2002年12月31日(火)

「気温差40℃」 

 無防備な耳を隠すように、誰もがマフラーをぐるぐるに巻いて通りを急ぎ足で歩いていた。冷気に抗するために白い顔を強張らせて。吐息は人々が行き交うときにまるで北国の挨拶のように立ち上っていた。街は完全に凍てついていた。
 そこをシャツ一枚で勢いよく走ってくる輩がいる。足元はスニーカーで顔中日焼けしていて、まるでさっきまでオアフ島だかカウアイ島の海岸をジョギングしていたという感じだった。この男の出現で、街ゆく人は身体を縮こまって歩いていることが少し馬鹿らしくなったくらいだった。かと言って、気温までが突然あがるわけではない。男が吐いている息も灰色の空に白く立ち昇っているのである。
 その季節勘違い男をよけようとした瞬間、その顔に見覚えがあることに気付いた。他人のふりをするということが苦手な僕は思わず声をかけていた。「おいT」と。
 Tは振り返って僕を認めて「おっす」とにこやかに笑った。まるで早朝のジョギングで呼び止められたように。
「ジョギング日和だねぇ」思わずジョークが口につく。
「今1年半ぶりに帰ってきたところなんだ」
「札幌に?」
「日本にだよ。成田で荷物のゲージが凍っていて服を取り出せなかったんだよ」
 僕は思わず水道凍結のときみたいにヤカン片手で事に当たっている人たちのことを思い浮かべる。だからあれだけ言っておいただろ、水抜きしておけって・・・。
「成田も寒いのかな?」
「成田は気温2℃だったよ」
「どうして2℃で凍るの?」
「きっと飛んでいる最中に凍ったんだよ」
(なるほど。凍ったのが荷物だけでよかったね)
「もしかして誰かが閉め忘れたのかなぁ」
(そんなわけないよ!水道管じゃないんだから。)
「荷物も太平洋にでもばら撒かれたかな」
「今ごろ鮫の餌になっていたりね」今度はうまく相槌。
「それにしても気温差40℃だよ。40℃!」
 それだけ言うと彼は我慢ならないというように「じゃあ」と一声通りの向こうに消えていった。次はいったいどこで遭えることやら。
 彼が消えた後、再び北国の街は平静を取り戻していた。街中の人たちに挨拶代わりにほっほっと吐息を上げる。それから思わずNHKの上の寒暖計に目をやって、そこから40を引いてみた。マイナス45℃!・・・なわけないか。

 ・・・なんて小説風に書いてみたり。弟がオーストラリアから今日帰国した。一緒に神戸を出港して以来だ。電話で話したら相変わらず元気だった。エネルギーが有り余って仕方ないという感じだった。
 僕は粘って小説書き。年が明けたら、実家に帰って<気温差40℃>と顔を合わせるつもり。



 結局23時半に郵便局に出してきた。推敲の時間が少なすぎた。もっと深めることのできる内容だったような気が今もしてる。家に帰れば、今年もあと十分を残すのみ。お湯を沸騰させてお茶を飲んだら残り3分・・・。来年こそ。


2002年12月30日(月)

「歳の暮れ」 

 −8.0℃と−8.1℃の間をいったりきたりしていた。大通公園の横、NHKの屋上の寒暖計。指先は痛みを覚えるほど真っ赤になっている。こういう日に純粋に寒さを楽しめるのは観光客くらいのものだ。そして面白いことに観光客を見分けることは簡単だ。いかにも暖かそうな靴に厚手のダウンジャケット、耳までぐるぐる巻きのマフラー、そしてとびっきりの笑顔。一方、地元民はゴーゴリの小説にでも下手すると出てきそうな感じの薄着の人が多く、青い顔をしている。しかし実はほとんどの札幌人は極力外気に触れずに、暖かい地下街を縦横無尽に歩き回って用を済ませている。地下街は雪国には絶対的に必要なもので、大通駅周辺に2つあり、札幌駅地下にはショッピング街が形成されている。札幌駅の北側には映画ロケ(僕が撮るなら近未来映画だな)をいつでも無断で敢行できそうなほど人のいない地下通路があるくらいだ。しかし未だ肝心の札幌駅と大通駅間が結ばれていない。どちらかの駅付近の商業施設が反対しているとも聞くし、いや軍事施設があるからなのだよということを訳知り顔に言う奴もいる。どちらでも構わないが、その区間では札幌人の青い顔と観光客の笑顔が両方見れるという寸法になっている。
 僕はプリンターの替えカートリッジを買って、それからロフトの本屋で立ち読み。一年前に比べてはるかに作家の名前を知ったおかげで、日本文学・海外文学コーナー両方とも楽しめる。お金があれば思わず買い込んだかもしれない。
 小説は踏ん張りどころ。ようやくここにきてまとまった時間ができたということもあって意気込んでやっている。せっかく出すのだからできる限り精度を高めたいのだが、まだぶれているところがある。締め切りぎりぎりまでやって完成度を高めることで必然的に文章の力もあがっていく気がするので、将来のことを考えても今は頑張らなっきゃ。
 こうして一年が終わっていく。一年前も同じような歳の暮れだったような気がする。そして一年後も同じなのかもしれない。


2002年12月29日(日)

「2002年ベスト」 

 +今年読んだ本ベスト10+
86冊読みました。ベスト選ぶのもちょっと大変。それぞれのダイアリでの感想はreferよりどうぞ。

@ジョゼ・サラマーゴ 「白の闇」  12/29読了 →感想
A村上春樹 「海辺のカフカ」   //何はともあれ。
Bジョン・アーヴィング 「ガープの世界」「ホテル・ニューハンプシャー」「サイダーハウス・ルール」   //アーヴィングとの出会いが今年一番の収穫。もっと早く読んでおけばよかった。
Cカート・ヴォネガット 「スローターハウス5」   //戦争というものは簡単に消化などできるものではない。
Dショーペンハウアー 「幸福について -人生論−」   //落ち込んでいたとき随分助けられた。
Eレイモンド・カーヴァー 「ささやかだけれど、役にたつこと」   //本が愛しくなった。
Fアントニオ・タブッキ 「供述によるとペレイラは……」   //反ファシズムへのメッセージ。ラストは涙。
Gパウロ・コエーリョ 「アルケミスト」   //旅の中でみつけていく人生の真理。
Hカフカ 「城」   //生きる意味の模索。城は蜃気楼のごとく実体を失っていく。
IE・アニー・プルー 「港湾(シッピング)ニュース」   //人には必要とされる場所がある。
他に、ティム・オブライエンの諸作、スティーブン・ミルハウザー「三つの小さな王国」、トルストイ「アンナ・カレーニナ」、アゴタ・クリストフ「悪童日記」、カズオイシグロ「日の名残り」、長嶋有「猛スピードで母は」、吉本ばなな「不倫と南米」なんかがよかった。
再読では、漱石「それから」、カミュ「異邦人」、江國香織「きらきらひかる」

+映画ベスト5+
今年はビデオ含めて38本しか観なかった。本に比べると収穫がいまひとつ。
@行定勲 「GO」   //在日朝鮮人の問題を越えて、若者ひとりの生きざまを描く。
A北野武 「dolls」   //犯した罪は死をもってしか贖うことなどできない。
Bマーク・フォースター 「チョコレート」   //差別や死を越えて愛が成り立つものなのか。
Cジャン・ピエール・ジュネ 「アメリ」   //ジュネが人をハッピーにしたいと願ってつくった会心作
Dトニー・ケイ 「アメリカン・ヒストリーX」   //人種間対立の根の深さ。相互理解の難しさ。
再び観たものでは「ガタカ」がやっぱりよかった。

+アート+
夏(一人暮らしして)から見るのが激減。余裕がなくなったってことかな?
@森村泰昌写真展  川崎
A「NORTHERN」 操上和美・写真集
Bカンディンスキー展  京都

+よく聴いたCD+ (蛇足)
音楽については語るほどのものはない。今年はR&B元年、来年ちょっとは詳しくなれるかな。
・小沢健二 「Eclectic」
・スピッツ 「花鳥風月」
・サニーデイ・サービス 「サニーデイ・サービス」「MUGEN」「Best Flower」
・中村一義 「100s」
・m-flo
・Tommy Flanagan Trio 「Overseas」
・Sheryl Crow 「C'mon C'mon」
・Alicia Keys 「Songs in Aminor」
・Mary J Blige 「No More Drama」
・Kelly Rowland 「Simply Deep」

+来年読みたい作家+
トマス・ピンチョン(いきなり挑戦!します)
イタロ・カルヴィーノ(気になる)
ボルヘス(伝奇集、難しそうだけど)
ロジェ・グルニエ(評価がいいので)
リチャード・パワーズ(農夫もガラティアも今年こそ!)
スチュアート・ダイベック(気になる)
アップダイク(気になる)
イサベル・アジェンデ(気になっているが)
イエ・グワンチン(すみ/にえさんの02年ベストらしい)
ジャネット・ウィンタースン(気になりはじめ)
ボリス・ヴィアン(気になる)


2002年12月28日(土)

「エンドレスな読み書き」 

 一日中、読み書きしていた。一歩も外に出ないで我ながらよく続くなぁ。目はしょぼしょぼ。

 高橋源一郎の「優雅で感傷的な日本野球」読了。これは野球の話であって野球の話ではない。野球について語られるが、野球そのものは出てこない・・・。高橋源一郎は人を煙に巻く小説を書く。ただし、多くの人はこれを読んで、小説だとは認めたいとは思えないんじゃないだろうか。文体は跳ねるように軽い、というか軽すぎるくらいだ。それでいて、引用にカフカにルナール、ライプニッツ・・・、普通の人には理解不能な理論など出してきたりする。例えれば、サザエさんでも日曜日に見ていて、カツオくんがいきなり平然と哲学論を語って見せたりする、といった感覚に近いものだと思う。そしてよく読み込めば、実は軽い文章が、何かの文学の隠喩であったりする。日本文学を手玉にとっているのだと思える一方で、いやそうではなくてただ軽いのだとも思えてしまう両極端性。時折とても面白く、時折恐ろしく退屈。人は煙に巻かれて、やがてこの作家の術策にやられていく。


2002年12月27日(金)

「読書計画」 

 今年は本を80数冊読んだ。(年間のベストはまた後日。)普通に小説を読める歳になってからの最高記録だと思う。大学の途中から社会人時代は実は僕の読書の半分は村上春樹だったような気がする。骨肉に沁みるほど彼の文章を読んだってわけだ。今年はそれを脱却したかな。(今年は5冊。)
 それで来年の目標というか予定。
・読書量を2倍は無理でも1.5倍くらいに増やす。
・未踏地帯広がる世界文学にさらに踏み込む。
・批評や学術書を読む。(最近必要性を感じる。文学や表現、思想において、これまで何がなされてきて、今何が必要とされているかを知る上でも。) 
 水や栄養をきちんとあげれば植物は育つ。僕もまた同じ。


2002年12月26日(木)

「思考の行き着く先のお御籤」 

 お昼に乾物の入っているキッチンの上の棚に手を伸ばしていると、頭上から袋の開いたスパゲッティー1.7mmがざらざらとなだれてきた。足元に落ちたその長い麺を―どうせお湯でくぐらすから三秒ルール適用だろう―拾っていたら、なんだかこれが神社にあるお御籤のような錯覚が起きてきた。スティーブン・キングだったらここから閃いたと言って何かを書き出すかもしれない。僕もそのうち何かに使うかもしれないと思った。今は新しいもの書く余裕がなくなってるけど。
 今日はバイトのない日だ。今年は明日二つバイトをこなせば一応終了だ。世間の人はこういう一日を年賀状を書いたり、大掃除に当てたりするんだろうけど、僕は相変わらずR&B流しっぱなしにして本読んだりカキモノしたりで過ごしている。だから年賀状は20枚も買ってそのまま鞄に入りっぱなしだし、雑巾は洗濯機の横でタリム砂漠の墓標ほどに乾ききっている。
 漱石の「門」を数年ぶりに再読している。内容はすっからかんに忘れ去っている。一応読書ノートをつけているから、読んだということは確認できても、実際再び手にとってみると内容を覚えていない。読んだときは何か考えたりしただろうに、一体そうした考えも含めてどこにいってしまったのやら、と思えてしまう。「門」は言わずもがな「三四郎」「それから」に続く三部作の最後を締める作品だ。前二作はこの一年の間に同じように再読したからある程度記憶として残っている。だから、三部作という流れから読むことができる。三部作だと意識して読むと、「門」はかなり苦しい作品といわざるえない。作品として失敗している意味ではなくて、名前や状況は変わっていくものの、主人公たちの顛末として苦しいという意味だ。「三四郎」は田舎から出てきて都会人の振る舞いに驚く作品で主人公は無邪気ともいえる。「それから」は親の金で呑気に暮らすインテリ的な遊民が友人の妻を奪うという行動によって、それまでの精神的・経済的庇護を失っていく過程が描かれている。優雅に暮らしていた主人公は転落する。そして「門」はそのあとの姿。主人公は人生に諦観し始めている。まだラストまで読んでいないけれど、さらに彼は逃げ場を求めて現世を離れる展開になるようだ。僕はただうーんとうなるほかないのだ。うーん。
 カキモノのほうは新しいエンディング書き上げた。しかし隠喩を使いすぎのような気もする。最後はストーリーまで隠喩で流してしまったような気がする。これは純文学なんだろうか、よくわからなくなってきた。僕はほんとうにプロになる気があるのだろうか。こういう言葉をぽつぽつと胸のうちに訊いてみる。しかし、こういう質問をし出すときりがない。昨日の夜、塾の同僚の先生がスウェーデンに留学されていたときのことを話されていて、「あーいうところ住んでいると思いつめて自殺が多くなるんですよ」とか言ってて、そんなものかな、確かに隣国のムンクの絵なんかも暗いものなぁなんて思ったけれど。
 母親は多分あまり僕がカキモノに傾倒しているのを快く思っていない。理由は簡単だ。書くという行為自体が不健康そうだからだ。・・・なんかすごい呑気な暮らしをしている割に、思考の行き着く先が暗いなぁ。
 こういうときは好きな人と話でもしたら気がまぎれるだろう。好きな人の声というのはどんな百薬よりもきく。声を聴いた瞬間、もう何も言う必要がなくなっちゃうもの。身体の中にハッピーの分子しか見当たらなくなっちゃうもの。それが熱帯魚みたいに泳いでいるってわけ。この作品の次はめちゃくちゃハッピーなもの書いてみようかな。ハッピー・グッピーとかいう題でさ。その魚を飼うと、どんな駄目駄目な状態の人でも幸せになっちゃうみたいなお話。悪くないな。神社でお御籤ふろうとしたら底が抜けて、籤がばらばらとこぼれて、拾い集めたら全部大吉なの。そうしたら「あら運のいい方ですこと」ってミコさんに笑われちゃうの。 


2002年12月25日(水)

「クリスマスに本二冊」 

 ジョン・アーヴィングの「第四の手」を読了。主人公はニュースキャスターであり、様々な事件を追うハイエナのような生活を送っている。しかしライオンに手を食いちぎられ逆にカメラに追われる立場になったことを契機に、興味本位ばかりで事件を追ってニュースの本質に触れないメディアに対して反感を抱き、また愛の本質までも見つけるといったストーリー。主人公が人生の指針を見つけて進むようになると話は面白くなるが、それまではかなり冗長的(冗漫的?)に話が繋がれていく。悪くない小説だけど、「ガープの世界」や「サイダーハウス・ルール」や「ホテル・ニューハンプシャー」には匹敵しないかな。
 アーヴィングの小説ではこれまでもよく他の人の小説(ディケンズやフィッツジェラルド、ドストエフスキーなど)を引用することがあったが、ここではマイケル・オンダーチェの「英国人の患者」(イングリッシュ・ペイシェント)を取り上げていた。映画は見たけど小説もチェックと。ちなみにこの本は主人公が愛する女性のお気に入りで、主人公も慌てて読んでみて重要だと思うところをわざわざ電話で知らせて、その度に女性を落胆させる。そして結局、本や映画の感動といったものは個人的なもので他人が理解することはできないと悟ってしまうわけだ。しかしそうした小さな相互不理解を越えて、二人が歩み寄るラストはいいと思った。

 吉本ばななの「不倫と南米」を読了。かなり面白かった。南米を舞台に死の匂いのする短篇集。しかし死の匂いはまるで花の匂いのように温かみすらある。人は死に際してむしろ生というものを意識するからなのかもしれない。そうして生をはっきりと意識したとき、死はまるで打ち寄せた波のようにどこかに退いていくのだ。この辺りの感覚的な鋭さは吉本ばなな、ならではということになるのだろう。原マスミさんの挿画も見ているだけで引き込まれていきそうで素晴らしかった。
 僕は彼女の本を学生時代は随分と好んで読んだものだけど、最近は遠ざかっていた。どうも感覚を操作することで文章を綴るのがいいことなのかよくわからなかったのだ。彼女の小説は、書いたものというより、描いたものに近いような気がしている。画家・奈良美智さんの創作風景を以前テレビで見たことがあったが、彼ははじめじっとキャンパスに魂を対峙させるようにぎりぎりまで感性を高めて、そこからにょっこり頭をもたげてくるものを描いていたが、吉本ばななの書き方はあれに近いような気がしたのだ。頭ではなくて、感覚器に頼る芸術家肌の書き方。だから小説の中で何かを解決していきたいと考えていた僕には何かその創作手法が馴染めないような気がしたのだ。今もまだ自分の方向性としては懐疑的ではある。僕はどうもそれに近いことが自分でできるような気がしてるからなのかもしれない。以前BBSに綴っていたようなレスは大体そうした状態から生み出していたような気がする。僕ではなくて、僕の感性が書いているという感覚。まだ僕はその出番ではないかな、とそう思っているのだ。
 彼女の文章を読んでみて今回思ったのは、文体が実はtransparenceの相棒のザクロさんと似ているということ。吉本ばななではなくて、実はザクロさんがこれを書いているのではないかとはじめ思ったくらいだ。思わずtransparenceの原稿をメールでもらって、どれどれって読むときの気分になってしまいそうだった。吉本ばななとザクロさんの違いは先に挙げた感性の部分のような気がする。吉本ばななは死とすれすれのところまで飛翔して戻ってきたりするという芸当をこなす。ザクロさんもその部分に当たる何かがあれば(その何かが難しいんだろうけど)、第二の吉本ばななになれるんじゃないかなと思ってしまった。


2002年12月24日(火)

「We Wish You a Merry Christmas♪」 

 この前、母親が言ってたこと。「平凡に生きるのが一番幸せなのよ。案外、それが難しいんだから」
 それを聞いて、僕は春樹氏の小説に出てきた登場人物たちを思い出した。彼らは自分が平凡であることを臆することもなく言う。そして自分の価値観の中で楽しく生きてる。
 古いクリスマス・ソング聴いて、ふと世界中の人が温かい気持ちでいるんだなと思う。どこか深いところに哀しみさえ秘めた懐かしみのある歌たち。メリー・クリスマス!ハッピー・クリスマス。


2002年12月23日(月)

「怒涛の年末になりそうな予感」 

 夜明け前に目覚めた。昨夜はそこそこ遅かったから睡眠が足りないはずで、多分どこかでことんと眠たくなるのだろう。雪が斜めにふっている。重力が下向きに働いていないとどうも見ていても落ち着かない。
 小説は80数枚書いたのだけど読んでいてラストがおかしいような気がして思い切って削除。いったん60枚の分岐点まで道を戻って、進む方向を変えることにする。まだ全体として描写が書き込めていないし、文章に無駄が多いし、アイテムの効果が生きていないし・・・、大体初稿すら書き上げてないし、間に合うかなぁ。残り一週間かぁ。うーーん。ちょっとあせってきた。だから目覚めが早いのかな。だから雪ふるのを見ていても落ち着かないのかな。ふむ。


2002年12月22日(日)

「映画、飲み会×2、語らい、そして温かさ」 

 土曜日、友達と蠍座に「ノー・マンズ・ランド」を観にいった。旧ユーゴ、ボスニアとセルビアの戦争を描いた作品ということを知っていたから、てっきり題名から、人のいない土地、というような意味なのかと思っていたら、実は戦場の中間地帯のことを指すのだそうだ。反戦映画なわけだけど、映画の切り口がこれまで見た映画と違っていて面白い。旧ユーゴの映画だと、マイケル・ウィンターボトムの「ウェルカム・トゥ・サラエボ」、ミルチョ・マンチェフスキーの「ビフォア・ザ・レイン」・・・などあるけれど、どの映画も戦場や戦争の悲惨さとか無意味さを真正面から描いているのに対し、「ノー・マンズ・ランド」は戦場にその周りの思惑を絡ませて風刺的に扱っている。冒頭、ボスニア軍に従軍する民間兵たちが映る。あまり緊張感を感じられないような夜の場面から始まる。朝がやってきた瞬間、突然銃撃が始まる。兵士たちはセルビア側にバンバンと撃たれてあっけなくそこに死体となって転がる。その後、生き残って両軍がにらみ合う戦場の中間地帯に逃げこんだボスニア兵士と、そこへやってきた若いセルビア兵のやりとりによって、この戦争の意味のなさが明らかになっていく。さらに国連軍のフランス人やドイツ人、特ダネを狙うメディア。現代の戦争というものがどういう構造なのかよくわかる。兵士同士の憎しみというのは全体的なものではなくて、かなり個人的なものに近い。自分の村が焼かれたとか、仲間が殺されたとかそういうレベルだ。国連軍は和平に対して理想をもっているものの末端の兵士たちは武力行使が認められていないためただ傍観していることしかできない。メディアは戦場にまで立ち入って騒ぎたてるだけ騒ぐだけ。最後までわからないのがこれが何のための戦争かということ。ここまで戦争に風刺をきかせて迫った映画ってなかったと思う。
 夕方、ワンゲルOBの飲み会をふたつ巡る。
 夜、学生時代の同居人で新聞記者をやっているK君の家にお邪魔する。周りが山に囲まれた環境のいい一軒家に住んでいる。彼はもう二ヶ月ほどで子供をもつことになる。結婚してからの心境の変化をいろいろと聞く。夜遅くまで、結婚とか、生き方とか、言葉などについて、お酒飲みながら語り合う。そのまま二階の一室に泊めて貰ったのだけど、静かなところでよかった。散歩するのにとってもいいんですよ、という彼の言葉も頷ける。僕もどうにか将来のメドをつけて、こんなところに好きな人と住めたらいいなって強く思った。
 朝、家に帰ってくると、クリスマスカードが届いている。温かい。


2002年12月20日(金)

「もっともっと・・・」 

 昨夜、 transparenceの次回作「吐息」を母、妹、父に読んでもらった。どういう反応があるのか、発表前に見ておこうという意図でだ。
 母はふつうの反応。機内誌に載ってるエッセイでも読む感じ。まぁ上手い表現使うのね、誉め言葉はそれくらい。読む前から全然違うことを考えていたのか、読んだ後、何か突飛で関係ないことを訊かれる。
 妹に作品を読ませるのは初めて。本を全く読まない人なわけだけど、これだったら読めるよ、まだ読みたい感じがするよ、という感想。意外にも、文章の効果について意見されたりする。侮れない。
 父は読んで文章の主題のようなものをはっきり説明しないことを不思議に思っている様子。「お前は小説の中で人にショックを与えるようなことを狙っていないのか?」と訊かれる。「僕は読んだ後に何か小石のようなものが引っかかって消化できない感覚が好きなんだよね」と答える。「確かにそのようなものはあるかもしれない。だけど読んだ後、時間が経ってしまえば、何が書いてあったかすーっと消えて忘れてしまうような気もする」
「まさに吐息なわけだね。でも完全に消えてしまうのならそれは失敗だと思う」
 それからこの話の意図について話し合う。小説のことになると、僕はぺらぺらと話し出す。妹は言う。「そんなことまで考えているんだ。でもどうしてそれを書かないの?」
 僕が今書きたいのは作者の意図がカタチには見えないけれど、それが読んでいるうちに自然に入ってくるものなんだという話をする。
 父はビールが美味しいと言いながら僕の話を聞いている。「ハル」や「四月物語」を引用したりもする。父もいろいろと考えることあった様子。しかし、本当なら物語だけ読ませてそこまで考えさせなくてはいけないのだと思う。もっともっと上手く書けるようになりたい。もっともっと意味のあるものを書きたい。現実世界を半分捨ててもいいから、小説世界の中だけで生きていけたらなぁ。

***

「タフな生き方」

 アゴタ・クリストフの「悪童日記」を読んだ。二次大戦終戦ごろの東欧ハンガリーを舞台にした双子の話。双子が一人称で事実だけを日記的に綴っていったもの。冒頭、双子は母親からそこに住む婆さんに預けられる。愛に満ちた守られた世界から、意地悪でなんの庇護も与えない婆さんとの生活に投げ出される。しかし、彼らは悲観などしない。彼らは世界に対抗できるように、タフになっていくのだ。取り巻く状況は凄まじく厳しい。ドイツ軍の占領、そのあとにやってくるロシア軍、物はなく、爆弾が投下され、人の死が日常的に起こりうる。正義と悪は隣り合わせで、全てがどちらともわからない。金は意味をもたず、生きていることがすなわち意味となる。双子は動揺しない、哀しまない、感動したりしない。文章は、事実だけ述べられ、感情は一切合財切り捨てられている。極限状態で生きていくためにはここまでタフでないと、人間はやっていけないのかもしれない。親や友達の死が訪れても泣いたりなどしていては生きていけない状況というものもあるのだ。父親を利用してその屍を踏み越えていくことも容赦したりしない。
 これを読めば、それを読む人は自分がどんなに安楽な境遇にいることを悟る。自分の抱えているものが馬鹿らしくなっていく。この双子だったら一時の感情によって立ち止まるのではなく、すぐに有言実行するだろう。自分が傷むことをまったく恐れないだろう。それは全くの究極的な状態でありながら、この本からそうした究極的な状況でも人は生きていくということを知ることができ、それゆえ僕らは強くなれる。


2002年12月19日(木)

「この上もなく上質な小説」 

 カズオ・イシグロの「日の名残り」を読了。途中から読んでいて止まらなくなった。なんか打ちのめされたって感じがする。これは僕には逆立ちしても書けないような気がする。驚いたな。
 20世紀始め頃のイギリスの身分の高い貴族ダーリン卿に仕えた一執事の物語。執事の物腰が恐ろしいほど上品で、完全に自分を捨てて主人に仕えることを美徳としているせいもあって、小説全体で主人公の執事の感情が発露されることなく、どんなとき(父親の死、主人の政治的立場が悪くなったとき、女中頭との仄かな報われることのない恋)でも、彼は完全に自分をコントロールしつくしている。彼は自分が自分をコントロールしていることにさえ、もはや気付いていない。半ばロボットのように自分の仕事のみに忠実なのだ。しかし、彼も人間だから、新しい主人であるアメリカ人に貰った休暇旅行の際に、過去の出来事が思い起こされていく。イギリスの最高の身分の人たちとの付き合いがあった主人の手助けをしてきた誇りや、報われない恋愛(しかしそれを恋愛とも考えていない)などを一つ一つ思い起こしていく。そうして彼はもう戻ることのできない過去の自分の感情を押し殺した振る舞いがそれでよかったかを、考え始める。小説は終始静かなトーンなのに、そこに押し込められて殺されている感情がとても大きい。そうして主人公が最後の最後で苦しみそうなところで、通りがかりの男の一言がそれを救う。「いいかい、いつも後ろを振り向いていちゃいかんのだ。・・・そりゃ、あんたもわしも、必ずしももう若いとは言えんが、それでも前を向きつづけなくちゃいかん」「人生楽しまなくっちゃ。夕方が一日でいちばんいい時間なんだ・・・」
 そうしてこの本のタイトルに戻る。日の名残りは一日が全て過ぎ去ったあとに、わずかばかり残光の射す時間帯。人はそこで過去を振り返り哀しみそうになるけれど、そうではない、そのときこそが一番いいのだ。そのときを楽しむべきなのだ、と作者は言ってるわけだ。


2002年12月18日(水)

「冬の夜の父子の会話」 

 実家で新聞をまとめ読みしている父と話した。「お父さんはカラマーゾフは読んだことある?」
「あるよ、むかし」
「じゃあメルヴィルの白鯨は?」カラマーゾフも白鯨も読んだことのない息子は訊いた。
「むかしにね」
「ねえ、もしカラマーゾフを読む人と読まない人がいて、それは人生でどう変わっていくと思う?」
「まぁカラマーゾフだけを読むんじゃなくて、そういう人はいろいろな本を読んでいく過程でそうした文学作品を読んでいくんだよね」
「まぁ確かにそうだね」
「それでまぁいきなり訊かれたから思いついたまま言うと、それはその人の人生を深めることになるんだろうね。じっくり人生の意味を考えたりするわけだろ」
「でも生きてる上ではみんな同じように見えるけれど」
「お前の友達はみんな本を読むからわからないかもしれないけれど、世間というのはそうでもないんだよ。ほんと薄っぺらいことにしか興味のない人もいっぱいいるんだよ」
「ふーん、確かにそうなのかもなぁ」


2002年12月17日(火)

「冬なのです」 

 道路向かいの邸宅の庭の背の高いマツが雪で覆われている。庭と僕の部屋の窓の間を、細かな雪が風に揉まれている。冬、と僕はひとこと呟く。
 体力不足なのか、身体が冬眠モードに入っているのか、ずっと眠ってた。寝ているときは電源オフになったような感じだ。そのまま冷凍されて宇宙船にでも乗せられて何万光年も遠くの星に送られてしまいそうだ。・・・おかげでカキモノをする時間がなくなってしまった。なんだかな。
 失くなった携帯電話は雪に埋まっているのか見つかりそうもない。あまり必要ではないけれど、微妙に必要な彼(彼女?)を新しく買い直すかどうか。
 まるで歯切れの悪い日記。まるで窓の外の粉雪みたいだ。


2002年12月16日(月)

「smile」 

 人付き合いが少ないと笑うことが少なくなっているような気がする。小さい頃から母親に「どんなときでも笑っているようにしなさい」と躾けられたおかげで多少は笑ったりできるんだけど。
 好きな人と電話していると楽しい。優しさみたいなものが行き来するような気がするもの。来年の目標は(もう来年の話)そうした気持ちをきちんとずっともてるようになること。深い優しさをもつこと、そしていつでも笑っていられること。「相変わらず楽しそうだね」「うん、楽しいんだもの」ってどんなときでも返せるようになること。
 いつでもくすくす笑いしたり、弾けるように笑えたり、優しさが通じ合うように笑えたりしたらいいなぁって考えてるだけで、それだけで何か幸せがやってくるような気がする。


2002年12月15日(日)

「物語を紡ぐ意味について語った映画」 

 ミルチョ・マンチェフスキー監督の「ダスト」を観てきた。デビュー作の「ビフォア・ザ・レイン」の出来が素晴らしかったから、それから6年の歳月を費やしたという二作目になる今作品に対する期待も大きかった。
 前作「ビフォア・ザ・レイン」ではマケドニアを舞台にして3つのストーリーが巡り巡って元に戻っていくという輪廻転生的なストーリーを描いていた。
 今作「ダスト」も時間と空間を行ったり来たりして話が紡ぎ出される。現代のニューヨークで話し手が、百年前のマケドニア?の話をしていく。歴史や記憶というものが残されていくためには、話し手が必要であり、話し手が消えてしまえば、話(人の存在、場所)そのものも消滅してしまうのだということを伝えている。
 話し手たる老婆は、黒人のチンピラ君に金貨を与える代わりに、話の聞き手になってもらう。話自体が金貨を巡る話なのだが、既にこの時点で、老婆にとって金貨以上に話を語る意味のほうが大きくなっている。
 マンチェフスキー監督は「自分が存在しなくなったときに、その声はどこにいくのか」ということをテーマに挙げている。映画の謳い文句も「だれか、私という物語を覚えてほしい」となっている。物語を紡ぐことの意味を綴った映画なのだ。
 映画のテーマはとても面白い。最近、過去(自分の過去じゃなくて過去そのもの)について考えていることが多いので、見るタイミングとしてもよかった。・・・ただ映画としては、現在と過去を余りに散らしすぎたような気がする。さらに過去の話が現在の話し手というものに左右されているように思えてしまうために、話自体が虚構性をもち始め、リアルなものとして胸に響いてこないのだ。過去ではなくて現在の話し手に視点をおきたいならば、語り手たる老婆にもっと光を当てるべきだったように思う。6年の歳月とやらが、この監督にいろいろなことを考えさせ過ぎたのかもしれない。もう少し、シンプルに、主題を絞って狙いすましたほうが、映画としてもメッセージとしても明確なものができたと思う。


2002年12月14日(土)

「苦手意識のある小説を読んでみる」 

 中上健次の「枯木灘」を読んだ。彼の死とともに近代文学は終わった、などと言われていることもあって、読んでおこうとは思いながらも、苦手意識が先行してこれまで本を手に取ることがなかった。
 どうして読まないうちに苦手意識が植えつけられたかというと、彼の育った紀州の人間の絡みが色濃く著されているという作品評によるところが大きい。僕は人間関係が希薄だと思える札幌という偽日本のような土地に、親の代から移って来て育ったから、血縁関係を扱われることが苦手なのだと思う。僕は血というものを意識したことがこれまでほとんどないのだ。それに付随して、汗くさいものとか、土とともに生きることの悲哀を込められたものを見ると反射的に逃げたくなってしまうようだ。
 さて食べず嫌い的な苦手意識に目をつぶって、読み始めて思ったのは、これはガルシア・マルケスの描く世界とやや似ているかなということだ。マルケスが血縁関係のつくっている狭い世界を、完全にお話の世界(ナラティブ)として独特の語り口調で息もつかずに語ってしまうのに対して、中上健次の手法はそれを描くのに日本文学の後塵を拝しているような気がする。日本文学のどの影響を受けているかは文学史に余りに無学なためよくわからないけれど、自然文学から戦後文学にかけての流れの後ろにちゃんとくっついているという感じがする。ここまでくっつけているのは中上健次をして最後ということなのだろう。
 解説の柄谷行人によると、その流れというのがフォークナー(僕はこれも苦手意識あって未読。アメリカ南部の乾燥した土地が舞台というところから既に読む気が湧かない。)から派生しているものだと語っている。なんのことはない、柄谷氏本人が若き中上氏にフォークナーを勧めたことによるというエピソードに繫がっているわけだけど、まぁ面白い流れではあるなぁと思う。フォークナーの影響をアジアでは中上健次が紀州を描く方法として使い、南米ではマルケスやリョサ(これも未読)などに取り入れられたのだと言う。文学というのは突然発生的に出てはこないので、こういう影響の受け合いは当たり前といえば当たり前だし、僕には面白く感じられる。その手法を必要な人がそれを取り入れるわけだから。種は土のない大地には根付かないわけ。種から芽生えた彼らに共通するのは、その小説舞台が南であること、北ほどに物質に支配されてなく、血縁関係の強い共同生活体を形成し、そこに伝承というようなものが絡んでくるという点。
 中上健次の小説で個人的にいいな、と思ったのは、労働の描写。土を盛んに掘る場面が出てくるのだけど、これは主人公が自分の半ば呪われたような血に潜む過去を正視していく痛みのようなものを表現しているように思えた。それに閉鎖的な紀州の山奥の村の描写。それは自分自身なのだ、とまで隠喩してしまうところ。
 表現的に面白いとは思うけれど、やっぱりこういう血がどろどろしているような小説は苦手だなと思った。同じく大江健三郎に苦手意識があるのも彼が四国の山奥の村を同じように切り取っている(と解釈している)からかもしれない。
 僕が好きな小説は、血の臭さというものを感じさせないもの、人と人同士の濃い繫がりではなくて、その隔絶による孤独や孤独な心と心の一縷の繫がりを著したもの。僕なら、中上健次の言葉をまねて、札幌のように建物や道や人などが依存することなく独立し(冬には隔絶し)、血の上塗りなど受けたこともない白紙同然の歴史しかもたない街並みをして、これが僕自身なのだと形容するかもしれない。


2002年12月13日(金)

「根雪」 

 実家から街中に帰ってこようと玄関を出ると、すっかり雪が積もってしまっている。かすかに残っている誰かの足跡から足跡へ兎のように跳びながら道路へ出る。すねのあたりが雪まみれになる。周囲の山々はすっかり白く、目の前の八剣山の稜線も白く輝いている。自動車の轍を正確にたどりながらバス停に向う。僕の歩みに合わせて足もとの雪はキュッキュッと鳴る。

「いよいよ根雪ね」と母は朝から降りしきる雪を見て言った。庭の餌台には小鳥たちが次から次へとやってきて向日葵の実をついばんでいる。
「根雪という言葉って本州の人はわかるんだろうか?根雪って日本語なのかな?」
「わかるはずよ、だって歌にもあるでしょ。根雪を融かす大地のような♪って」
「それって歌詞として変なんじゃない。だって根雪を融かさないで積もらすのも大地なわけでしょ、それを言うんだったら根雪を融かす太陽なんじゃないの?」
「でも土から温かくなるものなのよ」
「そうかなぁ」

 太陽は中空に浮かんでいるものの凝縮してしまっている。東南アジアや東京でみた熱の塊のような太陽と同じものだとは到底思えない。この街では、冷気が太陽を、さらには空や雲や人の思いまでも支配している。

 昨夜お風呂あがりパジャマを着ようとしていたら、母親が僕の身体を見て、「すっかり痩せちゃって、日焼けもしていないし・・・」なんて言う。僕もまた痩せちゃったかなって思う。
「書いてばかりじゃ不健康でしょ。そこまでしてやることなの?」
「どうせ僕は何をやってもこうなるんだよ。ほら何かやるととことんやろうと思っちゃうんだよ。これでも随分と健康になって・・・」
「でも、なんかおかしいわよね。もっとやりようがあると思うけれど・・・」

 雪道を歩いている。これまで何度も歩いたように僕は雪道を歩いている。いつかは春もくる。だけど今はまだ冬がはじまったばかりだ。


2002年12月12日(木)

「カキモノの調子」 

 山小屋に行ったときに余り物として貰って来たドライフルーツを食べながら、いつものようにカキモノしていた。transparenceの次回の「吐息」(22日UP予定)もざっと初稿はできあがり。昨日、塾の帰りに思い浮かんだイメージから勢いで書いて、最後に意味の整理という順番。やはり小説を書くときにはじめに落ちてくるイメージは重要な気がする。言葉の意味や主題が先にありきだと、ストーリーが詰まるし、文章に読ませる力というものがなくなってしまうから。「栞」の書き直しのほうは手直ししているうちに全く違う話になってしまった。部屋の模様替えをやろうと思って、ひとつひとつのものを整理しているうちに、結局すべて買い換えたほうが早いぞという感じ。だけど書き直しているほうも、30枚目過ぎたところでやや詰まり気味。いくつかのイメージはあるのだけど、もう少し強力なイメージ(インスピレーション)が後半部に埋められないとストーリーが滞流、あるいは単なる直線的な流れになってしまう可能性がある。そうして全体としての意味の統一性をはかる必要もあるってことで、右脳と左脳の両方を回転させている次第。月末にとりあえず未完成だとしても出してしまうつもり。もちろん、未完成で終わらせるわけないけど。


2002年12月11日(水)

「今だったら転覆するよ」 

 保坂和志の「プレーンソング」を読む。以前どこかで書評など読んでいて、この本のことに触れてあって、プレーンソングのような書き方も一区切りついた、なんていうふうに評されていた。だから、この作品は日本の最近の文学史の中で特筆すべきものなんだろうと思って読んだわけだった。
 筆者は、当時飼い猫の死に直面したこともあって、不安も不幸もない作品という構想でこれを書いたようだ。常に不安と不幸ばかりが文学をつくるのではないという考え方である。小説は1990年ごろ、まだバブル最盛期の時期に書かれている。仕事を探せばすぐにあるし、お金もどうにか足りてるし、という具合で実際に不安や不幸というものに目を向けなくてもよかった時代なのかもしれない。この小説を一読して、こんなに楽に暮らしてもいいんだなー、という安心感が得られるところがいいという人もいるかもしれない。でも、僕にはこの小説が一体何の意味をもつのかわからなかった。21世紀に入って混迷し出している日本でこんなふうに何も考えないで生きていることはかなり危険なような気がする。この小説では最後海に泳ぎにいって登場人物たちがゴムボートに乗っているが、海は穏やかで危険の予兆すら何も感じられずに呑気なものだ。でも今はもう波が荒れはじめている。この作品はその時代には必要だったのかもしれないが、現代には合わない。問題提起もなにもない小説を読んでいるほど現代の日本人は暇じゃないと思う。それで一瞬楽に慣れても、それは根本的な解決にはならなくて、ただ逃げてるだけのような気がする。


2002年12月10日(火)

「ドストエフスキーの再襲来」 

 ドストエフスキーの「虐げられた人々」をようやく読了。ちょっと時間をかけすぎた。ずっとドストエフスキーは難解というイメージがあったのだけど、そろそろ払拭してきたかもしれない。ストーリー自体はするするとまるでトイレットペーパーみたいに流れていく。ただその長さに際限がないために時間がかかるのだ。本当に長い。この本に限った話ではなくて彼の他の作品も長いし、他のロシア人作家トルストイなんかも随分と長い話を書く。ロシア人というのは我慢を強いられるような長くて寒くて退屈な冬のせいで、ベーコンの塊求めて行列並びをするのも、長い本を読むのもそれほど苦にならないのかもしれない。
 話は若い貧乏作家を軸にまわっていく。腹黒い公爵がいて、それに騙される純真な人々、それに無邪気なばかりで理想主義を語っても何も実行できない公爵の息子などが登場してくる。
 さてこれをより個人的理解に置き換えるために、現代の日本あたりに置き換えてこの話を焼き直そうとするとうまくいかないことに気付く。実はこの悪役公爵役(人を騙して恐ろしいくらいのエゴイズムをもつような人間)が存在しないのだ。今の日本では、この小説の舞台たる1860年の農奴解放を迎えて秩序を失いつつあるロシアと状況があまりに違いすぎるのだ。この時代のロシアではそれまで土地をもっていた富裕な層が突然没落していったり、逆にその富を手に入れてのし上がっていくもの(小説の中では悪者が多い)が現れて、そのために人の生き方というものが問われていたのだと思う。今の日本は微熱社会だから、のし上がっていけるほどの富の偏った集積がないような気がする。国民が皆中流といった状況だから、ドストエフスキーのロシアを当てはめるのは難しいし、小説の主題自体もわかりにくいような気はする。この小説が意味をもつのは恐らくこれから二十年くらいたってからなのではないかと思う。日本が米・欧との三翼から本格的にはずされてしまうような経済状態になったときに。アジアでは日本の代わりに中国が台頭し、日本がとうとう中国に阿りへつらわなければならない状況になったときに。(面白いことにちょうどこのドストエフスキーの時代くらいの日本と中国の関係に戻っていくのかもしれない。)ある人は上海あたりで成功して突如富をもって台頭し、それまで中級であった人たちが没落していくときに、人間性というものが問われだすのではないかと思う。そうしたらドストエフスキーは突如売れ出すのではないかと僕は思っている。その前にどうにか改革を行って、彼の登板を仰がないようにお願いしたいものだけど。


2002年12月9日(月)

「こんな生き方ありですか?」 

 昨日、学生と話していて留年の話が出た。
「学生のうちにやりたいことやっといたほうがいいよ。卒業してからだとなかなかできないよ。学生の身分というのは結構いいものだよ」と僕が口を挟む。
 横から同期の仲間が言う。「あなた、卒業してからずっと好き勝手やってるでしょ。全然説得力ないよ」
 確かに、確かに。僕はずっと好き勝手やっている。

 二次会で博士課程に進んだ後輩の話。「四年生のときについた博士の人が毎日朝九時から夜二時まで研究してたから、ずっとそれに合わせてきたんですよ」
「そんなに学校にいるの!?」
「1日17時間学校にいるんですよ」
 彼は来春海外遠征に行く。「死んでもらったら困るからって準備期間に一ヶ月もらったんで年末からずっと休みになるんですよ。その代わり帰ってきたら一年間に論文4つ書くことになってるんですよ」
「Tさんは今何してるんですか」と彼は訊く。
「カキモノしているよ。30歳くらいまでこんな感じかな。まぁ博士課程みたいなものかな(成果として博士号がもらえるかわからないのと似ている。)」
 でも実際には僕は博士課程にいる人ほど努力していないような気もする。自分に対して甘えているかな。自分を律するのってとても難しいと思う。

 追悼会で亡くなった奴のエピソードを話すときに、彼のバンカラぶりを、僕と対比して話した。僕はおっとりとした環境で育ったので、入部当初、公家とか貴族とか揶揄されていたのだけど・・・、と話したところで神妙になっていた仲間から笑い声がもれた。
 僕は相変わらず世間の現実から目をそむけながら生きているかもしれない。相変わらず、するすると現実から逃れるように生きているのかもしれない。少なくとも仲間たちはそう思っているに違いない。「この人はいまだに公家であり、貴族でしかないのだ」と。何か現実離れしたような生き方。
「何をしているんですか?」と聞かれて、「モノを書いたり、本読んだり・・・旅行にも行ったなぁ・・・」なんて、そんな生き方、ありなのか?って思うだろう。
 しかしある意味そういう人間がいることは他の人にとっては安心できることなのかもしれない。同期の奴が学生に向かって言った。「うちの代はこういう奴ばかりだから」
 
 僕はこういう奴だ。そして、ずっとこういう奴だ。だって僕は僕だから。仕方ないじゃない。


2002年12月8日(日)

「追悼飲み会」 

 すすきのから歩いて帰ってきた。何だか喉が痛い。えへん虫か。
 大学二年のときに雪崩で亡くした友達の追悼飲み会。僕は主将をやっていたので今回は幹事を務めた。現役の学生も数人来てくれたので彼らに対して考えていたことを話しておく。
 二次会でOB連中と話す。下級生でしかなかった人たちも当たり前だが歳をとっている。海外遠征の話や研究の話、就職の話に助言してみる。皆、目の前の壁を突き破って前に進んでいる。そして僕も前に進まなければ。風邪などひいている場合じゃない。前に進まなければ。


2002年12月7日(土)

「あえてあうために」 

 誰かといれば楽しい。
 だけど今日はあえてひとり。あえてひとり。
 あえてひとりで珈琲を飲む。
 あえてひとりで音楽を聴く。
 あえてひとりでパスタをつくって食べる。
 あえてひとりで夕暮れを待つ。
 あえてひとりで机にむかう。
 そこで僕は僕とあう。 


2002年12月6日(金)

 時間が欲しいと思えばそれは逃げていく。それは何かととても似ている。


2002年12月5日(木)

 再浮上の動きあり。まるで潜水艦をレーダーキャッチしようとする巡視船か、ホエールウォッチングで防寒具着込んで海面じっと見ている観光客の心持ち。女心と秋の空、じゃなくって女心は秋の空、なんだろうな。僕には理解しがたいことばかり。


2002年12月4日(水)

 もっともっと時間が欲しい。いや必要なのは全てを構成することのできる力か。とにかく全て欲しい。


2002年12月3日(火)

「書くことと書き直すこと」

 書くことと書き直すこと、どちらが楽かと言われたら、それは書くことだと僕は即座に答えることができる。書くことは自分の思考の流れに沿って手を動かしていけばいいからだ。小説も僕の場合はそんなに違わない。遠い先までは見えていなくても、とにかくまぶたの裏にでも浮かんでいるものを書き取っていけばいいからだ。
 しかし書き直すとなると・・・、これは非常に面倒と言わざるをえない。思考の流れが綴られたものをもう一度解体して、意味を追求して、必要だと思ったら思考の流れ方を変えてあげなくてはいけない。まるで荒れ狂う川を任せられた治水担当官みたいな気分だ。「ここに堤防をつくってこの水はこちらに流してしまいましょう。」「ここの網目状の流れはわかりにくいからもっときちんとまとめてあげましょう」そういうことを一個一個考えなくてはいけないからだ。余りに小さなところから手をつけてはいけない。間違ってもここの堤防のデザインが今ひとつだから、なんてところから始めてはいけない。まず全体地図を広げて、それを俯瞰して、大きな流れの方向性を考えてあげなくてはいけない。・・・って書いていて思ったけれど、それって僕が学生時代に目指していたランドスケープ・プランナー(景観計画家)と同じような仕事だな。そう考えればやる気が出てくるかもな。しかしこの行為の意味を考えることだけでも既に小説のネタになりそうだな。あるところに地域計画を任された男がいて、小事にこだわる小役人やら、自分のことしか考えない地元民に翻弄されながら、少しずつ全体像に向かっていき、最後にはその必要性があるかどうかにたどり着いて、自分の存在意義そのものがなくなっていくというような・・・。最後は足元の堤防がみるみるうちに崩れてあっという間に奔流に飲み込まれておしまいっていうのがいいな。「城」とニューヨーク三部作が混じったようなお話になったら面白いだろうなぁ。ううう、新しい話が書きたい。書きたい。わんわんわん。
 栞をプリントアウトした。原稿用紙だと111枚分。今月はこれと睨めっこだ。がっぷり4つでいきましょう。


2002年12月2日(月)

「アルコール談義再び」

 身体がぽかぽかしている。うどんを食べたからだ。なんて手軽な食事だろう。三つ葉がしゃきしゃきして美味しかった。平日は帰ってくる時間が遅いのでなかなか丁寧に夕食を作れない。その代わりにおてんと様が出ているうちはずっと時間があるわけだけど。
 それからウォッカをグラスに入れてレモン果汁を落として飲んでいる。ウォッカ飲んじゃうなんて僕の身体のどこかがロシア人気質なんだろうか。こうやってひとりの時間が過ぎていくのが心地よい。いつかロシアにも行ってみたいな。
 去年旅行して旧ソ連圏に入ったとき。それまで美味しかったビールが国境をまたいだ瞬間からまずくなって驚いたものだった。大体冷えたビールというものがないのだ。ビール狂の椎名誠だったらキュウキョクテキゼツボウにでもなるのに違いない。そこで代わりに飲み始めたのがウォッカだった。日本とは比べ物にならないくらい銘柄がたくさんあった。弟と一瓶買ってきて二人で安ホテルで飲んだものだ。二人で気炎など吐きながら。楽しかったな。また旅したいな。
 国から国へと旅をしていると、アルコールも変わって行くのが楽しい。中国は町ごとにエールビールがある。旧ソ連はウォッカ。グルジアはワインにカズベギ・ビール。トルコは・・・ビールだったかな。はぁ懐かしい。メキシコのテキーラ。イタリアのワイン。ラオスのラオビアはいいね。タイのシンハービアは今ひとつ。カンボジアでは何飲んだんだっけ。また旅したいなぁ。。。それにしても酔いがまわるのが早くなった。もう、ねむっちゃおうかな。


2002年12月1日(日)

「ふっかつ」

 土曜日、友達との一日。パスタ食べて、映画見て、喫茶店で話をしたら自分の中に抱えていたものがゆっくり放出されて楽になった。
 久し振りに(何年ぶりだろう)蠍座というミニシアターに行った。昔は頻繁に訪れて、僕が映画好きになったきっかけを与えてくれた場所だ。まったくそこは変わることがなかった。ミステリアスな映画に出てきそうな館主からチケット(一本800円)を買って上映が始まるまでテーブルで待つ。ジャズが流れていて、珈琲も飲みたければ200円だから、ほとんど喫茶店のような感じだ。友達も気に入ってくれたんじゃないかな。
 映画はアニエス・ジャウイというフランス人監督の「ムッシュ・カステラの恋」。口ひげの中年の中堅会社の社長さんカステラ氏の恋。芸術に疎いのに、突然思いもよらず舞台女優に恋してしまう。カステラ氏はフランス人的なウィットに富んだ軽妙な会話をうまく理解できないなど問題もあるせいか、舞台女優も彼を敬遠し続ける。しかし、最後の最後、女優は舞台挨拶のときに、思わずカステラ氏を探している。その顔を見つけたときにこの女優が沈んだ表情から相好を崩す瞬間が最大のみどころかな。結局、人は誰かに認めてもらい、信じてもらうことで自分というものを保つ。一途に恋をしたカステラ氏の思いは最後に通じたってわけ。
 映画の内容も悪くなかった(友達は映画館を出てにっこり。)けれど、他に思ったのは、せっかく蠍座なんかもあるんだからもっと映画を見たほうがいいということ。ストーリー展開やら、登場人物の配し方など勉強になるところも多い。映画だけに限らないけど、やはり表現というものには多く接する必要があるなと思った。
 そのあと喫茶店でのんびりお話。ゆっくりとした時間の流れを買っているという気分になれるような落ち着けるところだった。いろいろなことを話せる友達がいるのは素敵なことだ。
 さて、ショックを受けた一週間も終わったし、また一歩ずつ前に進もうと思う。来年の構想についても少しずつ考えているところ。