2000年10月から12月のダイアリ

2000年12月31日(日)
ひとりの世紀越えだ。生まれてから年越しというものは常に家族とおくってきたわけだけど、今回はガチャガチャした台所からの物音も家族の声も聞こえないわけだ。
物静かな都会のワンルームをファンの無機的な送風音が鳴り響いている。
僕はコンピュータの画面に向かって、耳たぶのような蜜柑を頬張っている。

来年はどんな年になるのだろう。
自分の器なんてもの気にせずに、思い切り水をためてみよう。
器をはみ出し、世界に流れ出す音が聞けるくらいに。

2000年12月30日(土)
14時間も眠ってしまった。起きれば友達も帰省ということで、冷えた外気の中でバイすればもうひとり。
パジャマでベッドに潜って、ビデオなんざ見る。
クリストファー・ドイル監督の
「孔雀」。この人は王家衛の作品の撮影を担当した人でこれが初監督作品ということなのだけど、うむ、この人はやっぱり映像屋かなとの結論。美しいイメージをつむぐことはできてもつなぐのが今ひとつ。ストーリー・テラーにはなりえていないというのが感想。
それからヴィンセント・ギャロの
「バッファロー66」。どうも馬が合わないかなとも思って映画館にも足を運ばなかったわけだけど、やっぱりわからないよ、正直いって。音楽から脚本から演技まで一人で手がけるのはやっぱりすごいけれど、なぜあそこまでシネマライズなりの劇場を埋め尽くすまでいったのかはよくわかりゃせん。最後が一応ハッピーエンドになってまぁよかった。

2000年12月28日(木)
インストール自体はうまくいってもそのあと身柄拘束されて質問されるはでなかなか進まず、またもや夜に突入。最後は他の課の先輩が手伝いにきてくれたおかげで予定していた警察署どうにか回ってこれた。
明日は休み♪と思いきや、明日もね、なんて電話きてはにゃはにゃ。段々機械化されてきた頭にも働くということの疑問が募ってきちゃうよ。20世紀も残り少なし。。

2000年12月27日(水)
明日は課員全員+αで千葉県の警察署全てにインストール。
その用意でもうくったり。
たまらず夕刻珍しく外に出て、フレッシュネスなど食べてたりする。
それから坂道とことこ上って代官山の西郷山公園へ。
マフラー口までくるくるまいて街を眺めれば、確かにここには僕がいるはず。

2000年12月26日(火)
最近冷蔵庫がひどい状態。全然家にいないから、前買ったものたちが一斉に(とっくにとも言うが)賞味期限切れ。
もったいないおばけにとりつかれるな、きっと。

県警チームはみんなぐったり気味。さて何人生き残れることやら…。

2000年12月25日(月)
東武線の終着駅なる会津田島へゆく。
往復で10時間以上の行程だ。
読みかけのカポーティの「遠い声 遠い部屋」も読了。中盤は割合面白かったけれど、後半にきてなんだかピースの合わないパズルやってるみたいで心にピタリとこない。原文で読めば、もっと原文の流麗な美しさがわかるのだろうが、その力もないと。

インストール作業を終えて警察署から出てくると、ちらちらと雪が寒空に舞った。
ホワイト・クリスマスになったけれど、ここは静かな山間の町。サンタクロースがトナカイの鈴の音とともに空から降りてくる場所というよりは、むしろ「世界の終り」のような息をひそめたような寂寥感のほうが似合う町。
浅草に着いたらもう暗いわけだけど、戻ってきての一言で社内に戻って終電までPCとにらめっこ。
もう上も余裕なく流石に容赦なくなってきて、世紀越えがカイバル峠越えに匹敵しそうだ。

2000年12月24日(日)
イブ気分の渋谷にて1時間並んで石井克人監督の「Party7」みてくる。アニメをうまくとりこみ、テンポとユーモアにあふれてた。
が、前作の「鮫肌男と桃尻女」よりストーリー性が弱くなって、幾分スケールが小さくなったかな。(そこがいいという人も無論いるだろうが。)
最後の3つどもえは面白いのだけど、もうちょっと伏線張るなりして、どたばたを整理することもできたんじゃないかなぁ。
手法的には斬新なのだけれど、この先ずっとこれを続けるのではなくて、さらにこの先に跳びぬけて欲しいなぁというのが希望。

イタリア風の餃子(カッペチーノ?)、チキン、赤大根のサラダ、ポテトにシャンパンで乾杯ということで素敵な夜でした。
マフラーと地球の歩き方のモロッコ篇をもらった。
砂丘に迷路のような石壁の町にラクダ・・・、この目でみることのできるのはいつになるかな。

2000年12月23日(土)
一応僕の(月曜の福島行きの)用意は終わったのでイブはお休みということでほっ。

駅前にできたビデオ屋に寄ってきたのだけど、広い割に今一作品が揃ってなくてがっかり。
ホントは「天使の涙」見たかったのに見当たらず。もしかしたらホントにないのかもしれない。
金城武もバイクであのままひっくり返っちゃうよ。
頼むよ〜。
大体監督別のコーナーないから探しにくいことといったら・・・(ぶつぶつ)。
夢使い講座をUP!!
夢の逸話・第3夜「古代人の夢」をお送りします。
最近、更新はこがらしさん頼り。
僕もいじったりしたいんだけど…。

2000年12月22日(金)
土日は会社が停電。仕事できない状況にあるのにやるんですね。
帰りしなに自分のPCを支社に運びいれてきました。
明日で終わることを祈ろう。

2000年12月21日(木)
ひとつ上の先輩が身体悪くして入院してしまったのでお見舞いにいった。
「君もあんまり無理しないほうがいいよ」
なんていわれる、そのとおり。

夜テレビで京大医学部卒のボクサーのちょっとしたドキュメンタリみる。
生きるという真摯な気持ちが彼のパンチにこめられているような気がして身が震う。
未完全でもそこを抜けて前に出ようとする姿勢は勇気づけられるものがあるね。

2000年12月20日(水)
あまりに堂々と警察官たちの間でインストール作業してるから、県警の情報課の人間とも間違われていたようだ。普段何となく溝を感じてしまう警察官もなぁーんだたいして僕らと変わらないのかなんて思えた数日間だった。
最後終わったのが9時。よっぽど安心してしまったのか、画面をユーザ用に戻すのを忘れ、頂いたジュースの缶をそのままにして出てきてしまった。反省。

帰りの電車でナースが前にいて、あ〜なんかすごく疲れたって顔してるよぉなんて話してるのを聞くにつけ、自分のことかとも思ってしまう次第。

せっかくクリスマスカード買ったのに一枚も書いちゃいない。

2000年12月19日(火)
まだ夜の明けきれぬうちに家出る。高校のときはいつもこんな感じだったっけ。
九十九里の波の豊かさが胸に押し寄せる。
なかなかいいところだ。
今日は予定どおり房総の太平洋岸の警察署を3つまわった。
同じことをやってる警察署でも随分と雰囲気が違うことがなかなか面白い。

羽田空港行きの終バスでアクアライン超えて帰ってくる。
このバス、なんと僕と運転手しかいない。どういう皮算用になってることやら。
さすがに睡眠削ってることもあって空港着いたらぐったり、身体の閾値までバロメータがふれた感じで陥落寸前。
空港でサラダとざるうどん食べて、身体にエネルギー補充させてどうにか帰ってきた。
よく頑張りました。
そして明日も千葉へ。流石に地名覚えてきた。

2000年12月18日(月)
アクアラインをわたるバスのるため川崎駅に向かう。
ちなみに川崎市民のくせして川崎駅にいくのは初めて。

川崎駅の構内はなだらかで広い下り階段になっているのだが、登ってくる人と降りていく人が巨大な乗降エスカレーターのように中心線で二分されている。そこをモノクロ映画のような灰色ひとたちが歩いていく。だけど視点を上にあげると、そこには大きなスクリーンがあり、色鮮やかなミュージッククリップが流れている。この対比はすごいと思う。ここでは無機物が有機物のように振る舞って歌い、有機物は無機物のごとく寡黙に流れに身を任せている。
しかし、この世紀末的光景のなんと美しいことか。退廃美という言葉が頭をかすめた。

今日はホントは3つ警察署まわるつもりだったのだけど、2つ目でスキャナの設定がなぜかうまくいかずにはまってがっかり。明日は房総半島の裏にいく。

2000年12月17日(日)
渋谷のお気に入りの店でパスタ食べて、それから楽しみにしてた「Party7」見にいこうと意気ごんでいくも、なんと既に立ち見になります状態。座席にありつくには1時間前!に来なきゃいけないみたい。結局あきらめて、本屋ぶらぶらした後、会社へ。そうなのだ、明日からの警察署まわりの準備をしなきゃいけないのだ。といっても緊張感なく、「広告批評」なぞちらちら眺めながら、データのCD-Rへの焼き付けを繰り返すだけ。(結局1日分は仕事してしまったのだが)。今年のCM第一位は予想通り、豊悦の激しい卓球シーンの黒ラベルCMであった。デザインやCMといった表現手法に興味がもてたのはHPを立ち上げてからの自分にとっての大きな収穫なのかもしれない。「広告批評」には最近注目している浅野忠信のインタビュー記事なんか入っていて、なかなか興味深い。彼の出ている映画でも一人正月にでも一挙にみてしまおうかな。(実は既に半分以上は観てしまっているんだけどね)
明日は朝早く起きて、アクアライン超えて、千葉県巡り。

2000年12月16日(土)
ワンゲルのときの同期の友人と他大学の後輩の子と恵比寿で飲む。
札幌のときは全くといっていいほど話したこともなかったのに東京で会うとは不思議な運命のいたづらというやつですね。可愛いいし独自の生活感や価値観もってって、デートしたりしたら楽しいんだろうなって思った。しかし方程式を解いて出てくる答えは一つだけなのだ。解答欄はいつだって一つなのか。ときどき多次元方程式の解き方を忘れそうになる。否、解き方なんて果たしてあったか。

2000年12月15日(金)
会社の隣の席の先輩は北海道の交通事故分析システムに携わってるのだけど、机に北海道の道路マップのってって、思わず手にとった。
懐かしい地名に山の名前。
寡黙な山たちが一斉にぼくに多弁に語りかけてくる。
ひとつひとつの名前がはっきり記憶の中に刻まれた形や思い出を掘り起こす。
最近冷たいじゃないか。って足しげく通った山たちが言えば、一度くらい来てくれてもよかったのにって未踏の山たちが僕の耳につぶやく。
またいつか頬に雪粒の冷たさ感じて、たおやかな白いピークを目指したい。

2000年12月14日(木)
出窓の上の部分にひしゃげた扁平の月がある。
浮かぶという表現よりはむしろ漆黒の中に貼り付いているといった趣。
掘り出したばかりの原石の宝石のようにほのかに光っている。

YS市で作業した帰り、横浜のランドマークタワー辺りで飲む。
それにしても横浜は人が多い。
ブーツ姿の女の子がいっぱいいて、なんだか巷には恋愛というものがあふれているんだなという感覚に陥る。

2000年12月13日(水)
昨日は一番最後だったから今日は一番最初に帰ることにする。
日が短くなって、もう外は夜だけど気分も身体も軽い。
友達の家寄ってご馳走になってくる。
レンコンやインゲンたちが彩りよくでてきて、すごいよなって思う。
食後だるま型のストーブの横でGINZAという雑誌の中野翠さんの映画評を読んだのだけど、これが随分と的確。こんなふうにいっぱい映画みて、感じたことを言葉にしてちょっとしたお金が稼げるのならば、なかなかいいものだろう。
その後、友達の小さな読書ノート見せてもらったら、庄野潤三のことを大絶賛してあったり、吉本ばななに成長の跡が伺えるみたいな文章綴ってあって、思わず笑いこみあげてくる。
リンクに女帝さんの「QUEEN's WEBSITE」、こがらしさんの「IllusionBox」、松屋さんの「松のウェブサイト」をUPさせて頂きました。それにしてもパラレルワールドが広がってきたね。

2000年12月12日(火)
電車ぎりぎり飛び乗って帰ってきた。
危なかった、ほっ。

お正月は1月1日に稼動するシステムの不測の事態に備えて自宅待機となった。
ひとりで家の中で何してよう。
まさか羊男とドーナツ食べてる場合でもなさそうだし。

2000年12月11日(月)
頭の中で単純なのね的にクリスマスソングが流れている日。
もうサンタさんがやってくるかどうかに心配することもないけれど、いくつになってもクリスマスというのは楽しいものなのだ。
仕事中にも「天使の涙」のエンディングが脳裏をかすめてしまって、なんであれが好きなんだろうと考えたわけだけど、きっとあのトンネルの向こうに何かがあるはずさという強い思いをあのシーンに感じたからじゃないのかなって思ったわけだ。
仲間ユキエに似たバイトの子がいるのだけど、今日は帰り一緒になって、(たった)2分ばかり話せた。きれいな波長の電波を受信できたアンテナみたいにやや嬉し。
12月11日ってちょっと特別な日です。女の子に頭いかれて、ふられたこと2度あったりして・・・。(ほろ苦笑)
「わたし、婚約者がいるの」なんて言われて、行く宛て失った心抱いて、凍てついた雪道帰ってきて、ダイアリ遡って絶句なんてことが確かにあった。

2000年12月10日(日)
渋谷でシェイクスピアの戯曲を現代流にアレンジした「タイタス」みてくる。
明らかにお金がかかっていて大きな舞台を見ているような感覚だけど、評価としてはもうひとつくらいかな。現代アレンジというのは面白いんだけど、あれくらいのお金をかけるならば、そのままの時代設定でみてもよかったかなーという感じ。友達は途中で帰りたくなるくらい、つまらなかったなんて言ってたけど、そりゃちょっと言い過ぎ。
雲にも負けぬはっきりとした輪郭もった煌々とした満月の下、帰ってくる。日本酒片手に、湯豆腐なのに、かけているのはクリスマスソング。ちょっとクリスマスぽくないけど「only you」なんか好き。王家衛の「天使の涙」のエンディングで金城武がバイク乗ってトンネル疾走するシーンにかかってた曲なんだよね。

2000年12月9日(土)
金曜、土曜と12月とは思えないぽかぽか天気の中、千葉の裏側まで社員旅行してきた。
今朝は防波堤で釣りをしたのだけど、潮風が穏やかに頬にあたり、とても気持ちよかった。海の中に揺らめくコエビの餌を小魚たちがやってきてはちょこちょこ突付くさまを覗いて、呑気に食いついたのを見ては、竿をあげるというのを繰り返していた。
いつもならパソコンにかじりついてばかりで一向に話もしたことのない人たちとのんびり話ができるのも楽しかった。
水族館ではまんぼうなる魚を初めてみた。子どものように口あけて不恰好な巨躯にみとれてしまったよ。

2000年12月7日(木)
夜、会社でケータイに見知らぬ番号からのCall。
なんと中学時代の友達だった。
中学・高校時代の友人とは全て疎遠になってしまっていたから内心驚いた。
彼ははじめは僕と正反対をいくような賑やかな性格だったし、彼が中学にしてオトナ気だったのに対して、ぼくは随分とコドモだった。
だから何が僕らを結びつけたのか、わからないのだけど、まぁ友達というものはえてしてそういうものなのかもしれない。
彼は高校を出るとガソリンスタンドで働き出し、僕は考えることなく大学に進んだ。
あの頃は会ってもなんだか話が親密さはあっても環境が違うせいで随分と話が合わなかった。
まぁけれども今はそんなこともないのかもしれないね。うまく相手を理解し合えるような気もしてるよ。・・・といっても遠く離れているわけだ。

明日は社員旅行。兎に角リラックスしてこよう。僕はお酒の手配係になってるから、万一寝坊していけないなんてことになると、みんなブーブーいうのかもしれない。

2000年12月6日(水)
20世紀もいよいよ残り僅かになってきたけれどもたいした実感はない。
100年前に僕はいなかったし、100年後にだって僕はいないのだ。
そんなふうに考えてみれば、自分という存在がこの世界で生きているのも不思議なものだ。
10000年前にも夜空には星が瞬き、10000年後にもまた瞬いているのだ。
もしかしたら10000年前に宇宙のかなたで放たれた光が10000年後に地球に届いたりもするのだろう。

2000年12月5日(火)
さすがに3日も休めば脳も楽しく回転する。
結構かかりそうだと思ってた処理用のプログラムもうまくできてにっこり。
後背地では仕事が山のようにありそうな雰囲気だったけれど、パッと席立って帰る。学生時代はやり残した処理を考えたり、未読の論文パラパラ読んで夜になっていくのはそれほど嫌いではなかったけれど、さすがにもう違うのかもしれないな。最近は「辞める」という文字、脳裏にあるから、わざわざ泥風呂に自らつかうのを厭うようになったみたいだ。
こうやって早く出たつもりでも相変わらず電車は混んでて、扉側に思い切りつぶされていた。熊本から帰ったばかりだと、さすがにこういうことは当たり前ではないのだという意識があるから、逆に苦しい。
家帰って、ベーコンとイタリアンパセリとケーパーのパスタとホワイトアスパラのスープ作って、お決まりのミーシャにビール。人になんて言われてもいいから、もう僕は自分らしい生活だけおくれたらって、揺ぎなく考えてる。

2000年12月4日(月)
熊本で2泊して、長洲という町にある友達の家で法事をして、今日月曜日は阿蘇の山を見て、そのまま飛行機で帰ってきた。
長洲の町は駅前にも特にこれといって目立った建物もないような静かな海岸の町だった。駅前の人影のない一本道をいくと、右手に金魚屋があり、さらに海に向かって歩くと、油屋を営んでいる彼の実家が目に入ってくる。家の裏には小さな工場があり、お爺さんが作ったという機械がガタガタと動いているわけだ。
ちょうど着いて間もなくして法事が始まる。7回忌というのに3、40人が小さな部屋の中で神妙に待っていた。僕は彼らの背中みて一番後ろに座る。
そしてその背中一つ一つが僕が昔見知っていたサークルの友人たちのものだと気付くのに時間はかからなかった。もう何年も会っていなかった人たちの背中を見つつ、僕は彼の在りし日の姿を思い出そうと集中した。
サークルの友人たちは見た目は変わらないけれど、話しすれば、皆社会に出て、それぞれに何かにつっかえつっかえ生きていたんだよ。サークルが山や旅を愛するようなものだったから、普通のサークルより職業や生き方も多岐にわたっている。陶芸を志している先輩や、医大に入りなおした先輩、木工の職人を目指す同期、中国を介する花の流通に身をおく先輩…、霞ヶ関のお役人もいれば社長の卵や学究にサラリーマン…。それでも、時が舞い戻ったからのように話ができることは素晴らしいことだと思った。
彼のご両親の素晴らしさにも頭が下がった。こんなに人を集めることができるのもむしろその懐の深さと温かさによるところが大きいだろう。
6年前、通夜に「彼のような強さにいつも焦がれていました」と鼻すすって語りかけたとき、「強いだけが全てではないんだよ」って言ってくれた彼の父親は、まるで自分の父親のようにあたたかく、最後に駅まで送ってくれたときにも、「本当に本当に来てくれてありがとう」と言ってくれて、頭下がる思いだった。
海辺から見えた雲仙はまるで写真の中の風景のように静的にただそこで僕らをみていた。
高校時代、きっと彼はこの山をみて、北海道の山への想いに火がついたのだろう。
またこの町を訪れたいと心から思った。

2000年12月1日(金)
明日から3日間、熊本にいく。
今回は友達の7回忌があるわけだ。
まだ僕らは10代だったし、あの頃は死というものを考えもしなかったし、理解することもできなかった。
果たして今理解できたかといえば、そういうわけでもない。
ただそれはそのまま受け取るしかないものなのだ。
もし君があの場所からいなくならなければどう変わっていたのだろうと、よく考えたりもした。
恐らく激しく山に向かうということに馴染めなくなっていた僕はあのクラブを辞めていただろう。
君の死は僕を足踏みさせ、思いとどまらせた。(むしろ足を前に踏み出すことができなかったという表現のほうが正しいのかもしれない。)
ただ四季は移ろったけれど山の姿は変わることがなかった。
僕は僕なりの楽しみを形として表現できたと思う。
あのサークルの真中の席で僕はみんなを引っ張っていけたかな。
僕はあのサークルの取ることのできない頭になって、ときどき逃げ出したくもなったけれど、九州男児たる君は「気合いれろ」って僕の心に語りかけてくれたんだよ。
僕はいまだに強い人間とはいえないけれど、あの頃よりかずっと成長できたかもしれない。
君に会いに行く。君の育った故郷を見に行く。潮の香りをかぎ、冬の風の鳴り響く音を聞きに行こう。
君と登った冬の十勝連峰や春の日高の山並み。
君のようにいつか豪快に笑えるようになりたい。
雑草よりもたくましく生きられるようになりたい。

2000年11月30日(木)
会社行けばみんな風邪は大丈夫って聞いてくれるからちょっと恐縮。
でも実際のところそんなに体調良くなくて顔色が悪いのが自分でもよくわかる。
病は気からとはよくいったもの。

2000年11月29日(水)
一日至極のんびり過ごしたよ。
近くのお店でランチ食べて、隣町までお散歩して、お買い物して、鍋してね。
食後にうつらうつら眠れば、誰かがパラシュートで空から降りてくる夢みたよ。
身体に強いていた枷が少しは外れたかな。
明日は張り切って仕事しよっと。

2000年11月28日(火)
軍艦カレーが売りのYS市へ。
僕らがいくことに決まると市の職員は残業届けを出して待っていてくれる。
期待を裏切ることなく、残業時間ぎりぎり(21:00。ある意味公務員らしいよな)まで残ってあげる。最後に今日入れた新しいシステムの機能を説明するわけなんだけど、エラーとか出ても、もうあわてることなく、「あっこれは変ですね、すぐに直しますね。」って平然と言えるようになってきた。当たり前のことなのだと思わせるのがミソかな。

帰りの電車で「異邦人」読み耽る。高校以来なのだけど、凄く面白かった。
なんでもかんでも期待されているように振舞わなくたっていいんだという生き方してるわけだけど、現代ではむしろこれ自体が認められつつある。歳とる人は憂いをもったりするのだけど、実は自然な人間の振る舞いなのかもしれないなって思った。それにしても久しぶりに本読んでて、手応えのようなものを確かに感じたよ。カミュの浴びたアルジェリアの太陽の眩しさを僕も感じてみたい。

先週からずっと休みなしだったので、明日はさぼる予定です。さぼるというのはなんだか悦楽的な言葉だな。
夢使い講座をUPしました!!
夢の逸話・第2夜「夢と現」をお送りします。
僕はこういう逸話的な話が結構好きで、高校時代、図書館の漢文の邦訳パラパラと読んだものです。
中国ってどうして仙人のような人がよく出てきては人生の真髄を語ったりするのかな。

それにしてもこがらしさんって百科事典的な頭脳を持ってるなんて思うのは僕くらい?

2000年11月27日(月)
仙台には美しいイチョウ並木が街の中心に連なっている。
冷たい雨の中、黄金色の葉が道路を覆っていた。
映画の撮影用に誰かが周到にまいたように、逆に不自然なくらいの黄金色で染まっていた。
こんな並木道ひとりで歩いたら涙でちゃうだろうな。
小沢君のギターの音が耳骨の奥から聴こえてくるのは僕くらいなんだろうか。

新幹線の中で高速の睡眠をとったせいか、夜帰社してもまだ笑っていられたけれど、さすがに終電になるとそうもいかないのか。
今朝茶色の羽もつゴキブリのような甲虫がトイレにあふれている夢みたけれど、それが目つぶっても追いかけてくるのか。ぼくはその甲虫に恐れもせず、ただ立ちすくみ、蠢く蟲を見下していた。

まぶたの裏側が黄金色のイチョウ並木とギターの響きと大切な想いだけでいっぱいになって、目をそっと開いてもその世界が続いているなら嬉しいのに。

2000年11月26日(日)
ゴールかと思ってテープきって休憩しようとしたら、もう一周だよって言われてる感覚もするけれど、とにかく一週間おわり。
まぁあんまり力まずのんびりいこう、のんびり。

2000年11月25日(土)
月曜と火曜の用意が終わらず、結局明日に持ち越し。
来週はきちんと体調管理して乗り切らないと大変なことになりそうだ。
全くこんなの今の時代にはやらないよなぁ。

時計台の切手が嬉しくて、それだけで幸せだったりするのさ。

2000年11月24日(金)
頑張ったのだけど仕事は結局休日に持ち越し。
今月の正念場。
友達の家のお風呂で蝋燭の灯りだけで入ってたら少しは元に戻れたような気がした。「バートンフィンク」観ようとしたけど、5分くらいで既に完全にフィクションなる夢の世界に落ちていたのです。

2000年11月23日(木)
勤労できることに感謝しながらお仕事。
ありがたし、ふむ。

江國さんの「すいかの匂い」なんて読みながら私服で電車乗れば、なんだかちょっと昔に戻った気分。
それにしても江國さんは10代のはじめくらいに感じ取ることのできる感覚を持ち合わせているから凄い。あんまり常識人ぽくしてると、そうした感受器が錆びて、平板になってしまうよ。

2000年11月22日(水)
課の飲み会。関西人がひたすら喋りつづけ、なんだかな。ひたすらぼけとつっこみしかないのって札幌育ちには合点いかない。
凄いね、としか言いようないよね。

2000年11月21日(火)
ただ日常を繰り返したような日。帰りの改札でて、ふと目をあげると友達の姿が。
一種のテレパシーか。

2000年11月20日(月)
冷雨の中、家に戻ってくると、ちょうど大学のときのサークルの後輩から電話などあって話したりする。
学生時代、共同生活をしてたために、たまに社会人になった先輩から電話があって、向こうに広がるであろう生活をぼんやりと想像したものだ。
今、僕は逆の立場になって受話器をもっている。「院にいくことになったんですよ」「それはよかった。きっと得るものも多いはずだよ」なんて助言してるつもりだけれど、僕だっていまだ道を歩いているのさ。君と僕は、違うように見えるけれども、実はたいして変わりはしないものなのさ。

札幌では雪が降っているという。冷ややかな夜の雨音に雪ふる夜を思う。

2000年11月19日(日)
こがらしさんじゃないけれど、礼服つくりにいく。
礼服なら安いものでいいやと郊外型紋切り型のお店に電車のっていってきた。
スーツならば細身が主流だから別段問題なかったのだけど、こういうお店ってサイズお決まりになってて、ウエストが合わなくて参りました。ウエストの部分を詰めてもらっても太腿の部分がガポガポだもの。まぁいつか恰幅よくなるんだろうけどさ。結局サイズが合うものという選択肢から買い物する結果と相成りました。

午後、セーターにコート羽織って、渋谷の街へ。
コーエン兄弟の「ブラッドシンプル/ザ・スリラー」をシネマライズで観てきた。
彼らの処女作をデジタルとしてアレンジしたものということで、フィルム自体は古い感じは否めないのだけど、効果音の高いピアノ音や音楽の選択、ストーリーの運び方、銃弾跡によって暗闇に隣の部屋の光が洩れるところなどのシーンの撮り方と巧妙でなんだかうなってしまったよ。タランティーノが好きな人は楽しめるんじゃないかと思う。…ということでまだ「ファーゴ」くらいしか観ていないから、これからコーエン兄弟の作品、ビデオででもチェックしなきゃと思った次第。

2000年11月18日(土)
朝起きると、平日疲れで唇と頬が引きつってる。
外に出れば、神様のパレットには筒抜けるようなブルーが広がっている。ぼくの心の中もさわやかなこの空のように広がる。近くのイチョウ並木の坂道を光りうける葉踏みしめおり行く。公園で友達とブランコこげばいい気分。
それからそばのプールへ。ここのプールは人がほとんどいなくて、悠々自適に泳ぐことができる。一泳ぎしては休み、一泳ぎしては休みを繰り返す。身体全体を血が巡り、血色がよくなっていくのがわかる。

ぼくは就職するとき一応次へのステップを3年後に設定した。来年3年目を迎えるということで、そろそろ色んな選択肢の中から考えるところある。ちゃんと考えているんだよ。それで、…

ぼくはあと一年ほどで今の仕事辞めようかと思う。この道を進んでいくのも良いのだけど、あまりに身体に悪くて、早晩自分がはっきり潰れてしまう予感がするからだ。
最近、バイトかなんかで必要最小限のお金かせいで、食生活も睡眠もしっかりとって、学生のときみたいに自分のやりたいだけを追い求めるスタイルでよいのではないかとも思ってきた。気が向いたら、山を巡り、外国を貧乏旅行したりしてさ。人生は一度しかないもの、自分の好きなことやればいいんだよ。家も車もお金も、…今の生活の中でもっている色んなものは決してもちえないかもしれない。でも自由な心と健全な身体もち、自分というものをこよなく愛せるようになるならば、それでいいんだって思う。たとえ貧乏になったて、今の日本ならば幸いなことに暮らしていそうな自信もあるしね。
自分の生きたい道を自然と選んでここまでやってきた。それには僕は非常に満足感を覚えるし、格段不満もない。だけど自分のやりたいことがせっかくできたとしても、自分というものが完全に潰れて自分でなくなったら意味がないじゃない。そんなふうに生きてくことも決して悪かないけれど、(実際そうやってほとんどの人が生きているのだけど)もう僕は決めたんだ。
泳いだあとに僕はそのことを友達に言ったのだけど、「それがいいよ。今すぐそうしたらいいよ」って返してくれたんだ。全て0になってもう「フルモンティ-」のロバート・カーライルのように服さえ脱いで裸にならなくてはいけなくなっても、あの子どものようにそれでもカッコいいよで信じてもらえるのはとても幸せなことなんだよ。僕を飾る(数少ない)世俗的なものたちを、僕は全て捨てたって、僕はカッコいい生活ができてるんだって胸張っていえるようになろう。

ただあと一年は頑張ってみることにする。こみあがってくるストレスもどうにかこうにかやりくりしてさ。ある時点では頑張るということがどんなに重要なことか僕は知ってるんだ。きちんと社会的責任果たして、自分はどんな世界でもきちりと足跡つけれるんだと確信できるように。逃亡ではなくて、時計の針を単にカチリと変えるだけのことなんだって思えるように。

夕刻、けーじばんに書かれた一件のことあってSさんに電話した。その賑やかさに僕は多少びっくりもしたのだけど(笑)。リアルワールドの中でも相手が僕を認めてくれるならば、僕は全てを受け容れる用意があるんだ。僕は僕でしかありえなく、背伸びしたってそれ以上でもそれ以下でもない。もし自分というものがこういうものなんだって相手に提示して、それで受け容れられなければそれでしょうがないんだよ。
そろそろこの世界の城壁越えて、リアルワールドも歩いてみよう。生活スタイルの変更とコミットのため自己境界の突破。来年は徐々にそれを達成してみようと思う。21世紀は明るいはずだ。

2000年11月17日(金)
ちょっと寝坊したけれど、急いでタイ締めて駅に向かう。そう今日は朝から外注のプログラマーと打ち合わせなんだ。お昼まで話して、午後からは課の打ち合わせ。夕方になってようやく自分の仕事カタカタやってた。目の下に陰できて、今週も頑張ったね。さぁ、週末だ。

2000年11月16日(木)
ただお湯につかり、キース・ジャレット聴く。
時は止まってピアノはただ鳴り響き僕は畏怖しながら時のぜんまいを巻いてみる。
人を包み込み抱きかかえることで、自分もまた抱かれるのだ。哀しみを知ってるから喜びがあり、喜びがあるからまた哀しみもあるんだよ。

2000年11月15日(水)
切羽詰りを君になりそうな気配漂わせつつ、一心に今日もVBA。昨日の問題は昼には解決したけど、すぐに他の問題が出てきて、豪雪地帯の雪はねみたいなものです。一満足して温かな部屋戻って蜜柑食べてると、さきほどの雪はねの跡にはしっかり新しい雪が空からやってきて居座ってるわけ。
札幌の街にも今頃、雪がちらちらとふり始め、黄金色の銀杏の葉の絨毯を白くうずめていることだろう。

2000年11月14日(火)
んな夢見た。
大学時代の友人たちとアルコール飲んで、車に乗った。
僕は助手席で、運転してたのが同居人くん。
夜道を猛スピードで車走らす。デビット・リンチの「ロスト・ハイウェイ」さながらに。
直線を抜けた向こうに小さなカーブがあって、僕はこれは果たして曲がれるのかと酔った頭でそう思った。
悪い予感は当り、車はカーブを曲がりきれず、そのままどこかに突入した。
気付くと真っ暗。こりゃ身体は駄目かもなんて思って、恐る恐る手足の神経動かしてみれば、ちゃんと動く。案外生きてるものさ。でも口の中には泥やら草でいっぱい。後ろから誰かに押し出される感じで車という名前の潰れた物体から身体を地面に投げ出す。口の中のものをぺっぺって吐き出す。胸の辺りを打ったのかしばらく痛がっていた。ちょうど人々も集まってきた。幸いなことに僕らはみな無事だったようだ…(つづくのだけど意味なしなのでおしまい)。


今夜はエクセルのVBAに手を焼いて参ったな状態。VBAくらい勉強しろよな。
プログラムが勝手に中で永遠の輪状態でぐるぐる廻り続けて、何故だか考えてるうちに僕の頭の中もぐるぐる。
ふにゃと思って帰り道、駅につくと財布を会社に忘れたことに気付く。
鞄の中にうまいことに小銭があったから切符買って、改札を抜けたのでした。
ぼくはここで余程、ぼんやりしてたのか、改札から出てきた切符をとらなかったのでした。そうだとらなきゃって思って手伸ばしたら、切符はそのまま改札の機械の中に吸い込まれて…、情けなし。駅員さん曰く、「5秒したら自動的に引っ込むようになってるんだよね」とのこと。平謝り。
どんより眼で地下鉄乗ってたら、空飛べそうなふわふわの服着た同じくらいの背の女性が乗ってきて、意思ある眼で前向いてる。
なぜだかサワランのような気がして、何か言おうと思ったけれど、勿論そんなことはないのだね。混乱混濁憔悴気味。

2000年11月13日(月)
夕方に大学時代に道の研究所で一緒だった先輩が顔を見せられたので、飲みにでかけた。久しぶりに顔を合わせたのだけど、非常に通じ合うところがあって楽しかった。あまりにまっすぐ意見してくれるから、春の太陽に当ったクロッカスの芽のように柔らかに接することができた。クールな表層を突き抜けて、小さな緑の芽のように、僕はいくつかの言葉を心から出して話した。彼はたとえ話の中でこんなこといった。「なぁお前、人生の中で一番大事なものは何か知っているか?それは友達なんだよ」って。学生という身分だからこそ言える言葉なのかもしれないけれど、僕はそっとうなづいて考えてみた。僕らは少なくとも何かを共有し、何かをわかり合えてるのですね。

2000年11月12日(日)
休日はいつもスロースターターだけど、今日はちょっと早めに起きて渋谷の街へ。ちょっと気に入ったイタリアンがあるのでここのランチを食べたかったのです。イタリアンといっても外観はぱっとしてないし、客の入りも良いとはいえないけれど、この店のパスタが非常に美味しいのです。まぁ全然イタリアンに詳しくないから、別に胸張ってここが美味しいですとは宣伝できはしないのだけど。でも確かにいえることは東京にきてから、味蕾は成長したと思うよ。今日はキノコ入りのホワイトソース・パスタ食べた。味蕾が咲くような感じで美味しかったな。

それからBunkamuraで「キリコ展」見てきた。芸術を見たときにきゅっと高鳴る細胞が何だか中年を迎えた人のお腹のように緩慢になってたのだけど、それが締まったような感覚がよかった。キリコ自体にそれほど共鳴はしなかったのだけど、自分の中でも引き出しにしまってあるビジュアル的なイメージがパッと咲くような気がして良かった。そのときに僕が思い出したイメージは映画「IP5」の梢がゴーゴーとなるシーン。もし僕がキリコように絵を描くのならば、あのシーン(心象的シーン)を形にしてみようとしたりするんだろうな。

2000年11月11日(土)
この前、下北沢に行ったときに入った店に貼ってあったポスターにつられて、銀座まで出て「アンジェラの灰」という映画見てきた。
銀座でやる映画は渋谷と比べると、割と大人向けの落ち着いた映画が多い。確かに街を歩いてるのは20代後半以降の人たちばかりだものね。
ということでこの映画も割と落ち着いた映画でした。ロバート・カーライルがはまり役である駄目父役をここでも演じていた。アイルランドという国を理解するにはいい映画だったけれど、そこから感動するには僕はまだ若すぎといった印象。ぼくがこの映画で受けたアイルランドという国は貧しく湿気の多いその気候のように閉鎖的なところであるということ。そこで何かを成すということは考えれず、結局は海越えてアメリカに出ることを夢見なければならないのだから。

2000年11月10日(金)
外は冷えてきたというのに、窓辺の植物たちの元気がよい。
アイビーがするすると伸張して、宙に手を伸ばしている。
遅く帰ってきた僕にお帰りって、嬉しいよね。

2000年11月9日(木)
2日連続の朝帰りなんてなんだか学生に戻ったような感覚。

仕事は相変わらず永遠に終わらない砂時計のように与えられて、ぼくはただ砂を通すのみ。
帰り、違う階の同期と久しぶりに一緒になったのだけど、最初の頃の茶目っ気は消えて、ただ頬の肉が減って、ついでに口数まで減っちゃって何だか苦笑いさ。
社会とはいかにすごい機構であることか。

2000年11月7日(火)
あさかえり。
朝の凛とした空気。
駅に向かうスーツ姿のひとたち。
民家の軒先の冷ややかな表情の蜜柑。

2000年11月6日(月)
休日と平日がいいバランスでやってくれば生活にメリハリ出てくる。
といっても休日ぼけで朝駅についたら財布と定期を忘れたりしてるのだけど。
駅員から小学生のお駄賃さながら220円借りて電車に乗れたわけでした。(恥)

2000年11月5日(日)
11月とは思えない筒抜ける空に穏やかな風。どこかでかいだことのあるような懐かしい空気の感触。どこからか聞こえてくる庭木を剪定する鋏の音に鴉の声、どこにでも転がってそうで、忘れかけているもの。

夕陽が沈むのを眺めにいった。
西の空が薄紅に染まり、まるで切り絵のように建物や木々の輪郭が空に切り取られる。

先週に引き続いて鍋した。白身のお魚が美味しくて、ワイングラスも進んだ。
僕は普通でありたい。自分のまわりの世界を、時間をこよなく愛せるようになりたい。

2000年11月4日(土)
久しぶりに表参道をお散歩。とろろ蕎麦(好物)食べて、スパイラル見て、秋の日差しを身体に浴びればいい気持ち。そのまま青山に抜けて、イチョウ並木歩くも、まだ黄葉には時期早すぎで人ばかりいる。イチョウはやっぱり札幌に限るのかなぁ、僕の中ではね。
国立競技場までくれば、なんだかワァーッっていう歓声が秋空を越えて聞こえてくる。何をやってるんだ、日米野球?早慶戦?…でも球場じゃなくて競技場だよ。
さっと目をやれば「J」というダウン着た人たちがいて、ようやく解決。Jリーグのナビスコカップの決勝だったんだ。そうだった、家にいたら今頃テレビで観てるところだったな。
当日券なんてあるのかなぁ(いや、ないだろ)なんて正面に行けば、自由席が結構安く入れるみたい。もちろん、そのままチケット買って入ったのです。歓声が聞こえてくる中、あわててフランクフルトとお茶買って、興奮気味に競技場の中に入った。
実はサッカーを競技場で観たのは初めてだったのだけど、鮮やかな緑の芝にフィールドを駆け回るプレーヤーたちの影が伸びて、何だか視覚的によかったです。感覚的にはアップルのコンピュータと村上春樹の初期作と同系統のものです。リアルワールドがスタイリッシュに箱庭的に仮想的に進行していくのです。そうテレビでみるのとは随分違うのです。夕暮れ近くなってくると、思い出したようにパッとスポットライトが芝を照らしてまたこれも視覚的によろしかったです。
試合はアントラーズが中田のシュートで先制し、さらにPKで追加してフロンターレを振り切ったわけでした。ぼくは一応川崎市民ということでフロンターレの席を陣取ったけれども応援歌にリズムがあって楽しかった。選手の名前は圧倒的にアントラーズのほうがわかったけれど。よし来年は札幌対横浜なんていうカード絶対観に行くぞっと誓ったのでした。
こがらしさんによる夢使い講座をUPしました。
今回は番外編其の二「夢の逸話・第一夜」です。売買される夢が今回のテーマです♪

2000年11月3日(金)
夜の下北沢に市川準の「ざわざわ下北沢」に観に行く。下北沢で暮らすことの温かさが伝わるなかなかいい映画だった。登場人物が多くて(ちょい役でトヨエツから広末に田中麗奈まででてる)ちょっと焦点がぼやけそうでもあったけれど、逆にそのあたりが町そのものをうまくとらえるための装置でうまくいってたと思う。主人公の女の子には内に秘めた美しさみたいものを感じ取れて、これはよかった。そうじゃなきゃ、あんなふうに心の中にもうまく入れないもの。
そして静かになった下北沢の町から三軒茶屋まで散歩したのです。

2000年11月2日(木)
昔の彼女が夢に出てきて胸痛く目覚めれば、時計は6時15分示していた。まだ1時間は眠れると思って再び夢に落ち、再び目覚めれば、今度はさっきよりもずいぶんと明るい。朝が確実にやってきているのだと思って、時計見てみると、6時15分。…うっ時計が止まってる。てなわけで午前休。まぁ有給も有り余ってるし、まぁいいかって開き直ってる。
せっかくだからと友達とモスでのんびり朝ご飯。友達はもう嬉しそうで、そんなとこ見てたらまぁ遅刻も悪くないなぁなんて思った次第。

仕事始めたら、課長が「仕事を用意しておいたよ」なんてつかつかやってくる。まぁ昨日あれだけ早く帰ったからそうなるよなって心ん中で思ってる。警察庁に出すシステムの説明書みたいなもので、まぁこれは面白そう。ふむ。
予定通り9時までカチカチ、キーボード叩いて、さっと一礼して帰ってきたよ。
今週は余裕のある終わり方してなんだか週末もたくさん遊べそう。

2000年11月1日(水)
誰も帰る素振りの見せていない時間に「今日のわざはなしとげたり」とPCの電源パンと切って、さよならする。課長がゆっくりと顔をあげて、ちょっとびっくりした顔する。今日は事務の人たちよりも早いのだ。

帰りに本屋2軒と酒屋に立ち寄る。酒屋でどこかの地ビールと綺麗な瓶の純米酒とチリワイン買って、友達の家にお腹空かせて向かう。
これだけ買っておけば、どんな料理にも対応できるという腹なのだ。

和風アレンジの部屋の和食には日本酒がよく似合う。
友達と美味しいものを感じ取る力について話し合ったのだけど、そういう感覚って実はお金をたくさん出すことではなくて、丁寧に生活をおくっていこうとする姿勢みたいなものに左右されるのではないかなということ。根本的な味覚は恐らく幼少期に備え付けられるものなんだろうけど。それでちょっと母親に感謝しちゃった。

丁寧に生活をおくることというのはつまりは自分を大切にすることにつながる。
もっと生活の一つ一つの断片を愛するようにしなくてはいけないよね。

2000年10月31日(火)
昨夜、あまりに遅くまでやっていたから、今日はたったと帰ってきた。
しっかり睡眠とろう。
ゆっくり湯船につかろう。
優しくあるために。

2000年10月29日(日)
幕張で黒革靴が壊れてしまったので、渋谷へお買い物。
ほとんどデザインだけで買ってしまったけど、まぁいいでしょ。

本屋で吉本ばななに島田雅彦の料理本に宮沢和史の詩の解説本買い込む。
島田雅彦も宮沢和史のも朝日新聞でしばらく連載してて楽しみながら読んでたもの。
吉本ばななのは、小沢くんのことを書いてるのをぱらぱらめくってたら見つけてしまって買った次第。
オザケンの歌は、特に春と秋に合うような気がするけれど、どんなものだろう。
「あの人の指さえも今ぼくのもの♪」なんて今も横で歌ってるわけ。

2000年10月28日(土)
久しぶりにボーリングというものをやってみる。
あの球の重いこと、2度ほど軸足にごつんとあてちゃって涙なわけです。

帰りにコンロ買ってきて、お鍋した。
ビール飲んで、春菊頬張ればいい気分。

2000年10月27日(金)
サッカー・アジアカップを録画して眠ったのだけど、録画の終わる音を目覚ましと勘違いして起床。そのまま巻き戻して、眠気眼でブラウン管のシーソーゲームを眺めていた。
7時前に家出て海浜幕張へ。2時間近くの長い道程。
講習会は随分とうまくいった。
おかげで警察官の方々とかなり仲良くなってしまった。
札幌出身というのはどうやらある程度の好感を抱かせるらしい?
夜、社内に戻ってくれば、先輩の物件が納品日が近く、もうお尻に火が点いてる状態。
僕も関わってた物件だから終電まで付き合ってた。
ということで恐らくうちの会社で今日一番働いたと思う。
…社の創立記念日でもともと休みだったのだから。

2000年10月26日(木)
どうにか海浜幕張の一日終えて帰ってきました。
あんなビル街にいると自分もなんだかビジネスの世界の一角にいるような錯覚までしてしまうから不思議なもの。
最近頓に自分はシステムといった世界に合っているのかどうか深く思ってしまう。
他人と自分を比較する度に。
ホントはもっと自分に適した仕事があるんだからいいんだという考えと、この世界で風きって一人前になれなければ結局他のところにいっても同じなんだよっていう思いが絡まってしまう。
自意識過剰なんだよ。
浜辺の砂粒の一つにすぎないんだよ。
そんなことわかってるさ。
それでも・・・って思っちゃうんだよ。
考えて足止めるくらいならそのまま歩けばいいのさ、歩けば。
僕なりの歩き方で。

2000年10月24日(火)
海浜幕張で作業。
最後はぎりぎりになってしまって電車に駆け乗ってどうにか帰宅。
明日は泊まり。ガンバァ。

今日係長の鞄代わりのケースにあるものがはいっているのをちらと見つけてしまった。
それは「ノルウェイの森」だったのです。

2000年10月23日(月)
木曜と金曜に警察官向けのシステム講習会をやるので、そろそろ付け焼刃でも覚えなくちゃ。
検挙と送致って一体何が違うんだ?

秋に似合いそうな本ということで「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」
世界の終りの描写がとてもよくて。
図書館の女の子になんとなく本上まなみをあてたのだけど、どんなものだろう。

2000年10月22日(日)
静かに家の中で一日過ごす。
ヒゲすら剃るのを忘れている。「あ〜しまったな」という感じ。(苦笑)

J2の札幌が3年ぶりのJ1昇格を決めた!
(代わりに川崎フロンターレがJ1から脱落しそうではあるが)
来年は横浜にでも見に行こうかな。
「夢使いのけーじばん」スタート。管理人は夢使いこと、こがらしさん。

2000年10月21日(土)
渋谷、下北沢、三茶をトライアングルのようにまわってきた。
下北沢のはずれにあるおんぼろの映画館で廣木隆一監督の「東京ゴミ女」を観てきた。
札幌に日本最小の映画館とうたわれる映画館があったのだけど、それに劣らず小さかった。
ためしに観客数を数えると、僕らを含め、15人。ちなみに座席の数はその3倍程度。
手撮りの映画ぽくって、映画そのものが随分と身近に感じられることができた。
(終わった後、バス乗ってたら、自分の目がカメラの目になったような不可思議な感覚に襲われた。)
さて、主人公の女の子が夢の島までいっても捨てきれなかったものはなんでしょうか。
僕はわかっちゃったんだものね。

三茶で相変わらず一服休憩してたら、何だか学生のときの感覚に戻ってきて、そうだ札幌のときもこんなふうにぼぉーっと映画のこと考えながら、珈琲なんて飲んでたよなって。

2000年10月20日(金)
係長と警察まわって打ち合わせとインストール。
今日行ったところは白バイの写真がずらっと貼ってある交通機動隊。
帰りの電車で係長は起業家になるための本を読みだし、僕はおもむろに鞄から「やがて哀しき〜」をとりだす。

2000年10月19日(木)
ファイル処理のプログラムに頭をひねくりまわしてたら、あっという間に夜。
根本的なコマンドの選択が悪かったみたいで完全に徒労。
山もそうだったけれど、引き際というものの判断って難しい。
失敗してこそ人は学ぶこともできるのだけど。

2000年10月18日(水)
街にも秋風抜けてきたから、今夜は南瓜を食べよう。
頑なな深緑の皮に包丁を立てて、それをパチリと割るのだ。
勢い余って、まな板をこつんと叩いてもそれはご愛嬌というもの。
それから鍋に蓋して、ただぐつぐついわせよう。
出窓を閉じて、パジャマに足通す。
靴下脱いで感じる床の冷たさに足の甲はただ亀のように首をすくめる。
そこかしこが秋の空気に包まれるそんな時間も好き。

2000年10月17日(火)
サッカーにあわせて帰宅。
ビール片手にぼぉっと見てたのだけど、日本かなり強いですね
弱い相手ではないんだけどな。

春樹さんのアメリカ生活綴った「やがて哀しき外国語」なぞ読んでいる。
店先で果物を選ぶように、身近なものごとを一つ一つ仔細に手にとっていく姿はいいもの。
どんなものにも自分の意見もてるように、そして表現できるようになりたいかな。

2000年10月16日(月)
帰りに駅前のスーパー立ち寄って根菜を中心に買い物。
なんとなく気分でいつもより高めのお豆腐や納豆も買い込む。
家路たどりながら気分は和食に傾いていた。
キッチンにおごそかに立って、鶏と根菜の煮物とお味噌汁つくった。
電気コンロひとつきりしかないから、品目を多くするのも結構難しい。
ちょっと味付けが濃くなってしまったけれど、舌も満足したし、何より身体が満足した。
きちんと生活するということは結局はこういうことなのだ。
そして自分の手で何かを作り出すという喜び。。

2000年10月15日(日)
夢破れて山河あり・・・(苦笑)。
やっぱり弱点があってはいけないね。
アルゴリズムは勘の世界に頼ることとあいなったわけです、とほほ。
次、いこう。

2000年10月14日(土)
明日はちょっとした資格試験を受けようと思ってるので閉じこもって勉強してました。
といっても全然進まなかったのだけど。
今はもうあきらめてサッカーみてます。ははっ。

2000年10月13日(金)
ドラマ「ショムニ」の舞台となったという幕張のビルでお仕事さん。
僕のいつもの仕事場に比べてなんてオフィスぽいことか。
本社より支店のほうがオフィス環境がいいっていうのもなんだか考えもの。
今日は課の人員全てを投入してのお仕事、連帯感あってよろし。

2000年10月11日(水)
仙台の牛タンは厚い。東北の牛は冬のために舌を厚くするのだろうか。
結局、支社と市役所とAERいっておしまい。

明日は千葉の海浜幕張(お泊り)で警察官と戯れてきます。

2000年10月10日(火)
朝から社内でコンピュータウイルスが横行。
ウイルスメールが次々とやってくる。すかさず削除していく。

*コンピュータウイルスに感染するとファイルが壊れたり、ひどいときはマシンそのものの設定を大きく書き換えてしまいます。最近話題になったI LOVE YOUウイルスのようにメールなどに添付されることがあります。
防ぐためにはメールの添付ファイルは(知人からのものでも怪しそうなものならば)安易に開かない。ウイルスチェック用のソフトを入れておく。ネット上からのダウンロードには普段から気をつける。といったことが必要です。

今週はなんだかとっても忙しくなりそう。とりあえず明日は仙台だ。

2000年10月9日(月)
ゆっくりと一人で過ごした。
HPいじったり、勉強したり、サニーデイサービスの新譜聴いたりして。

友達が腕をふるって夕食をつくったそうなので、これから出掛けてきます。
雨はもうあがったのかな。
あの坂道をのぼれば、木々の葉が濡れた匂いがするのだろう。
そして急な階段かけのぼって、「やぁっ」って笑おう。
久しく更新してなかった「読書の旅」を更新しました。きりんさんから頂いた読書感想文を載せました。
半分工事中みたいなところあるのですが目瞑ってくださいな。
HPお持ちでない方で、ここのページになら何か載せてみたいという方いたら、メールか何かで頂ければ載せてみたいと思います。いろんな人から反応返ってくるのってなかなか楽しいものです。

2000年10月8日(日)
お昼過ぎまでぐっすり。
流石に平日の身体の重みも一掃されて脳もクリア。

夕刻より渋谷に出て、石井聰御亙の最新作、浅野忠信主演の映画見てきた。
この組合せなら結構面白くなるはずと期待したのだけど、内容は里見八犬伝のような伝奇物。
エンタティメントとしてはちゃちで、特にメッセージ性もあるわけではなくて、ドカンドカンとやってるので、こりゃ駄作と判押したわけだけど、友達は全く反対で面白いとのこと。
ここまで意見が逆なのも珍しいね。

2000年10月7日(土)
朝起きるなり、弟に電話。
電話口の素っ頓狂な声。心配したのが馬鹿だったみたいに元気そう。
それより僕の声の調子がおかしい、唇が微妙に震えてしまう。

ブラインド開ければ、とてつもなく気持ちの良い秋の空。
これは散歩日和だね、ってことで茗荷谷にある東京大学の植物園目指す。
途中、飯田橋のしなのという蕎麦屋寄って腹ごしらえ。
店自体は小さくてぱっと見はそれほどでもないけれど、麺のこしとかダシが軽妙。

そして目的の植物園へ。茗荷谷とあれば江戸時代頃はいっぱい採れたのだろうか?
(しかし、茗荷がどうやって生えているのか知らない、農学出のくせして・・・)
植物園の門まで歩いてみればなんと既に閉門済み。
動き出す時間があまりに遅かった、参ったね。

駅前でビデオ借りて、森田芳光の「黒い家」見てみました。
滅茶苦茶恐かった。途中から布団を頭の上からかぶってたよ。
大竹しのぶの演技、機械のようなクールさと鬼気迫る演技の両方持ち合わせていて、凄かった。
「羊たちの沈黙」や「セブン」なんかも越えていたような気がしたけど、どんなものだろう。
保険会社に勤めている人は背筋がゾクゾクきたのでは?

2000年10月6日(金)
大きな地震があったようですね。
会社の隣の席の先輩が地震のシステムを扱ってるので一早く教えてもらった。
松江に住む弟のことがちょっと心配になってケータイにcallしてみるけどつながらない。
まぁきっと大丈夫なんだろうけれど・・・。

2000年10月5日(木)
一年前はいい感じで東京に馴染み、東京の街を散策することに喜びを覚えたのに、なんだか最近は生活の比重が完全に平日の仕事のほうに移ってるような気もするよ。
週末あたり神宮のイチョウ並木でも歩いてみようか。
裏通り歩いて、カフェでも探そうか。

2000年10月4日(水)
心臓の痛みで起きる。虚弱体質なんだろうか。
おかげで事務員よりも早い時間に会社着いちゃう。
プログラムだけ流して、たったと帰ってきた。
豚汁作って、栄養を過剰気味にとってみる。
これでまた兎のごとく動きまわれるよ。

2000年10月3日(火)
なにげに振った香水の香が嗅覚を刺激するのか、ブルーのシャツが視覚を刺激を視覚するのか、覚醒気味に脳を動かせる。
夕刻になれば植物のように脳の活動は萎んできて、壊れかけの扇風機のごとくかたかたとまわる。
かたかたかたかた。

2000年10月2日(月)
熱帯産のパキラが熱を下げた気流に戸惑いながら一枚一枚葉を落とし始めている。
もっと過酷な乾燥地帯に故郷のある窓辺のサボテンたちは、さてどうしたものかと話し合っている(ように見える)。
ネクタイほどいて、やかんを火にかけてから、「天使達のシーン」を聴いてみたりする。
空を飛び風となれ。

2000年10月1日(日)
半袖の肌にひんやりとした秋の風。
そうか、もう10月なんだ。

横浜の叔父のお見舞いにいってくる。
電車の中で恐らく高校以来の「李陵・山月記」読み返す。
この中の「弟子」という短編に孔子を慕う子路という実直な弟子の話が載っている。
彼の壮絶な最期に凛とする。

⇒2000年1月から3月のダイアリ

⇒2000年4月から5月のダイアリ

⇒2000年6月から7月のダイアリ

⇒2000年8月から9月のダイアリ

⇒パキラはこんな人