどういう反応をとればいいのかわからず固まってしまったものだ。弟が「たくさんの人が死んだんだ」と力説しても、逆に「だから?」といった不思議そうな目でしか見られなかった。日本のメディアに触れなかった分、僕らはこの事件に関して客観的な見方もできたとも思う。世界における日本の立場とかそういうものについて、よく他の旅行者と話したものだ。
 しかし、そうは言ってもやはりそれは個人的なレベルでしか受け止めることができなかった。上の日記は今日、旅日記から起こしたわけだが、僕はテロを自分と彼女の関係を壊したものの一つだという極めて個人的な見方しかできてないわけだ。・・・テロについては置いておこう。ほんとはどうだっていいのだ。

 夕方、バイトに行く前、大学時代の研究室の一つ上の先輩から電話があった。「やっと就職先が決まった!」とのことだった。それがなんと研究室の助手の座だから驚いた。そして嬉しかった。僕は感嘆の声を上げて、先輩を労った。先輩も本当に嬉しそうだった。
 そうして僕は恥ずかしいことなのだがそのとき微かに嫉妬を感じた。僕は先輩の喜びを共有したのに、まるでその喜びが突然壁のように僕の前に立ちはだかったのだ。何か自分だけ取り残されていくような怖さを味わったのだと思う。まるで結婚式に出席して女の人が友達を祝福しているうちに感じる一抹の寂しさに似ているとも思う。その瞬間、喜びのトーンががたんと落ちた。先輩も僕のトーンダウンに気付いたのだろう。「じゃあな、またな」って電話を切ってくれた。
 僕はバイトに行く途中、何か明らかな徒労を重ねているような気がした。僕は30歳までは好きなことをやると公言していたのだけど、本当にそれが3年ももつのか少し不安になった。そしてちょっと怖くなった。成果が出なくてもその過程に意味がある、と僕ははっきりと前言い切ったではないか。
 本当は誰かに電話をかけるか直接会って、「大丈夫、間違ってないよ。わたし応援してるからさ」って一言でいいから言って貰えたら僕は楽になれたのだと思う。でも結局僕はその言葉も自分の中から出さなくてはいけなかった。「大丈夫、間違ってないよ」って一人で呟くしかなかった。
 多分今は自分の中の何かと格闘する時期なのだと思う。お金とか地位のようなものを全て剥がれた自分がカッコいいことを世間に示すためにがんばる時期なのだと思う。僕はこれを越えれたら間違いなくまた一歩オトナになれると思う。こんなことは長い一生のうちに何回だってあるだろう。人生とは結局そうした壁のひとつひとつを乗り越えて強くなっていく過程なのかもしれない。 


2002年9月10日(火)

「お坊ちゃまの体験談」

 漱石の「坑夫」を読んだ。ある東京育ちのお坊ちゃんが恋愛事件の結果、家を出てついには坑夫に成り下がるという話で、漱石にしては随分と変わった作品だった。解説によると、どうやら漱石自体ももともと構想があってこれを書いたわけではなくて、当時朝日新聞に勤めていた彼が連載小説の合間(どうやら島崎藤村の「春」の脱稿が遅れたらしい)を埋めなくてはならず、仕方なく筆を執ったというのが実情のようだ。
 荒れくれ者ばかりの坑夫の中にも、学がありながら事件等を引き起こしたために仕方なく流れついて者などもいて、そうした人間との対話は割と面白かった。ただ結局お坊ちゃまはお坊ちゃまなわけで、坑夫の世界を彼は垣間見たに過ぎない。蟹工船か何かしらないけれどそういう労働者の苦節に焦点を当てた小説ではないのだ。例えば今の時代に東京の自宅暮らしの大学生がアフガニスタンにでも行って見て、そこの窮状に驚いてみるといった感じの仕上がりになっている。そうしてそれまで生きるということに実感をもてなかった若者が「生」について何か刺激を受けてみるといった具合かな。
 なぜこの本を読んだかといえば、村上春樹氏の新刊紹介でこれに触れていたからだ。春樹さんはどうこれを咀嚼するのか見物かもしれない。やっぱり少年だか青年は「生」というものをしっかり見直すことのできるような体験をすることになるのかな。


2002年9月9日(月)

「白球は雑草の中に消え去った」

 例えば雑草の手入れがきちんとされていない市民球場にいるとする。外野とスタンドの境には1メートル50センチくらいの緑色のフェンスが張ってある。レフトスタンドはすぐ木立になっていて、木立の先は川に続く崖になっている。おっちょこちょいの少年野球の球拾いがそこから落ちて大怪我をしたこともある。ライト側は大きな送電線の塔が立っていて、その脇に農家の家屋と養鶏場がある。
 誰もいない球場をライト側の外野まで歩いてみる。きっと空は伸びやかに広がり雲は静かに流れているだろう。あなたはそこからレフト側に向かって、握っていたボールを思い切り遠投してみる。ボールは軌跡を描きながら緑の草たちの中に消えていく。しばらくボールを投げた充実感に浸っていたのだが、ふとボールがどこに行ったかわからなくなる。だけどわざわざ探す気もしなくなって、草に身体を沈めて空を眺めている。
 僕の今日という一日をたとえたらこうなった。


2002年9月8日(日)

「静かな海辺で」

 二週間ぶりに何の予定もない日。じっくり文章書こうと思って机に向かっていた。珈琲を入れてR&Bかけながら少しずつ文章に集中しようとしていた。まるで放流されたばかりの稚魚が川の流れを確かめてひれを動かすように。
 と、携帯が震えた。ブルルルブルル。「はい」「よぉT」「こんにちは」「これからさ、バーベキューしに海にでも行こうかと思ってるんだけど来る?」・・・「ええ行きます」
 そういうわけでその一時間後にはジャズピアニストAさんの家に向かっていた。そこに同居しているK氏とYさんが一緒。RV車で市街から一時間。風力発電の風車が二つばかり並ぶ海岸に到着。海岸沿いは高台になっていてススキ野原が広がっていて気持ちのいいところ。最近住宅開発が少しずつ進んでいるとのことで、カントリー風の別荘がいくつか建っていた。高台を下りて海岸へ出る。日曜だというのに人が少なく、それもほとんどの人が帰り支度をしている模様。波が砂浜に次から次へと打ち寄せ、潮風がそっと頬でなでつけていくような気持ちのいいところだった。Aさんは遠くに処理場の煙突が見えるのが気に入らないようだったが、東京の海の混雑ぶりをよく知っている僕には、この海岸は驚き以外の何物でもなかった。本当に静かな海。それが車でたった一時間で来れるところにあるなんて。
 早速、炭をおこして、買ってきたホタテ、鮭、つぶ、サンマなどなどを網で焼いてつっついた。始めはなかなか炭が赤くならなくて燻製のようになったけれどそれもそれで皆でいると楽しかった。友達といると、どんなハプニングもすべて楽しいものになるから不思議。こういう付き合いのできる友人がいるということは本当に幸せなことだとつくづく思った。久しぶりにたくさん笑った。
 流木を集めて焚き火。水平線にはイカ釣り船の漁火が点々と光を放っていた。夜の闇に、焚き火のパチパチ燃える音と、静かな波の音が聴こえる。それから温かな笑い声。


2002年9月7日(土)

「再会」

 バイト帰り、三越でフランスパンを買った。スーツ姿で黒い鞄と香ばしいパンの香りのする袋を手から下げていた。路面電車に乗ろうと思って、階段をのぼったとき女の人とすれ違った。僕はなぜかぱっと振り返った。咄嗟に何かが僕を振り向かせたのだと思う。果たして、女の人も振り返っていた。そうして束の間視線がぶつかって、僕らはお互いの名前を呼び交わした。
 女の人は高校のときより随分と綺麗になっていた。それはこれから行くという結婚式のせいで華やいでいたからだろうか。修学旅行のとき、僕の友人が告白して彼女にふられたことがあった。それを聞いて、そういう感情をついぞもてなかった僕は、告白したという事実に不思議な気持ちがしたものだ。しかし、友人は確かに先見の明があったのかもしれない。あったけれど、運がなかったのだ。
 僕はその女の子と高校三年間同じクラスだった。階段には親密な空気が生まれ始めていた。彼女は「今何をやっているの?」と当然ながら訊いてきた。「特に何かやってるわけではないんだ」・・・それ以外になんて答えたらよかったろう。でも本当は封じられた言葉のうちにもっと僕は何かを伝えたかった。
 僕は高校時代いったい何になろうと思っていたのか。父がひととき過労死するのではないかと思えるくらいのハードワーカーだったから、サラリーマンになろうとは思わなかった。あの頃は、新書で読んだ植物学者の探検記などに触発されて、動物か植物の生態学者になって世界を飛び回ることを夢見ていたのではないか。パタゴニアとか崑崙山脈とかそういう未踏の地を歩くことを夢想していたような気がする。
 彼女はその頃の僕に一体何を見ていたのか。少なくとも僕は彼女からの好意というものをすごく感じていた。僕だけが感じていたのかもしれない、いやだけどそういうものってあの頃はよくわかっていた。僕はその頃大概の人に好意をもたれるような気がしていた。そうあの頃は歪みもひねくれもなく、まっすぐな光のように生きてたからだ。だけど今はもうそんなことはない。僕はあのときほどには人の好意というものを感じ取る力を、いやきっと好意そのものを感じ取れなくなってしまっている。
 今日、僕は階段で彼女からの好意を感じ取ることができただろうか。実のところ、そのベクトルは彼女から発せられたものではなく、今や僕のほうから発せられるようになっていたのではないか。
 時間の渦の中に、何か大切なものを置き忘れてしまったように感じてしまうことがときどきある。もう一度時間のねじを回し直してみたくなることがある。僕は路面電車に揺られながらそんなことを考えていた。

 しかし、路面電車はどこにも戻っていったりせず、遅々としながらも前にしか進まなかった。闇を裂いてただ前にしか。 



ダイアリその2

「戦争の話を超えた戦争の話」

 ティム・オブライエンの「本当の戦争の話をしよう」を読んだ。彼の処女作「僕が戦場で死んだら」と同じような散文集でありながら、完成度は遙かに高い。始めはとらえどころのない文章だなと思って読んでいたのが、中盤に入る頃には完全に身体をぐいと掴まれたような感じがしたくらいだ。
 まずエリートであった若者であった主人公が徴兵されて、彼自身にとって意味のわからない戦場に行かなければならないことへの迷いを綴った「レイニー河で」がよかった。アメリカからカナダに逃亡するあと一歩というところになって、彼は結局逃げてしまうことが自分の人生から逃げることに繋がると考えて、どうすることもできなくてただ泣いてしまう。このシーンは村上春樹の「世界の終わり〜」で最後主人公が壁のある世界から逃げることを思いとどまるところに似ている。
 それからベトナムまである兵士の恋人が遊びにやってきて、ついにはベトナムそのものに心を捉われて姿をくらましてしまう「ソン・チャボンの恋人」もよかった。どんな人間もベトナムという土地に来てしまえば、否応なく戦争の中に引きずり込まれて、その人の内部そのものを変えてしまういうメッセージに他ならないのだと思った。
 自分がベトナムで殺してしまった敵兵について綴った「私が殺してしまった男」では、死んだ男の生涯を作り上げてみせようとする。これが作家のなせる技だろうと思う。死んだものを蘇らせてそれを救おう(オブライエンの場合は結局自分を救おうとするわけだが・・・)というのはアーヴィングも彼が書く契機になったこととして短編集に紹介されていた。アーヴィングは死んだ男を救うために、彼を何度も蘇らせて、ストーリーをつくってあげることが物を書く意味だと語っていたように思う。(→2002年2月12日diary)
 それからオブライエンを強烈にプッシュする松屋さんの好きな?「勇敢であること」もよかった。糞泥の中に沈んでいく戦友を救えなかった男が帰国後も自責の念にさいなまれる話。
 まぁこんな感じで次々と好短編が展開されるのだけど、この本の素晴らしいところは、ばらばらの短編集ではなくて、全体でひとつの意味をもつように計算されているところだ。そして単に戦争そのものを越えて、人生に普遍なものまでも視野に入れて書かれている。読後、僕らは戦争の悲惨さというよりは、生きることの難しさとか、死のあっけなさ、運命の不思議とかそういうことについて思いをめぐらすのではないだろうか。


2002年9月6日(金)

 夢の中でも本を読んでいた。本を読んでいるうちに僕は本の主人公になっていた。夢と現の境界が曖昧。

 ビール飲んで夜。いろんな人のことを考えている。言葉が聴こえてきそうで聴こえてこない人たち。そばにいそうで遠い人たち。それは夢だったか現だったか。


2002年9月5日(木)

「ゾーイの生き方―諦めと超越―」 

 フラニーが僕に乗り移ってきたのかどうか知らないけれど、目が覚めるとまだ六時過ぎだった。僕は強固で堅牢な夢の世界にあったはずなのに、なぜかそこからむっくりと起き上がってしまったのだ。カーテンを開くと、洋館の木立の向こうから太陽が一筋昇ってくるところだった。シーツの上には陽だまりができた。そう、この部屋は東向き、朝とともにある部屋なのだ。
 目が覚めたので、さっさと残った眠気の残骸をシャワーで流し落として、ごはんを軽くとって、ソファ座って本読み。フラニーとゾーイ。
 フラニーは周りのエゴといったものに、そしてそこに自分のエゴが含有されていくことに対して、感覚的に受け付けられない状態にあったのだが、兄ゾーイはそれをひとつ超越したところから彼女を助けようとする。フラニーがまわりに対して落胆している一方で、ゾーイは落胆ではなく既に諦めの境地にある。ゾーイの生き方は自分より低度な周りのものごとに合わせようとしない。ある意味、馬鹿にしているといってもよい。自分の崇高さのようなものを誰からも理解されなくても、自分が、あるいは(ここが面白いところだが)キリストがわかってくれれば、いいのだという思想をもっている。彼はその二枚目の顔立ちから役者であるわけだけど、自分の役についても観客がどんなに阿呆でわからなくても、それは自分のためにやっている演技だからいいのだというふうに納得してみせる。
 フラニーの落胆というのは誰にしも起こるものではない。それは周りに対して期待をもっていて、かつ周りの低度さ(エゴのようなものに凝り固まって本質の見えていない人たち)をわかる人間でなければならない。既にそれを越えてきたゾーイは愛する妹がその状態になっていることを嘆いている。つまり、シーモアのような優秀な兄たちに触発されなければ、そんなことを考えずに安寧に生きられたのにという考えからだ。まずそこに憤激する。それから彼はその処方箋をフラニーに差し出すことになる。つまりゾーイ自身の生き方と同じように、周りのものに対して期待せずに超越してしまうことだ。そしてフラニーもそうやって行き詰った現状を克服していくことができるようになる。
 しかしである。ゾーイのような生き方はある意味正しいのだけど、ただ超越すればよいというわけではないように僕には思える。この超越は、ある意味人を見下すことでもあるからだ。この本の後半部のはじめに、ゾーイとその母親との会話があるが、ゾーイは完全に母親を見下して会話をしている。母親との会話のなかに彼は意味があるとは始めから考えていない、むしろ会話を積み重ねてもどうせ無益だから早く終わらしてしまいたいという状態になっている。適当な空返事だけをつみあげて、彼は苛立つ。
 フラニーのように周りに期待を持ちすぎるのも大変だけど、ゾーイのように完全に諦めてしまうのもまたおかしいような気もする。結局、期待をもちつつも、もしそれがたいしたものでないとわかれば別にいいんだよ、そういうものだからって相手にわからぬように一人納得するのがいいのかな。・・・何か偉そうなこと書いてるし、こういうのを書くのは阿呆だな、阿呆、偏屈者、ひねくれ者、偉ぶるな、友達なくすぞ!と(少しすっきり)。この本の内容がわからないほうが案外人生って幸せなのかもしれない、グラース家の母親の言うようにさ。


2002年9月4日(水)

「グラース家の人々」 

 昨夜バイトついでに実家に帰って、さてとソファに腰下ろしてから読む本をもってこなかったことに気付いた。自分の本棚を渉猟して見つけたのはサリンジャーの「フラニーとゾーイ」。この文庫本、ほとんど新品同然。学生時代に買った記憶があるのだけど、読んだ記憶がない。多分数ページ読んで当時の僕には退屈極まりなく思えたのかもしれない。(ちなみに僕は大体において作家とのファースト・コンタクトで引き込まれることが少ないような気がする。村上春樹も最初読んでピンとこなかったし、アーヴィングもそう、カーヴァーもそう、オースターまでそうだ・・・あはは。陽の目を見ていない方々まだチャンスはありますぞ!)さて、今回読んでみて、僕は純粋にこの本に惹かれた。以前、「シーモア・・・」は読んであったので、ここに登場するグラース家についてはそこそこ愛着もある。グラース家は七人兄弟だが、自殺してしまった長男シーモアが素晴らしかった。それに比べて次男坊は大学の先生をしているが俗物である。僕は「シーモア・・・」を読んだとき、シーモアに感嘆の念をもったし、才人と俗物を書き分けるサリンジャーの筆力にも舌を巻いた。
 そしてこの本はグラース家の兄弟の下二人に焦点が当たっている。まだ全部読みきったわけじゃないので、断言できないけれど、フラニーは感受性の鋭い(あまりに鋭すぎて物事の奥が見えすぎてそれに苦しめられる)女の子であり、ゾーイはハンサムボーイでありながら長男の才を受け継いでいるような気がする。この本では前半部にフラニーのことが書かれているのだが、自分の学識を鼻にかけるスノッブなボーイフレンドに対して、我慢できなくなっていくくだりなど本当によく書けている。僕はこのフラニーのことも好きだなと思った。
 さてゾーイのことは好きになれるかな。その母親はゾーイに対してこんなことを言う。「いろんなことを覚えて、鞭のように鋭い切れ者になったって、それで仕合わせになれなかったら、一体何の甲斐があるんだろ」案外ずしりとくる言葉だと僕は思う。さて、これから続きをのんびりと読もうかな。・・・ってもう寝る時間だね。


2002年9月3日(火)

「世界でもっとも高度にある戦場」 

 なんとなくカシミール地方に興味をもって調べてみた。カシミール地方はインドとパキスタンの北方の国境地帯にある。その帰属問題からインドとパキスタンの双方で争っていて、特に両国が核保有国であることから、単に一地域の紛争で留まらないものがある。
 領土問題の解決は難しい。未だに日本だって、ムネオハウスで有名な北方領土やらアホウドリがひそかに繁殖している尖閣諸島の線引きでもめ続けてるわけで、それが島ではなく地続きということになると、そこの歴史、宗教、人種などが合い交じって、線引きは神様だって頭を悩ますだろう。かのナポレオンだったら一本線書いて終わりだろうけどね。
 カシミール地方はイスラム系住人が八割を越すことから、ヒンズー教を掲げるインドではなく、モスリム国パキスタンに帰属するのが妥当だとは考えられる。国連の言うように、住民投票にかければ、インドの裏工作が無い限りパキスタンへ帰属する運びになるだろう。だけど、わざわざ負け戦をするほどインドも馬鹿じゃないから、そう簡単には投票に持ち込まないわけだ。
 現在はなんと標高5000メートルだか6000メートルだかに暫定的な停戦ライン(国境)が引かれていて、一触即発で睨みあっている。カチンカチンと堅い氷河にまで塹壕を掘ったりしてみて、世界で最も高度にある戦場だそうだ。さすがに「コホー、コホー、敵兵前方500メートルに発見、コホー、コホー」ってな具合に酸素マスクの歩哨がいるわけじゃないだろうけど、いやはや。

・・・しかし、昼間からこんなこと調べている僕って一体何?まぁそのうちわかるんですけど。たったこの一語のために調べたのって。


2002年9月2日(月)

「アーヴィングの小説」 

 ジョン・アーヴィングの「ホテル・ニューハンプシャー」を読んだ。今年になって彼の作品群を読み始めたとき、最初そのあくの強さに辟易とさせられたのだが、いつの間にかその抗体が身体にできてしまったのか、あるいはストーリーの面白さが際立っているせいなのか、すんなりと読めてしまった。
 アーヴィングは登場人物の誰一人としてふつうの人として片付けたりしない。嫌な姑のように徹底的にその人物の癖やら個性のようなものをあぶりだす。そうした作業によって、登場人物のキャラクターは愛さずにはいられなくなるほどに魅力的なものになっていく。

 この小説のひとつの山場はちょうど真ん中にある。飛行機事故によって家族が二人欠けてしまう場面。村上春樹の小説だったらここで登場人物たちは沈黙し迷い続けるだろう。しかしこの小説の中では、ヴォネカットの「スローターハウス5」みたいに「そういうものだ」的な納得を各自が行い、迷うのではなく前に進む力に変換しようとする。どんなに人間が立ち回ろうとしても死というものは偶発的にやってきて過ぎていく。結局、僕らはそれを受け容れていくしかないのだ。

 アーヴィングの小説の特徴のひとつに、社会性を含んでいるということもひとつある。登場人物がかなり変わっているために、例えばこの小説では小人症、難聴、レイプされたことを心に負っている女、ゲイ・・・などが登場してくるけれども、彼らが社会で行きぬくためには、そうした事柄が社会ではどういうふうに受け止められているのか、その歪みたいなものも含めていかないと小説にならないのだ。

 ところでアーヴィングの登場人物が突飛ともいえるほどにユニークであることに、読者が惹かれてしまうのはなぜだろう。それは小説世界の中で、彼らが自分の個性のようなものを突飛なものだと自認しながらも、それを隠すことなくむしろ前面に出して生きていくからじゃないだろうか。小説世界の中の話じゃなくて、僕らもそれぞれ個性というものがあり(アーヴィングだったらそれをあぶりだしてくれるかもしれない)、もっとそれを大切にして生きることができたら、そして他人の個性を尊重しあうことができたら、多分もっともっと生きる喜びのようなもの(あるいは哀しみも)を感じていけるような気がするのだけどどうだろう。


2002年9月1日(日)

「小説のような映画」 

 マーク・フォースター監督の「チョコレート」という映画を観てきた。ハル・ベリーが黒人女優として初めてアカデミー賞をとったことで脚光を浴びている映画だ。実は僕自身、観にいくまでそれくらいの情報しか仕入れていなかった。それならなぜ見に行った?と訊きたくなるだろうけど、ハル・ベリーという女性の表情になんとなく惹かれて、どういう演技をしたのだろう、とただそれに興味があったのだ。
 しかし、見初めてすぐに、この甘そうな恋愛映画のような題名の映画がかなり重たいテーマを抱えていることに気付いた。敢えてストーリーは書かないけれど、まずはじめは刑務所が舞台だ、死刑囚と電気椅子の場面、黒人差別、父と子の確執、ただ不安をかき消すためだけのファック、そして自殺・・・、こんな調子なのだ。どうやっても救いきれないようなシーンが重なっていくのだ。しかし交通事故をきっかけに愛が生まれる。その愛によって、ようやく世界の見え方が変わってくるのだ。しかしその愛もとても不安定なものだし、決してそれが容易に進むものとは思えない。しかし最後にふたりはどうにか希望というものをもとうとするわけだ。
 この映画は非常に難しいものを扱いすぎている。僕は見ていて、果たしてどうエンディングをまとめあげるのだろうと思わずにはいられなかった。しかし、この映画は結論づけることを嫌った。最後はぷつんと切られてしまって、その未来については全て観客に委ねられているのだ。まるで小説のような映画だ。ひとつひとつの事件はただ描写されていくだけで、誰もそれがよかったとも悪かったともいわない。僕はううううと唸りながら映画館をあとにした。他にも映画を観るつもりだったけどその気も失せてしまっていた。僕にはここまでの内容のものは今の時点では到底書けないし、扱いきれない。そうして映画自体も「チョコレート」のように簡単に胸のうちで溶け切るものではないし、甘くもない(むしろ甘苦い)。今なお、どう消化するべきかで迷っている。とにかくこの映画が秀作ということだけは言える。