2005年6月30日(木

 山下貴史「マーケティング分析の授業」。読みやすそうだったからつらつらと読んでみた。理論というより、発想法の訓練って感じかな。結局は実践の中でいろいろ試行錯誤というのが大事なのでしょう。
 こんな本を読んでるせいなのかどうかわからないけど、仕事でいいアイディアがいくつか湧いてきている。それをどうやったら具現化できるか考えたり、仲間の意見を訊いたりするのがけっこう楽しい。


2005年6月29日(水

 先生と飲みに行って、よくしゃべった。というよりよく聞いたかな。


2005年6月28日(火

「向暑の候、皆さまお変わりありませんか。」

 斜め前のきれいな年下女性からちょっとメールの文章見てください、って言われて、冒頭の時候の挨拶「うっとうしい梅雨の候となりましたが、・・・」に思わず笑っていたら、横の女性から「笑いすぎ!」って。ちなみに、メールの文面は次見たときには「紫陽花のきれいな季節となりましたが、・・・」に変わっていた。
 あと、もうひとつうけたのが、これから発送するCD-ROM教材の業者がつくった注意書き。「本CD-ROMを音楽用CDプレイヤーに挿入した場合、高熱となり、鼓膜を痛める危険性があります。」一見問題なさそうだけど、前の女性が言うには「高熱」じゃなくって「コウオン」じゃないですか?って。「高温?」「いや、高音」。確かに。最初読んだとき、ヘッドホンが瞬時に熱くなって耳を傷めるかとも思ったものね。

 全入時代に向けて人件費の圧縮のために、賞与が下がりそうなのだけど、これに付随して収入の不確定要素を減らすために業務評価による支給差額を平準化するという案を出しているのだけど、これで僕は大ダメージ。しかし皮肉にも委員たる僕がそれを提案しなっきゃいけないというのはどうも・・・。断固受け入れられないとか回答してくれないかなぁ。成果主義はいろいろ問題はあるけど、ここでしか増額を狙えない若造としては無くなるとつらいんだよなぁ(誰にも言えない独り言)。


2005年6月27日(月

 クーラーのきいた部屋でのんびり一日過ごした。静養って感じ。
 ガス・ヴァン・サント「ジェリー」。思いがけず、何もない荒野を彷徨う破目になった若者二人(マット・デイモンとケイシー・アフレック)がやがて死の淵へと進んでいく過程を描く。荒野といっても、低木が生えているようなところから、裸の岩山、砂漠、塩湖と様々。この二人の彷徨には特段に会話がない。音楽が流れ、やがて最後はノイズに変わる。極限を突き詰めた作品なのだろうが、何を訴えたいのかいまひとつはっきりしなかったな。自分なりの行動指針や思考をきちんともっていなければ、簡単に僕らは迷い、消耗し、やがては無意味に死ぬことさえあるという警句なのかな。
 パイク・リー「25時」。刑務所に入れられる猶予として与えられた一晩にエドワード・ノートン演じる麻薬犯罪人が友人や父親、恋人との会話の中で自分の人生を振り返るという設定。誰もが問題を多くもち、周りを否定したくなる気持ちを抑制し、その関係性の中から何かを見出そうと葛藤していく。 途中、グラウンドゼロも出てきて、それが一度なくなってしまえば元に戻らない、という象徴として描かれていた。つまり、刑務所で人生をリセットすれば、もはや友人関係や仕事などの今の生活が同じところに戻ることはないという意味合いで。 ラストは暗い気分にはならないけれど、それですべてがハッピーエンドというわけにはならないような気がする。そうしたことも含めた映画なのかもしれない。 


2005年6月26日(日

 香川出張。仕事はかなりうまくいったような気がする。日曜は栗林公園をのんびり歩き回った。掬月亭で抹茶をいただきながら庭を見ていると、庭が感覚的に自分の中にはいってきて、東京ではなかなか味わうことのできないような落ち着いた気分になれた。何ものにも追われずに、ただ時間と空間の中にたたずんでいるような感覚。小説か絵画でも観たようなそんな気分になった。

バサラうどんです。

栗林公園の掬月亭

思念が澄んでくる感覚。


2005年6月24日(金

 午後だけで打ち合わせが連打で5個あって息つく暇もなし。


2005年6月23日(木

 新たな構想の種がまかれたという感じ。ネットで調べものしてたら気付くと22時で門衛だって帰ってる。


2005年6月22日(水

 先輩諸氏と飲みに。自分の意見もさすがに言えるようになってきたかな。


2005年6月21日(火

 朝からヘアカットして、そのまま吉祥寺をふらふら。地下にできた啓文堂で本を数冊買って、あとは家で読書したり、昼寝したり。

 前研一の「日本の真実」。論理的な思考展開と自信に溢れた言説で、現在の日本の政治、経済、教育等々を叩ききってみせる。この人は世の中に流布する常識をまったく信じきってしまうことがない、常にその裏を読み、自分なりの思考展開をしてみせる。そうしたことに驚く一方で、すべてがすべて同調できるわけではないとも思う。ただ、彼が言いたいのは、誰かが言うことや常識となっていることを鵜呑みすることなく、自分の頭で論理的に思考せよ、ということに違いないから、それはそれでいいのだろうとも思う。ものごと一つ一つをきちんと突き詰めて考えていけば、見えないものごとはないし、そうして得た自分の考えを表明できる人間になりたいものだと思う。
 彼の考えの中では、道州制への移行は重要だと思ったし、北海道再生の鍵もここにあるような気がした。しかし、彼が言うように、多分北海道などが移行を主張しているのは、単に財政的に安定したものを確保したいからだけで、自分たちで何かをつくりだそうという気概や論理的思考に裏づけされたビジョンに欠けているような気もする。

 ォルター・サレスの「モーターサイクル・ダイアリーズ」。南米を巡る旅に出る24歳のチェ・ゲバラをガエル・ガルシア・ベルナルが好演。志が高く、正義感に燃える若き革命家を見事に演じきった。彼の視線の強さは素晴らしい。旅が大きく人を変えることがある、果たして僕はシルクロードでどのように変わったか、そんなことをしばし考えた。


2005年6月19日(日

 仕事で松本に行ってきました。順調にすべて終えられたかな。人前でしゃべるのも割とうまくいったように思う。もう少し、相手のことをしゃべるように気にかけられるようになるともっといいような気がする。
 土曜の夜は先生と松本のブエナビスタというホテルのラウンジのバーで飲んだ。テキーラベースのカクテルの辛さがよかった。日曜は松本→小諸→北軽井沢を先生とドライブ。 

小諸の藤村記念館前の巨樹 北軽井沢の白糸の滝

2005年6月17日(金

 三崎亜記の「となり町戦争」。新聞の文芸欄で、村上龍の作品などとともに、ひそかに迫っている戦争を敏感に感じている作品群のひとつとして取り上げられていて興味をもって手に取った。ここで描かれている戦争は戦闘や爆撃によって血肉が残るような「形の確かな」ものではなく、日常的な延長の中に溶け込んでしまって「形の不確かな」戦争を描いている。役所はそれを一つの公務として淡々とこなし、主人公の僕は戦争のただなかにいながらリアルにそれを感じることができない。しかしながら、新聞の町勢概況のなかでは数として人が確実に死んでいる。
 僕らは戦争というものに関係しながら、それを察知せずに生きていくことができてしまう、そういう警告が込められていたと思う。現代では、知らず知らずして戦争に加担していても、それを自覚することができない、場合によっては自分の立場が安全であれば他人の悲惨な状況を楽しむことさえできる、そういう時代なのかもしれない。そうして、身近のものを失って始めて、その痛みがわかるのかもしれない。しかし、この本では、その痛みすら麻痺してしまって、役場の戦争係りの香西さんに至っては、もはや無力感しか感じることができなくなっている。あるいは感じることが平板になっていて、その行為を忘れてしまっているというほうが正しいのかな。
 デビュー作のせいか、推敲して苦しんだ後が少なく、文章がきちんと研ぎ澄まされていないし、最後の最後で主題までぼやける。だけど、読ませる力はあるし、底辺を流れるテーマはとてもいいと思う。少なくともこういう小説は読んだことがなかった。


2005年6月16日(木

 微妙に札幌疲れなのか、それとも二日続いてた給与関係の話し合い(委員なのです。)のせいか、お昼くらいにこめかみ痛くなって、酸素が足りなくなった水槽の魚みたいに脳の回転が悪くなって沈。今夜は早めに寝ようっと。


2005年6月15日(水

 事務のトップによる大学運営の将来構想を聞く。キャンパス移転の話が誰の口からも飛び出てくる。この少子化という荒波の中での大学運営はなかなか面白いです。(多分、それは僕が誰かを養う立場にいないし、転覆してもやっていける変な自信があるからなのだとも思う。)僕の仕事としては、システムの速度改善にメドが立ち、WEB配信がいよいよ現実味を帯びてきたから(来週は学長と話すわけだ)、その次も考えなくては。
 そういえば、yohooBBとかdionとか、光回線のビデオ・オン・デマンドでレンタルビデオ屋を駆逐しそうな展開を見せていますね。ツタヤなんかは新しいビジネスモデルを考えていかないと、多分落ち込んでいっちゃうんじゃないのかな。


2005年6月14日(火

 FC東京の今野選手がイタリアのジェノバに行く可能性があるみたいですね。プチファンなので、個人的に嬉しいかも。


2005年6月13日(月

 今ひとつ頭回らず、うちわ扇ぎながら仕事してたよ。先生から電話があって、民放テレビのレギュラー出演をひきうけるべきかどうかアドバイスをください、なんていうのもあった。(僕に訊かないで先生)


2005年6月12日(日

 札幌に遊びに行って来た。東京みたいに人が多くないし、街全体に余裕のようなものが漂っていて、それだけでリラックスできた。いつか東京を出ようと思ったよ。

一灯庵(西武店)のスープカレー。さっぱりした味でした。

北地蔵。時計台の裏の喫茶店。

札幌といえば。

大学構内のたんぽぽ。

イチョウ並木。

夜のすすきの。

くろつら亭というジンギスカン屋。かなり美味しい。

よさこいソーランの真っただ中。

石屋製菓の白い恋人パーク。日曜なのに空いていました。

ショートケーキ。併設カフェで。

こちらは円山の六花亭

地崎バラ園。今年の見頃は6月末からとのこと。

札幌の街が一望できます。

ソフトクリームもバラみたい。僕はバラ味が実は苦手。

これだけ見ると、和風だなぁ。

バラの花は・・・

地崎バラ園前のcafe。ちょっと贅沢な気分。カップはロイヤルコペンハーゲンにジノリ。ガラスはバカラ。

街が一望できるのです。さぁHow Much?

中島公園の豊平館。初めて行きました。

 

2005年6月10日(金

 朝から小まめに仕事をこなしているうちに夕方。職員の親睦会に行っておちゃらけておしまい。
 *
 金曜の夜、ああ終わったーっ、という充足感がなくって、なんかもっともっと仕事に燃えたい感じ。メラメラ、メラメラ、枯れ野を焼き尽くす野火のようにね。この職場に勤めて丸二年。三年目は情熱、アイディア、実行力、すべてをもちあわせて突き進みたい。


2005年6月9日(木

 くらたまなぶの「「創刊男」の仕事術」。徹夜を繰返して、プライベートと仕事の境目がまったくないような生活にはなんの興味ももてないけれど、仕事への熱さはいいものがあると思った。胸の内が熱くなる瞬間をいっぱい抱えて生きていけたら、仕事をしていけたら、こんな幸せなことはないんじゃないのかな。あくまで買い手側の気持ちになって考えて、そこで足りないと思われるものをぽんと取り出してみるというのがいいみたい(というのは他の本にも書いてあったけど)。本を読んでるうちに、自分の仕事のアイディアがぽんぽん浮かんできて、文字が追えなくなって、ちょっと困ってたり。明日からの仕事も楽しみ。もちろん週末も楽しみだけどね。最近、仕事と遊びの天秤の重りが、両方にぐーんと引っ張られているような気がするよ。


2005年6月8日(水

 先輩の家でサッカー観戦。後半の柳沢のテクニックやシュートの強さには驚きました、やっぱりイタリア仕込になってきたのかな。ワールドカップで前回以上の成績を残すには、チームとしてはもう1レベル上げないといけないのでしょうね。前回のオリンピック世代以下の台頭にも期待しましょう。
 *
 7月に現セクションの人事異動があることと、それに伴って僕の業務分掌が拡大することを内密に上司から教えてもらった。自分が出ていけるような態勢をつくるようにしてくださいね、とも言われた。


2005年6月7日(火

 「半島を出よ」読了。すさまじい読書体験だったかも。参考文献の数にも驚かされた。脱帽です。彼の長編に露見されていたような、ぶれも少ないし、相当の集中力で書いたのだろうと思う。「何かを選ぶことは、何かを捨てることだ」とかそういった箴言も七味唐辛子のように効いてた。

 


2005年6月6日(月

 耳が化石になったみたいで今ひとつ。上達するってなかなか大変なことだな。
 最近思うのは女性って仕事に対して無駄にヒートアップしないこと。僕はちょっとくらい到達不可能なものに対して「よしやってやるぞっ」ていうのが好きなんだけどな。一人で胸の中に静かな炎をもっているのにも慣れてしまった。。
 *
 今週末は札幌行くつもりなんだけど、スープカレーが熱いですね。ちょうど僕がM1くらいのときに流行り出したと思うのだけど、そのうちラーメンとか凌いだりしちゃうんじゃないかな。独自の食文化がひとつできると街が活性化するよね。


2005年6月5日(日

 水道橋で二期会のオペラ「椿姫」を鑑賞。感情のこもった美しいソプラノに、身体が震えた。三部構成も、愛の告白、嫉妬と別れ、再会と死というわかりやすい形になっていて、どこまでが今回の演出なのかわからないけど全体がすんなり入ってきたし、第二部の占い師や闘牛士の踊りもよかった。また、観たいね。


2005年6月4日(土

 渋谷でテオ・アンゲロプロスの「エレニの旅」。3時間に及ぶ映画の全てがまるで絵画のよう。人の動きに必ず静の部分があって、ある一点だけを動かして、他の人を完全に止めてしまうというところも多い。また、白いシーツ、黒い喪章と黒い旗、黒いスーツ姿の人たちといったように、画面に統一感をもたせるのもこの人の特徴。出だしは眠気を誘われたものの、後半は離れ離れになる家族が哀しくて涙。まるで絵画館でも後にするように映画館を出たのでした。
 夕食はリゾット初挑戦。ベーコン、玉ねぎ、舞茸、エリンギを使ってつくったらお手軽なのに美味しかった。ご飯を炊くより早く作れそうだから、今後、主食にしてもいいくらい。付け合せの鰹のカルパッチョも美味しくてワインが進んだ。


2005年6月3日(金

 西新宿にあるシステム会社まで行ってきた。新しいビルらしく、一階のロビーにはスーツを着た人でいっぱい。自転車通勤でお気楽な毎日を送っている僕には十二分に刺激的だった。手ぶらで来るのもあれかなと思って菓子折りを渡したら、相手がびっくりしていた。(よく考えたらこっちが客なんだものね。)


2005年6月2日(木

 上巻、一挙に読み終えてしまった。村上龍はある意味、預言者だと思う。2011年に北朝鮮の反乱軍と称する部隊が福岡を制圧してしまう内容なのだけど、それが単に俗に言うテロというレベルではなくて、国家間の思惑が絡んでいるところまで想定できているところがすごいなと思う。北朝鮮はこれを教本にできるんじゃないかと思えるくらい。


2005年6月1日(水

 夕食後、村上龍の「半島を出よ」を読み出したら止まらなくなった。時代の先を読む慧眼、力強くストーリーを進めていく筆の力、多様な情報を束ねていく力、安穏たる僕らに耳が痛くなるくらいの警鐘を鳴り響かせようとする意志の力、そうしたものに単純に驚く。


2005年5月31日(火

 ふぅいー、久し振りに仕事した感じ。そんな夜に氷がなくって黒糖焼酎ストレート。


2005年5月30日(月

 他セクション業務との境界線が一部とっぱらわれてしまって、組織横断的な仕事ばっかり。やればやるほど境界の柵が崩れてますます仕事が増えそうな気配。目指すはゲームメークのできるMFだけど、どうも最近は前線で張っているような気もするな。ゴールを次々決めたいものだよ。


2005年5月29日(日

 駒場まで行ってフラジャイルの「塔」観劇してたら、空調が寒くって気分悪くなって断念。カフカ的主題を扱う演劇に僕は弱いみたいだ。この前の「城」はたどりつけなかったし。仕方なく、途中退場して、東大キャンパスにあがりこんでベンチで読書。黒猫がぽつんといるような涼しげな緑陰で、瞑想にはうってつけだけど、蚊は手加減してくれないようで。
 その後、下北沢のmoiscafeでひとやすみ。時間の流れがゆったりしていていい感じ。cafe出てから、坦坦麺ってどんな味だったけ、と思って赤い麺を食べてるわけ。激辛国を体験したからへっちゃらだね。

ベンチの脇には黒猫がいた。

mois cafeでひとやすみ。


2005年5月28日(土

 天王洲のアートスフィアでデヴィット・ルヴォー演出のミュージカル「nine」を観劇。フェリーニの「8 1/2」をモチーフにつくられて、その昔トニー賞にも輝いたらしい。前半は、出演する女性が多すぎて雑多な印象があり、核となる主役グイドの別所哲也さんや愛人役の池田有希子さんがいまひとつでう〜んという感じだったが、後半の冒頭で女優役の純名りささんが迫真の演技を見せてから、全体が一挙によくなった。なんか、サッカーの試合に、切り札を途中投入した時にでも起こりそうな、流れの変わり方だった。別所哲也さんの演技に魂が入り、力強さが漲り、音楽と舞台装置がそれを高めた。舞台中央に池をつくってしまう舞台演出の巧緻性には驚かされた。
 夜は渋谷でアジア系の料理たくさん食べておなかいっぱい。

あじさいも少しずつ青みがかって。

2005年5月27日(金

 一日、かなり集中して仕事したよ。いいアイディアも湧いてきたし。しかし、そのお陰で久し振りに脳細胞が疲れました。 再来月に、資産運用関係のセミナーに行くことになりそう。上司に「いつか経理もやることになると思うけど、どう?」って聞かれて即答で「是非行きます」って。新しいことを学べるのは楽しみ。いつか大学のお金を牛耳るのだ。
 昨日先輩と話してたら、君みたいな人は社会に出た瞬間は苦労するが5年くらいしたところで一挙に伸びるんだよね、って言われて、ちょっといい気になってるのです。社会人歴がフリーター時代除いて通算4年3ヶ月くらいで、この仕事はじめてちょうど丸2年なのです。


2005年5月26日(木

 他のセクションの先輩とM省へ。補助金申請の過去分を閲覧して、17時過ぎには居酒屋へ。人事採用の観点や先輩自身の今後の構想など聞けてなかなか楽しかったし有意義だった。


2005年5月25日(水

 雑多な生活をおくらないように、丁寧にひとつひとつを大切にして生きていかないと、ってたまに思うのです。


2005年5月24日(火

 ふつうに仕事をこなしていた。唐辛子が脳の回転を良くするのか知らないけれど、いつもより調子がいいくらいだった。昨日までの自分と今日の自分との境界がほとんどない割に、まったく違う人間が確かにここにいて不可思議。
 
 村上龍「空港にて」読み始め。彼が最高の短編小説と自負するくらいだから読まなっきゃというわけでページをめくりだしたが、いい感じかもしれない。印象は、デビュー作「限りなく透明に近いブルー」にも似た感じ。「限りなく〜」は荒れた日常の中でその中で日々を過ごしているのに、心の中はそこに合い混ざらずに純粋なままになっているその対比が見事だったけれど、それは必ずしもプラスに向かっているものではなく内的で閉鎖的なものだった。同時期にデビューした村上春樹以上に内向的であるともいえた。 それがこの短編集の最初にくる「コンビニにて」では、世界と自分との位置取りが逆転しだしていることに気付かされる。外はクールで人工処理的になっていて感情さえも操作されている感覚がするのに対し、なんと内面が非常に外向的になっているのだ。そこに希望や力強い意志を感じとることができる。現代小説が扱っているような意味の曖昧な浮沈など無視して、彼らしくストレートにメッセージを打ち出すところも好感がもてる。これが彼のスタイルであり、彼の行き着いたところなのかもしれない。


2005年5月23日(月

 二泊三日のソウル旅行にいってきました。ひととおり、街もめぐって、食べたいものも食べて、ちょうどいいくらいの日程だったような気がします。唐辛子で舌と胃腸をかなり苛めてしまいました。


2005年5月20日(金

 今日はずいぶんと飲みました。和気藹々なのでした。


2005年5月19日(木

 オフィスでもらったイチゴの苗がベランダにお目見え。コンテナポット買ってこなっきゃ。
 
 山田真哉「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」(光文社新書)。世間で言われるほど面白いとも思えず、すぐに読み終わる。多分、生きる上での価値観の置き方が違うんだと思う。


2005年5月18日(水

 ひとりでワイン飲んでたらネムネムなのです。


2005年5月17日(火

 辺見庸・坂本龍一の対談集「反定義」が素晴らしかった。アフガンへの空爆も、イラクへの進撃も、いったい何が正しく何が誤りであったかも混然として、大国アメリカのやることが正しいという世界の意識の中で、ずっとそこに対抗する力が果たしてありえるのかということを考えていた。またそこに対抗しようとするものが果たしてありえるのかということも考えていた。
 その中で、辺見庸と坂本龍一の意見は至極まともなものに僕には思えた。彼らは、他の大多数のようにものを考えない烏合の衆に陥ることなく、自分の力で考え、想像力を駆使し、そして大きなアメリカの力というものに対抗しようとしているのだ。そうした大きな力への対抗というもの自体が冷ややかな目で見られている現代においては、ひとつ間違えれば馬鹿者扱いにされるかもしれないのにだ。反定義とは、つまりアメリカの定義した、アメリカを正とする世界への、反旗に他ならない。そこに力強い意思がこめられているのである。

以下、メモ。 
p.37辺見<<たとえば、われわれはアメリカとそのメディアによって、意識を収奪されているのではないかといった問題のたてかたがあってもいいと思う。米国式方法意識といったものがたえず注入されることにより、非米国的方法意識―価値意識といってもいいですけど―が奪い取られてしまう。これだってグローバル化ですよね。>>

p.45辺見<<若い人は、まだ報じられていない、語られていない、分類されていない人の悩みや苦しみに新たな想像力を向けていったり、深い関心をはらってほしい。ブッシュやラムズフェルドやチェイニーの貧困な想像力で暴力的に定義されてしまった世界、しかもその惨憺たる定義が定着しつつある世界を新しい豊かな想像力でなんとか定義しなおしてほしい。>>

p.50辺見<<アメリカの戦争というのは、第二次大戦や朝鮮戦争、ベトナム戦争当時から形態を完全に変えつつある。戦争がいわばデジタル化し、精密工業化して、人の心や憤りといったものを組織化するような、情念を入れ込んだ交戦状態をさすんじゃなくなったのですね。ですから、これからはキリングレイト、殺戮率、誘導兵器の命中率などから戦争つまり特殊工業生産の評価が判断されるようになるんじゃないかと思うんです。>>

p.52辺見<<(アメリカの巨大軍産複合体の技術者や職員を指して)私的には妙に清潔な生活を営んでいたりする。世界から憎悪がなくなりますように、なんて教会で祈りをささげたりしている。それがいやですね。それがたまらない。そこにいちばんの問題があると思う。>>

p.93坂本<<ぼくたちはアメリカの目を通して見てましたね。>>
   辺見<<そう、アメリカの目によって見られた風景を見ていた。アメリカによって悩まれた苦悩を問題の中心においてきた。全部アメリカの目を通して、アメリカが経験してきたことを日本が追体験するという発想のなかでいままできたと思うんです。>>

p.132坂本<<かつて「歴史の終焉」といいましたけれど、正確には「哲学の終焉だったんですね。だから議論がなくなっちゃったということなのでしょうね。>>
   辺見<<でも、ハンチントンもフクヤマもくだらないよね。>>

p.133坂本<<科学技術力ばっかり発達しちゃって、戦争を遂行しているほうの人間も、明確な新しいイマジネーションなどないような気がします。>>
   辺見<<ないでしょう。いずれにせよ、何かの理念に裏打ちされた戦争ではないわけですから。それと、いままでは世界というもののとらえ方のなかには不可視の、見えない部分を前提にしながら世界というものを考えてきた。けれどもいまは、見えないものがあるはずがないという前提で動いているということは、ぼくにはとても怖いですね。




2005年5月16日(月

 ゴーヤ料理に初挑戦ということでふつうに豚肉、しめじ、ピーマン、卵と炒めてみた。苦さがくせになりそう。食べ終わった後で、半ズボン、サンダルでブーゲンビリアの石垣の間でも歩いて、青く透き通った海辺にでも出たくなったが、ここは東京だ。
 パーカーにジーンズという超部屋着でこともあろうに帰宅ラッシュの新宿へ。忘れ物はいと渡した相手(彼女)がなんか妙に元気がよくって(まるで豆鉄砲みたいに登場した)、なんかよかったなぁって。それにしてもグレースーツの満員電車はこりゃストレスたまるんだろうなって思ったよ。ああ、ここは東京だ。


2005年5月15日(日

 100円でバドミントン買ってきて曇天の下、元ミントン部相手に羽遊び。グラタンつくってワイン飲んで沈。朝からジャズやらR&Bやら音楽たくさん聴いた。supercarのFuturamaというアルバム、ずっと前に買って、今頃初めて聴きとおして、よいと思ったよ。学生にでも戻ったような一日だったかな。


2005年5月14日(土

 代々木公園でタイフード・フェスティバル。シンハー飲んで焼きそば食べたら、マンウォッチチング。僕の周りにはいないような個性的な人が多くてちょっと驚き。渋谷の雑踏凄まじいハンズから地下に下りただけで得られる寛ぎの空間HONUで珈琲、思わず長居。


2005年5月13日(金

 H大学に出かけて外人の講演聞いてくる。みんな普通に英語でやりとりしていて驚いたし刺激を受けた。彼女の仕事終わるまで、ロスコの絵がかかるエクセルシオールで本読んでた。


2005年5月12日(木

 北欧の旅ページつくりはじめて、今回は写真多くって、なんか先が見えないです(涙)。整理をしようとして本棚から本を出したのはいいけど収拾がつかなくなった人みたいです。


2005年5月11日(水

 吉祥寺にNさんと飲みにいった。スーツでも寒いから久し振りにおでん日和。


2005年5月10日(火

 まだ身体のきれが今ひとつかな。それでも仕事はこなしてきたけどね。最後は理不尽なクレーム電話につかまって沈。旅先の涼しいところから現実に引き戻されたわね、って上司のひとこと。


2005年5月9日(月

 時差ぼけ。眠くはないけど、まぶたが重く、陽光がまぶしい。動物園のホッキョクフクロウのごとく、春の上昇する気温に自分が場違いな感覚。


2005年5月8日(日

 北欧から帰ってきました。楽しい一人旅でした。少しデザインセンスがUPしたように思います。街を面白くする三要素というのは、緑(緑地、街路樹)、カフェ、デザインではないかと考えるに至りました。

彼女へのおみやげ。


2005年4月27日(水

 明日からしばし旅に出ます。4カ国回る予定です。始発電車でいくので今宵は徹夜です。これからパッキングしなければ。

いってきます。

2005年4月26日(火

 この前の上司との面接で中途採用で入って半年の後輩のことを尋ねられて、― たぶん今は水を貯める時期なんだと思います。あるところまでいったら次のステージに移ると思います。― と答えたのだけど、これって単純に回答した割にものごとの真髄をつかんでいるようにも思う。
 経験を蓄積して、ある一定の水位まで達した時、そのものごとに習熟できると思う。たとえば、語学は(僕は残念ながらそれを悟ったことはないけれど)ある一定時間以上、接していれば、自然に身につくものだという報告がある。あるいは、受験問題のようなものを考えてもよい。僕は高3の最後で有機化学と微分方程式について相当の自信をもっていたけれど、あれもある一定以上の問題数をこなせば、解答の道筋が自然に覚えられて、単にそれを適用すればよいだけになったように思う。

 ただ、実際の仕事では、もちろんそんな単純ではないし、扱う分野はコミュニケーションなども含めてもっと広範になってくる。扱う分野が広範な場合は水槽のほうもいくつか用意していかなければいけないように思う。何かを思考するプロセスにおいて、それとはまったく関係ない知識を仕入れておくことは重要なことのようだ。たとえれば、小川のせせらぎに飛び石として石を放り投げるようなものだ。あまり関係ないと思うことでも、とりあえず興味をもって小川に石を放り込んでおけば、どこかに渉らなければいけないという目的が生じた時に、そういった飛び石をつないで到達することができる。思考法とは、自分の溜め込んだ「点」を「線」にしていくことなのではあるまいか。

 一方で自分の生活を顧みたときに、何か一つの知識を十分な量を吸収し、蓄積できるかどうかというとこれも疑問ではある。時間は限られている。仕事は別にして、何かに一日三時間もかかりきりになる余裕なんて絶対にない。残業もあるだろうし、夕食つくって、習い事いって、飲みにいって、デートもして、本も読んで、映画も見て、ジムにでも行って、HPも更新してなんて不可能。何かを得ようと思ったら、何かは捨てなくてはいけない。(そんな格言がありそうだ。)結局、中途半端な雑食になってしまう。あちらこちらに水槽が転がっているような状態になってしまう。だけど、その水槽たちもできれば整理をつけて、ある程度計画的に水位を高めていく必要はあるのだろうと思う。

 ということを、http://www.jilm.or.jp/essay/essay4.htm を読んでて思ったのでした。まぁ兎に角、今はぼんやりしていてはいけないのだろうね。アンテナをはって、常に何かを拾わなければいけないのだろう、この先、ぶつかるであろう大きな川を渉るためにも。

(・・・その一方でこんな詩もあったりするけど。こんなダイアリ書いてる時点で、感性を涵養できるような生活ではないということもいえるでしょう。)


2005年4月25日(月

 眠たげなままに一日が過ぎてしまったことだよ。思考はもっとシャープじゃないと。


2005年4月24日(日

 池袋のイルムスをひやかしに。最近、急速に北欧ブランドを覚えたように思う。センスのいいものは好きです。
 新宿で終りかけのミシェル・ゴンドリー監督、チャーリー・カウフマン脚本の「エターナル・サンシャイン」。カウフマンといえば「マルコヴィッチの穴」だけど、同じ脳内を巡る話を失恋の記憶の消去という観点から恋愛にもってきて、なかなかよい出来ばえ。「アダプテーション」のような訳のわからない二転三転もなしで、話の軸もぶれなかった。ジム・キャリーが好演。失恋の痛みも、消えてなくなればいいほどに辛いけれど、結局はそれがなくては生きていけないということなんだよね。



近くの空き地。


2005年4月23日(土

 三茶のシアタートラムで青島レコード「ぼくにとどけきみのうたごえ」を観劇。舞台、照明効果、音楽といったものが洗練されていて、さらに村上春樹やヴォネカット・テイストが混じっていて悪くない。序盤は若干わからないしどうなることかと思ったけど、中盤にぼくらが「戦争」をいわば想像力の欠如や思考力の欠如、あるいは無関心のために、それはあるものだと決め付けているから存在しているのだという言い回しから面白くなった。仮想の戦争が敵のいない戦争であるというところに収束させて、想像力の欠如や無関心が僕らの心を巣くってしまっているというところに力点をおけばよかったように思うけど、最後に敵を宇宙人としてしまったところで話がぼやけたかな。オフィスやバーのシーンのダンサーの動き方がうまくて感心した。次回のも観に行きたいな。
 帰りは三茶から三宿、池尻、さらに駒場東大を散策。勝手に大学構内に入り込んで、夕暮れのテニスコートなんか眺めているといつぞやの記憶の中にいるような気分になった。

青島レコード


三宿のラ・テールのパン。21世紀に媚びてないようなパンです。


2005年4月22日(金

 帰りに先生とばったり出会ってそのまま飲みに行く。相変わらず先生は熱くて、その専門(哲学)のせいなのかもしれないけれど、常に何か問題を見つけて、そこに気炎まであげながら立ち向かっていく。最近、仕事に困難性がなくなって(それを人は慣れとか自信とかいうのだろうけど)どんなものも淡々とこなすようになってしまった自分にはそんな姿が新鮮だった。


2005年4月21日(木

 三夜連続のスウェーデン映画。イングマール・ベルイマンの息子ダニエル・ベルイマンの「日曜日のピュ」。初めてのベルイマンと思いきや、脚本だけでそうじゃなかったみたい。若いことと老いること、昼と夜、晴れと嵐、生と死、いくつもの対比によって成り立っている。前者は明るい過去であり、後者は暗い過去。同じ瞬間を生きてきたのに、父親は暗い過去を引き摺ろうとし、息子は明るい過去だけを見ようとして、一番近くにいるのに擦れ違いが起きてしまう。それを繋げるのが日曜日生まれという鍵だったのかもしれない。


2005年4月20日(水

 さらにスウェーデン映画。ルーカス・ムーディソン「エヴァとステファンとすてきな家族」。タイトルはよいけど、いまひとつ。出てくる人がすべて不器用に描かれていて、それを個性として捉えているところがある。確かに人は不器用だけど、ある程度社会の規律にも従わないとそれは甘えているってことにもなるんじゃないかな、って考えてる僕は社会人かぶれなのかしら。共同生活というのは互いに傷を舐めあったりするためのものでなく、むしろ自立した個人同士が高めあうところのようなものであるべきと僕は思うけど。


2005年4月19日(火

 ラッセ・ハルストレム「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」を久し振りに見た。最も愛しているものが理由もなく、周りから失われていく中で、主人公イングマル少年が傷つき、それでも周囲の人々の温かさの中でどうにか自己を確立していく姿を追っている。少年の演技は素晴らしく、それが演技であることを忘れさせる。映画の中のひとつひとつに真心がこもっている。もしここにでてくるスウェーデンの田舎の人たちのように、人のことをいつくしみ、優しくすることができたなら、きっと世界は素晴らしいものになると思ったよ。しかし、ひとりで見ながら涙がこぼれることこぼれること。僕も優しくありたいよ、ずっと。


2005年4月18日(月

 習い事の友達と飲みに行った。大いに飲んで食べて話して、楽しかった。プラスにベクトルが向いていくような会話であれば大歓迎。


2005年4月17日(日

 渋谷から表参道を散歩。本屋をまわって、主にデザイン関係の本を立ち読み。青山ブックセンターに積んであった川内倫子さんの新しい写真集がなかなかよかった。

静かな朝に

ダンディゾンのパン也。かなり美味しい。


2005年4月16日(土

 FC東京VS浦和レッズを観戦。行きがけに吉祥寺のダンディゾンで買ったパンを頬張りながら、ビール飲みながら、芝の上を走り回る赤と青の選手たちを眺めるのは至福だった。

左の赤い部分はレッズのサポーター席。レッズ、エメルソンのゴールで2−0。

2005年4月15日(金

 WEB配信の構想が来春新設学部の売りのひとつになる可能性が高くなってきた。自分がやろうと思ったことが具現化できるなんてちょっと嬉しいかも。


2005年4月14日(木

 オフィスがキャンパスの徒歩圏内になったから、ランチは学食に行くのだけど、毎日学生や先生が動いているところを見ているだけで、ちょっと帰属意識が高まってくるから不思議。


2005年4月13日(水

 夜の映画デート。飯田橋でフィト・パエス「ブエノスアイレスの夜」。重いテーマを扱った渾身の力作って感じだが、残念ながら効果音や音楽がよくない・・・というか始め映画館の音響が壊れたのかと思ったくらいだよ。それに加えて脚本がどうもね。前半はちょっとやばいなぁって感じだったのだけど、後半はガエル・ガルシア・ベルナルが魅せてくれる。サッカーでいうと、戦略のきちんとしていないゲームを獅子奮迅のMFが技ありのFKで救ったという感じ。しかし、彼以外のキャスティングもどうかなぁという感じ。
 家の脇の桜もいよいよ散り出して、玄関の前がパステルカラーの点描画のようになっていた。印象派の画家だったら寝るのを忘れて筆をとるのだろうな。


2005年4月12日(火

 吉祥寺で送別会なる飲み会。飲むたびに何か発散させるような人が多いけど、僕って逆かもしれないとふと思ったり。むしろ何かを貯めこみたい派だものね。仕事はようやく年度変わりの細かな業務が一段落したかな、そろそろ先手を打っていくような内容に切り替えないと。


2005年4月11日(月

 下半期の評価がすこぶるよかった。もっともっと精度をあげてレベルアップをはかりたい。前人未到のハイジャンプめざそうね。
 習い事も先生から誉められてちょっと嬉しい。こちらもこつこつやっていこうっと。
 なにごとも肯定的に向かっていけば、いつかは認められるし、よい結果もでるのだと思う。このスタンスを崩さずにいきたい。


2005年4月10日(日

 土曜日は恵比寿、代官山、中目黒で花見と雑貨屋、服屋巡り。代官山の”キルフェボン”はケーキの王道って感じ。中は曇りガラスに、ドライフラワーで、メルヘン。それから、いつも行かない細々とした通りも随分歩き回った。恵比寿と中目にある”ラ・ブランジェ・ナイーフ”というパン屋はパン生地に歯ごたえがあって美味しい。中目はランチタイムを過ぎていて、昔はなかった”カラカッタ”というカレー屋。スパイスが並べられていて、店内もきれいで、ふつうに美味しい。中目黒は頓にショップが増えて、散策の楽しい街になってきた感じがある。最後に恵比寿の”ura.cafe”でウィルキンソンのジンジャーエール飲んでました。平日の昼さがりとか誰もいない時間に入りたいお店。
 日曜日は荻窪、吉祥寺でカフェ、雑貨屋巡り。荻窪のフィンランドものでかためた”モイカフェ”はこじんまりとしているけど趣味がいいです。イッタラのグラスを堪能できます。吉祥寺の”カレルチャペック・スウィーツ”はメルヘンチックなお店、メルヘンな気分を忘れた時にいいかも。焼き鳥の”備長八分家”は職人さんの動きに無駄がなくって、お店もきれいで〇。常連になりそうな”蔵”は言わずもがな。
 ちょっと充実しすぎ遊びすぎでこわいくらい。何軒、お店をまわったことか。いろいろなものを見ていくと、ささすがに目が肥えていくような気がする。(今日のダイアリはいつにもまして備忘録ですね。備忘録はあくまで記号集であって、ここに収められた記号から僕はそのとき感じたことを引き出さなければいけないのでしょうね。)

家の近くの桜並木

これも家の近く

代官山「キルフェボン」

目黒川の桜並木

荻窪「モイカフェ」

吉祥寺の「カレルチャペック・スウィーツ」


2005年4月8日(金

 新しいオフィスへ。空間が広々して気持ちいい。自転車で七分くらいの距離になったよ。


2005年4月7日(木

 なんと15時で仕事が終わって、課長のお許しがでて帰宅だったのです。というのも今日、明日でオフィスの引越しでPCもすべて線を抜いた状態で梱包完了だったの。
 それで意気揚々、上野まで。満開の桜の下で、新入社員がビニールシートにあぐらをかいて座っているというありがちな光景。
 ”谷中ボッサ”に立ち寄って、珈琲とケーキ。安野光雅のたびの絵本なんかあってくつろげる。
 さらに谷中の沖縄居酒屋”もへい”でゴーヤ摘みながら芋焼酎飲んでたり。きれいで(吉祥寺あたりと比べると)安くてお薦めかも。
 平日とは思えない充実した一日でした。

上野は満開
 
谷中ボッサのひととき

2005年4月6日(水

 山田昌弘「希望格差社会」。以前他の本であまりいい印象を抱けなかった山田氏の本だったのだが、既に買ってしまって手元にあったので読んでみた。これが意外にも面白かった。しっかり学問的知見から論が構成されていて、変にメディアを意識したような媚びもない。現在の日本の社会構造が、昔とはどのように異なり、どういった問題が起きているかを、順番に説明してくれる。現在の日本は若者が昔のようにきちんと努力が報われ、希望をもつことができる社会ではなくなっているところが大きな問題であると作者は指摘する。確かに、何かに認められるということがなく、逆に社会から阻害されたような気分の人は多いだろう。若い人たちの希望の希薄化が、社会の活力を鈍くさせている上に、年金問題等の社会問題とも密接に関っているような気がする。

 そのほか面白かったところ。
p103 <<つまり、企業−正社員システムは、社員に、給料だけでなく、アイデンティティも供給していたのである。それゆえ、企業正社員システムの崩壊は、男性のアイデンティティの供給をストップさせることになる>>

p105 <<もう一通りのモノを持っている現代社会の消費者は、ただの「モノ」では満足しない。そこでは他人との差異を消費したり(ボードリヤール)、美的感覚(クールさ)を求めることになる。(略)が述べるように、消費や評価を見せびらかすための消費の時代が到来したのである>>

p212 <<社会に出る前に、「小さな苦労」に出会い、その苦労が報われるという経験をしておくと、苦労に対する免疫ができ、社会に出てからも大きな苦労に対し、希望をもって対処することができるということである。(略)現代の日本の状況は、青少年に対し、苦労やつらさに対する免疫をつけるという機能を失っている。>>


2005年4月5日(火

 夜桜、花の重みでしなだれた桜並木の下を自転車こいで帰ってくる。闇の中で花びらたちが浮かび上がって呼吸をしている。今夜は先生と飲みでした。”円らく三鷹荘”という古民家をリフォームした居酒屋でした。


2005年4月4日(月

 ベランダで冬の間に前衛アートのごとく枯れ果てていたイタリアンパセリから新しい葉が出てきた。植物たちが春を感知するように、この僕の感性もそうありたい。


2005年4月3日(日

 最近、wittardの紅茶にはまってる。アールグレイとチャイを交互に飲んでる。紅茶のブランドなんてこれまで全然知らなくて、日東紅茶くらいしかぱっと思いつかないくらいの音痴なわけだけど。このwittardはロンドンで買ってきて、オフィスにお土産でおいておいたら結構好評だった。デザインセンスがスタバにすごく似ていて、紅茶の種類ごとにパッケージが違う。家には貰い物のそれこそ缶をあけた瞬間に茶葉の香りが広がっていくようなものもあるのだけど、このwittardはティーバッグですぐに淹れられるのに風味に奥行きがあるところがいいと思う。
 そんなわけで、朝から紅茶飲み、パンやらクッキーを食べて、オスカー・ピーターソンとかソニー・クラーク「Cool Struttin'」なんか聴いてたよ。春風も部屋を通り抜けて、至福。

 ・ハン「永遠の片想い」。直球勝負な純愛物。日本では絶対につくれない映画だと思う。恥ずかしさや照れのないところがすごい。悪くない映画だけど、もう少し、シュートやカーブも欲しいと思ってしまうのは僕が日本人だからかな。

 ランソワ・オゾン「スイミング・プール」。ミステリー小説家のプロットと、小説家が実際に過ごす南仏のプールのある家での出来事を交錯させて、ストーリーは展開していく。わざとその二つを織り合わせることで、観る者を煙に巻いてゆく。かくいう僕も煙にまかれたっていうわけ。シャーロット・ランプリングの演技が冴えていた。神経質な作家が、南仏の太陽とプールの水のきらめきの中で小説の着想を得て、解き放たれていく。


2005年4月2日(土

 小津安二郎「東京物語」。淡々とした展開なのに、余韻が残る。別段、すべてに幸せが詰まっているわけではなくって、むしろやるせなさのようなものが全体に漂っているのに、そうした生きることの悲哀を受容しようとしているところがよい。またしても小津映画で泣いてしまったのでした。
 新宿で春なお洋服を買ってきた。ピンク色のストライプの入ったシャツとか、白系のジャケットとか。色の合わせ方もしっかり訊いてきたし、来週末のお花見デートが楽しみ。blue emotionという香水も買った。


2005年4月1日(金

 辞令交付式。50人以上いたのに、僕だけ壇上で名前を訊かれたり。仕事は事務的単純作業の上に身体まで動かして19時でふらふら。吉祥寺で、君に会えた瞬間、何も言わずに額をあわせたり。「みすと」というお店に行ったのだけど、テーブルにグラスをおくところがあって、その下から一筋の光が放たれるのです。桜のシャンパンカクテルのグラスに光が透過して、ちょっと夢見心地。